飛花
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「こんな注文形式があるとは。確かにこれなら人件費削減と回転率向上が同時に叶う」
「アズマさんも牛丼の並でいいよね? 私の金だし」
「アズールです」
押されたボタンには料理のイメージ写真が表示されていた。見るからに肉と米の塊である。ビタミンの頭文字すら見当たらない。頭が痛くなった。
今日のカロリー計算は叶いそうにない。イレギュラーもいいところなので仕方ないと割り切ることにした。他の日で帳尻を合わせればいい。このイレギュラーを脱するのがいつになるのかは、食事の場では考えないことにした。
女は店員に二人分の券を渡すと、カウンターの横を通り抜けテーブル席に腰を下ろした。生意気にもアズールに壁際の奥の席を勧める。異邦の地で通路に背を向けるのも憚られたので素直に従った。女越しに店内の様子がよく窺えた。
カウンターは平たいコの字型になっており、店員が通るスペースは一直線になっている。どの客にも素早く料理を提供できる効率の良い仕組みだ。先程のチケット制度といい、徹底的なコストカットと回転率追求に尽力しているようだ。あいにく実家のリストランテや自らが支配人を務めるモストロ・ラウンジとはターゲット層が違うが、計画している二号店の規模によっては参考になりそうだった。
女は名前と名乗った。
「アズールさん、行くとこないんですか?」
「あなたには関係ないでしょう。ここのお代ならいずれ必ず返しますから」
「四百円もしないしいいんだけど……」
「僕が気に入らないだけです。こんな」
こんな取るに足らない、取り立てようにも払うものも持っていなさそうな娘に借りを作るなんて。奥歯がぎりと鳴りそうになるのはなんとか隠せた。
夕方とはいえ客の入りは増えてくる。店の入口を見れば、くたびれたダークグレーの背広が目についた。名前はスマートフォンを軽くチェックした後、両肘をテーブルに付いた。
「うち泊まってもいいですよ。何ヶ月もは流石に無理だけど、一週間くらいなら。ロフト使ってないし」
「は」
「お待たせいたしました。プレミアム牛めしの並盛お二つでえす」
「はーい」
店員が両手に盆を運んで来た。味噌汁も付くらしい。ビタミン不足だけでなく塩分も気がかりになった。
正面の女が箸を手渡してくる。このやり取りが不自然なく行われたのは、陸に上がるに際してあらゆるテーブルマナーを片っ端から身に付けたアズールの努力の結果だった。危うげなく摘んだ肉片を睨みつけるアズールに、名前は提案を繰り返す。アズールが会話に応じたのはようやく口に運んだ牛肉を咀嚼してからだった。
「何故見知らぬ男を招き入れるような真似を?」
何故、などと白々しく問いかけておきながらそれらしい選択肢はいくつか浮かんでいた。
一番可能性がありそうなのは魔法の利用。ここが魔法の発達していない地域と知らずに素性を明かしたのは失敗だったと痛感した。もっとも、先の反応を見るにアズールの魔法士としての有用性に気付いていない可能性もある。
次いであり得るのはあけすけに言えば身体目当てか。珍しい蛸の人魚はその筋のマニアにしてみれば垂涎モノであるが、正体が見破られたとは思えない。相手は妙年の女。まあ、想像に難くない。
冷めた味噌汁を音も立てず啜りながら女の返答を待った。
「魔法、使えるんでしょ? 見せてよ」
フィクションもエス・エフも嫌いじゃない、と名前は歯を見せて笑った。見覚えのある、より正確に言えばこの一年で頻繁に目にするようになった笑みだった。今にも副音声で「できるものならやってみろ」という挑発が聞こえてきそうだ。
要はこの安い夕餉は施しで、揶揄いで、ただの空き巣にしては様子がおかしい若い男への復讐であるらしい。
アズールは女への認識を改める。
交渉は持ちかける方が不利。いつものように地の利があるわけではないが、取引と契約はアズールの独壇場である。やっと肺に吸気が満ちた心地がした。
「ええ、どんな魔法をお見せしましょうか! すべてを焼き尽くす炎の魔法? 永遠に纏わりつくゴーストの呪い? 獰猛な魔獣の召喚なんてものもありますよ」
その獰猛な魔獣のせいで今ここにいるなんて口が裂けても言えなかった。
名前は豆鉄砲を食らったような顔をした後、「これ食べ終わったら見せてね」と悪戯が成功した子どものように笑った。
「アズマさんも牛丼の並でいいよね? 私の金だし」
「アズールです」
押されたボタンには料理のイメージ写真が表示されていた。見るからに肉と米の塊である。ビタミンの頭文字すら見当たらない。頭が痛くなった。
今日のカロリー計算は叶いそうにない。イレギュラーもいいところなので仕方ないと割り切ることにした。他の日で帳尻を合わせればいい。このイレギュラーを脱するのがいつになるのかは、食事の場では考えないことにした。
女は店員に二人分の券を渡すと、カウンターの横を通り抜けテーブル席に腰を下ろした。生意気にもアズールに壁際の奥の席を勧める。異邦の地で通路に背を向けるのも憚られたので素直に従った。女越しに店内の様子がよく窺えた。
カウンターは平たいコの字型になっており、店員が通るスペースは一直線になっている。どの客にも素早く料理を提供できる効率の良い仕組みだ。先程のチケット制度といい、徹底的なコストカットと回転率追求に尽力しているようだ。あいにく実家のリストランテや自らが支配人を務めるモストロ・ラウンジとはターゲット層が違うが、計画している二号店の規模によっては参考になりそうだった。
女は名前と名乗った。
「アズールさん、行くとこないんですか?」
「あなたには関係ないでしょう。ここのお代ならいずれ必ず返しますから」
「四百円もしないしいいんだけど……」
「僕が気に入らないだけです。こんな」
こんな取るに足らない、取り立てようにも払うものも持っていなさそうな娘に借りを作るなんて。奥歯がぎりと鳴りそうになるのはなんとか隠せた。
夕方とはいえ客の入りは増えてくる。店の入口を見れば、くたびれたダークグレーの背広が目についた。名前はスマートフォンを軽くチェックした後、両肘をテーブルに付いた。
「うち泊まってもいいですよ。何ヶ月もは流石に無理だけど、一週間くらいなら。ロフト使ってないし」
「は」
「お待たせいたしました。プレミアム牛めしの並盛お二つでえす」
「はーい」
店員が両手に盆を運んで来た。味噌汁も付くらしい。ビタミン不足だけでなく塩分も気がかりになった。
正面の女が箸を手渡してくる。このやり取りが不自然なく行われたのは、陸に上がるに際してあらゆるテーブルマナーを片っ端から身に付けたアズールの努力の結果だった。危うげなく摘んだ肉片を睨みつけるアズールに、名前は提案を繰り返す。アズールが会話に応じたのはようやく口に運んだ牛肉を咀嚼してからだった。
「何故見知らぬ男を招き入れるような真似を?」
何故、などと白々しく問いかけておきながらそれらしい選択肢はいくつか浮かんでいた。
一番可能性がありそうなのは魔法の利用。ここが魔法の発達していない地域と知らずに素性を明かしたのは失敗だったと痛感した。もっとも、先の反応を見るにアズールの魔法士としての有用性に気付いていない可能性もある。
次いであり得るのはあけすけに言えば身体目当てか。珍しい蛸の人魚はその筋のマニアにしてみれば垂涎モノであるが、正体が見破られたとは思えない。相手は妙年の女。まあ、想像に難くない。
冷めた味噌汁を音も立てず啜りながら女の返答を待った。
「魔法、使えるんでしょ? 見せてよ」
フィクションもエス・エフも嫌いじゃない、と名前は歯を見せて笑った。見覚えのある、より正確に言えばこの一年で頻繁に目にするようになった笑みだった。今にも副音声で「できるものならやってみろ」という挑発が聞こえてきそうだ。
要はこの安い夕餉は施しで、揶揄いで、ただの空き巣にしては様子がおかしい若い男への復讐であるらしい。
アズールは女への認識を改める。
交渉は持ちかける方が不利。いつものように地の利があるわけではないが、取引と契約はアズールの独壇場である。やっと肺に吸気が満ちた心地がした。
「ええ、どんな魔法をお見せしましょうか! すべてを焼き尽くす炎の魔法? 永遠に纏わりつくゴーストの呪い? 獰猛な魔獣の召喚なんてものもありますよ」
その獰猛な魔獣のせいで今ここにいるなんて口が裂けても言えなかった。
名前は豆鉄砲を食らったような顔をした後、「これ食べ終わったら見せてね」と悪戯が成功した子どものように笑った。