ラス・エラルドの背骨
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総合分析室は張り詰めた緊張感で満ちていた。
「これは局長命令だ。」
霜村正和。二係の監視官である。オールバックにより強調された冷厳な眼差しは、まだ二十代であるのにどこか祖父を思い出させて、正直あまりいい気はしない。
「こんな異例な人事異動、初めて聞きました。」
「特命だと言ったはずだが。」
霜村の口調に苛つきが見え隠れする。名前は手元のデバイスで送られた辞令をもう一度読み返した。文字通り受け取れば栄転と言っていいのだろう。分析室は局長直属であるため、目の前の監視官の指示ならともかく、局長直々の命令を無視するわけにはいなかった。
「明日までに宿舎を引き払っておくように。」
「10個の爆弾があるとする。種類、構造、製造者、解除方法。システムは全部バラバラだ。それを同時に、しかも5分10分で処理できるか?」
佐々山はオートサーバーで提供されたカツ丼をかき込んだ。原材料がすべてハイパーオーツだとは思えない出来だと思う。雑賀のところで食べたような天然食材を知ってしまった後ではやや味気なく感じるが十分だ。狡噛も自身の生姜焼き定食を口に運びながら、佐々山の言葉の続きを待った。佐々山は短気でふざけた男だが、決して馬鹿ではない。
「あいつがやってのけたのはそういうことだ。こんなロクでもねえ場所だが、曲がりなりにも公安局は厚生省のお膝下だぜ? 元々セキュリティなんて滅多なことじゃビクともしない。それを更に揺るぎない鉄壁に進化させた。自分を閉じ込める檻と同時にな」
あいつ、が誰を指しているか聞くまでもないことだった。佐々山は相変わらず名前を毛嫌いしているらしい。否、和久伝いで征陸の言葉を借りるなら——
(異質なものが自分たちに近づき過ぎていることへの、ある種の恐怖。防衛本能)
理性と本能なら確実に後者を重視する佐々山にはより強い傾向があるのかもしれない。それを踏まえると彼女への悪態が野犬の威嚇に思えてくる。
「その口振りじゃあ、まるで名字を褒めてるように聞こえるがな」
「知った口聞いてんじゃねえよ」
あっという間にカツ丼を完食した佐々山は狡噛を置いて立ち去った。知った口というのが何に対してなのか、今の狡噛には判断しかねた。
日勤だった狡噛は業務を終え、自宅のマンションに向かう前に名前の部屋に寄ることにした。貸す予定の西村寿行『滅びの笛』が鞄の中で息をしている。
執行官及び分析官宿舎内のホロデザインはある程度の自由が与えられている。しかし彼女は照明を調節するぐらいで、極力内装ホロを使おうとしなかった。特徴らしい特徴といえば書斎に収まりきらない本棚がリビングスペースまで浸食していることくらいだった。
だったのだが、今や本人不在の住処には数台の運搬ドローンが出入りし、辛うじて彼女らしさを残していた本棚をはじめ、備え付けの家具以外は何も無くなっていた。
「おい、何してる」
運搬ドローンは何も答えずに段ボールを運んでいく。この野郎、と色相が濁りそうな言葉が浮かんだ狡噛の背中に、聞き慣れた低い声がかけられた。
「狡噛」
「ギノ……これは一体どういうことだ!?」
宜野座は無言で監視官デバイスを操作した。すぐに狡噛の左手のそれが鳴る。送信されたデータを開くと、人事異動の通達だった。
「俺もついさっき帝塚監視官から聞かされた。名字は今日付けで厚生省本部に異動だ。」
「分析官とはいえ潜在犯だぞ。それがいきなり本部に? そんな話聞いたことがない」
「同感だ。出向という形を取っているらしいが、前代未聞の辞令だ。」
エリートコースの監視官ですら、現場を10年クリアカラーで勤め上げることで厚生省をはじめとした各省庁の官僚への道が見えてくる。いくら技術者としての腕を買われていたとしても、潜在犯を招き入れるなんて信じがたいことだった。
「狡噛、お前の気持ちも分かるが局長命令だ」
狡噛が知り合うまでは、宜野座が名前の兄貴分だった。少なくとも宜野座はそう自覚している。実際、かつて彼女の購入申請や外出申請に対応していたのはいつだって宜野座だった。同じ潜在犯であるのに、執行官に敬遠される彼女を放っておくことができなかった。
「クソッ……」
名字名前は何も言わずに狡噛の前から姿を消した。雪解けを待つ冬のことだった。
名前は巨大なタワーを見上げた。地上90階。これより高い建造物は国内のどこにも存在しない。アプローチを進み、正面玄関が目と鼻の先になったところで、一体のドローンが立ち塞がった。搬送ドローンは促すように一丁の銃器を差し出す。黒い無骨なボディは何度も見てきたが、しかし触れたことのない、使う機会のないものだった。そっと手に取ると落ち着いた機械音声が脳内に反響する。
《名字名前分析官。我々はあなたを歓迎します。》
「……どこが」
ドミネーターは搬送ドローンの後を追うよう指示する。冷静さを取り戻すため、ひと呼吸おいてから名前は厚生省ノナタワーに足を踏み入れた。
「これは局長命令だ。」
霜村正和。二係の監視官である。オールバックにより強調された冷厳な眼差しは、まだ二十代であるのにどこか祖父を思い出させて、正直あまりいい気はしない。
「こんな異例な人事異動、初めて聞きました。」
「特命だと言ったはずだが。」
霜村の口調に苛つきが見え隠れする。名前は手元のデバイスで送られた辞令をもう一度読み返した。文字通り受け取れば栄転と言っていいのだろう。分析室は局長直属であるため、目の前の監視官の指示ならともかく、局長直々の命令を無視するわけにはいなかった。
「明日までに宿舎を引き払っておくように。」
「10個の爆弾があるとする。種類、構造、製造者、解除方法。システムは全部バラバラだ。それを同時に、しかも5分10分で処理できるか?」
佐々山はオートサーバーで提供されたカツ丼をかき込んだ。原材料がすべてハイパーオーツだとは思えない出来だと思う。雑賀のところで食べたような天然食材を知ってしまった後ではやや味気なく感じるが十分だ。狡噛も自身の生姜焼き定食を口に運びながら、佐々山の言葉の続きを待った。佐々山は短気でふざけた男だが、決して馬鹿ではない。
「あいつがやってのけたのはそういうことだ。こんなロクでもねえ場所だが、曲がりなりにも公安局は厚生省のお膝下だぜ? 元々セキュリティなんて滅多なことじゃビクともしない。それを更に揺るぎない鉄壁に進化させた。自分を閉じ込める檻と同時にな」
あいつ、が誰を指しているか聞くまでもないことだった。佐々山は相変わらず名前を毛嫌いしているらしい。否、和久伝いで征陸の言葉を借りるなら——
(異質なものが自分たちに近づき過ぎていることへの、ある種の恐怖。防衛本能)
理性と本能なら確実に後者を重視する佐々山にはより強い傾向があるのかもしれない。それを踏まえると彼女への悪態が野犬の威嚇に思えてくる。
「その口振りじゃあ、まるで名字を褒めてるように聞こえるがな」
「知った口聞いてんじゃねえよ」
あっという間にカツ丼を完食した佐々山は狡噛を置いて立ち去った。知った口というのが何に対してなのか、今の狡噛には判断しかねた。
日勤だった狡噛は業務を終え、自宅のマンションに向かう前に名前の部屋に寄ることにした。貸す予定の西村寿行『滅びの笛』が鞄の中で息をしている。
執行官及び分析官宿舎内のホロデザインはある程度の自由が与えられている。しかし彼女は照明を調節するぐらいで、極力内装ホロを使おうとしなかった。特徴らしい特徴といえば書斎に収まりきらない本棚がリビングスペースまで浸食していることくらいだった。
だったのだが、今や本人不在の住処には数台の運搬ドローンが出入りし、辛うじて彼女らしさを残していた本棚をはじめ、備え付けの家具以外は何も無くなっていた。
「おい、何してる」
運搬ドローンは何も答えずに段ボールを運んでいく。この野郎、と色相が濁りそうな言葉が浮かんだ狡噛の背中に、聞き慣れた低い声がかけられた。
「狡噛」
「ギノ……これは一体どういうことだ!?」
宜野座は無言で監視官デバイスを操作した。すぐに狡噛の左手のそれが鳴る。送信されたデータを開くと、人事異動の通達だった。
「俺もついさっき帝塚監視官から聞かされた。名字は今日付けで厚生省本部に異動だ。」
「分析官とはいえ潜在犯だぞ。それがいきなり本部に? そんな話聞いたことがない」
「同感だ。出向という形を取っているらしいが、前代未聞の辞令だ。」
エリートコースの監視官ですら、現場を10年クリアカラーで勤め上げることで厚生省をはじめとした各省庁の官僚への道が見えてくる。いくら技術者としての腕を買われていたとしても、潜在犯を招き入れるなんて信じがたいことだった。
「狡噛、お前の気持ちも分かるが局長命令だ」
狡噛が知り合うまでは、宜野座が名前の兄貴分だった。少なくとも宜野座はそう自覚している。実際、かつて彼女の購入申請や外出申請に対応していたのはいつだって宜野座だった。同じ潜在犯であるのに、執行官に敬遠される彼女を放っておくことができなかった。
「クソッ……」
名字名前は何も言わずに狡噛の前から姿を消した。雪解けを待つ冬のことだった。
名前は巨大なタワーを見上げた。地上90階。これより高い建造物は国内のどこにも存在しない。アプローチを進み、正面玄関が目と鼻の先になったところで、一体のドローンが立ち塞がった。搬送ドローンは促すように一丁の銃器を差し出す。黒い無骨なボディは何度も見てきたが、しかし触れたことのない、使う機会のないものだった。そっと手に取ると落ち着いた機械音声が脳内に反響する。
《名字名前分析官。我々はあなたを歓迎します。》
「……どこが」
ドミネーターは搬送ドローンの後を追うよう指示する。冷静さを取り戻すため、ひと呼吸おいてから名前は厚生省ノナタワーに足を踏み入れた。