ピグマリオン
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剣呑とは程遠い様子の八代目ロットバルトと名前の姿を認めてスクアーロは眉を顰めた。学院の中が静かすぎるとは感じていたが、彼としては完全に加勢に来たつもりだったのにとんだ拍子抜けだ。革張りのソファで寛いでいる名前は突っ立っているスクアーロが少し不憫になった。
「……成功率九割以上じゃないと動かないんじゃなかったの」
「九代目直々の命令だぁ。それに、条件はクリアしてる」
立ち上がりもしないまま名前は疑問符を浮かべた。自分がボンゴレの城を去った後、九代目がヴァリアーに命令を下したということか。八代目ロットバルトも慌てるどころか紅茶に口をつけながら静観している。砂埃を纏ったまま、スクアーロは八代目ロットバルトをねめつけた。紅茶の湯気でほどけていた空気が瞬時にぴんと張り詰める。
「招かれざる客とは。彼女たちを撤退させるんじゃなかったな」
「八代目ロットバルトだなぁ。ボンゴレ同盟ファミリーの襲撃、シモンファミリーへの加担、ロットバルト女学院大量殺戮の主犯として、一緒に来てもらうぜぇ。オレとしちゃあ首だけでも構わねえが」
「君か。僕のオディールを誑かしたのは」
「なんだぁ。今さら保護者面かぁ?」
「ちょっと」
名前は思わず身を乗り出した。こいつ、一体何のために私が一人でここに来たと思ってるんだ。ここで暴れられては九代目や跳ね馬の前で啖呵切ってまで来た意味がなくなってしまう。
「『彼女たち』ってのはお前の私兵のことかぁ? 今頃ウチの連中が挨拶しにいってるがなぁ」
「も〜う、来てみたはいいものの生存者ゼロ! せめてここが男子校だったらねぇ」
「遅えと思ったらてめーのシュミに走ってんじゃねぇ!」
一歩遅れてルッスーリアも学院長室に入ってくる。晴の炎で治療を試みようにも死体相手では意味がないと嘆いている。身体をくねらせるルッスーリアにスクアーロが容赦なく蹴りを入れた。他の幹部の気配がしないあたり、スクアーロの言う通りロットバルトの私兵たちを抑えに行っているのだろう。
沢田一行の勝敗次第ではあるが、ロットバルト側のあっけない詰みだ。彼らしくもなく。自分で言っていた通り、私兵たちを学院から撤退させることなくここで迎撃すべきだった。仮にD・スペードとシモンファミリーが沢田綱吉たち十代目ファミリーを退けたとしても、無傷とはいかないだろう。疲弊した先で待っているのはヴァリアーをはじめとする巨大マフィア・ボンゴレ本部だ。先程名前が指摘したように、ロットバルトは沢田綱吉を軽んじすぎている? 本当に?
脳内で天秤を傾けながら、名前はひとつの可能性に辿り着く。もし八代目ロットバルトが沢田綱吉の価値を正しく評価していたとして、もしD・スペードとシモンの計画を正確に把握していたとして、もし「チャンス」が今しかないと判断したのなら。
「もう、終わらせたかったんですね。優れた道具が捨てられるには自ら壊れるしかない」
「……? どういう意味だぁ」
「僕の生徒、僕の懐刀、僕のオディール。僕は君で、君は僕だ。君だって同じ目をしていた、わかるだろう、少なくとも未来とやらの記憶を得るまでは――」
突如瓦解したように八代目ロットバルトの口から滔々と呪詛が流れ出す。座ったままの名前の膝に縋りつこうとしているのに、スクアーロは剣を向けようとしたが、名前が黙ってそれを制した。
「はい。私の先生、私の上官、私のロットバルト。私だって未来にこの糸を断ち切られなければ、ずっと物言わぬ道具のままだった。変わってしまったのは私の方です」
名前は烏の濡れ羽色の後頭部を、触れると撫でるの間の手つきで確かめた。代々D・スペードの下僕として人生を捧げてきたロットバルト、穢れも知らぬ少女の頃から学院の刃であれと育てられてきた名前。目的遂行の道具だった二人の関係は、教師と生徒であり、上官と部下であり、さながら父と娘だった。天上から吊るされる操り糸を先に断ち切ったのは、娘の方だった。
僕は君で、君は僕だ。名前だってそう感じている。気付いたのは、学院中皆殺しにされるなか自分だけ生かされた理由に向き合ったついさっきだったけれど。
「……三人目の父親くらいには思ってましたよ」
「君には生みの親と、育ての親がいるんだったね」
「そう呼びたいかどうかは別として」
八代目ロットバルトは泣くことはなかった。きっと枯れてしまったのだ。ただ優しい娘に縋り付くことしかできなかった。操り人形が身体に絡まっていた糸をすべてほどいてしまっては、自分の力で歩けない。D・スペードから破滅という形で解放される前に、彼が操っていたすべてを解放した。それは完膚なきまでの、運悪く生き残ってしまわないほどの死で、あるいは逃すことで。
今際の別れにしびれを切らしたスクアーロが無理矢理八代目ロットバルトを連行しようとした、その時だった。
淡い停滞を切り裂いたのは闇。
そして閃光。未だソファに腰掛けたままの名前の目の前には、巨大な闇があった。
「うるせぇ」
八代目ロットバルトの後頭部に突き付けられた銃口は躊躇なくこの部屋の主の頭を吹き飛ばした。
名前の服が返り血で濡れる。白い頬にぴっ、と飛んできた体温のぬるさが彼女を我に返らせた。
スローモーションのように倒れようとする八代目ロットバルトの身体を、羽交い締めするようにルッスーリアが支えた。その右の指には黄色く澄んだ炎が煌々と灯っている。
「ボスったらせっかちねぇ。まだダメよぉ、喋ってもらわなきゃいけないことが山積みなんだから」
ルッスーリアの晴の炎が八代目ロットバルトを包み込む。完全に沈黙していた四肢がピクリとしたあたり、一命を取り留めたようだった。ルッスーリアも自分のボスの性格を十二分に理解して準備していたのだろう。
瞬きの間に終わったプロの仕事に、名前が口を挟む暇さえなかった。まるで知らない映画を観た後のように茫然とする彼女を、大きな闇の主は一瞥した。光年より長い間二人の視線がぶつかって、それは唐突に終わる。雄弁な紅い瞳はすぐに名前を視界から追い出して、音もなく学院長室を出ていった。
口が渇く。唇が半開きになっていたのだから当然だ。名前は手にじんわりと汗をかいていることも気付いた。掌だけではない、眼の奥の奥さえもずくずくと熱を帯びている。嗅ぎ慣れた鉄の匂いは気にならなかった。視線と指先が意味もなく彷徨うのを抑えきれないまま、彼女は傍らのスクアーロに問いかけた。
「あれが、この時代のXANXUS?」
「そうだぁ。見惚れたか?」
「馬鹿言わないで。ただ、」
この瞬間の彼女を、スクアーロはきっと生涯忘れないだろう。人の瞳に星が宿るのが、人の心に炎が灯るのが、これほどありありと分かるものなのか。自分が初めてXANXUSの怒りに触れた瞬間も、同じような顔をしていたのだろうか。恋慕や崇拝ほど分かりやすくはなかった。おそらく同種の衝動を宿すスクアーロだからこそ感じ取ることができた。名前は震えながら燃える胸元に手を当てた。ロットバルトの校章が掌の中で砕ける。
「人生ではじめて、『出会った』と思えただけ……」
XANXUSの眼差し同様に、彼女のひと言もそれだけでまた百も千も語った。スクアーロの胸のうちは何色ものペンキを一度にひっくり返したかのようにまだらな模様を描いていた。喜ばしくも誇らしくもあり、憎たらしく恨めしい色さえある。
かつてスクアーロが、そしてリボーンが指摘した彼女に足りなかった最後のひとピース。与えられたのは一瞬だった。彼には与えたつもりすらないだろう――XANXUSには。勝手に名前の胸に落ちてきて、嵌っただけだ。誰よりも最初に見抜き、期待し、その後も目をかけてきたスクアーロではなく、この時代では初めて会っただけのあの男に。心が通じかけていたロットバルトを容赦なくその手で葬ろうとした男に。薄情な女だ。あの一瞥で名前の生きてきた世界がすべて奪い去られてしまった。
同時に、このひとときの応酬をそこまで深く、瞬時に理解できたのは彼もまた同じ境遇だったからに他ならない。XANXUSの怒りにすべてを差し出した、かつての己と。返り血のこびりついた名前の頬が高揚で色づいているのがやけに目について、スクアーロは舌打ちした。
「……成功率九割以上じゃないと動かないんじゃなかったの」
「九代目直々の命令だぁ。それに、条件はクリアしてる」
立ち上がりもしないまま名前は疑問符を浮かべた。自分がボンゴレの城を去った後、九代目がヴァリアーに命令を下したということか。八代目ロットバルトも慌てるどころか紅茶に口をつけながら静観している。砂埃を纏ったまま、スクアーロは八代目ロットバルトをねめつけた。紅茶の湯気でほどけていた空気が瞬時にぴんと張り詰める。
「招かれざる客とは。彼女たちを撤退させるんじゃなかったな」
「八代目ロットバルトだなぁ。ボンゴレ同盟ファミリーの襲撃、シモンファミリーへの加担、ロットバルト女学院大量殺戮の主犯として、一緒に来てもらうぜぇ。オレとしちゃあ首だけでも構わねえが」
「君か。僕のオディールを誑かしたのは」
「なんだぁ。今さら保護者面かぁ?」
「ちょっと」
名前は思わず身を乗り出した。こいつ、一体何のために私が一人でここに来たと思ってるんだ。ここで暴れられては九代目や跳ね馬の前で啖呵切ってまで来た意味がなくなってしまう。
「『彼女たち』ってのはお前の私兵のことかぁ? 今頃ウチの連中が挨拶しにいってるがなぁ」
「も〜う、来てみたはいいものの生存者ゼロ! せめてここが男子校だったらねぇ」
「遅えと思ったらてめーのシュミに走ってんじゃねぇ!」
一歩遅れてルッスーリアも学院長室に入ってくる。晴の炎で治療を試みようにも死体相手では意味がないと嘆いている。身体をくねらせるルッスーリアにスクアーロが容赦なく蹴りを入れた。他の幹部の気配がしないあたり、スクアーロの言う通りロットバルトの私兵たちを抑えに行っているのだろう。
沢田一行の勝敗次第ではあるが、ロットバルト側のあっけない詰みだ。彼らしくもなく。自分で言っていた通り、私兵たちを学院から撤退させることなくここで迎撃すべきだった。仮にD・スペードとシモンファミリーが沢田綱吉たち十代目ファミリーを退けたとしても、無傷とはいかないだろう。疲弊した先で待っているのはヴァリアーをはじめとする巨大マフィア・ボンゴレ本部だ。先程名前が指摘したように、ロットバルトは沢田綱吉を軽んじすぎている? 本当に?
脳内で天秤を傾けながら、名前はひとつの可能性に辿り着く。もし八代目ロットバルトが沢田綱吉の価値を正しく評価していたとして、もしD・スペードとシモンの計画を正確に把握していたとして、もし「チャンス」が今しかないと判断したのなら。
「もう、終わらせたかったんですね。優れた道具が捨てられるには自ら壊れるしかない」
「……? どういう意味だぁ」
「僕の生徒、僕の懐刀、僕のオディール。僕は君で、君は僕だ。君だって同じ目をしていた、わかるだろう、少なくとも未来とやらの記憶を得るまでは――」
突如瓦解したように八代目ロットバルトの口から滔々と呪詛が流れ出す。座ったままの名前の膝に縋りつこうとしているのに、スクアーロは剣を向けようとしたが、名前が黙ってそれを制した。
「はい。私の先生、私の上官、私のロットバルト。私だって未来にこの糸を断ち切られなければ、ずっと物言わぬ道具のままだった。変わってしまったのは私の方です」
名前は烏の濡れ羽色の後頭部を、触れると撫でるの間の手つきで確かめた。代々D・スペードの下僕として人生を捧げてきたロットバルト、穢れも知らぬ少女の頃から学院の刃であれと育てられてきた名前。目的遂行の道具だった二人の関係は、教師と生徒であり、上官と部下であり、さながら父と娘だった。天上から吊るされる操り糸を先に断ち切ったのは、娘の方だった。
僕は君で、君は僕だ。名前だってそう感じている。気付いたのは、学院中皆殺しにされるなか自分だけ生かされた理由に向き合ったついさっきだったけれど。
「……三人目の父親くらいには思ってましたよ」
「君には生みの親と、育ての親がいるんだったね」
「そう呼びたいかどうかは別として」
八代目ロットバルトは泣くことはなかった。きっと枯れてしまったのだ。ただ優しい娘に縋り付くことしかできなかった。操り人形が身体に絡まっていた糸をすべてほどいてしまっては、自分の力で歩けない。D・スペードから破滅という形で解放される前に、彼が操っていたすべてを解放した。それは完膚なきまでの、運悪く生き残ってしまわないほどの死で、あるいは逃すことで。
今際の別れにしびれを切らしたスクアーロが無理矢理八代目ロットバルトを連行しようとした、その時だった。
淡い停滞を切り裂いたのは闇。
そして閃光。未だソファに腰掛けたままの名前の目の前には、巨大な闇があった。
「うるせぇ」
八代目ロットバルトの後頭部に突き付けられた銃口は躊躇なくこの部屋の主の頭を吹き飛ばした。
名前の服が返り血で濡れる。白い頬にぴっ、と飛んできた体温のぬるさが彼女を我に返らせた。
スローモーションのように倒れようとする八代目ロットバルトの身体を、羽交い締めするようにルッスーリアが支えた。その右の指には黄色く澄んだ炎が煌々と灯っている。
「ボスったらせっかちねぇ。まだダメよぉ、喋ってもらわなきゃいけないことが山積みなんだから」
ルッスーリアの晴の炎が八代目ロットバルトを包み込む。完全に沈黙していた四肢がピクリとしたあたり、一命を取り留めたようだった。ルッスーリアも自分のボスの性格を十二分に理解して準備していたのだろう。
瞬きの間に終わったプロの仕事に、名前が口を挟む暇さえなかった。まるで知らない映画を観た後のように茫然とする彼女を、大きな闇の主は一瞥した。光年より長い間二人の視線がぶつかって、それは唐突に終わる。雄弁な紅い瞳はすぐに名前を視界から追い出して、音もなく学院長室を出ていった。
口が渇く。唇が半開きになっていたのだから当然だ。名前は手にじんわりと汗をかいていることも気付いた。掌だけではない、眼の奥の奥さえもずくずくと熱を帯びている。嗅ぎ慣れた鉄の匂いは気にならなかった。視線と指先が意味もなく彷徨うのを抑えきれないまま、彼女は傍らのスクアーロに問いかけた。
「あれが、この時代のXANXUS?」
「そうだぁ。見惚れたか?」
「馬鹿言わないで。ただ、」
この瞬間の彼女を、スクアーロはきっと生涯忘れないだろう。人の瞳に星が宿るのが、人の心に炎が灯るのが、これほどありありと分かるものなのか。自分が初めてXANXUSの怒りに触れた瞬間も、同じような顔をしていたのだろうか。恋慕や崇拝ほど分かりやすくはなかった。おそらく同種の衝動を宿すスクアーロだからこそ感じ取ることができた。名前は震えながら燃える胸元に手を当てた。ロットバルトの校章が掌の中で砕ける。
「人生ではじめて、『出会った』と思えただけ……」
XANXUSの眼差し同様に、彼女のひと言もそれだけでまた百も千も語った。スクアーロの胸のうちは何色ものペンキを一度にひっくり返したかのようにまだらな模様を描いていた。喜ばしくも誇らしくもあり、憎たらしく恨めしい色さえある。
かつてスクアーロが、そしてリボーンが指摘した彼女に足りなかった最後のひとピース。与えられたのは一瞬だった。彼には与えたつもりすらないだろう――XANXUSには。勝手に名前の胸に落ちてきて、嵌っただけだ。誰よりも最初に見抜き、期待し、その後も目をかけてきたスクアーロではなく、この時代では初めて会っただけのあの男に。心が通じかけていたロットバルトを容赦なくその手で葬ろうとした男に。薄情な女だ。あの一瞥で名前の生きてきた世界がすべて奪い去られてしまった。
同時に、このひとときの応酬をそこまで深く、瞬時に理解できたのは彼もまた同じ境遇だったからに他ならない。XANXUSの怒りにすべてを差し出した、かつての己と。返り血のこびりついた名前の頬が高揚で色づいているのがやけに目について、スクアーロは舌打ちした。