Love me, love my dog.
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『今どこですか?』
氷点下の声色だった。ウォッチドッグからただの名前に戻った彼女は、「OBCの前」と正直に言いそうになるのをすんでのところで「イ、イーストシルバー」と方面だけ答えた。
『どうして教えてくれなかったんですか!?』
「えっと」
『よくあんなマスクひとつで素性を隠せると思いましたね。アニエスさんから話を聞いたときに気付くべきだった』
「何の話だかわからないって」
無言。電波越しにエンジン音だけが虚しく響く。向こうも外にいるのだろう。驚かれるだろうとは思っていても、正直ここまで怒られるとは夢にも思わなかった名前は面食らいながらも白状することにした。
「勝手に話を進められて、私も断り切れなかったんだよ。仕事の一環なの、わかるでしょう?」
『……僕に一言、相談してくれてもよかったんじゃないですか?』
電話の向こうで弱々しい吐息が漏れた。しかしちょうど大通りを通ったトラックのクラクションで、男の情けない声は掻き消されてしまった。
「えっ、ごめん何て?」
『いえ、あなたがそんなに無謀な人だとは思いませんでした』
「ちょっ、えっ、バーナビー!」
通話は一方的に切られた。彼は有名人だからと、外にいるときはなるべく呼ばないようにしていた名前を思わず叫んでしまう。通行人の視線をハハ、と愛想笑いで誤魔化しながら、名前の背中は冷や汗でびっしょり濡れていた。どうしようどうしようどうしよう。数時間前の初陣の方が幾段と冷静だった。
名前にとって、バーナビーは理想的な恋人だった。
アニエスに惚気た通りに、出会いはアカデミーだった。同年代の中で、否当時在学していた学生の中で一番出来が良くて、それでいてスマート&ハンサム、あのヒーロー界の立役者・マーベリック氏のお墨付きという絵に描いたようなスターだった。当たり前にファンクラブがあったり、彼と同じフレームの眼鏡が流行ったりとさながら学内のプリンス。デビューする前から、彼はヒーローだった。
箇条書きにすればキリがないほどの「高条件」に加えて、彼はストイックで努力を怠らなかった。当時は親の復讐の為なんて事情は知らなかったが、輝かしいスペックよりも泥臭い努力に好感が持てた。口先はいくらでも誤魔化せても、行動だけは嘘をつかないと知っていたから。
名前が淡い憧れを抱くのも時間の問題だった。もっとも、在学中に言葉を交わしたことなんて数えられるほどだったし、諸事情で名前は卒業を待たずにアカデミーを去ることになる。
再会は運命だった。
彼の情報は意識しなくても勝手に舞い込んできた。シュテルンビルトを恐怖のどん底に陥れた凶悪犯・ジェイクとの因縁、そして決着。大事に仕舞った優しい色の恋心を、愛おしく思うような、爪を立てられるような気分だった。
名前の日常といえば囚人相手に翻弄されたりされなかったり、本来刑務官の仕事ではない犯人輸送に駆り出されたりと、取り立てて幸も不幸もない毎日だった。時折、仕事で知り合った友人のアニエスと飲みに行って、また刑務所と現場の往復。彼女は実に楽しそうに仕事の話をする。不満はないが、次第に色を失っていくような日々が、あの夜を境に急激に色づいた。
「隣、いいですか?」
何杯目かは数えていなかった。カウンターで一人ちびちび飲む、寂しい女の背中に同情でもしたのだろうか。薄暗いバーの、橙色の照明に照らされた青年が返事を待たずに隣に腰掛けた。
名前はその手の遊びには関心が薄い方だったので、つまらない、しつこい男だったら即座に帰ろうと決めていた。いくら酔いが回っていても、日頃荒くれ者の囚人たちを相手にしているくらいだから振り切れる自信があった。しかし結果として、彼女はその晩、一人で家に帰ることはなかった。
テーブルの上で浅く組まれたその指を、覚えていた。座ったときに僅かに揺れたマリンノートも、首筋から顎の輪郭、耳の形だって。
「バーナビー……」
コンチータのグラスを摘む手を、筋張った手が包み込むものだから、名前はもう何も言えなかった。
そのときのことを思い返すと、名前は感情の渦に捉われる。その日は退勤後にメイクを直していなかったし、アルコールで目も充血していたに違いない。しかし一人で寂しく飲んでいたからこそ、偶然彼と巡り会えた。もし彼が声を掛けたのが自分じゃなかったら、今頃——
そんな彼女の憂いを忘れさせてくれるほど、バーナビーは優しい恋人になった。顔が売れてしまったからと申し訳なさそうにしながらも、個室のあるレストランによく連れて行ってくれた。紳士的な態度とエスコートに、名前はティーンエイジャーのように浮かれ、胸をときめかせた。お互いの仕事に理解とリスペクトがあった。……あったはずだ。名前はそう思っていた。
あんな声は初めて聞いた。お互いもう子どもじゃないんだし、喧嘩なんてしないものだと思っていた。
怒涛の一日だった。信号が赤になり、青になり、また赤になり……と時間が経つことだけが信じられることのように思えた。
氷点下の声色だった。ウォッチドッグからただの名前に戻った彼女は、「OBCの前」と正直に言いそうになるのをすんでのところで「イ、イーストシルバー」と方面だけ答えた。
『どうして教えてくれなかったんですか!?』
「えっと」
『よくあんなマスクひとつで素性を隠せると思いましたね。アニエスさんから話を聞いたときに気付くべきだった』
「何の話だかわからないって」
無言。電波越しにエンジン音だけが虚しく響く。向こうも外にいるのだろう。驚かれるだろうとは思っていても、正直ここまで怒られるとは夢にも思わなかった名前は面食らいながらも白状することにした。
「勝手に話を進められて、私も断り切れなかったんだよ。仕事の一環なの、わかるでしょう?」
『……僕に一言、相談してくれてもよかったんじゃないですか?』
電話の向こうで弱々しい吐息が漏れた。しかしちょうど大通りを通ったトラックのクラクションで、男の情けない声は掻き消されてしまった。
「えっ、ごめん何て?」
『いえ、あなたがそんなに無謀な人だとは思いませんでした』
「ちょっ、えっ、バーナビー!」
通話は一方的に切られた。彼は有名人だからと、外にいるときはなるべく呼ばないようにしていた名前を思わず叫んでしまう。通行人の視線をハハ、と愛想笑いで誤魔化しながら、名前の背中は冷や汗でびっしょり濡れていた。どうしようどうしようどうしよう。数時間前の初陣の方が幾段と冷静だった。
名前にとって、バーナビーは理想的な恋人だった。
アニエスに惚気た通りに、出会いはアカデミーだった。同年代の中で、否当時在学していた学生の中で一番出来が良くて、それでいてスマート&ハンサム、あのヒーロー界の立役者・マーベリック氏のお墨付きという絵に描いたようなスターだった。当たり前にファンクラブがあったり、彼と同じフレームの眼鏡が流行ったりとさながら学内のプリンス。デビューする前から、彼はヒーローだった。
箇条書きにすればキリがないほどの「高条件」に加えて、彼はストイックで努力を怠らなかった。当時は親の復讐の為なんて事情は知らなかったが、輝かしいスペックよりも泥臭い努力に好感が持てた。口先はいくらでも誤魔化せても、行動だけは嘘をつかないと知っていたから。
名前が淡い憧れを抱くのも時間の問題だった。もっとも、在学中に言葉を交わしたことなんて数えられるほどだったし、諸事情で名前は卒業を待たずにアカデミーを去ることになる。
再会は運命だった。
彼の情報は意識しなくても勝手に舞い込んできた。シュテルンビルトを恐怖のどん底に陥れた凶悪犯・ジェイクとの因縁、そして決着。大事に仕舞った優しい色の恋心を、愛おしく思うような、爪を立てられるような気分だった。
名前の日常といえば囚人相手に翻弄されたりされなかったり、本来刑務官の仕事ではない犯人輸送に駆り出されたりと、取り立てて幸も不幸もない毎日だった。時折、仕事で知り合った友人のアニエスと飲みに行って、また刑務所と現場の往復。彼女は実に楽しそうに仕事の話をする。不満はないが、次第に色を失っていくような日々が、あの夜を境に急激に色づいた。
「隣、いいですか?」
何杯目かは数えていなかった。カウンターで一人ちびちび飲む、寂しい女の背中に同情でもしたのだろうか。薄暗いバーの、橙色の照明に照らされた青年が返事を待たずに隣に腰掛けた。
名前はその手の遊びには関心が薄い方だったので、つまらない、しつこい男だったら即座に帰ろうと決めていた。いくら酔いが回っていても、日頃荒くれ者の囚人たちを相手にしているくらいだから振り切れる自信があった。しかし結果として、彼女はその晩、一人で家に帰ることはなかった。
テーブルの上で浅く組まれたその指を、覚えていた。座ったときに僅かに揺れたマリンノートも、首筋から顎の輪郭、耳の形だって。
「バーナビー……」
コンチータのグラスを摘む手を、筋張った手が包み込むものだから、名前はもう何も言えなかった。
そのときのことを思い返すと、名前は感情の渦に捉われる。その日は退勤後にメイクを直していなかったし、アルコールで目も充血していたに違いない。しかし一人で寂しく飲んでいたからこそ、偶然彼と巡り会えた。もし彼が声を掛けたのが自分じゃなかったら、今頃——
そんな彼女の憂いを忘れさせてくれるほど、バーナビーは優しい恋人になった。顔が売れてしまったからと申し訳なさそうにしながらも、個室のあるレストランによく連れて行ってくれた。紳士的な態度とエスコートに、名前はティーンエイジャーのように浮かれ、胸をときめかせた。お互いの仕事に理解とリスペクトがあった。……あったはずだ。名前はそう思っていた。
あんな声は初めて聞いた。お互いもう子どもじゃないんだし、喧嘩なんてしないものだと思っていた。
怒涛の一日だった。信号が赤になり、青になり、また赤になり……と時間が経つことだけが信じられることのように思えた。