短編
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「三郎くん、良い子だね」
脈絡もなく末の弟を褒められて悪い気はしなかった。
『収納ボックスを組み立てるのを手伝ってくれ』『お茶に付き合ってくれ』なんて、ダチ相手に金を取っていいのかわからないような依頼を持ちかけてきた名前は、なぜかピンク色したクリームソーダをおもちゃみたいなスプーンで掘り進めている。
「三郎と仲良かったのか?」
「顔見知り以上友達未満? 一郎と連んでるから覚えてくれてたっぽいよ」
俺も倣って僅かに汗が滲みはじめたコーラを口をつける。カランと氷が音を立てた。
「カフェで勉強に行き詰まってたら、一つ開けて隣の席からボソッと助言してくれて。ねえ、中学の頃英語以外の外国語って習った?」
「英語すら怪しいな。今もリリック書くとき以外使わねえし」
「だよね? 教えてくれたのスペイン語だったよ。紙の辞書めくるより、三郎くんが単語の意味言う方が速いの。どうなってるのあの子」
三郎は全科目で高成績を叩き出すものの、教科の好き嫌いはある。あいつの興味の範疇に外国語は収まったらしい。
「真似します」
「おう」
「『スペイン語はフランス語やドイツ語より日本人が会得しやすい言語だと思うけど。発音に至っては英語よりずっと簡単だ』」
「似てねえな。てかあいつお前にタメかよ」
「いいよいいよ、よく後輩にもタメ口使われるし」
名前が良くても兄として注意しなければならないかもしれない。しかしふと疑問に思ったのは、三郎は歳上に敬語を使えないほど礼儀知らずの奴じゃないってことだった。初対面の年長者にも無遠慮に突っかかっる二郎を窘めるのが三郎の常だったはずだ。俺のダチだって知ってたなら、余計気を遣いそうなもんだけどな。名前の後輩たちと同じように、三郎もこの緩い雰囲気に呑まれたんだろうか。
「勘違いしていたことがあって。三郎くんって切れ者だから効率重視というか、無駄を嫌いそうなイメージがあったんだよね。だから紙の辞書も『非効率的だ』って言うかと思ったの。電子辞書がメジャーだし、今はほら、スマホの辞書アプリなんかもあるでしょ。それがなんて言ったと思う?」
正直な話、とてもじゃないが勉強熱心な学生ではなかった俺には検討もつかなかった。彼女もそれがわかってたのか、返答を待たずに続ける。
「『確かに紙の辞書は持ち歩きには不便だけど、印をつけたりメモしたりと学習の痕跡を残しやすい。優劣じゃなくて、要は向き不向きや好みの問題だよ』だって。良い子だね」
なるほど、それで冒頭の「良い子」という評価に帰着するらしい。
「三郎がほとんど初対面の相手にそこまで喋るなんて珍しいな」
「そうなの?」
「ほら、あいつ結構人見知りするとこあるから」
「あー……。勝手な憶測だけど人見知りっていうか、警戒かもね」
柄の長いスプーンがくるくる回る。黒板の字をなぞる指し棒のようだった。
「二郎くんは直ちに危害がなければ良しとするじゃない。そういう処世術を持っている。清濁併せ呑んで『許せる』強さを持っている。」
「そうだな。いつのまにか他ディビジョンにもツテ作ってるし、二郎は俺より世渡りが上手いよ」
「でも三郎くんはきっと『許せない』から、じりじり見極めなきゃいけない。それはとても辛くて、疲れる。」
その指摘には覚えがあった。
たとえどんな事情があっても、思惑があっても。かつて『許せなかった』自分。
周りの大人を信じられなくて、ただ世界を呪うことで自分を保とうとしていた。施設から離れ荒れていた俺に、目の前の彼女が言い放った言葉だった。
「二郎くんも三郎くんも、一郎の弟って感じがするよ。今更だけどね」
「あいつらはよくできた弟だよ。ホント、俺には勿体ないくらいの」
「やめてよ、それを聞いた二人の反応が目に浮かぶ」
名前は肯定も否定も同情もしなかった。当時の俺は彼女を利用していたんだと思う。八つ当たりしてもそこにある、ただ相槌を打ってくれる喋る壁。それがどれだけ有り難かったことか。全部わかっていながら、今もこうして友達でいてくれる彼女には頭が上がらない。
そんな存在がきっと三郎にも必要だ。
「あいつ、普段は俺のカレーが一番って言ってくれるんだけど、本当に好きなのはペスカトーレなんだ」
「……良い子だね、すっごく。一郎に似てる」
その意味を俺は測りかねた。名前の言葉は誰も傷付けまいとするあまり、随分と遠回りをすることがある。
それでも、今の「良い子」がさっきまでと違う意味で使われていたことはわかった。聞き馴染みのない方言のような、再翻訳された単語のようなぎこちなさが拭い切れていなかったからだ。
「別に怒ったりしねえから、ちゃんと言えって」
「うそ、自覚ないの? 弟のことになると一郎怖いよ」
「お前相手にキレたりしねえよ」
「……聞き分けの良い子に育っちゃったんだなあって、思って。無理して大人になることないのにな」
戦争孤児が珍しい時代じゃないにしても、俺たちの境遇は些か特殊だ。今でこそ何とか一緒に暮らせているが、家族としてちゃんと過ごした時間はまだまだ足りない。無理や我慢を強いた自覚もある。
「でも、大人にならなくていいってのも、大人のエゴなんだろうね」
「……違いねえな」
名前は氷で薄くなったクリームソーダを音を立てて啜った。その仕草がやけに幼くて、「そうだよなあ」と思った。無理矢理大人になった、ならざるを得なかった子どもの顔。
時が経つにつれ抜けていく炭酸。見慣れたグリーンじゃなくてピンクなのも、きっと大人のエゴなんだろうと思った。
脈絡もなく末の弟を褒められて悪い気はしなかった。
『収納ボックスを組み立てるのを手伝ってくれ』『お茶に付き合ってくれ』なんて、ダチ相手に金を取っていいのかわからないような依頼を持ちかけてきた名前は、なぜかピンク色したクリームソーダをおもちゃみたいなスプーンで掘り進めている。
「三郎と仲良かったのか?」
「顔見知り以上友達未満? 一郎と連んでるから覚えてくれてたっぽいよ」
俺も倣って僅かに汗が滲みはじめたコーラを口をつける。カランと氷が音を立てた。
「カフェで勉強に行き詰まってたら、一つ開けて隣の席からボソッと助言してくれて。ねえ、中学の頃英語以外の外国語って習った?」
「英語すら怪しいな。今もリリック書くとき以外使わねえし」
「だよね? 教えてくれたのスペイン語だったよ。紙の辞書めくるより、三郎くんが単語の意味言う方が速いの。どうなってるのあの子」
三郎は全科目で高成績を叩き出すものの、教科の好き嫌いはある。あいつの興味の範疇に外国語は収まったらしい。
「真似します」
「おう」
「『スペイン語はフランス語やドイツ語より日本人が会得しやすい言語だと思うけど。発音に至っては英語よりずっと簡単だ』」
「似てねえな。てかあいつお前にタメかよ」
「いいよいいよ、よく後輩にもタメ口使われるし」
名前が良くても兄として注意しなければならないかもしれない。しかしふと疑問に思ったのは、三郎は歳上に敬語を使えないほど礼儀知らずの奴じゃないってことだった。初対面の年長者にも無遠慮に突っかかっる二郎を窘めるのが三郎の常だったはずだ。俺のダチだって知ってたなら、余計気を遣いそうなもんだけどな。名前の後輩たちと同じように、三郎もこの緩い雰囲気に呑まれたんだろうか。
「勘違いしていたことがあって。三郎くんって切れ者だから効率重視というか、無駄を嫌いそうなイメージがあったんだよね。だから紙の辞書も『非効率的だ』って言うかと思ったの。電子辞書がメジャーだし、今はほら、スマホの辞書アプリなんかもあるでしょ。それがなんて言ったと思う?」
正直な話、とてもじゃないが勉強熱心な学生ではなかった俺には検討もつかなかった。彼女もそれがわかってたのか、返答を待たずに続ける。
「『確かに紙の辞書は持ち歩きには不便だけど、印をつけたりメモしたりと学習の痕跡を残しやすい。優劣じゃなくて、要は向き不向きや好みの問題だよ』だって。良い子だね」
なるほど、それで冒頭の「良い子」という評価に帰着するらしい。
「三郎がほとんど初対面の相手にそこまで喋るなんて珍しいな」
「そうなの?」
「ほら、あいつ結構人見知りするとこあるから」
「あー……。勝手な憶測だけど人見知りっていうか、警戒かもね」
柄の長いスプーンがくるくる回る。黒板の字をなぞる指し棒のようだった。
「二郎くんは直ちに危害がなければ良しとするじゃない。そういう処世術を持っている。清濁併せ呑んで『許せる』強さを持っている。」
「そうだな。いつのまにか他ディビジョンにもツテ作ってるし、二郎は俺より世渡りが上手いよ」
「でも三郎くんはきっと『許せない』から、じりじり見極めなきゃいけない。それはとても辛くて、疲れる。」
その指摘には覚えがあった。
たとえどんな事情があっても、思惑があっても。かつて『許せなかった』自分。
周りの大人を信じられなくて、ただ世界を呪うことで自分を保とうとしていた。施設から離れ荒れていた俺に、目の前の彼女が言い放った言葉だった。
「二郎くんも三郎くんも、一郎の弟って感じがするよ。今更だけどね」
「あいつらはよくできた弟だよ。ホント、俺には勿体ないくらいの」
「やめてよ、それを聞いた二人の反応が目に浮かぶ」
名前は肯定も否定も同情もしなかった。当時の俺は彼女を利用していたんだと思う。八つ当たりしてもそこにある、ただ相槌を打ってくれる喋る壁。それがどれだけ有り難かったことか。全部わかっていながら、今もこうして友達でいてくれる彼女には頭が上がらない。
そんな存在がきっと三郎にも必要だ。
「あいつ、普段は俺のカレーが一番って言ってくれるんだけど、本当に好きなのはペスカトーレなんだ」
「……良い子だね、すっごく。一郎に似てる」
その意味を俺は測りかねた。名前の言葉は誰も傷付けまいとするあまり、随分と遠回りをすることがある。
それでも、今の「良い子」がさっきまでと違う意味で使われていたことはわかった。聞き馴染みのない方言のような、再翻訳された単語のようなぎこちなさが拭い切れていなかったからだ。
「別に怒ったりしねえから、ちゃんと言えって」
「うそ、自覚ないの? 弟のことになると一郎怖いよ」
「お前相手にキレたりしねえよ」
「……聞き分けの良い子に育っちゃったんだなあって、思って。無理して大人になることないのにな」
戦争孤児が珍しい時代じゃないにしても、俺たちの境遇は些か特殊だ。今でこそ何とか一緒に暮らせているが、家族としてちゃんと過ごした時間はまだまだ足りない。無理や我慢を強いた自覚もある。
「でも、大人にならなくていいってのも、大人のエゴなんだろうね」
「……違いねえな」
名前は氷で薄くなったクリームソーダを音を立てて啜った。その仕草がやけに幼くて、「そうだよなあ」と思った。無理矢理大人になった、ならざるを得なかった子どもの顔。
時が経つにつれ抜けていく炭酸。見慣れたグリーンじゃなくてピンクなのも、きっと大人のエゴなんだろうと思った。