ジュブナイル
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今から7年前。名字名前、10歳。彼女の人生を変える出会いは、意外にもと言うべきでしょうか、実に穏やかなものでした。
当時からお利口な子どもでした。お留守番にはもう慣れっこで、玄関で靴を脱いだら揃えることや火を使ってはいけないこと、電話やインターホンが鳴れば「お母さんがいないのでわかりません」と答えること、冷凍庫にお気に入りのアイスがあることだって知っています。お仕事を頑張っているお母さんは、そんな名前をいつも褒めてくれます。だから寂しくありません。首から掛けられるように紐をつけられたお家の鍵は、すてきなネックレスのようにも思えました。
けれども、同じくらい名前は賢い子でした。要はお母さんが帰ってくるまでに家に着けばいいことを知っています。優しいおばあちゃんがいる駄菓子屋、象の遊具がある公園、柴犬を外で飼っているお家。通学路ではない道を冒険するのが、彼女のちょっとした楽しみでした。
その日も名前は少し遠回りして家に向かう途中でした。大きな道路沿いにてくてく歩くと、その車通りが多いこと。そのためもあってか、この辺りに公園や大きな建物は少なく、子どもの影はほとんどありません。自分を抜かしながら車道をびゅんびゅんと飛ばしていく風に煽られて、名前はぎゅっと目をつむります。目に砂が入ったのです。目頭を指でくりくりと擦りながら、立ち止まった彼女の耳に聞き慣れない言葉がかすかに届きました。
「SET! HUT!」
どうやら英語のようです。目に入ったゴミなど気にならなくなった彼女は、あたりをきょろきょろと見回します。あそこかな……。声がした気がする方向は、この大きな道路を挟んだ反対側、歩道に沿ってフェンスが一面に並んでいるその向こう側でした。名前はいてもたってもいられず、ちまちまと横断歩道のある地点まで戻り、道路の反対側に渡りました。
フェンスの向こうは広大なグラウンドが広がっています。なにやらフェンスには大きく「WARNING」と書かれた看板がありましたが、当時の彼女は首をかしげるばかりでした。ただ、この金網を超えた先が、たとえば小学校や公園とは決定的に違うことを感じ取っていました。あまりに殺風景で無機質で、それでいて肌が乾燥するような心地がします。その正体は何を隠そう在日米軍基地だったので、幼き名前の直感と洞察は当時からなかなかに冴え渡っておりました。
名前は「WARNING」と掲げられた看板の下、無機質に並ぶ金網の目を乱すように、小さな穴が空いているのを見つけました。ちょうど子ども一人なら四つん這いになって潜り抜けられそうです。名前はごくりと息を呑みます。こんなもの、小さな探検家の血が騒がないわけがありません。念のため引っかからないようにランドセルを前で抱えて、彼女はいそいそとフェンスの向こう側へと足を踏み入れました。
「HUT! HUT!」
硬いものがぶつかる音と、さっき聞いた掛け声です。
金網の向こう側では、体格のいい大人たちがなにかスポーツをしているのだと分かりました。ヘルメットを被って、肩にはなにか入れているのでしょう、ごとりと盛り上がっています。彼らが追っているのは、あれはボールでしょうか。野球ともサッカーとも、ドッチボールで使うのとも違う不思議な形をしています。大きな楕円形のそれは、名前が初めて見るものです。
ボールだけではなく、そのスポーツのすべてが彼女にとっての「初めて」を与えました。毎回違ったように複雑に動くフォーメーション、本気で激しくぶつかり合うプレイヤー、ボールを持った選手が止められれればなにやら距離を測り始めます。教科書もテレビも、こんなものがこの世にあるとは教えてくれませんでした。
わけもわからぬまま名前がぼうっと見ていると、視界の端に黒いツンツン頭が入り込んでいるのに気付きました。先客がいたようです。きっと彼もあの小さな穴をくぐってきたのでしょう。傍にランドセルを乱雑に放り投げ、あぐらを組んで何か書いている後ろ姿を名前はどこかで見た気がします。五秒ほど考えて、すぐ思い当たりました。あの尖った耳は同じクラスの蛭魔くんに違いありません。声をかけるか迷って、やめることにしました。
蛭魔くんと言えばとにかく頭がよくて、たまに先生を言い負かしています。他の男子と違ってなんというべきか、クールな一匹狼なので、足が一番に速いわけではありませんでしたがクラスの女の子が「ちょっとカッコいいよね」と言っているのを知っています。ここで名前が「蛭魔くんだよね?」とか「何をしてるの?」とか「あれは何?」とか聞いてしまったが最後、蛭魔くんはスタスタとこの場を去ってしまう気がしました。それはなんだか嫌だったのです。それに、後から来たのは名前の方です。彼の邪魔をするわけにはいきません。普段クラスでつまらなさそうに授業を受けている彼が、今はこんなに熱中しているように見えるのですから。
名前は今のままの距離を保ったまま、蛭魔くんがわざわざ振り向かなければ名前に気づくことはないでしょう、彼に倣ってその場に座り込みました。その日はスカートを履いていたのであぐらはできません。それから、ランドセルから自由帳と筆箱を取り出しました。使っていない綺麗なページをめくって、鉛筆を握りました。自分が初めて見たものだから、お母さんも初めて見るものかもしれない。名前はそんな風に思いながら、目を引くすべてを紙の中におさめようとします。アーモンドみたいな形のボール、ぶつかり合うヘルメット姿の大人、そして夕焼けに包まれる同級生の後ろ姿を。
「ケケケ、白チーム勝利で俺の勝ち」
「くっそまた負けた!」
「それにしてもヒルマ、今日はガールフレンド連れだったな!」
「……ハ?」
当時からお利口な子どもでした。お留守番にはもう慣れっこで、玄関で靴を脱いだら揃えることや火を使ってはいけないこと、電話やインターホンが鳴れば「お母さんがいないのでわかりません」と答えること、冷凍庫にお気に入りのアイスがあることだって知っています。お仕事を頑張っているお母さんは、そんな名前をいつも褒めてくれます。だから寂しくありません。首から掛けられるように紐をつけられたお家の鍵は、すてきなネックレスのようにも思えました。
けれども、同じくらい名前は賢い子でした。要はお母さんが帰ってくるまでに家に着けばいいことを知っています。優しいおばあちゃんがいる駄菓子屋、象の遊具がある公園、柴犬を外で飼っているお家。通学路ではない道を冒険するのが、彼女のちょっとした楽しみでした。
その日も名前は少し遠回りして家に向かう途中でした。大きな道路沿いにてくてく歩くと、その車通りが多いこと。そのためもあってか、この辺りに公園や大きな建物は少なく、子どもの影はほとんどありません。自分を抜かしながら車道をびゅんびゅんと飛ばしていく風に煽られて、名前はぎゅっと目をつむります。目に砂が入ったのです。目頭を指でくりくりと擦りながら、立ち止まった彼女の耳に聞き慣れない言葉がかすかに届きました。
「SET! HUT!」
どうやら英語のようです。目に入ったゴミなど気にならなくなった彼女は、あたりをきょろきょろと見回します。あそこかな……。声がした気がする方向は、この大きな道路を挟んだ反対側、歩道に沿ってフェンスが一面に並んでいるその向こう側でした。名前はいてもたってもいられず、ちまちまと横断歩道のある地点まで戻り、道路の反対側に渡りました。
フェンスの向こうは広大なグラウンドが広がっています。なにやらフェンスには大きく「WARNING」と書かれた看板がありましたが、当時の彼女は首をかしげるばかりでした。ただ、この金網を超えた先が、たとえば小学校や公園とは決定的に違うことを感じ取っていました。あまりに殺風景で無機質で、それでいて肌が乾燥するような心地がします。その正体は何を隠そう在日米軍基地だったので、幼き名前の直感と洞察は当時からなかなかに冴え渡っておりました。
名前は「WARNING」と掲げられた看板の下、無機質に並ぶ金網の目を乱すように、小さな穴が空いているのを見つけました。ちょうど子ども一人なら四つん這いになって潜り抜けられそうです。名前はごくりと息を呑みます。こんなもの、小さな探検家の血が騒がないわけがありません。念のため引っかからないようにランドセルを前で抱えて、彼女はいそいそとフェンスの向こう側へと足を踏み入れました。
「HUT! HUT!」
硬いものがぶつかる音と、さっき聞いた掛け声です。
金網の向こう側では、体格のいい大人たちがなにかスポーツをしているのだと分かりました。ヘルメットを被って、肩にはなにか入れているのでしょう、ごとりと盛り上がっています。彼らが追っているのは、あれはボールでしょうか。野球ともサッカーとも、ドッチボールで使うのとも違う不思議な形をしています。大きな楕円形のそれは、名前が初めて見るものです。
ボールだけではなく、そのスポーツのすべてが彼女にとっての「初めて」を与えました。毎回違ったように複雑に動くフォーメーション、本気で激しくぶつかり合うプレイヤー、ボールを持った選手が止められれればなにやら距離を測り始めます。教科書もテレビも、こんなものがこの世にあるとは教えてくれませんでした。
わけもわからぬまま名前がぼうっと見ていると、視界の端に黒いツンツン頭が入り込んでいるのに気付きました。先客がいたようです。きっと彼もあの小さな穴をくぐってきたのでしょう。傍にランドセルを乱雑に放り投げ、あぐらを組んで何か書いている後ろ姿を名前はどこかで見た気がします。五秒ほど考えて、すぐ思い当たりました。あの尖った耳は同じクラスの蛭魔くんに違いありません。声をかけるか迷って、やめることにしました。
蛭魔くんと言えばとにかく頭がよくて、たまに先生を言い負かしています。他の男子と違ってなんというべきか、クールな一匹狼なので、足が一番に速いわけではありませんでしたがクラスの女の子が「ちょっとカッコいいよね」と言っているのを知っています。ここで名前が「蛭魔くんだよね?」とか「何をしてるの?」とか「あれは何?」とか聞いてしまったが最後、蛭魔くんはスタスタとこの場を去ってしまう気がしました。それはなんだか嫌だったのです。それに、後から来たのは名前の方です。彼の邪魔をするわけにはいきません。普段クラスでつまらなさそうに授業を受けている彼が、今はこんなに熱中しているように見えるのですから。
名前は今のままの距離を保ったまま、蛭魔くんがわざわざ振り向かなければ名前に気づくことはないでしょう、彼に倣ってその場に座り込みました。その日はスカートを履いていたのであぐらはできません。それから、ランドセルから自由帳と筆箱を取り出しました。使っていない綺麗なページをめくって、鉛筆を握りました。自分が初めて見たものだから、お母さんも初めて見るものかもしれない。名前はそんな風に思いながら、目を引くすべてを紙の中におさめようとします。アーモンドみたいな形のボール、ぶつかり合うヘルメット姿の大人、そして夕焼けに包まれる同級生の後ろ姿を。
「ケケケ、白チーム勝利で俺の勝ち」
「くっそまた負けた!」
「それにしてもヒルマ、今日はガールフレンド連れだったな!」
「……ハ?」