ラス・エラルドの背骨
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「名字、ちょっといいか」
名前がベッドでまどろんでいると、チャイムが来客を知らせた。睡眠時間を十分確保しないといけない質 だったが、だからといって眠りの質が良いわけではない。あらかじめデバイスに連絡も入れずに訪ねてくる人物は一人しか知らなかった。デジャヴを感じつつ確認すると、やはり予想通りの男が「借りていた本を返しにきた」と告げた。
「志恩さんかドローンに預けてくれればよかったのに」
「お前がやったようにか?」
「怒ってるの?」
「そう見えるか?」
「質問を質問で返さないで。埒が明かない」
眠りを妨害されたこともあり、平時より頭が冴えていない自覚があった。脊髄で受け答えしている気がする。正直さっさと帰ってもらいたかった。受け取った『ニューロマンサー』を本棚に戻そうと背を向けた。
「内装ホロ、使うようになったんだな」
それにも関わらず、狡噛は部屋を見渡して呟く。確かに名前の部屋にはガジュマル、ポトス、パキラ、ワイヤープランツなど青々とした観葉植物が壁という壁、床という床に敷き詰められ、まるで植物園のようだった。無論ほとんどがホログラムによるもので、実体を持たない。唯一、ベッドの傍に置かれたシルクジャスミンの鉢だけが本物の植物だった。以前の、狡噛がまだ監視官だった頃の殺風景な部屋と比べたら劇的な宗旨替えである。名前は本棚の一つに向かい合ったまま、しかし手元の本はそのままに返事をした。
「いいでしょう」
「悪趣味だな。『地球の長い午後』を思い出す」
「じゃあシュビラはアミガサタケね」
「自分が何を言ったか分かってるのか」
「そういう意味で言ったんでしょ」
嫌味の応酬を終わらせたのは名前だった。
「……ごめん、疲れてるの。寝かせて」
「もっと疲れさせてやろうか」
「狡噛」
そして狡噛に信じられないようなことを言わせてしまったのも、名前だった。
「わざと嫌われようとしなくていいよ。本なんて貸しちゃって、ごめんなさい」
扉を閉めた。追い出された狡噛の顔は極力見ないようにした。そうでもしないと夢に出てきてしまいそうだった。飛び抜けた器量を持つくせに、いつまでも悪者の振りが下手な人だった。
公安局に戻ってきて早4年。もたもたと狡噛との距離を測り損ねている間に、彼は執行官になった。それから更に歯車が噛み合わなくなった。お互い嫌い合っているわけではない、と信じるようにしている。狡噛は名前を忌避するような仕草は見せないから。しかし唐之杜や六合塚、征陸たちが良くしてくれているからかすっかり忘れていた。潜在犯は総じて名前に苦手意識を持つ。それは違和感だったり、嫌悪感だったり、恐怖心だったり。執行官たちが察知する不気味の谷を、狡噛もきっと覗いている。
険悪にもなり切れない微妙な空気。明確に嫌われているよりも、絶交状態であるよりも余程マシなのは間違いなかったが、行先の見えない不安があった。まるで、不透明な繭に包まれているかのような。
持ち主のところに帰ってきた本を胸に抱いて、僅かな温もりが残るベッドに潜る。シュビラに求愛されたほどの頭脳は肝心なときにちっとも役に立たなかった。
「ホロコスの同時ハッキング?」
基本的に二係と三係の調査を担当することが多い総合分析室No.1に、独断で訪ねてくる男があった。数日前にあんな会話をしたというのに狡噛は全く躊躇せずに踏み込んでくるものだから、名前としては拍子抜けだった。しかし業務中に私情を挟みすぎるよりずっといい。
「ああ、お陰でホシを逃した。お前の率直な意見が聞きたい。」
「対象は一般人でしょ? 3人くらいまでなら即興でどうにかできるだろうけど、数十人規模の一斉コントロールなんて事前の仕込みがないと不可能だよ」
「お前なら」
「うん?」
不躾な来客は、クラブエグゾゼ周辺の街頭スキャナーを漁っている彼女の、ひっきりなしに動く眼球を眺めていた。
「神月執行官、その建物の3階。階段上がって右奥の部屋に執行対象です。人質、一般人共に無し」
スキャナーのログを虱潰しにしてタリスマンの行方を追う一方で、現在エリアストレス警報に対応している二係のアシストも同時にこなしているのだ。相変わらずの離れ業だと思う。刑事課はメンバーの入れ替わりが激しい。当時を知る者が少なくなってきたため呼ばれることももう滅多にないが、成人した今でも彼女は「鉄壁の神童」の顔を持つ。
「それは並みの技術者の話だろ。お前なら可能か?」
「まさか疑ってるの?」
「買ってるんだよ。どうなんだ」
「できる。」
一番右上のモニターには、対象を執行する二係の神月執行官が映っていた。無事片付いたらしい。
「仕込み無しでもできる、と思う。でも予想外のアクシデント、例えば悪天候とか公安局のガサ入れとか? 考慮したらできるだけ現場に近いところにいたいかな。」
「昨晩現場にはタリスマンの他に、ホロコスのハッキングで脱出を手引きした奴がいた……」
「間違いないはず。事件一ヶ月前から今朝までのクラブエグゾゼの入館記録、周辺の街頭スキャナー、警備ドローン等々当たってみたけど収穫ゼロ。少しでも色相が怪しい人はみんなセラピーを受けてる。犯人たちはよっぽど普段からスキャナーを避け慣れてるのか……」
「履歴が書き換えられた痕跡は?」
「不自然な箇所は無し。これで改竄されてたら相当の腕利きだよ。……オールクリア。お疲れ様です」
後半は通信を二係に繋いで言っていたらしい。
「でも犯人の輪郭は何となく掴めてきたんじゃない? 今のは志恩さんにも共有しておくから」
「犯人と同じ、凶悪な思考を持つ犯罪者と言いたいのか?」
字面とは裏腹に、楽しげな口調だった。
「買ってるんです。ここには潜在犯しかいないのに、今更何を」
「名字」
「はい?」
「また借りに行っていいか」
不透明な繭の壁に亀裂が入った。彼が執行官になってから使わなくなったはずの敬語が、つい浮かび上がった。二人の関係が巻き戻ったかのように。
「この4年間で、読んでほしい本が溜まってるんです」
「そりゃ楽しみだ」
名前がベッドでまどろんでいると、チャイムが来客を知らせた。睡眠時間を十分確保しないといけない
「志恩さんかドローンに預けてくれればよかったのに」
「お前がやったようにか?」
「怒ってるの?」
「そう見えるか?」
「質問を質問で返さないで。埒が明かない」
眠りを妨害されたこともあり、平時より頭が冴えていない自覚があった。脊髄で受け答えしている気がする。正直さっさと帰ってもらいたかった。受け取った『ニューロマンサー』を本棚に戻そうと背を向けた。
「内装ホロ、使うようになったんだな」
それにも関わらず、狡噛は部屋を見渡して呟く。確かに名前の部屋にはガジュマル、ポトス、パキラ、ワイヤープランツなど青々とした観葉植物が壁という壁、床という床に敷き詰められ、まるで植物園のようだった。無論ほとんどがホログラムによるもので、実体を持たない。唯一、ベッドの傍に置かれたシルクジャスミンの鉢だけが本物の植物だった。以前の、狡噛がまだ監視官だった頃の殺風景な部屋と比べたら劇的な宗旨替えである。名前は本棚の一つに向かい合ったまま、しかし手元の本はそのままに返事をした。
「いいでしょう」
「悪趣味だな。『地球の長い午後』を思い出す」
「じゃあシュビラはアミガサタケね」
「自分が何を言ったか分かってるのか」
「そういう意味で言ったんでしょ」
嫌味の応酬を終わらせたのは名前だった。
「……ごめん、疲れてるの。寝かせて」
「もっと疲れさせてやろうか」
「狡噛」
そして狡噛に信じられないようなことを言わせてしまったのも、名前だった。
「わざと嫌われようとしなくていいよ。本なんて貸しちゃって、ごめんなさい」
扉を閉めた。追い出された狡噛の顔は極力見ないようにした。そうでもしないと夢に出てきてしまいそうだった。飛び抜けた器量を持つくせに、いつまでも悪者の振りが下手な人だった。
公安局に戻ってきて早4年。もたもたと狡噛との距離を測り損ねている間に、彼は執行官になった。それから更に歯車が噛み合わなくなった。お互い嫌い合っているわけではない、と信じるようにしている。狡噛は名前を忌避するような仕草は見せないから。しかし唐之杜や六合塚、征陸たちが良くしてくれているからかすっかり忘れていた。潜在犯は総じて名前に苦手意識を持つ。それは違和感だったり、嫌悪感だったり、恐怖心だったり。執行官たちが察知する不気味の谷を、狡噛もきっと覗いている。
険悪にもなり切れない微妙な空気。明確に嫌われているよりも、絶交状態であるよりも余程マシなのは間違いなかったが、行先の見えない不安があった。まるで、不透明な繭に包まれているかのような。
持ち主のところに帰ってきた本を胸に抱いて、僅かな温もりが残るベッドに潜る。シュビラに求愛されたほどの頭脳は肝心なときにちっとも役に立たなかった。
「ホロコスの同時ハッキング?」
基本的に二係と三係の調査を担当することが多い総合分析室No.1に、独断で訪ねてくる男があった。数日前にあんな会話をしたというのに狡噛は全く躊躇せずに踏み込んでくるものだから、名前としては拍子抜けだった。しかし業務中に私情を挟みすぎるよりずっといい。
「ああ、お陰でホシを逃した。お前の率直な意見が聞きたい。」
「対象は一般人でしょ? 3人くらいまでなら即興でどうにかできるだろうけど、数十人規模の一斉コントロールなんて事前の仕込みがないと不可能だよ」
「お前なら」
「うん?」
不躾な来客は、クラブエグゾゼ周辺の街頭スキャナーを漁っている彼女の、ひっきりなしに動く眼球を眺めていた。
「神月執行官、その建物の3階。階段上がって右奥の部屋に執行対象です。人質、一般人共に無し」
スキャナーのログを虱潰しにしてタリスマンの行方を追う一方で、現在エリアストレス警報に対応している二係のアシストも同時にこなしているのだ。相変わらずの離れ業だと思う。刑事課はメンバーの入れ替わりが激しい。当時を知る者が少なくなってきたため呼ばれることももう滅多にないが、成人した今でも彼女は「鉄壁の神童」の顔を持つ。
「それは並みの技術者の話だろ。お前なら可能か?」
「まさか疑ってるの?」
「買ってるんだよ。どうなんだ」
「できる。」
一番右上のモニターには、対象を執行する二係の神月執行官が映っていた。無事片付いたらしい。
「仕込み無しでもできる、と思う。でも予想外のアクシデント、例えば悪天候とか公安局のガサ入れとか? 考慮したらできるだけ現場に近いところにいたいかな。」
「昨晩現場にはタリスマンの他に、ホロコスのハッキングで脱出を手引きした奴がいた……」
「間違いないはず。事件一ヶ月前から今朝までのクラブエグゾゼの入館記録、周辺の街頭スキャナー、警備ドローン等々当たってみたけど収穫ゼロ。少しでも色相が怪しい人はみんなセラピーを受けてる。犯人たちはよっぽど普段からスキャナーを避け慣れてるのか……」
「履歴が書き換えられた痕跡は?」
「不自然な箇所は無し。これで改竄されてたら相当の腕利きだよ。……オールクリア。お疲れ様です」
後半は通信を二係に繋いで言っていたらしい。
「でも犯人の輪郭は何となく掴めてきたんじゃない? 今のは志恩さんにも共有しておくから」
「犯人と同じ、凶悪な思考を持つ犯罪者と言いたいのか?」
字面とは裏腹に、楽しげな口調だった。
「買ってるんです。ここには潜在犯しかいないのに、今更何を」
「名字」
「はい?」
「また借りに行っていいか」
不透明な繭の壁に亀裂が入った。彼が執行官になってから使わなくなったはずの敬語が、つい浮かび上がった。二人の関係が巻き戻ったかのように。
「この4年間で、読んでほしい本が溜まってるんです」
「そりゃ楽しみだ」