短編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「名字ー、小南がカレーできたって」
「…………うん」
「うわ、すっごい顔」
いつもなら真っ先に飛びつくこなみ特製カレーの匂いも、今の私の食欲を呼び起こすことはなかった。わざわざ夕飯を知らせに来てくれて、本来なら感謝すべき迅に対しても「ナイーブな乙女を前にそんなことしか言えねーのかこいつ」という感想しか出てこない。駄目だ、感情的になっては駄目。全部後で後悔するんだから。
「……どんな顔してる?」
「『こんなこと気付かなきゃよかった〜』って感じの顔」
迅は感情が読めない微笑みだけ残して、下に降りていった。実際迅の指摘はその通りで、奴にはこの未来も見えていたのかもしれない。ごめんこなみ、カレーは明日の朝食べるよ。
目下私の脳内を支配するのはボーダーの顔、この街の顔。嵐山准その人である。
スカウトされて県外から三門市にやってきた私は、入隊当初全然知り合いがいなかった。出身地が近い現在の生駒隊メンバー(確か海だけは関西出身じゃなかった気がする)や有能かつマイペースな国近ちゃんみたいに自分で自分の居場所を作れずに苦労していた私に、真っ先に話しかけてくれたのが嵐山だった。知り合った当初はそんなに凄い人だって知らなかったから、もっと言うなら同い年だったから、図々しくも本部で幾度となく助けられた。その後、嵐山をきっかけに次第と交流の輪も広がっていった。2年前「小規模な支部でじっくり技を磨きたい」と志願した私を一番に応援して、迅と林道支部長を紹介してくれたのも嵐山だった。
勝手に助けられて、勝手に助かって。だから嵐山のこと、迅には及ばないにしても友達だと思ってた。理解したつもりでいた。
「あ゛〜〜〜〜」
「それ雷神丸が聞いたら逃げ出すよ」
「あれ、なんで」
下で夕飯を食べているはずの迅が、何故か二階の部屋まで戻ってきた。
「そんなお腹空いてなくて明日に回してもらった。お前の分も」
「ええ……迅が親切だと怖い」
「じゃあこのココアはおれのだから」
「うそうそ、迅さんサイコー」
二人分のココアを淹れてくれた迅は「ずっと部屋にいても気が滅入る」と屋上まで連れ出してくれた。優しい上に気が利いていて、目の前の彼が本物の迅なのか疑いたくなる。今ここで私のご機嫌を取ることが、巡り巡って何かしらプラスの未来に繋がるのだろうか。
……あー、駄目だ。他人の、それも知らない仲じゃない友達の親切を疑うなんて。何より迅は未来予知の道具じゃない。どこまでも最低だ。
「で、おれの予知も万能じゃないから嵐山絡みでなんかへこんでることくらいしかわからないんだけど」
「それで充分だよ……。嵐山の器の大きさと自分の小ささを自覚して勝手にへこんでるだけ……」
「え、今更じゃない?」
「実はトドメ差しにきた?」
「入隊当初の嵐山の記者会見、柿崎もいたやつ。わかる?」
「4年前くらい? 地方スカウトはまだ始まってなかったから名字がいなかった頃だ」
「それをね、今日本部でたまたま見たんだよね。……見なきゃよかった」
ランク戦実況でお馴染みの桜子ちゃんに東さんの解説音声を貰いに行ったついで、話の流れで見てしまったのだった。
《この身がある限り全力で守ります》
《家族が無事なら何の心配もないので ”最後まで” 思いっきり戦えると思います》
まだ義務教育も終えていない年齢で、私だったらなんて答えただろう。……きっと柿崎以上に、何も答えられなかったと思う。メディアの前とかボーダーの顔とか関係なく、入隊当初から変わらない覚悟。何が嵐山をそうさせるんだろう。
涼しい顔で街を見下ろして「お、明日雨降るっぽい」なんて言ってる横顔を盗み見る。嵐山に似てるようで(髪型とか背の高さとか)全然似てない(素行とか胡散臭さとか)迅だけど、迅は迅で想像もつかないような覚悟を背負ってる。
やだなあ、私にはそんな覚悟無いよ。二人が当然みたいな顔して背負う覚悟を、垣間見る覚悟すら。
「4年前なら15歳? あんなこと言えるの凄いよ、嵐山にあんなこと言わせた何かが怖いよ」
「もっと言うなら根付さんが嵐山をボーダーの顔に仕立て上げようと思ったのはその会見がきっかけらしいよ」
「やだーー、なんで追い詰めるようなこと言うの」
「それは名字を? 嵐山を?」
「両方でしょ」
実力派エリートの完璧な仕事によって、マグの底でココアの粉が溜まってジャリジャリになっている。普段なら文句の一つでも言ってやるところだが、今日のこれは完全に迅の厚意なので黙っておく。
「そんなに心配なら会ってくれば? 明日の昼なら隊室にいると思うよ」
「……うん。勝手に騒いでるだけだから特に話すこともないんだけど、覚えておく」
最後に会ったのは一ヶ月前とかだ。嵐山に会ったところで何を言えるんだろう。
「迅は、嵐山をヒーローだと思う?」
「最早アイドルって感じだけどね」
「真面目に」
「真面目に? そうだな〜……」
支部の屋上を涼しげな風が走り抜ける。なれたブルーのジャケットが靡いて、戦場での後ろ姿と重なる。この人が味方だと心底安心する。
「あいつに救われたやつは大勢いるよ」
少なくともここに二人。断言しないのが迅らしさで、迅の優しさなんだろうと思った。
*
防衛任務も大学もない日は9時とか10時とかに起きる。それをできるのが学生の特権だと思ってるからだ。
顔を洗って台所を覗くと、鍋の中身はまだ四分の一くらい残されていた。作りたても美味しいが、こなみのカレーは二日目も最高なのだ。そうだ、今度遊真にカレーうどんを作ってあげよう。思いついたときには皿は空になっていた。
どうせ本部で換装しそうだけど、ちょっと前の給料日に買ってそのままだったバイカラーのカーディガンをお気に入りのスカートに合わせる。うん、よさげ。足元をスニーカーにするかパンプスにするか悩むな。
昨晩の迅の言葉がぱっと浮かぶ。今日は雨か、スニーカーにしておこう。
「お久しぶりです名字さん」
「き、木虎ちゃん。元気そうで何より」
促されるまま腰掛けると「もうすぐ嵐山さん着きますから、ゆっくりしててください」と綾辻ちゃんに微笑まれる。手土産の焼き菓子を渡すと綾辻ちゃんはご機嫌で奥に消えていった。たまーに嵐山隊室にお邪魔するたびに思うけど、少なくとも木虎ちゃんは「ゆっくりしていってね」って顔してないんだよなあ……。やっぱり玉狛だから? とりまる、罪な男だ。
「この際単刀直入に聞きますけど」
「え? はい」
「名字さんって嵐山さんに気があるんですか?」
「いやいやいやいや。あり得ない。嵐山、恩人、友達」
「なんで片言なんです?」
あ、ちょっと笑った。かわいい。
「確かに嵐山は仲良くしてくれて、その恩は返したいけど恋愛とかそっち系じゃないかな」
「……嵐山さんは恩を売りたくて名字さんと接してるとは思えませんけど」
「助かってるのは事実だから。入隊したての頃、嵐山が声かけてくれてなかったら早々に田舎に帰ってたかも」
「それは重症ですね」
「ぼっちは病気なの?」
「思い込みがですよ。私、これからメディアの仕事なので」
「わーん木虎ちゃんごめんって」
「名字さん」
せっかくお喋りに付き合ってくれたのに怒らせてしまったかと詫びを入れると、先ほどまでの比較的柔和な雰囲気が一気に引き締まる。
「何が悪いかも自覚してないのに謝らないでください」
そう言うと隊室を出て行ってしまった。本当にお仕事の時間だったのかもしれないけど、とんでもないことをしてしまったのでは。一人どぎまぎしていると、入れ違いに綾辻ちゃんがお茶を淹れてきてくれた。お盆には私と木虎ちゃんの分だろう、二つ湯呑みが並んでいるのにあまり気にしていない様子だ。
「ごめんなさい名字さん。藍ちゃん、嵐山さんのこと大好きだから」
「? そりゃそうだと思うけど……」
「私も取材が入っているので、ごゆっくり」
「えっ……」
そんな、綾辻ちゃんまで……。
それ以前にいくら正隊員といっても、隊室に部外者一人残していいんだろうか。嵐山の客という信頼のおかげ?
用意されたお茶を啜り、持参したパウンドケーキに手を伸ばそうとしたとき、廊下からダンダンダン! と地を揺らす音が聞こえた。トリオン製の床がこんなに鳴ることあるんだ……。
無機質な扉が気のせいか通常時より荒々しく開き、真っ赤な塊が飛び込んできた。黒い羽毛みたいな毛先がぴょこんと跳ねている。
「名字!」
「わあ、嵐山か。おつかれ〜」
「っあ、ああ……」
「ちょっ、すごい疲れてるみたいだけど大丈夫?」
「大丈夫だ、ありがとう」
「ちょっと捕まってな」とはにかんだ嵐山は、既にいつもの嵐山になっていた。根付さんにでも捕まったか? と一瞬思ったが、上司を厄介者みたいに扱う人じゃない。嵐山が雑に扱う人なんて限られてくるけど。
「名字こそ最近見かけなかったが忙しいのか?」
「こっちには結構来てるよ。昨日もランク戦の解説データもらいに来たし。嵐山が忙しいんだよ」
「そうか……」
嵐山は先ほど綾辻ちゃんが用意した、もう一つの湯呑みを手に取った。
「それで、話ってなんだ?」
「いやあ。そんな大層なことじゃないんだけど、実は最近ちょっと行き詰まってまして」
行き詰まってるっていうのは半分本当で半分嘘だ。話の口実に過ぎない。
「そうか? 弓場や犬飼との試合は良い動きしてたと思うぞ」
「ヤンキーさながらのノリで絡まれて内心半泣きだったけどね……って個人ランク戦のログなんて見てたの?」
「ああ、参考になった」
「勉強熱心で何より……。じゃなくて!」
ソロ戦のログなんて、ランク戦で当たるチームの対策くらいでしか見ない人が多いのに流石優等生。確かに嵐山は銃手寄りの万能手だから、弓場っちや犬飼のログを見て参考にするところもあるのかも。
って話がズレた。本題はこれだ。
「嵐山はその、日々のモチベーションとかどうしてるのかな〜って、聞いてみたくて」
「モチベーション……」
「あ、弟くん妹ちゃん以外で。知ってるから」
「知ってるなら聞かなくていいんじゃないか……?」
ごもっとも。家族が無事なら全力で戦えるなんて言い切る男だ。私が戦場で家族が無事だって分かったら、正直一緒に逃げたくなる。ボーダー正隊員としてそんなこと実行しないけど、心のどこかで揺らいでしまう。でも嵐山は絶対にそんなことがない。その原動力はどこから来るんだろう?
「勿論、日々の仕事や訓練が市民の安全を守ることに直結してるっていう意識があるな。特に俺なんかは人前に出ることが多いから」
「うんうん」
「それ以外だとそうだな……」
腕を組むだけでも堂々として絵になるのが嵐山だ。半分本気じゃない話題にもここまで真剣に考えてくれると心苦しい。今度から真面目な嵐山に適当なこと言わないようにしよう。
「……いや、やめておこう。釘を刺されたばかりだからな」
「何が?」
「気にしないでくれ。それより今度コロの散歩に付き合ってくれないか?」
「え、行く行く。何なら今からでもいいよ」
「俺もそうしたいがほら、外が雨だから。酷くなる前に帰さないと怒られる」
「こなみもレイジさんも怒らないと思うけど……」
「途中まで送るよ」
「わ、わ、待って嵐山! そんくらい自分で持つから!」
めちゃめちゃ誤魔化されたし流された気がするけど、コロちゃんに会うのは楽しみなので許すとする。
結局嵐山から何も聞き出せなかった。でも今回のことで一つ再確認したことがある。仲良くしてくれる嵐山、なんだかんだ言って親切な(こともある)迅。頼りになる私の友達が、もし何もかも嫌になったとき何かの役に立てるように、私ももっと強くなりたい。
ボーダー専用通路は中高生がいない時間帯だからか二人きりだった。生駒っちがモテたくてテニスを始めた話やコロちゃんに新しい芸を教えてる話で盛り上がっていると、行く手を塞ぐ青い影があった。
「途中で折り畳み傘が壊れて、風邪引く未来が見えたから」
「昨日からやたら優しいけどどうしたの?」
「おれもうかうかしてられないなーって」
「迅、ちゃんと守ったぞ」
「うん。信じてた。おつかれ、嵐山」
『名字が隊室で待ってると思うけど、今日告白すると放心状態で飛び出した挙句、雨に打たれまくって熱出すからさ。また今度にしてやってくんない?』
『今日じゃなければいいのか?』
『できるならね』
「…………うん」
「うわ、すっごい顔」
いつもなら真っ先に飛びつくこなみ特製カレーの匂いも、今の私の食欲を呼び起こすことはなかった。わざわざ夕飯を知らせに来てくれて、本来なら感謝すべき迅に対しても「ナイーブな乙女を前にそんなことしか言えねーのかこいつ」という感想しか出てこない。駄目だ、感情的になっては駄目。全部後で後悔するんだから。
「……どんな顔してる?」
「『こんなこと気付かなきゃよかった〜』って感じの顔」
迅は感情が読めない微笑みだけ残して、下に降りていった。実際迅の指摘はその通りで、奴にはこの未来も見えていたのかもしれない。ごめんこなみ、カレーは明日の朝食べるよ。
目下私の脳内を支配するのはボーダーの顔、この街の顔。嵐山准その人である。
スカウトされて県外から三門市にやってきた私は、入隊当初全然知り合いがいなかった。出身地が近い現在の生駒隊メンバー(確か海だけは関西出身じゃなかった気がする)や有能かつマイペースな国近ちゃんみたいに自分で自分の居場所を作れずに苦労していた私に、真っ先に話しかけてくれたのが嵐山だった。知り合った当初はそんなに凄い人だって知らなかったから、もっと言うなら同い年だったから、図々しくも本部で幾度となく助けられた。その後、嵐山をきっかけに次第と交流の輪も広がっていった。2年前「小規模な支部でじっくり技を磨きたい」と志願した私を一番に応援して、迅と林道支部長を紹介してくれたのも嵐山だった。
勝手に助けられて、勝手に助かって。だから嵐山のこと、迅には及ばないにしても友達だと思ってた。理解したつもりでいた。
「あ゛〜〜〜〜」
「それ雷神丸が聞いたら逃げ出すよ」
「あれ、なんで」
下で夕飯を食べているはずの迅が、何故か二階の部屋まで戻ってきた。
「そんなお腹空いてなくて明日に回してもらった。お前の分も」
「ええ……迅が親切だと怖い」
「じゃあこのココアはおれのだから」
「うそうそ、迅さんサイコー」
二人分のココアを淹れてくれた迅は「ずっと部屋にいても気が滅入る」と屋上まで連れ出してくれた。優しい上に気が利いていて、目の前の彼が本物の迅なのか疑いたくなる。今ここで私のご機嫌を取ることが、巡り巡って何かしらプラスの未来に繋がるのだろうか。
……あー、駄目だ。他人の、それも知らない仲じゃない友達の親切を疑うなんて。何より迅は未来予知の道具じゃない。どこまでも最低だ。
「で、おれの予知も万能じゃないから嵐山絡みでなんかへこんでることくらいしかわからないんだけど」
「それで充分だよ……。嵐山の器の大きさと自分の小ささを自覚して勝手にへこんでるだけ……」
「え、今更じゃない?」
「実はトドメ差しにきた?」
「入隊当初の嵐山の記者会見、柿崎もいたやつ。わかる?」
「4年前くらい? 地方スカウトはまだ始まってなかったから名字がいなかった頃だ」
「それをね、今日本部でたまたま見たんだよね。……見なきゃよかった」
ランク戦実況でお馴染みの桜子ちゃんに東さんの解説音声を貰いに行ったついで、話の流れで見てしまったのだった。
《この身がある限り全力で守ります》
《家族が無事なら何の心配もないので ”最後まで” 思いっきり戦えると思います》
まだ義務教育も終えていない年齢で、私だったらなんて答えただろう。……きっと柿崎以上に、何も答えられなかったと思う。メディアの前とかボーダーの顔とか関係なく、入隊当初から変わらない覚悟。何が嵐山をそうさせるんだろう。
涼しい顔で街を見下ろして「お、明日雨降るっぽい」なんて言ってる横顔を盗み見る。嵐山に似てるようで(髪型とか背の高さとか)全然似てない(素行とか胡散臭さとか)迅だけど、迅は迅で想像もつかないような覚悟を背負ってる。
やだなあ、私にはそんな覚悟無いよ。二人が当然みたいな顔して背負う覚悟を、垣間見る覚悟すら。
「4年前なら15歳? あんなこと言えるの凄いよ、嵐山にあんなこと言わせた何かが怖いよ」
「もっと言うなら根付さんが嵐山をボーダーの顔に仕立て上げようと思ったのはその会見がきっかけらしいよ」
「やだーー、なんで追い詰めるようなこと言うの」
「それは名字を? 嵐山を?」
「両方でしょ」
実力派エリートの完璧な仕事によって、マグの底でココアの粉が溜まってジャリジャリになっている。普段なら文句の一つでも言ってやるところだが、今日のこれは完全に迅の厚意なので黙っておく。
「そんなに心配なら会ってくれば? 明日の昼なら隊室にいると思うよ」
「……うん。勝手に騒いでるだけだから特に話すこともないんだけど、覚えておく」
最後に会ったのは一ヶ月前とかだ。嵐山に会ったところで何を言えるんだろう。
「迅は、嵐山をヒーローだと思う?」
「最早アイドルって感じだけどね」
「真面目に」
「真面目に? そうだな〜……」
支部の屋上を涼しげな風が走り抜ける。なれたブルーのジャケットが靡いて、戦場での後ろ姿と重なる。この人が味方だと心底安心する。
「あいつに救われたやつは大勢いるよ」
少なくともここに二人。断言しないのが迅らしさで、迅の優しさなんだろうと思った。
*
防衛任務も大学もない日は9時とか10時とかに起きる。それをできるのが学生の特権だと思ってるからだ。
顔を洗って台所を覗くと、鍋の中身はまだ四分の一くらい残されていた。作りたても美味しいが、こなみのカレーは二日目も最高なのだ。そうだ、今度遊真にカレーうどんを作ってあげよう。思いついたときには皿は空になっていた。
どうせ本部で換装しそうだけど、ちょっと前の給料日に買ってそのままだったバイカラーのカーディガンをお気に入りのスカートに合わせる。うん、よさげ。足元をスニーカーにするかパンプスにするか悩むな。
昨晩の迅の言葉がぱっと浮かぶ。今日は雨か、スニーカーにしておこう。
「お久しぶりです名字さん」
「き、木虎ちゃん。元気そうで何より」
促されるまま腰掛けると「もうすぐ嵐山さん着きますから、ゆっくりしててください」と綾辻ちゃんに微笑まれる。手土産の焼き菓子を渡すと綾辻ちゃんはご機嫌で奥に消えていった。たまーに嵐山隊室にお邪魔するたびに思うけど、少なくとも木虎ちゃんは「ゆっくりしていってね」って顔してないんだよなあ……。やっぱり玉狛だから? とりまる、罪な男だ。
「この際単刀直入に聞きますけど」
「え? はい」
「名字さんって嵐山さんに気があるんですか?」
「いやいやいやいや。あり得ない。嵐山、恩人、友達」
「なんで片言なんです?」
あ、ちょっと笑った。かわいい。
「確かに嵐山は仲良くしてくれて、その恩は返したいけど恋愛とかそっち系じゃないかな」
「……嵐山さんは恩を売りたくて名字さんと接してるとは思えませんけど」
「助かってるのは事実だから。入隊したての頃、嵐山が声かけてくれてなかったら早々に田舎に帰ってたかも」
「それは重症ですね」
「ぼっちは病気なの?」
「思い込みがですよ。私、これからメディアの仕事なので」
「わーん木虎ちゃんごめんって」
「名字さん」
せっかくお喋りに付き合ってくれたのに怒らせてしまったかと詫びを入れると、先ほどまでの比較的柔和な雰囲気が一気に引き締まる。
「何が悪いかも自覚してないのに謝らないでください」
そう言うと隊室を出て行ってしまった。本当にお仕事の時間だったのかもしれないけど、とんでもないことをしてしまったのでは。一人どぎまぎしていると、入れ違いに綾辻ちゃんがお茶を淹れてきてくれた。お盆には私と木虎ちゃんの分だろう、二つ湯呑みが並んでいるのにあまり気にしていない様子だ。
「ごめんなさい名字さん。藍ちゃん、嵐山さんのこと大好きだから」
「? そりゃそうだと思うけど……」
「私も取材が入っているので、ごゆっくり」
「えっ……」
そんな、綾辻ちゃんまで……。
それ以前にいくら正隊員といっても、隊室に部外者一人残していいんだろうか。嵐山の客という信頼のおかげ?
用意されたお茶を啜り、持参したパウンドケーキに手を伸ばそうとしたとき、廊下からダンダンダン! と地を揺らす音が聞こえた。トリオン製の床がこんなに鳴ることあるんだ……。
無機質な扉が気のせいか通常時より荒々しく開き、真っ赤な塊が飛び込んできた。黒い羽毛みたいな毛先がぴょこんと跳ねている。
「名字!」
「わあ、嵐山か。おつかれ〜」
「っあ、ああ……」
「ちょっ、すごい疲れてるみたいだけど大丈夫?」
「大丈夫だ、ありがとう」
「ちょっと捕まってな」とはにかんだ嵐山は、既にいつもの嵐山になっていた。根付さんにでも捕まったか? と一瞬思ったが、上司を厄介者みたいに扱う人じゃない。嵐山が雑に扱う人なんて限られてくるけど。
「名字こそ最近見かけなかったが忙しいのか?」
「こっちには結構来てるよ。昨日もランク戦の解説データもらいに来たし。嵐山が忙しいんだよ」
「そうか……」
嵐山は先ほど綾辻ちゃんが用意した、もう一つの湯呑みを手に取った。
「それで、話ってなんだ?」
「いやあ。そんな大層なことじゃないんだけど、実は最近ちょっと行き詰まってまして」
行き詰まってるっていうのは半分本当で半分嘘だ。話の口実に過ぎない。
「そうか? 弓場や犬飼との試合は良い動きしてたと思うぞ」
「ヤンキーさながらのノリで絡まれて内心半泣きだったけどね……って個人ランク戦のログなんて見てたの?」
「ああ、参考になった」
「勉強熱心で何より……。じゃなくて!」
ソロ戦のログなんて、ランク戦で当たるチームの対策くらいでしか見ない人が多いのに流石優等生。確かに嵐山は銃手寄りの万能手だから、弓場っちや犬飼のログを見て参考にするところもあるのかも。
って話がズレた。本題はこれだ。
「嵐山はその、日々のモチベーションとかどうしてるのかな〜って、聞いてみたくて」
「モチベーション……」
「あ、弟くん妹ちゃん以外で。知ってるから」
「知ってるなら聞かなくていいんじゃないか……?」
ごもっとも。家族が無事なら全力で戦えるなんて言い切る男だ。私が戦場で家族が無事だって分かったら、正直一緒に逃げたくなる。ボーダー正隊員としてそんなこと実行しないけど、心のどこかで揺らいでしまう。でも嵐山は絶対にそんなことがない。その原動力はどこから来るんだろう?
「勿論、日々の仕事や訓練が市民の安全を守ることに直結してるっていう意識があるな。特に俺なんかは人前に出ることが多いから」
「うんうん」
「それ以外だとそうだな……」
腕を組むだけでも堂々として絵になるのが嵐山だ。半分本気じゃない話題にもここまで真剣に考えてくれると心苦しい。今度から真面目な嵐山に適当なこと言わないようにしよう。
「……いや、やめておこう。釘を刺されたばかりだからな」
「何が?」
「気にしないでくれ。それより今度コロの散歩に付き合ってくれないか?」
「え、行く行く。何なら今からでもいいよ」
「俺もそうしたいがほら、外が雨だから。酷くなる前に帰さないと怒られる」
「こなみもレイジさんも怒らないと思うけど……」
「途中まで送るよ」
「わ、わ、待って嵐山! そんくらい自分で持つから!」
めちゃめちゃ誤魔化されたし流された気がするけど、コロちゃんに会うのは楽しみなので許すとする。
結局嵐山から何も聞き出せなかった。でも今回のことで一つ再確認したことがある。仲良くしてくれる嵐山、なんだかんだ言って親切な(こともある)迅。頼りになる私の友達が、もし何もかも嫌になったとき何かの役に立てるように、私ももっと強くなりたい。
ボーダー専用通路は中高生がいない時間帯だからか二人きりだった。生駒っちがモテたくてテニスを始めた話やコロちゃんに新しい芸を教えてる話で盛り上がっていると、行く手を塞ぐ青い影があった。
「途中で折り畳み傘が壊れて、風邪引く未来が見えたから」
「昨日からやたら優しいけどどうしたの?」
「おれもうかうかしてられないなーって」
「迅、ちゃんと守ったぞ」
「うん。信じてた。おつかれ、嵐山」
『名字が隊室で待ってると思うけど、今日告白すると放心状態で飛び出した挙句、雨に打たれまくって熱出すからさ。また今度にしてやってくんない?』
『今日じゃなければいいのか?』
『できるならね』