短編
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「お願い辻ちゃん、ちょっとだけ」
「ヒッ……」
「三本、いや一本だけでいいから!」
その日その時、個人ランク戦ブースに居合わせたことが不運の始まりだった。辻新之助は今、今世紀最大の恐怖のどん底にあった。
「二宮隊のログ見てたらやっぱりその太刀筋を味わいたくなって」
携えている弧月に一際熱い視線が注がれる。女性が苦手な辻にとってはある意味有り難かったが、そんなことを気にしていられないほど早くこの場から立ち去りたかった。
いきなり話しかけてきた彼女は面識がない辻でも知っているくらい、ちょっとした有名人だった。A級加古隊の名字名前は特に攻撃手界隈で実力以上の存在感を放っている。
あまりに圧倒的であるため、とあるNo.1 攻撃手から「とんでもねーマゾ」、玉狛第一のエースからは「いい加減にじり寄るのやめなさいよ」、実力派エリートからは「教育に悪い」、A級7位の部隊を率いる隊長に至っては「黙れ」などと、数多くの称賛を一身に浴びている。
名前が一歩近づくたび、辻も一歩後退する。辻は誰か、と周囲に助けを求めるがあまりにも名高い彼女相手だかりか、周りのC級隊員たちは皆視線を逸らした。
「名前さーん、あんま辻を困らせんなよー」
頭上から膠着状態を破る一声がかかる。二人が声の方を仰げば、そこにいたのは米屋だった。ちょうどひと勝負終えたところなのか、三階の手すりに寄りかかりながら紙パックのジュースを飲んでいる。いつも以上のニヤケ面はこの惨状を楽しんでいるようにも見えた。同じく三階の部屋から出てきた緑川が、「なになに?」と米屋の隣に並んだ。
「米屋じゃん。ごめんねー今は槍の気分じゃないの」
「フラレたのに全然悲しくねえ」
「うわ、ヘンタイの名前先輩だ」
「そこのブース入りな緑川」
「ちょっ、こっち来ないでよ! よねやん先輩!」
「ちょうどいいじゃん? 揉まれてこい」
辻の冷や汗がどっと引いた。名前が緑川を近くの部屋に文字通り投げ入れ、個人戦が始まったことで窮地を脱することができたのだった。
消耗のあまり個人ランク戦の気分にもなれなくて空いたソファに腰掛けると、救世主こと米屋が「災難だったな」と声をかけてきた。労りを込めてか、その手にはもう一つ紙パックが握られていたので有り難く受け取った。
「名前さんもアレが無ければフツーの人なんだけどな」
でもあれはあれで面白いか、と付け足される。米屋が変わらぬ調子で笑うものだから、こっちは死活問題だと内心突っ込む。
「名字さんってその、なんなの?」
「あー、前線で斬られたくて銃手から攻撃手になったドM? 秀次がそんなようなこと言ってた」
ドM。俗っぽい響きと三輪のしかめっ面がどうも結びつかないので、実際の言い回しは違ったのだろうと推測した。
「バトってるとアドレナリンとかドーパミン?
ともかくそういうのでテンション上がるじゃん?」
「まあ、無いこともないけど」
「名前さんはそれが極端なんだよ。痛みを感じれば感じるほどハッピーになって、一時的にトリオン器官が膨張するらしいぜ?」
「……そういうサイドエフェクト?」
「さあ? 加古さんとかに聞けばわかるんじゃね?」
B級降格になってからは顔を合わせる機会が少なくなったが、加古隊はガールズチームであるため未だに苦手意識がある。二宮隊がA級だった頃、辻は加古隊に捕捉されたが最後、まともな仕事ができず落とされた。それを見た犬飼は爆笑し、二宮からは深い溜息を頂戴した。回想しただけで頭が痛くなる。対加古隊や対那須隊に限定して辻は戦力外なので、名前のそういった事情も初耳だった。
米屋が音を立ててオレンジジュースを吸うと、パックがべこっと音を立てる。それと同時くらいに三階のブースから小柄な二つの影が階段を降りてきた。
「名前先輩、絶対銃手の方が向いてるって! なんで攻撃手にこだわるの?」
「そりゃ前線で斬り合いたいからに決まってるでしょ」
「せめてスコーピオンにしなよ。オレ教えてあげてもいいよ」
「弧月って斬られるだけじゃなくて受け太刀の瞬間もゾクゾクするし……」
「うっわあ…………」
二重の意味で背筋が粟立つ会話を繰り広げながら名前と緑川は向かってくる。電光ボードを見てみれば3-2で緑川が勝ち越したらしい。
ドン引きする小さい頭を軽く小突いた名前は、米屋と同席する辻を見つけるとパアっと顔を明るくした。緑川と5本交えた後だからか、頬も赤らんで見える。
「ひッ」
「辻ちゃん待っててくれたの!? ごめんね待たせて今からやろうすぐにやろう」
「い、いや」
米屋と緑川に視線で助けを求めると、息ぴったりに親指を突き出し、そのまま背を向けてブースに入ってしまった。
(こ、この野郎……!)
目を白黒させていると、ピタッと押し寄せる波のような勢いが止まった。彼女のテンション を表すかのように上がっていた睫毛も下を向く。
「あ……、緑川が言ってた女嫌いって本当なんだね」
「えっあっ……それは……」
口振りからしてランク戦中に緑川が漏らしたらしい。正確には「嫌い」ではなくて「苦手」なのだが訂正することは叶わなかった。いくら苦手でも動機がやや不純でも、自分と戦いたいと声をかけてくれた人に申し訳なさそうな顔をされるとこっちまで居た堪れない。
「嫌だったよね。ごめん、言い訳になっちゃうけど知らなくて……」
「あっ、いや……」
「前シーズンに鋼とサシでやってたときのログ見て、その太刀筋が忘れられなくて、ホントにそれだけで!
だから、えと、ごめんなさいっ!」
「え、ま、待って……!」
人の波を掻き分けて、名前は脱兎のごとく走り去っていった。C級隊員たちの注目は当然残された辻に向かう。元々目立つのが得意なわけではない。その視線とざわめきに耐えられず、逃げるように隊室に向かった。
その後一週間ほど「辻が名字を言い負かした」「名字が辻にフラれた」などと好き勝手噂されるようになるとは、この時の辻は知る由もなかった。
「あら名前、それB級ランク戦? しかも前シーズンね、珍しい。村上くん? 影浦くん? それとも……。ああはいはい、そうね……」
「ヒッ……」
「三本、いや一本だけでいいから!」
その日その時、個人ランク戦ブースに居合わせたことが不運の始まりだった。辻新之助は今、今世紀最大の恐怖のどん底にあった。
「二宮隊のログ見てたらやっぱりその太刀筋を味わいたくなって」
携えている弧月に一際熱い視線が注がれる。女性が苦手な辻にとってはある意味有り難かったが、そんなことを気にしていられないほど早くこの場から立ち去りたかった。
いきなり話しかけてきた彼女は面識がない辻でも知っているくらい、ちょっとした有名人だった。A級加古隊の名字名前は特に攻撃手界隈で実力以上の存在感を放っている。
あまりに圧倒的であるため、とあるNo.1 攻撃手から「とんでもねーマゾ」、玉狛第一のエースからは「いい加減にじり寄るのやめなさいよ」、実力派エリートからは「教育に悪い」、A級7位の部隊を率いる隊長に至っては「黙れ」などと、数多くの称賛を一身に浴びている。
名前が一歩近づくたび、辻も一歩後退する。辻は誰か、と周囲に助けを求めるがあまりにも名高い彼女相手だかりか、周りのC級隊員たちは皆視線を逸らした。
「名前さーん、あんま辻を困らせんなよー」
頭上から膠着状態を破る一声がかかる。二人が声の方を仰げば、そこにいたのは米屋だった。ちょうどひと勝負終えたところなのか、三階の手すりに寄りかかりながら紙パックのジュースを飲んでいる。いつも以上のニヤケ面はこの惨状を楽しんでいるようにも見えた。同じく三階の部屋から出てきた緑川が、「なになに?」と米屋の隣に並んだ。
「米屋じゃん。ごめんねー今は槍の気分じゃないの」
「フラレたのに全然悲しくねえ」
「うわ、ヘンタイの名前先輩だ」
「そこのブース入りな緑川」
「ちょっ、こっち来ないでよ! よねやん先輩!」
「ちょうどいいじゃん? 揉まれてこい」
辻の冷や汗がどっと引いた。名前が緑川を近くの部屋に文字通り投げ入れ、個人戦が始まったことで窮地を脱することができたのだった。
消耗のあまり個人ランク戦の気分にもなれなくて空いたソファに腰掛けると、救世主こと米屋が「災難だったな」と声をかけてきた。労りを込めてか、その手にはもう一つ紙パックが握られていたので有り難く受け取った。
「名前さんもアレが無ければフツーの人なんだけどな」
でもあれはあれで面白いか、と付け足される。米屋が変わらぬ調子で笑うものだから、こっちは死活問題だと内心突っ込む。
「名字さんってその、なんなの?」
「あー、前線で斬られたくて銃手から攻撃手になったドM? 秀次がそんなようなこと言ってた」
ドM。俗っぽい響きと三輪のしかめっ面がどうも結びつかないので、実際の言い回しは違ったのだろうと推測した。
「バトってるとアドレナリンとかドーパミン?
ともかくそういうのでテンション上がるじゃん?」
「まあ、無いこともないけど」
「名前さんはそれが極端なんだよ。痛みを感じれば感じるほどハッピーになって、一時的にトリオン器官が膨張するらしいぜ?」
「……そういうサイドエフェクト?」
「さあ? 加古さんとかに聞けばわかるんじゃね?」
B級降格になってからは顔を合わせる機会が少なくなったが、加古隊はガールズチームであるため未だに苦手意識がある。二宮隊がA級だった頃、辻は加古隊に捕捉されたが最後、まともな仕事ができず落とされた。それを見た犬飼は爆笑し、二宮からは深い溜息を頂戴した。回想しただけで頭が痛くなる。対加古隊や対那須隊に限定して辻は戦力外なので、名前のそういった事情も初耳だった。
米屋が音を立ててオレンジジュースを吸うと、パックがべこっと音を立てる。それと同時くらいに三階のブースから小柄な二つの影が階段を降りてきた。
「名前先輩、絶対銃手の方が向いてるって! なんで攻撃手にこだわるの?」
「そりゃ前線で斬り合いたいからに決まってるでしょ」
「せめてスコーピオンにしなよ。オレ教えてあげてもいいよ」
「弧月って斬られるだけじゃなくて受け太刀の瞬間もゾクゾクするし……」
「うっわあ…………」
二重の意味で背筋が粟立つ会話を繰り広げながら名前と緑川は向かってくる。電光ボードを見てみれば3-2で緑川が勝ち越したらしい。
ドン引きする小さい頭を軽く小突いた名前は、米屋と同席する辻を見つけるとパアっと顔を明るくした。緑川と5本交えた後だからか、頬も赤らんで見える。
「ひッ」
「辻ちゃん待っててくれたの!? ごめんね待たせて今からやろうすぐにやろう」
「い、いや」
米屋と緑川に視線で助けを求めると、息ぴったりに親指を突き出し、そのまま背を向けてブースに入ってしまった。
(こ、この野郎……!)
目を白黒させていると、ピタッと押し寄せる波のような勢いが止まった。彼女のテンション を表すかのように上がっていた睫毛も下を向く。
「あ……、緑川が言ってた女嫌いって本当なんだね」
「えっあっ……それは……」
口振りからしてランク戦中に緑川が漏らしたらしい。正確には「嫌い」ではなくて「苦手」なのだが訂正することは叶わなかった。いくら苦手でも動機がやや不純でも、自分と戦いたいと声をかけてくれた人に申し訳なさそうな顔をされるとこっちまで居た堪れない。
「嫌だったよね。ごめん、言い訳になっちゃうけど知らなくて……」
「あっ、いや……」
「前シーズンに鋼とサシでやってたときのログ見て、その太刀筋が忘れられなくて、ホントにそれだけで!
だから、えと、ごめんなさいっ!」
「え、ま、待って……!」
人の波を掻き分けて、名前は脱兎のごとく走り去っていった。C級隊員たちの注目は当然残された辻に向かう。元々目立つのが得意なわけではない。その視線とざわめきに耐えられず、逃げるように隊室に向かった。
その後一週間ほど「辻が名字を言い負かした」「名字が辻にフラれた」などと好き勝手噂されるようになるとは、この時の辻は知る由もなかった。
「あら名前、それB級ランク戦? しかも前シーズンね、珍しい。村上くん? 影浦くん? それとも……。ああはいはい、そうね……」