ジュブナイル
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あ、アメフト部。名前はそれだけ思って素通りしようとしました。
入寮の手続きのため、入学式に先んじて王城高校に赴いていたのです。パンフレットを片手に抱えたまま、名前はグラウンドの脇道を通りがかりました。その立派なことといったら、麻黄中とは比べものになりません。そこで練習している部員の数だって、ほとんどが助っ人なんてことはないのでしょう。
しかし神龍寺に進む三人へのあてつけのつもりで王城高校を選びましたが、アメフトに関わるつもりなんてさらさらありません。だって、名前にとってのアメフトというものは、蛭魔が夢中になっている無二のもので、栗田やムサシたちと過ごした麻黄デビルバッツの思い出そのものの形をしています。蛭魔が、栗田やムサシがいないっていうのに、フィールドには何が残るっていうのでしょう。せっかく覚えた複雑なルールやフォーメーションも、せいぜい観戦の役に立つくらいで終わるでしょう。賭けアメフトももう辞めたのです。そう、それで終わるはずでした。
名前の目に焼きついたのは、春雷です。
40ヤードを推定4秒5で駆け抜ける一人の選手に、彼女の足が思考より先に止まります。彼こそがこの春、王城中学から王城高校に進学する進清十郎その人でした。
脅迫手帳に載っている麻黄生の中から、少しでも使えそうな助っ人をピックアップするのは彼女の仕事でした。スピード、ボディバランス、テクニック、体格。筋肉量からしておそらくパワーも申し分ないのでしょう。進はどの要素を取っても明らかにエース級です。背番号が40番なので後衛のようですが、ラインとしても十分活躍できるように見えます。こんな人が麻黄デビルバッツにいてくれれば、蛭魔たちももっと……。脳内の作戦カードを無意識に繰り始めた自分に気付いて、名前は思わず苦笑いしました。蛭魔が、デビルバッツが、なんて言い訳しても、クラスメイトの男の子と夕焼けに包まれたあの日から、彼女はとっくにアメフト一筋なのです。
衝動に背中を押されたまま、彼女は練習を取り仕切る壮年の男性に駆け寄っていました。そう、庄司監督です。片手に持つ高校の入学資料を握りつぶす勢いで話しかけてきた少女に、庄司は暫し目を瞬かせました。
「あの、マネージャーって募集してますか」
次の休憩に入ったとき、名前はホワイトナイツ一同の前に立っていました。彼女の申し出は二つ返事で了承されたのです。急に現れた見知らぬ制服姿の少女に、選手たちはなんだなんだと好奇の目を向けます。名前は大きく息を吸い込みました。
「名字名前と申します。春から王城生です。中学時代もアメフト部でマネージャーをしていました」
「一人いたマネージャーがちょうど進学したところだから助かる。これで下級生も練習に集中できる」
その熱意と礼儀正しさに好感を覚えたのでしょう。隣に立つ庄司がそっと後押ししました。当時の名前が知るはずもないことですが、彼には二人の娘がいるのです。
庄司の意図を汲み取って、名前は口元を綻ばせます。監督が歓迎の意を示すことで、選手たちも新米マネージャーを見守ってやろうという空気に転んでいくのが分かりました。名前は続けて口を開きます。
「目指すのは当然クリスマスボウルです。その道中で絶対に倒したいチームがあります。付属の学生寮に入る予定なので、朝から晩まで練習に参加できると思います。よろしくお願いします」
「その、倒したいチームっていうのは?」
「神龍寺ナーガ」
高見の問いに、名前はすんなりと答えました。途端、あたたかな空気がぴしりと冷水に晒したように静まります。それも当然です。ホワイトナイツ創設以来、彼らが関東大会決勝で敗れている相手です。クリスマスボウルへの道に何度も何度も立ちはだかる、最終にして最強のチーム。
打倒神龍寺を高らかに宣言した名前は、最後に深くお辞儀をして、そしておもむろに顔を上げました。可憐と呼んでも差し支えない少女の、身体の芯まで射抜くような視線に、誰かの固唾を呑む音が聞こえました。何も知らない小娘がそう簡単に軽々しく言うなと怒り出す者は一人もおりませんでした。誰かが拍手し出すと、みるみる人の輪に伝播して、気付けば名前は拍手の大波に包まれたのでした。
「お、今月の月刊アメフトに名字の大好きな神龍寺載ってるぞ」
「もう、やめてくださいよう」
洗濯カゴを抱えながら、名前は声をかけてきた先輩をあしらいました。突然の入部宣言からはや数週間、暦は四月になりました。あの日から彼女は毎日練習に付き合ってきましたが、入学式の後その足で入部届を庄司監督に手渡し、この度正式に王城ホワイトナイツの一員になりました。本来なら遊び放題の春休み期間をすべてアメフトに捧げた上に、大勢いる選手をいち早く覚え、それでいてよく気も回るとあればチームに溶け込むのも早いものでした。特に強面揃いの諸先輩方によく可愛がられています。
「スポーツ推薦枠の大型新人加入でチームの総合力は飛躍的に上昇……。バック走5秒切るCBと、もう一人は相当厳ついな」
「ええ、丸くてかわいくないです?」
名前は笑いながら雑誌を覗き込みました。今年の神龍寺の推薦枠は空中戦の達人・細川一休と栗田のはずです。先輩のポジションはラインなので、マッチアップ相手とすれば厳つく見えるものなのでしょうか。視界に紙面が飛び込んできた瞬間、名前は思わず目を疑いました。
「丸くてかわいい? このドレッドが?」
先輩の言う通り、見開きには二人の選手の特集が組まれていました。でかでかと載せられた写真には、おでこのホクロがチャームポイントの一休、そしてドレッドヘアーとサングラスが特徴的な男が写っていました。彼女の手から洗濯カゴが音を立てて滑り落ち、洗ったばかりのタオルが床に散乱しました。先輩からひったくるように雑誌を手に取ると、何度見ても「栗田良寛」の名前はひとつもありません。代わりに絶賛されているのは彼女も覚えのある名前です。「金剛阿含」。かつて蛭魔とつるんでいた不良で、傍若無人が服を着て歩いているような人間だったと記憶しています。性格とは残酷なまでに裏腹なその身体能力も。
雑誌を握ったまま固まる名前に、先輩もおろおろし始めます。「大好きな神龍寺」なんて、ちょっと茶化すだけのつもりだったのです。名前を呼ばれると、すぐにはっとして、震える口で笑いました。散らばったタオルをかき集めながら、顔をあげられないまま。
「やだ、洗い直し……」
これまた先輩に押し付けるように月刊アメフトを渡し、洗濯カゴを抱えて名前は走り出しました。マネージャー室になだれるように駆け込み、中身がまた溢れるのも気にせずカゴを放り出しました。持ち込んだ私物のノートパソコンで、次の春大会の参加チームのページを開き、「神龍寺ナーガ」をクリックします。滲んだ視界に選手登録されている選手一覧が飛び込んできました。
クォーターバックに蛭魔妖一の文字はありません。オフェンスラインに栗田良寛の文字はありません。キッカーに武蔵厳の文字はありません。
三人ともベンチに入れなかった? そんなはずありません。名前には分かってしまいます。栗田が入るはずだった推薦枠は、100年に一人の天才・金剛阿含によって奪われてしまったのだと。
彼らはどこへ行ってしまったのでしょう? 蛭魔とムサシが栗田を置いて神龍寺に行くはずありません。きっと栗田の学力で入れそうで、かつアメフト部のある高校に三人揃って進学したのでしょう。神龍寺を志す三人の重荷になってはいけないのだと、背を向けたのは自分自身です。誰のせいでも影響でもなく、自分ひとりが決めたことです。それでも、こんな仕打ちは、こんなに酷いことはもうこの世にないと思いました。いったい何のためにこの道を選んだというのでしょう。床に散らばった洗濯物から漂う生乾きの匂いが鼻をつきました。名前は声を押し殺して泣きました。
この日から、名前の笑顔に曇りが見え隠れし出しました。それでもマネージャー業務はいつも以上に励むのですから、周りは何も言えません。忙しくすることで考える隙を作りたくなかったのです。物憂げな彼女の気持ちを何とかして晴らせないか、女子に慣れているとは言えないアメフト部の面々も動き出そうとした矢先に、ある契機が訪れます。王城ホワイトナイツの憂鬱はあまりにも急速に、実に呆気なく終わります。
「練習試合……? この春大会直前に?」
「泥門デビルバッツか、聞いたことないな」
「ケケケ、たりめーだ。さっき作ったんだからな」
枯れ葉色の道着ではなく、若草色のブレザーに身を包んだ悪魔が姿を現したことで。
入寮の手続きのため、入学式に先んじて王城高校に赴いていたのです。パンフレットを片手に抱えたまま、名前はグラウンドの脇道を通りがかりました。その立派なことといったら、麻黄中とは比べものになりません。そこで練習している部員の数だって、ほとんどが助っ人なんてことはないのでしょう。
しかし神龍寺に進む三人へのあてつけのつもりで王城高校を選びましたが、アメフトに関わるつもりなんてさらさらありません。だって、名前にとってのアメフトというものは、蛭魔が夢中になっている無二のもので、栗田やムサシたちと過ごした麻黄デビルバッツの思い出そのものの形をしています。蛭魔が、栗田やムサシがいないっていうのに、フィールドには何が残るっていうのでしょう。せっかく覚えた複雑なルールやフォーメーションも、せいぜい観戦の役に立つくらいで終わるでしょう。賭けアメフトももう辞めたのです。そう、それで終わるはずでした。
名前の目に焼きついたのは、春雷です。
40ヤードを推定4秒5で駆け抜ける一人の選手に、彼女の足が思考より先に止まります。彼こそがこの春、王城中学から王城高校に進学する進清十郎その人でした。
脅迫手帳に載っている麻黄生の中から、少しでも使えそうな助っ人をピックアップするのは彼女の仕事でした。スピード、ボディバランス、テクニック、体格。筋肉量からしておそらくパワーも申し分ないのでしょう。進はどの要素を取っても明らかにエース級です。背番号が40番なので後衛のようですが、ラインとしても十分活躍できるように見えます。こんな人が麻黄デビルバッツにいてくれれば、蛭魔たちももっと……。脳内の作戦カードを無意識に繰り始めた自分に気付いて、名前は思わず苦笑いしました。蛭魔が、デビルバッツが、なんて言い訳しても、クラスメイトの男の子と夕焼けに包まれたあの日から、彼女はとっくにアメフト一筋なのです。
衝動に背中を押されたまま、彼女は練習を取り仕切る壮年の男性に駆け寄っていました。そう、庄司監督です。片手に持つ高校の入学資料を握りつぶす勢いで話しかけてきた少女に、庄司は暫し目を瞬かせました。
「あの、マネージャーって募集してますか」
次の休憩に入ったとき、名前はホワイトナイツ一同の前に立っていました。彼女の申し出は二つ返事で了承されたのです。急に現れた見知らぬ制服姿の少女に、選手たちはなんだなんだと好奇の目を向けます。名前は大きく息を吸い込みました。
「名字名前と申します。春から王城生です。中学時代もアメフト部でマネージャーをしていました」
「一人いたマネージャーがちょうど進学したところだから助かる。これで下級生も練習に集中できる」
その熱意と礼儀正しさに好感を覚えたのでしょう。隣に立つ庄司がそっと後押ししました。当時の名前が知るはずもないことですが、彼には二人の娘がいるのです。
庄司の意図を汲み取って、名前は口元を綻ばせます。監督が歓迎の意を示すことで、選手たちも新米マネージャーを見守ってやろうという空気に転んでいくのが分かりました。名前は続けて口を開きます。
「目指すのは当然クリスマスボウルです。その道中で絶対に倒したいチームがあります。付属の学生寮に入る予定なので、朝から晩まで練習に参加できると思います。よろしくお願いします」
「その、倒したいチームっていうのは?」
「神龍寺ナーガ」
高見の問いに、名前はすんなりと答えました。途端、あたたかな空気がぴしりと冷水に晒したように静まります。それも当然です。ホワイトナイツ創設以来、彼らが関東大会決勝で敗れている相手です。クリスマスボウルへの道に何度も何度も立ちはだかる、最終にして最強のチーム。
打倒神龍寺を高らかに宣言した名前は、最後に深くお辞儀をして、そしておもむろに顔を上げました。可憐と呼んでも差し支えない少女の、身体の芯まで射抜くような視線に、誰かの固唾を呑む音が聞こえました。何も知らない小娘がそう簡単に軽々しく言うなと怒り出す者は一人もおりませんでした。誰かが拍手し出すと、みるみる人の輪に伝播して、気付けば名前は拍手の大波に包まれたのでした。
「お、今月の月刊アメフトに名字の大好きな神龍寺載ってるぞ」
「もう、やめてくださいよう」
洗濯カゴを抱えながら、名前は声をかけてきた先輩をあしらいました。突然の入部宣言からはや数週間、暦は四月になりました。あの日から彼女は毎日練習に付き合ってきましたが、入学式の後その足で入部届を庄司監督に手渡し、この度正式に王城ホワイトナイツの一員になりました。本来なら遊び放題の春休み期間をすべてアメフトに捧げた上に、大勢いる選手をいち早く覚え、それでいてよく気も回るとあればチームに溶け込むのも早いものでした。特に強面揃いの諸先輩方によく可愛がられています。
「スポーツ推薦枠の大型新人加入でチームの総合力は飛躍的に上昇……。バック走5秒切るCBと、もう一人は相当厳ついな」
「ええ、丸くてかわいくないです?」
名前は笑いながら雑誌を覗き込みました。今年の神龍寺の推薦枠は空中戦の達人・細川一休と栗田のはずです。先輩のポジションはラインなので、マッチアップ相手とすれば厳つく見えるものなのでしょうか。視界に紙面が飛び込んできた瞬間、名前は思わず目を疑いました。
「丸くてかわいい? このドレッドが?」
先輩の言う通り、見開きには二人の選手の特集が組まれていました。でかでかと載せられた写真には、おでこのホクロがチャームポイントの一休、そしてドレッドヘアーとサングラスが特徴的な男が写っていました。彼女の手から洗濯カゴが音を立てて滑り落ち、洗ったばかりのタオルが床に散乱しました。先輩からひったくるように雑誌を手に取ると、何度見ても「栗田良寛」の名前はひとつもありません。代わりに絶賛されているのは彼女も覚えのある名前です。「金剛阿含」。かつて蛭魔とつるんでいた不良で、傍若無人が服を着て歩いているような人間だったと記憶しています。性格とは残酷なまでに裏腹なその身体能力も。
雑誌を握ったまま固まる名前に、先輩もおろおろし始めます。「大好きな神龍寺」なんて、ちょっと茶化すだけのつもりだったのです。名前を呼ばれると、すぐにはっとして、震える口で笑いました。散らばったタオルをかき集めながら、顔をあげられないまま。
「やだ、洗い直し……」
これまた先輩に押し付けるように月刊アメフトを渡し、洗濯カゴを抱えて名前は走り出しました。マネージャー室になだれるように駆け込み、中身がまた溢れるのも気にせずカゴを放り出しました。持ち込んだ私物のノートパソコンで、次の春大会の参加チームのページを開き、「神龍寺ナーガ」をクリックします。滲んだ視界に選手登録されている選手一覧が飛び込んできました。
クォーターバックに蛭魔妖一の文字はありません。オフェンスラインに栗田良寛の文字はありません。キッカーに武蔵厳の文字はありません。
三人ともベンチに入れなかった? そんなはずありません。名前には分かってしまいます。栗田が入るはずだった推薦枠は、100年に一人の天才・金剛阿含によって奪われてしまったのだと。
彼らはどこへ行ってしまったのでしょう? 蛭魔とムサシが栗田を置いて神龍寺に行くはずありません。きっと栗田の学力で入れそうで、かつアメフト部のある高校に三人揃って進学したのでしょう。神龍寺を志す三人の重荷になってはいけないのだと、背を向けたのは自分自身です。誰のせいでも影響でもなく、自分ひとりが決めたことです。それでも、こんな仕打ちは、こんなに酷いことはもうこの世にないと思いました。いったい何のためにこの道を選んだというのでしょう。床に散らばった洗濯物から漂う生乾きの匂いが鼻をつきました。名前は声を押し殺して泣きました。
この日から、名前の笑顔に曇りが見え隠れし出しました。それでもマネージャー業務はいつも以上に励むのですから、周りは何も言えません。忙しくすることで考える隙を作りたくなかったのです。物憂げな彼女の気持ちを何とかして晴らせないか、女子に慣れているとは言えないアメフト部の面々も動き出そうとした矢先に、ある契機が訪れます。王城ホワイトナイツの憂鬱はあまりにも急速に、実に呆気なく終わります。
「練習試合……? この春大会直前に?」
「泥門デビルバッツか、聞いたことないな」
「ケケケ、たりめーだ。さっき作ったんだからな」
枯れ葉色の道着ではなく、若草色のブレザーに身を包んだ悪魔が姿を現したことで。