ピグマリオン
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
日本、某所。継承式の時期に九代目が滞在していた高級ホテルに、沢田綱吉はまたしても呼ばれていた。九代目の雷の守護者・ガナッシュに案内され、専用の直通エレベーターは最上階へ向かう。何度来ても緊張する。背筋にぴんと針金を通される思いだ。小さなスパルタ家庭教師もついてこないというのだから、ツナは冷や汗をかきながら上昇してゆく階数のパネルを見上げていた。
チーンと控えめな音を立てて扉が開く。ガナッシュが先にツナを通すと、扉を背に立ち止まった。
「私はここで。お二人がお待ちです」
「二人?」
一面の窓からたっぷりと光を取り込んだ最上階は、調度品の重厚さを和らげるほどに明るい。一家で生活しても余るだろうワンフロアの少し向こう、ペレ・フラウの柔らかい革のソファに身を預けている人影が二つあった。一人は上品な佇まいの老紳士、もう一人は女性と少女の間を行き来する娘だった。二人はツナが到着したことに気付くと、立ち上がって手招きした。
「よく来たね、綱吉君」
「思ったより元気そうだね。全身の骨を砕かれたって聞いたけど」
「九代目! 名前!」
ツナが駆け寄る。その背中に、エレベーターの扉の前でガナッシュが小さく微笑んだ。
「怪我はもう大丈夫かね」
「はい、炎真の大地のリングの力も借りてなんとか……」
「本当にシモンと和解できたんだ」
ツナたち十代目ファミリーがシモンを、更に言えばD・スペードを無事退けてから五日が経っていた。シモン討伐は現ボス・九代目から次期ボスの十代目へ正式に命じられた任務であり、今回はその報告会も兼ねているわけだ。しかし旧知の二人の前で安心して受け答えをするツナは何もわかっていないだろう。九代目もお人が悪い、と名前は二人の顔を見比べた。
「名前も九代目に呼ばれたの?」
名前はちらと九代目に無言で許可を求める。九代目が頷くと、彼女は本題に切り込んだ。
「私が所謂暗殺者養成機関にいたことは知ってたかな。実はそこのボスがD・スペードの手下で、継承式をきっかけに色々内輪揉めがあったんだよ」
「い゛っ!?」
「内輪揉めというか、謀反? 自爆? 結果的にうちの組織は壊滅。私は居場所がなくなってしまいました」
「名前君の所属していたロットバルト女学院、その学院長一族は代々D・スペードにマインドハックされ、いいように使われていたようじゃ」
「Dの影響がそんなところにまで……」
一気に顔を青ざめるツナとは対照的に、なんてことはないといった様子で名前はカップに口をつけた。そして日向の猫のように目を細める。
「初代ボンゴレの記憶を辿ったんだろう。君は知るべきだ」
ツナはごくりと唾を呑み込んで頷く。名前が知ったロットバルトの真実、八代目ロットバルトが語ったD・スペードの歴史を。そしてツナが見た初代ボンゴレと初代シモンの物語を、彼らはぽつりぽつりと拾い上げ、偉大なるボンゴレの九代目ボスに献上した。
名前がロットバルト壊滅のあらましを説明し、ツナが初代ボンゴレとシモンの顛末をあらかた語り終えたとき、名前は腕を組んで背もたれに少し倒れた。
「Dが愛し、喪ったエレナという女性か。ロットバルトが女子校だったのは、もしかしたら関係あるのかも。娘をオデットと瓜二つに化けさせたのと同じように、悪魔はエレナの再来をずっと探していたのかもしれない」
「八代目ロットバルトは名前君をオディールと呼んだそうだね」
「あれはD・スペードではなく、八代目ロットバルト個人の感性でしょう。結局、何代かかってもエレナの代わりなんて作れなかったわけだ。Dもさして期待していなかったでしょうけどね」
「オデッ……?」
いきなり知らない単語が出てきてポカンとするツナに、名前は思わず少し吹き出した。
「白鳥の湖だよ。君、ガールフレンドとバレエとかオペラ観に行ったりしないの?」
「し、しないよ普通! まだ中学生だし! ガールフレンドなんて……」
「その言い方だと好きな子はいるんだ」
名前は年相応に歯を見せて笑った。九代目の前で赤くなったり青くなったりと忙しない少年はなんて揶揄い甲斐があるのだろう。九代目も若者のじゃれあいを咎めることはなく、マフィアのボスではない、ただの祖父のような顔で二人を見守っていた。
「さて、これからの話をしよう」
先にツナを帰らせた後、ホテルの最上階は二人だけになった。もちろんあんな事件があってからまだ日も浅い。扉の向こうで九代目の守護者たちが有事の際に備えて待機している。九代目はあらためて名前に向き直った。
「ボンゴレ内部の事情を知りすぎてしまった以上、君を自由にするわけにはいかない」
「心得ています。むしろ宿無しの自分を匿ってくださり、その御慈悲に感謝しています。九代目」
ロットバルト女学校は全寮制。学院長も教職員も生徒も卒業生も、みんないなくなった。名前は文字通り何年も過ごした家を失った。D・スペードの謀反というボンゴレでも秘中の秘を知ってしまったからには、彼女がフリーのヒットマンとして生きる道はなくなった。そうでなくても、あのロットバルトの生き残りとなればさぞ厄介ごとも多いだろう。監視と護衛、その両方を兼ねている。名前は現状に不満はない、むしろ恵まれすぎていると言っていい。問題はこれからのことだ。
「雲の守護者の使命を知っているかね。何ものにもとらわれることなく、独自の立場からファミリーを守護する孤高の浮雲となること」
「それはボンゴレの守護者の話では?」
「今のヴァリアーはXANXUSによる完全なるトップダウンじゃ。言ってしまえば自浄作用がない。ゆりかごのように、またいつ組織全体が道を踏み外すか……」
九代目は皺の刻まれた指を組んだ。かつて義理の息子を氷漬けにした手だ。彼は反逆者を抹殺する道ではなく、息子を生かす道を選んだ。
「大空のアルコバレーノがくれた記録の中の君は、ボンゴレリングを継承する者ではないにせよ、雲の守護者の使命を体現していた。わしはそこに、ヴァリアーの未来を見た」
「彼らは私なんていなくても勝手にやっていくと思いますがね。殺しても死ななさそうな連中ですし」
名前が思い出したのはとある未来の彼らではなく、数日前学院長室に乗り込んできた今の彼らだった。
XANXUSという強烈な光に目を灼かれても、名前は不思議といますぐ彼の前に馳せ参じたいと逸ることはなかった。畏れているわけではない。萎縮とも、忌避しているとも違う。ただ、然るべきときには然るべきように、自分は彼の元に跪くだろうという確信があるだけだった。
「死炎印を交わした契約は覆せない。そこで新たな契約を結ぶとしよう。今日から君を正式にボンゴレファミリー、九代目直属の配下とする。そして、来年の夏付けでボンゴレの独立暗殺部隊・ヴァリアーへの配属を命ずる」
「……光栄です、ボス」
次の夏まで入隊を許可しないことは、次の夏からの入隊を許可できるということだ。それまで本部で腕と知見を磨けという。高待遇にも程がある。まるですべてが筋書き通りであるかのように。名前ははっとして思わず問いかけた。
「まさか、門外顧問を寄越したときから、初めからこうなるとわかっていたのですか?」
「いいや、何代にも渡るD・スペードの暗躍を見抜けなかったのはボンゴレの落ち度じゃ。ただ君にはヴァリアーに染まる前にもっと広い世界と多くの経験を得てほしくてね、家光には先んじてドイツに向かってもらった。未来の経験を得たスクアーロ君ならすぐにでも君を獲得しようとするに違いない」
九代目は穏やかに微笑んだ。見通す力、ブラッドオブボンゴレを受け継ぐ歴代ボスのなかでも際立って「神の采配」と呼ばれし眼差しだった。
更に言うならば、九代目が提示したのは名前に都合が良いだけでなく、もちろんボンゴレ本部側にも有利だった。本部に恩がある、息のかかった幹部候補をヴァリアーに送り込むことができる。九代目の指摘した「自浄作用」というその役割を、言われずとも背負わされているのだ。お互いそれに気付かないわけがない。名前は「戦ってもないのに負けた気分です」と白旗を振った。
「そういえば、八代目ロットバルトの身柄は本部でしたよね。元気そうですか?」
「……自害したよ。綱吉君の話と照らし合わせれば、D・スペードが消滅したのとほぼ同時刻に」
「あ……。そう、そうですね。口封じなんてよくある話だ」
老紳士の瞳には、ちっぽけな孤独な少女が映り込んでいた。縮こませるように肩をすぼめるその様に、すべてを背負い込んで死地へ臨んだ歴戦の猛者の面影はない。
「同級生が死ぬのなんて入学してからひっきりなしだったから、きっと色々よく分からなくなってるんですよね。でも、たとえば期待されていたマフィアのボスのお嬢さん。学院長に陶酔していた優等生。親の仇敵を探し続けていた先輩。あとはロットバルトの私兵たち。あそこでしか生きられなかった人も大勢います」
「……学院でしか生きられなかった者。それは君も当てはまるのかな」
名前は目を丸くした。それから、それから唇をへにゃりと捻じ曲げた変な表情を浮かべた。泣き方をどこかへ置いてきてしまったようだった。父親同然だった学院長も泣けなかった。彼もきっと最期まで涙で頬を濡らすことはなかっただろう。見せ物で泣くのは、いつだって観客だ。
「どうでしょう。ただ、今とても変な気分なんです。清々しいような、物悲しいような、笑えてくるような——」
チーンと控えめな音を立てて扉が開く。ガナッシュが先にツナを通すと、扉を背に立ち止まった。
「私はここで。お二人がお待ちです」
「二人?」
一面の窓からたっぷりと光を取り込んだ最上階は、調度品の重厚さを和らげるほどに明るい。一家で生活しても余るだろうワンフロアの少し向こう、ペレ・フラウの柔らかい革のソファに身を預けている人影が二つあった。一人は上品な佇まいの老紳士、もう一人は女性と少女の間を行き来する娘だった。二人はツナが到着したことに気付くと、立ち上がって手招きした。
「よく来たね、綱吉君」
「思ったより元気そうだね。全身の骨を砕かれたって聞いたけど」
「九代目! 名前!」
ツナが駆け寄る。その背中に、エレベーターの扉の前でガナッシュが小さく微笑んだ。
「怪我はもう大丈夫かね」
「はい、炎真の大地のリングの力も借りてなんとか……」
「本当にシモンと和解できたんだ」
ツナたち十代目ファミリーがシモンを、更に言えばD・スペードを無事退けてから五日が経っていた。シモン討伐は現ボス・九代目から次期ボスの十代目へ正式に命じられた任務であり、今回はその報告会も兼ねているわけだ。しかし旧知の二人の前で安心して受け答えをするツナは何もわかっていないだろう。九代目もお人が悪い、と名前は二人の顔を見比べた。
「名前も九代目に呼ばれたの?」
名前はちらと九代目に無言で許可を求める。九代目が頷くと、彼女は本題に切り込んだ。
「私が所謂暗殺者養成機関にいたことは知ってたかな。実はそこのボスがD・スペードの手下で、継承式をきっかけに色々内輪揉めがあったんだよ」
「い゛っ!?」
「内輪揉めというか、謀反? 自爆? 結果的にうちの組織は壊滅。私は居場所がなくなってしまいました」
「名前君の所属していたロットバルト女学院、その学院長一族は代々D・スペードにマインドハックされ、いいように使われていたようじゃ」
「Dの影響がそんなところにまで……」
一気に顔を青ざめるツナとは対照的に、なんてことはないといった様子で名前はカップに口をつけた。そして日向の猫のように目を細める。
「初代ボンゴレの記憶を辿ったんだろう。君は知るべきだ」
ツナはごくりと唾を呑み込んで頷く。名前が知ったロットバルトの真実、八代目ロットバルトが語ったD・スペードの歴史を。そしてツナが見た初代ボンゴレと初代シモンの物語を、彼らはぽつりぽつりと拾い上げ、偉大なるボンゴレの九代目ボスに献上した。
名前がロットバルト壊滅のあらましを説明し、ツナが初代ボンゴレとシモンの顛末をあらかた語り終えたとき、名前は腕を組んで背もたれに少し倒れた。
「Dが愛し、喪ったエレナという女性か。ロットバルトが女子校だったのは、もしかしたら関係あるのかも。娘をオデットと瓜二つに化けさせたのと同じように、悪魔はエレナの再来をずっと探していたのかもしれない」
「八代目ロットバルトは名前君をオディールと呼んだそうだね」
「あれはD・スペードではなく、八代目ロットバルト個人の感性でしょう。結局、何代かかってもエレナの代わりなんて作れなかったわけだ。Dもさして期待していなかったでしょうけどね」
「オデッ……?」
いきなり知らない単語が出てきてポカンとするツナに、名前は思わず少し吹き出した。
「白鳥の湖だよ。君、ガールフレンドとバレエとかオペラ観に行ったりしないの?」
「し、しないよ普通! まだ中学生だし! ガールフレンドなんて……」
「その言い方だと好きな子はいるんだ」
名前は年相応に歯を見せて笑った。九代目の前で赤くなったり青くなったりと忙しない少年はなんて揶揄い甲斐があるのだろう。九代目も若者のじゃれあいを咎めることはなく、マフィアのボスではない、ただの祖父のような顔で二人を見守っていた。
「さて、これからの話をしよう」
先にツナを帰らせた後、ホテルの最上階は二人だけになった。もちろんあんな事件があってからまだ日も浅い。扉の向こうで九代目の守護者たちが有事の際に備えて待機している。九代目はあらためて名前に向き直った。
「ボンゴレ内部の事情を知りすぎてしまった以上、君を自由にするわけにはいかない」
「心得ています。むしろ宿無しの自分を匿ってくださり、その御慈悲に感謝しています。九代目」
ロットバルト女学校は全寮制。学院長も教職員も生徒も卒業生も、みんないなくなった。名前は文字通り何年も過ごした家を失った。D・スペードの謀反というボンゴレでも秘中の秘を知ってしまったからには、彼女がフリーのヒットマンとして生きる道はなくなった。そうでなくても、あのロットバルトの生き残りとなればさぞ厄介ごとも多いだろう。監視と護衛、その両方を兼ねている。名前は現状に不満はない、むしろ恵まれすぎていると言っていい。問題はこれからのことだ。
「雲の守護者の使命を知っているかね。何ものにもとらわれることなく、独自の立場からファミリーを守護する孤高の浮雲となること」
「それはボンゴレの守護者の話では?」
「今のヴァリアーはXANXUSによる完全なるトップダウンじゃ。言ってしまえば自浄作用がない。ゆりかごのように、またいつ組織全体が道を踏み外すか……」
九代目は皺の刻まれた指を組んだ。かつて義理の息子を氷漬けにした手だ。彼は反逆者を抹殺する道ではなく、息子を生かす道を選んだ。
「大空のアルコバレーノがくれた記録の中の君は、ボンゴレリングを継承する者ではないにせよ、雲の守護者の使命を体現していた。わしはそこに、ヴァリアーの未来を見た」
「彼らは私なんていなくても勝手にやっていくと思いますがね。殺しても死ななさそうな連中ですし」
名前が思い出したのはとある未来の彼らではなく、数日前学院長室に乗り込んできた今の彼らだった。
XANXUSという強烈な光に目を灼かれても、名前は不思議といますぐ彼の前に馳せ参じたいと逸ることはなかった。畏れているわけではない。萎縮とも、忌避しているとも違う。ただ、然るべきときには然るべきように、自分は彼の元に跪くだろうという確信があるだけだった。
「死炎印を交わした契約は覆せない。そこで新たな契約を結ぶとしよう。今日から君を正式にボンゴレファミリー、九代目直属の配下とする。そして、来年の夏付けでボンゴレの独立暗殺部隊・ヴァリアーへの配属を命ずる」
「……光栄です、ボス」
次の夏まで入隊を許可しないことは、次の夏からの入隊を許可できるということだ。それまで本部で腕と知見を磨けという。高待遇にも程がある。まるですべてが筋書き通りであるかのように。名前ははっとして思わず問いかけた。
「まさか、門外顧問を寄越したときから、初めからこうなるとわかっていたのですか?」
「いいや、何代にも渡るD・スペードの暗躍を見抜けなかったのはボンゴレの落ち度じゃ。ただ君にはヴァリアーに染まる前にもっと広い世界と多くの経験を得てほしくてね、家光には先んじてドイツに向かってもらった。未来の経験を得たスクアーロ君ならすぐにでも君を獲得しようとするに違いない」
九代目は穏やかに微笑んだ。見通す力、ブラッドオブボンゴレを受け継ぐ歴代ボスのなかでも際立って「神の采配」と呼ばれし眼差しだった。
更に言うならば、九代目が提示したのは名前に都合が良いだけでなく、もちろんボンゴレ本部側にも有利だった。本部に恩がある、息のかかった幹部候補をヴァリアーに送り込むことができる。九代目の指摘した「自浄作用」というその役割を、言われずとも背負わされているのだ。お互いそれに気付かないわけがない。名前は「戦ってもないのに負けた気分です」と白旗を振った。
「そういえば、八代目ロットバルトの身柄は本部でしたよね。元気そうですか?」
「……自害したよ。綱吉君の話と照らし合わせれば、D・スペードが消滅したのとほぼ同時刻に」
「あ……。そう、そうですね。口封じなんてよくある話だ」
老紳士の瞳には、ちっぽけな孤独な少女が映り込んでいた。縮こませるように肩をすぼめるその様に、すべてを背負い込んで死地へ臨んだ歴戦の猛者の面影はない。
「同級生が死ぬのなんて入学してからひっきりなしだったから、きっと色々よく分からなくなってるんですよね。でも、たとえば期待されていたマフィアのボスのお嬢さん。学院長に陶酔していた優等生。親の仇敵を探し続けていた先輩。あとはロットバルトの私兵たち。あそこでしか生きられなかった人も大勢います」
「……学院でしか生きられなかった者。それは君も当てはまるのかな」
名前は目を丸くした。それから、それから唇をへにゃりと捻じ曲げた変な表情を浮かべた。泣き方をどこかへ置いてきてしまったようだった。父親同然だった学院長も泣けなかった。彼もきっと最期まで涙で頬を濡らすことはなかっただろう。見せ物で泣くのは、いつだって観客だ。
「どうでしょう。ただ、今とても変な気分なんです。清々しいような、物悲しいような、笑えてくるような——」