蓋天
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
一
この大規模侵攻で新たに生まれた黒トリガーを使った忍田さんが本部に侵入した近界民を撃破。それを契機に戦況がひっくり返り、とうとう撤退にまで追いやった。
実にあっさりとした幕引きだった。
しかし戦禍の爪痕は四年半前の侵攻ほどでないにしろ目も当てられない。
民間人死者一六九名、重軽傷者四七八名。ボーダーでの死者十五名(内一名が黒トリガーになった)、重傷者三三名、行方不明者は四二名。
みんな力を尽くした。その上での、下から数えて四番目くらいの結果だ。戦力差とか実力差が変わらなくても、些細なことで未来は揺れ動く。
この未来に欠けていた存在を、おれは知っている。彼らが出会わなかったのかもしれない。あの子の友だちが、お兄さんが近界へ消えなかったのかもしれない。あいつの親父さんが黒トリガーにならなかったのかもしれない。三人のうちの誰かが、既に亡くなっているのかもしれない。
引き金 は予知 にもわからなかった。
起動すると黒いトリオンが雲のように広範囲を覆う様子から、上層部はこの黒トリガーを「蓋天 」と名付けた。
適合者は最初に使った忍田さんだけということになっている。他にも起動できたのは城戸さんと支部長 、これは上層部をはじめとする一部の人間しか知らない。何故かおれを含む通常の防衛隊員には扱えなかった。
原因はわからなかったけど、検討はついた。きっと二十歳を迎えられなかったあいつの恨み言だ。この街に縛られた名字が大人たちを責め立てる。未練がましくひねくれたあいつは、隊をバラバラにするようなことを、S級として孤立させることを良しとしない。そして強大な力に適合したからには、戦わなくてはならない。
子どもの癇癪だ、八つ当たりだ。でもこれでいい。渇いた笑いが浮かぶ。おれは疑いようもなく満足している自分を自覚した。聞き分けのよかった子どもは死んだ。呪いから解放された。
名字はどの未来でも二十歳を迎えられなかった、永遠の子どもだ。
子どもは、大人に守られていいはずなんだ。
遠くから呼ぶ声がする。この時間は終わりだ。視界が歪む。ごめん、お別れだ。じゃあ。
二
「だいじょうぶ、ちょっと夢見が悪くてさ」
ドアを三回ノックする音で現実に覚めた。
背中にぐっしょりと貼りつく寝巻きが気持ち悪い。寝ていたのに目が乾燥しているような気がするのはなぜだろう。カーテンの隙間から放たれる光線がおれの頭をガンガンと揺さぶる。寝起きは最悪だ。
昼を過ぎても起きてこないのを心配してくれたのか、向こうからレイジさんの声がする。
だいじょうぶだ、そう、大丈夫。戻ってこれた。
着替えて準備できたらご飯貰うよ、と告げれば「無理するなよ」と返ってきた。安定感のある足音が遠のいていく。このときばかりは呼びに来てくれたのが陽太郎や小南じゃなくてレイジさんでよかったと思った。
誰も知らない人間の話をしよう。
嵐山も柿崎も生駒っちも弓場ちゃんも風間さんも知らない。本部から支部まで探したって、名字なんて防衛隊員はいない。もちろん「蓋天」なんて黒トリガーもない。
選び取った "今" にはいない、同い年のあいつ。何の変哲もない普通の奴だった。普通にひねくれてて、普通に短気で、普通に弱かった。
あいつの未来は極端だった。ボーダーに入って黒トリガーになるか、ボーダーに入らずに不慮の事故で死ぬか。どちらも名字が二十歳を迎える前に確定する未来で、些細なタイミングとバリエーションはどうであれ、この二つ以外の選択肢は存在しなかった。
端的に言えば呪われていた。後にも先にもあんな未来はあいつだけだった。今、この未来の名字は交通事故で亡くなったらしい。一度だけ、墓前に手を合わせに行った。分岐するいくつもの未来で関わっていただけであいつと実際に話したことは、ないんだけど。
もっと最悪だったのは、「過去視」の副作用 を備えていたことだった。入隊初日、新入隊員を "見に" 来たおれの過去を、「名字がいずれ黒トリガーになるという未来を見た」というおれの過去を、覗いてしまったことだった。おれの見た未来とあいつの見た過去、どっちが先がなんてよくわからない話だった。絶望だけ突きつけられて、運命に抗おうと風間さんの元で強くなろうとして、でもおれ越しに見た未来は変わらなくて。
折れてしまった。
いかに役に立って死ぬか。いかに多くの人を救って死ぬか。あいつの生き甲斐は死に甲斐 に落ち着いてしまった。
近界民によって家族を失ったり、家を失ったり、ボーダーにはそんな境遇の奴が多い。あいつの「過去視」がおれの「未来視」とだいたい同じと仮定するなら、否応無く他人の悲惨な過去と直面していたんじゃないだろうか。他人がやっとの思いで乗り越えた古傷を、同じ痛みを感じていたんじゃないだろうか。
「そりゃ折れるよなあ」
おれが生きる今、あいつがボーダーに入ることも黒トリガーになることもなく死んでしまったのは簡単な話。最善の未来のために動いたら、こうなったから。この選択肢が一番人死にも少なく、街へもボーダーへも被害が抑えられた未来だったから。
この街のために、あいつは仲間と切磋琢磨する未来さえ奪われた。嵐山や生駒っちたちと笑い合う名字の時間は存在したはずなのに。
……どの口が言うんだよ。
「最低だなあ、おれ」
もしおれが、おれとあいつが未来視を否定した生き方ができたなら、最善の未来で黒トリガーになることもなく共に二十歳を迎えられたんだろうか。
過去や未来を否定できないことを、おれたちは暗黙の了解としていた。少なくとも未来視の否定は、おれが今までやってきたことの全否定になるから。そういう意味で、最後まで信じてくれたあいつは優しかったんだと思う。
本来共有し得ない境遇を、共有できた無二、だったのかもしれない。今になってはわからない話だ。
「おれたち友達だったかもあやしいけどさ、たまに無性に会いたくなるよ」
なんて、会ったこともないんだけど。
「迅さん、いい加減出てこないとこなみ先輩がごりっぷくだぞ」
「悪い、今行く」
遊真にドアの向こうからせっつかれて、ようやくベッドから立ち上がった。
名字、お前に見せてあげたい後輩ができたんだ。かわいい後輩たちだよ。結局どの未来でも、それは叶わなかったけど。
……なんで叶わなかったんだろうな。
いつもの青いジャージに袖を通す。カーテンを全開にすると、雲ひとつない快晴だった。もう差し込む光を疎ましく思うこともない。
そうしておれは、扉を開けた。
この大規模侵攻で新たに生まれた黒トリガーを使った忍田さんが本部に侵入した近界民を撃破。それを契機に戦況がひっくり返り、とうとう撤退にまで追いやった。
実にあっさりとした幕引きだった。
しかし戦禍の爪痕は四年半前の侵攻ほどでないにしろ目も当てられない。
民間人死者一六九名、重軽傷者四七八名。ボーダーでの死者十五名(内一名が黒トリガーになった)、重傷者三三名、行方不明者は四二名。
みんな力を尽くした。その上での、下から数えて四番目くらいの結果だ。戦力差とか実力差が変わらなくても、些細なことで未来は揺れ動く。
この未来に欠けていた存在を、おれは知っている。彼らが出会わなかったのかもしれない。あの子の友だちが、お兄さんが近界へ消えなかったのかもしれない。あいつの親父さんが黒トリガーにならなかったのかもしれない。三人のうちの誰かが、既に亡くなっているのかもしれない。
起動すると黒いトリオンが雲のように広範囲を覆う様子から、上層部はこの黒トリガーを「
適合者は最初に使った忍田さんだけということになっている。他にも起動できたのは城戸さんと
原因はわからなかったけど、検討はついた。きっと二十歳を迎えられなかったあいつの恨み言だ。この街に縛られた名字が大人たちを責め立てる。未練がましくひねくれたあいつは、隊をバラバラにするようなことを、S級として孤立させることを良しとしない。そして強大な力に適合したからには、戦わなくてはならない。
子どもの癇癪だ、八つ当たりだ。でもこれでいい。渇いた笑いが浮かぶ。おれは疑いようもなく満足している自分を自覚した。聞き分けのよかった子どもは死んだ。呪いから解放された。
名字はどの未来でも二十歳を迎えられなかった、永遠の子どもだ。
子どもは、大人に守られていいはずなんだ。
遠くから呼ぶ声がする。この時間は終わりだ。視界が歪む。ごめん、お別れだ。じゃあ。
二
「だいじょうぶ、ちょっと夢見が悪くてさ」
ドアを三回ノックする音で現実に覚めた。
背中にぐっしょりと貼りつく寝巻きが気持ち悪い。寝ていたのに目が乾燥しているような気がするのはなぜだろう。カーテンの隙間から放たれる光線がおれの頭をガンガンと揺さぶる。寝起きは最悪だ。
昼を過ぎても起きてこないのを心配してくれたのか、向こうからレイジさんの声がする。
だいじょうぶだ、そう、大丈夫。戻ってこれた。
着替えて準備できたらご飯貰うよ、と告げれば「無理するなよ」と返ってきた。安定感のある足音が遠のいていく。このときばかりは呼びに来てくれたのが陽太郎や小南じゃなくてレイジさんでよかったと思った。
誰も知らない人間の話をしよう。
嵐山も柿崎も生駒っちも弓場ちゃんも風間さんも知らない。本部から支部まで探したって、名字なんて防衛隊員はいない。もちろん「蓋天」なんて黒トリガーもない。
選び取った "今" にはいない、同い年のあいつ。何の変哲もない普通の奴だった。普通にひねくれてて、普通に短気で、普通に弱かった。
あいつの未来は極端だった。ボーダーに入って黒トリガーになるか、ボーダーに入らずに不慮の事故で死ぬか。どちらも名字が二十歳を迎える前に確定する未来で、些細なタイミングとバリエーションはどうであれ、この二つ以外の選択肢は存在しなかった。
端的に言えば呪われていた。後にも先にもあんな未来はあいつだけだった。今、この未来の名字は交通事故で亡くなったらしい。一度だけ、墓前に手を合わせに行った。分岐するいくつもの未来で関わっていただけであいつと実際に話したことは、ないんだけど。
もっと最悪だったのは、「過去視」の
折れてしまった。
いかに役に立って死ぬか。いかに多くの人を救って死ぬか。あいつの生き甲斐は
近界民によって家族を失ったり、家を失ったり、ボーダーにはそんな境遇の奴が多い。あいつの「過去視」がおれの「未来視」とだいたい同じと仮定するなら、否応無く他人の悲惨な過去と直面していたんじゃないだろうか。他人がやっとの思いで乗り越えた古傷を、同じ痛みを感じていたんじゃないだろうか。
「そりゃ折れるよなあ」
おれが生きる今、あいつがボーダーに入ることも黒トリガーになることもなく死んでしまったのは簡単な話。最善の未来のために動いたら、こうなったから。この選択肢が一番人死にも少なく、街へもボーダーへも被害が抑えられた未来だったから。
この街のために、あいつは仲間と切磋琢磨する未来さえ奪われた。嵐山や生駒っちたちと笑い合う名字の時間は存在したはずなのに。
……どの口が言うんだよ。
「最低だなあ、おれ」
もしおれが、おれとあいつが未来視を否定した生き方ができたなら、最善の未来で黒トリガーになることもなく共に二十歳を迎えられたんだろうか。
過去や未来を否定できないことを、おれたちは暗黙の了解としていた。少なくとも未来視の否定は、おれが今までやってきたことの全否定になるから。そういう意味で、最後まで信じてくれたあいつは優しかったんだと思う。
本来共有し得ない境遇を、共有できた無二、だったのかもしれない。今になってはわからない話だ。
「おれたち友達だったかもあやしいけどさ、たまに無性に会いたくなるよ」
なんて、会ったこともないんだけど。
「迅さん、いい加減出てこないとこなみ先輩がごりっぷくだぞ」
「悪い、今行く」
遊真にドアの向こうからせっつかれて、ようやくベッドから立ち上がった。
名字、お前に見せてあげたい後輩ができたんだ。かわいい後輩たちだよ。結局どの未来でも、それは叶わなかったけど。
……なんで叶わなかったんだろうな。
いつもの青いジャージに袖を通す。カーテンを全開にすると、雲ひとつない快晴だった。もう差し込む光を疎ましく思うこともない。
そうしておれは、扉を開けた。
7/7ページ