愚かなり風前
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「検事、御剣怜侍は死を選ぶ」。
書き置きの内容は検事局だけでなく警察局にまであっという間に知れ渡った。法廷で彼を最後に見たのは去年の暮れ、ひょうたん湖で起きた生倉弁護士殺害事件のことだった。裁判長に向かって左側、幾度となく被告に有罪を突きつけてきた検察側ではない、被告人席で佇む彼をその日私は傍聴席で見ていた。
「私も死んじゃおうかなあ」
「滅多なコト言うもんじゃないッス! それに御剣検事は死んでないッス!」
「失踪したのは事実じゃないですか」
「むぐぐぐぐ……」
糸鋸刑事は全身でがっくりと項垂れた。年季の入ったコートを纏う、大きいはずのその身体が小さく見えた。ひとつひとつのリアクションまでオーバーな人だ。いつも全身全霊というか一生懸命というか、とにかく全力稼働だ。減給されようが失踪されようが、御剣刑事を信じ続ける姿勢は素直に羨ましい。信じていたはずの検事が失踪。私の心はもう枯れ果てていた。
「それより新しい上司に尻尾振る練習しとかなきゃですよ」
「ああ! あのオッカナイ娘ッスか!」
「まだ未成年なのによくやりますよね、彼女」
警察局と検事局、それぞれ独立した別の組織だっていうのに、現場では検事が刑事の実質の上司だ。現にこの糸鋸刑事は御剣検事に今まで何度も減給宣告を受け、彼の懐具合もその通りになっている。この立ち返れば不可解にも思える検事と刑事の関係性は、元地方警察局長・巌徒海慈の働きかけを感じないでもない。閑話休題。
とにかく、御剣検事の捜査チームだった私たちは、彼の失踪に伴って新しい検事の下に着くことになった。
黙り込んでしまった私たちの間に携帯の着信が響く。課長からの連絡で、近隣で殺人事件があったらしい。糸鋸刑事は両手で自分の頬をバシンバシンと叩いた。両頬に大きな紅葉が浮かぶ。
「さあ、捜査捜査捜査! 現場百歩ッス!」
「それを言うなら現場百遍かと」
「同じことッス!」
そう言って「パトカー回してくるッス!」と駆けていってしまった。
彼が現状を嘆かないわけがない。詳しくは知らないけど、御剣検事に救われた恩があるとかでえらく尊敬していたものだから。そそっかしいところもあるけど、捜査への貪欲さと真っ直ぐな性根は彼の美点だ。
「死んじゃおうかしら」
今度は誰にも拾われなかった。情けない声だと他人事のように思った。
「名字名前。」
「ああ、狩魔検事。どうされました」
「これを見なさい!」
弱冠十八歳の天才検事・狩魔冥は激情のままに愛用の鞭をピシャリと床に打ちつけた。こんな振る舞いが司法の場で許されているのがつくづく不思議で仕方ない。大の大人を文字通り泣かせている丈夫な鞭が彼女の細腕で振るわれてるというのもまたナゾだ。
眼前に突きつけられたのはまとめ上げられた書類の束だった。
「御剣怜侍の捜索願、届出人が貴女の名前になっているけれどどういうつもりかしら?」
「私が御剣検事の行方不明者届を提出したという意味ですね」
「ふざけないで! 貴女がレイジを探し回っていることくらい知ってるのよ」
鞭の代わりに鋭い眼光が私を貫く。鞭の餌食となるのは体格がしっかりした男性が主で、見境なく攻撃しているわけじゃないことを知っている。その分別のようなものでさえ、今の私を苛立たせる。睨みたいのはこっちの方。
「……あなた、あの狩魔検事の娘さんなんでしょう。飛び級で検事になって、海外で活躍して、すごく立派だと思うわ」
「な、なんなの急に」
「でもね、忘れないでね。ここにいるのは私とあなた、ただの人間が向かい合っているだけなのよ。忘れないでね——」
「フン! 馬鹿らしい」
「馬鹿らしい人間が起こした馬鹿みたいな馬鹿騒ぎを、あなたはいくつも見てきたものと思ってたけど」
「!」
「見当違いみたいね。失礼します、狩魔検事 "ちゃん" 」
背後から「名字名前!」の叫び声と、やはり鞭が大きくしなる音が聞こえた。
ふと思い出したのは、制服警察時代に辞めていった先輩の言葉だった。「辞表を出した瞬間、俺がこの世で一番自由で最強になった」。御剣検事も今頃世界のどこかで、自由を噛み締めているのだろうか。
書き置きの内容は検事局だけでなく警察局にまであっという間に知れ渡った。法廷で彼を最後に見たのは去年の暮れ、ひょうたん湖で起きた生倉弁護士殺害事件のことだった。裁判長に向かって左側、幾度となく被告に有罪を突きつけてきた検察側ではない、被告人席で佇む彼をその日私は傍聴席で見ていた。
「私も死んじゃおうかなあ」
「滅多なコト言うもんじゃないッス! それに御剣検事は死んでないッス!」
「失踪したのは事実じゃないですか」
「むぐぐぐぐ……」
糸鋸刑事は全身でがっくりと項垂れた。年季の入ったコートを纏う、大きいはずのその身体が小さく見えた。ひとつひとつのリアクションまでオーバーな人だ。いつも全身全霊というか一生懸命というか、とにかく全力稼働だ。減給されようが失踪されようが、御剣刑事を信じ続ける姿勢は素直に羨ましい。信じていたはずの検事が失踪。私の心はもう枯れ果てていた。
「それより新しい上司に尻尾振る練習しとかなきゃですよ」
「ああ! あのオッカナイ娘ッスか!」
「まだ未成年なのによくやりますよね、彼女」
警察局と検事局、それぞれ独立した別の組織だっていうのに、現場では検事が刑事の実質の上司だ。現にこの糸鋸刑事は御剣検事に今まで何度も減給宣告を受け、彼の懐具合もその通りになっている。この立ち返れば不可解にも思える検事と刑事の関係性は、元地方警察局長・巌徒海慈の働きかけを感じないでもない。閑話休題。
とにかく、御剣検事の捜査チームだった私たちは、彼の失踪に伴って新しい検事の下に着くことになった。
黙り込んでしまった私たちの間に携帯の着信が響く。課長からの連絡で、近隣で殺人事件があったらしい。糸鋸刑事は両手で自分の頬をバシンバシンと叩いた。両頬に大きな紅葉が浮かぶ。
「さあ、捜査捜査捜査! 現場百歩ッス!」
「それを言うなら現場百遍かと」
「同じことッス!」
そう言って「パトカー回してくるッス!」と駆けていってしまった。
彼が現状を嘆かないわけがない。詳しくは知らないけど、御剣検事に救われた恩があるとかでえらく尊敬していたものだから。そそっかしいところもあるけど、捜査への貪欲さと真っ直ぐな性根は彼の美点だ。
「死んじゃおうかしら」
今度は誰にも拾われなかった。情けない声だと他人事のように思った。
「名字名前。」
「ああ、狩魔検事。どうされました」
「これを見なさい!」
弱冠十八歳の天才検事・狩魔冥は激情のままに愛用の鞭をピシャリと床に打ちつけた。こんな振る舞いが司法の場で許されているのがつくづく不思議で仕方ない。大の大人を文字通り泣かせている丈夫な鞭が彼女の細腕で振るわれてるというのもまたナゾだ。
眼前に突きつけられたのはまとめ上げられた書類の束だった。
「御剣怜侍の捜索願、届出人が貴女の名前になっているけれどどういうつもりかしら?」
「私が御剣検事の行方不明者届を提出したという意味ですね」
「ふざけないで! 貴女がレイジを探し回っていることくらい知ってるのよ」
鞭の代わりに鋭い眼光が私を貫く。鞭の餌食となるのは体格がしっかりした男性が主で、見境なく攻撃しているわけじゃないことを知っている。その分別のようなものでさえ、今の私を苛立たせる。睨みたいのはこっちの方。
「……あなた、あの狩魔検事の娘さんなんでしょう。飛び級で検事になって、海外で活躍して、すごく立派だと思うわ」
「な、なんなの急に」
「でもね、忘れないでね。ここにいるのは私とあなた、ただの人間が向かい合っているだけなのよ。忘れないでね——」
「フン! 馬鹿らしい」
「馬鹿らしい人間が起こした馬鹿みたいな馬鹿騒ぎを、あなたはいくつも見てきたものと思ってたけど」
「!」
「見当違いみたいね。失礼します、狩魔検事 "ちゃん" 」
背後から「名字名前!」の叫び声と、やはり鞭が大きくしなる音が聞こえた。
ふと思い出したのは、制服警察時代に辞めていった先輩の言葉だった。「辞表を出した瞬間、俺がこの世で一番自由で最強になった」。御剣検事も今頃世界のどこかで、自由を噛み締めているのだろうか。