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最初の子守唄


* * * * *


黒州の端にある村からさらに外れた山の麓にポツンとボロボロの家があった。
最近そこに住み着いた親子三人がいた。父親は大層腕の良い医者で見た目通りのお人好しだった。治療をしてもろくに代金を取らない。「元気になって良かったです」と物腰柔らかに本気で口にするような医者だった。
逆になにか怪しいことをされているのではと一部では密かに噂されるほどに。
しかし、その分小さな愛らしい娘がしっかりしていた。病弱の母親の為に診察に村に出向く父親に付いて来ては金銭のやり取り、診察待ちの老人の相手や治療のお手伝いなど利発な娘子であった。
そんなある日、父親は少し離れた隣の村で流行り病が出たと知らせを受けた。医者が居ると聞きつけた隣村の住民が弱りきった身体を引きづって医者の親子が居る村に駆け込んできた。もちろん、お人好しという字を着ているようなその父親はその隣村の村人を治療し、荷物をまとめて母と娘を残し歩いて三日はかかる隣村に駆けて行った。
隣村に着いた父親はどこにも流行り病など起きてはなく住民に聞いても皆元気であった。胸騒ぎを覚えた父親が大急ぎで家に戻った頃には赤黒く墨汁をひっくり返したような惨状と動かなくなった愛しい妻の姿があっただけだった。



* * * * *


「………………この気配は………まさか……」

カラスの濡れた羽のような黒髪を揺らしジャラリと鬱陶しい鎖を翻して立ち上がると全神経を研ぎ澄まし、長いまつ毛を伏せた。
石畳の牢屋にしては似つかわしくない調度品や綺麗な寝台が置いてあった。
鍵の掛かった扉へ近づいた女人は足取り軽く扉へ近づいてくる気配を睨みつけた。まるで親しい友人の室を訪ねるように気軽に鍵の開く音がする。
牢屋の主を目にとめて、金を一雫垂らしたように光沢のある銀髪を緩く編み、黒い瞳を持つ青年は女人の反応が興味深いとでも言うように目を細めた。

「やぁ、…どうしたんだい?なんだか怒っているようだけど」
「……お主、……いや、お主達は自分がなにをしておるのか理解しているのか?」
「もう君を捕まえた時点でこの家の運命は同じじゃないかな?」

悪びれる様子もなく、男はただの事実を世間話のように口にした。

「………愚かな人間共だ…」
「それには同意見だよ。それでね――」

嬉しそうに声を弾ませた青年は一歩身体を引いた。
背後からゆっくりと姿を現したのは、色とりどりに輝く不思議な光沢のある薄い桃色の髪の幼子だった。
…………………………………………は……?
幼子を見て女人は絶句した。予想通りだったが答えは斜め上の圏外であったのだ。どうしてこんなことに……。存在は感じ取れていたが……。

「キミが喜ぶと思って連れて来たよ。成長したら使えるし、それまでは私の好きにしていいと姉上がくれたんだ。……それにしても、初めて見たよ。キミ以外に“生きてる”仙人なんて。母親は抵抗が激しくて殺してしまったらしいけど、その時の衝撃で心が壊れてしまったみたいで――こちらの暗示も容易くかかったよ」

瞳に生気もない幼子の薄い桃色の髪を犬や猫を撫でるように触る男の手を女人はなにかをグッと堪えて耐える。

「………そ、いつを……連れて来て……もしや私に世話をしろとでも?」

一瞬動揺したように反応したきり、女人はいつものように男を睨みつけるだけだった。

「あれ?この子って西王母じゃないのかな?あらゆる仙をまとめ上げる神とも言える存在。生と死を司り、この大地を作りし東王父の対となる、西王母――」
「…ふん、なわけなかろう。あの御方に貴様らの暗示などという術が通じるはずがなかろう。本当にこやつがあの御方ならば、貴様らは手を出した時点で抹消されて、私は自由の身であろうよ」

事実、神に手を出すならそれ相応の覚悟と準備が必要であろう。こんな簡単に、まして、確認として襲撃し、そのまま捕まえられるはずはなかった――故に、確認の為青年の姉上、縹瑠花はこの生きた仙の幼子を男に預け、女人、縹家に捕らえられた紅の色を持つ薔薇姫の前に連れ出した。

「……ふーん。そっか。なら、いいや。キミの好きにしていいよ。姉上は次の器にしようと思っているみたいだけど、この子の力が強くて魂を引き剥がせないんだって。容易く暗示はかけられてるけど、本来の強度にはほど遠いから徐々に強く暗示をかけて器を残して魂は他に移して利用するらしい。よかったね、キミへの風当たりが緩むよ」
「………………妾はそんなことを望んだ覚えはない!」
「キミが望んでも、望まなくても。私は嬉しいよ。その子に興味はないからね」

甘ったるい声音で暗に、キミにしか興味はないと告げていた。
……なんと最低な男か。

「まぁ、西王母じゃないにしても、仙人ってことには代わりないのなら姉上に報告しなきゃ。――じゃあね、愛しい薔薇姫」

男はそう言い残して、牢屋を出て行った。薔薇姫は残された幼子に視線を向ける。
星も出てない夜空をくり抜いた深い瞳からどのくらい流したのか、涙の痕がくっきりと残っていた。薔薇姫の表情が苦虫をかみ潰したように歪んだ。そろりと白い陶器の手を小さな柔肌に伸ばした。

「…………はじめまして。西華の君…、私は紅仙、薔君と申します。……本来なら、私からお伺いしなければならなかったのに………」

縹家の者共は強欲だ。人間の醜悪な執着心を悪びれることもなく突き付けてくる。だから、人間など嫌いなのだ。見ているだけで虫唾が走る。だが、その昔気まぐれに縹家の男を助けてしまったが故に私は今こうして牢屋ここにいる。……この方だけでも。
涙の痕を線の細い指の腹で拭うと、僅かに小さな唇が動いた。

「……………………」

そのか細い声はとても切実に、しかし、とても人間らしい幼女の優しい願いだった。




それから長い時が流れた。お世話係の珠翠と名付けた少女と時折三人で過ごしたが、薔薇姫は幼女の暗示をバレない程度になんとか解こうと全力で力を使っていた。
あの子をどうにかして外へ。あの子が居るだけで殺風景な牢屋さえも神域になってしまう。
……だが、ここで仙の力を使えば残り僅かと見積もられている私の力が元以上になっていることがバレる。なんなら、こんなところ今なら自力で抜け出せる。しかし、そんなことをしたら縹家に目を付けられてしまう。よって外への思念すら飛ばせない。
……なんで、こんな時にあの御方は…。
そんなふうに頭を抱えていたある日――。好機は突如として訪れた。
張り詰めていた空気が歪み外からこちらに“道”が繋がったのだ。牢屋の外では慌ただしい声が響いている。
薔薇姫は邸内の混乱に乗じて繋がった入り口の方へ思念を飛ばした。



「………………。……主上」

初老を迎えようとしているからだろうか。白い髭を作り始めた男は自らが仕える主に内心でため息を吐きながら声をかけた。
それに応えた彩雲国国王・紫戩華は視線だけを歴代最高の宰相に送った。

「なんだ、霄」
「ここに居ても私にはなにも出来ません。貴方が投げてくれた仕事がたんまりありますので、少し席を外します」
「…………それがお前の仕事だろうが。いいだろ。行け」

主の許可を得て、霄と呼ばれた男は恭しく礼を取ると王の室から出て行った。
自分の執務室に一歩と踏み入れると空気が止まった。後ろ手で閉めた扉からまた一歩と歩くと曲がり出した姿勢が真っ直ぐに伸びていく。手近に置いてあったお盆に水差しの水をおもむろに注ぐ手肌にはハリツヤが戻り老人の顔はサラリとした長い黒髪を垂れ流した美しく整った顔立ちの青年へと変貌していた。
遥かな昔、魑魅魍魎が跋扈していた頃、志を持った青年を助け国の礎を築いた八人の仙人がいた。後に、八人の仙人は彩八仙と呼ばれるようになり、今も人の世に紛れこの国の行方を見守っている。彼はその内の一人、紫仙であった。紫仙、名を紫霄。霄瑤璇として、今のこの時代を生きていた。
紫霄は水を張ったお盆に力を注ぐように手をかざした。なにも落ちてはない水面が一度揺れる。すると、ふんわりと発光しだした水面にはいつもの雷光のような鮮烈な眼差しを焦燥に染める美女がいた。
百年ほど前に気まぐれに人間を助けてしまったが故に縹家なんぞに捕まってしまった紅仙・紅薔こうしょう。同じ人間嫌いだったはずなのに…自業自得だな。

「……どうした。紅の。まさか死にたくないなどと」
『――馬鹿か!今はそんなくだらない話をしておる場合ではないわ!!一言だけ言う!“西華”が生まれた!!』
「………………………………………………は?」
『妾は動けぬ!だから!あの子を連れ出して!助けて出して―――』

言い終わらない内に水面に映った薔薇姫の姿は消えてしまった。一方的に切られた、というよりも切らされた会話に縹家に送り込んだ刺客が薔薇姫の元に辿り着いたのだろうと推察した。しかし、そんなことよりもだ。
霄の頭の中ではとんでもない話の方が問題だった。大問題だ。
…………いや、天界から降りて来ているのは感じ取っていた。昔のように本体ごと降りたわけではなく釜の蓋を開けて覗いてる程度の気配だけだったはず…。
だが、こんな時にあの自儘な紅のがあんな冗談を言うはずがない。というか、冗談を言ったことがあったか?
何はともあれ、真相は確かめなければならなかった。
霄は仙の力を使い、ちょうど開いている道に乗って縹家へと向かう。

時間を止めた中、悠々と縹家の家の中を探そうと思っていたが、そんなことする必要はなかった。霄は真っ直ぐに足先を向け歩き出した。
西華。それは西王母から生まれたあの方の分身である。本来なら、天界で生まれ役目を与えられ、天界でその役目を全うしている。有名な話では、運命を管理する三姉妹だろうか。糸を紡ぎ出す長女、その長さを測る次女、そしてその終わりを切る三女。
彼女達は輪廻を回る魂を迎え入れ送り出す時にその糸を魂に括り付ける。
……生みの親は自由奔放だと言うのに、あの方々は一度も下界に降りて来ることはないな。
そんなことを考えていると目的の牢屋に辿り着く。重厚な鉄の扉がなんの音も立てることもなく静かに開く。簡易な寝台に、簡単な家具が置いてある室。室と言うにはおこがましいが、牢屋というには馬鹿らしい室内。
その中で綺麗に着飾った幼女の人形が長椅子に座っていた。

「…………」

室を見渡したその目付きにはなんの感情も読み取れない。ただ、興味が無いというようだった。
だが、視線が長椅子の人形に止まると彼の目に憤怒の色が湧きだった。
彼はその人形を目に留め、全てを理解した。
――こんなことが、たかが人間に許されるはずがないっ。
霄の瞳はさらに揺らめき動く。今すぐにこの邸の敷地内に居る者達を殺戮してしまいそうなほどに。
いつの間にか握り締めていた拳をなんとか緩めてから、息を深く吐いた。
幼女の人形に静かに近づいて膝を折り視線を合わせた。

「…遅くなって、大変申し訳ありません…。お迎えに上がりました…」

そっと声をかけると幼女の人形が反射のように声の方に目を向けた。
その生気のないがらんどうな瞳を見て霄は酷く顔を曇らせた。しかし、ココに来た目的を忘れないように煮えたぎる体内の熱を理性で抑え手を差し出した。すると人形は脊髄反射のように手を取った。
絞り出すように霄は口を開く。

「…望みは、ありますか?」
「……」

応えはなかった。
霄は小さな手を優しく包むと優しい紫色の光が二人を覆った。
すると、幼女の口が微かに自分で動いた。暗示をかけられているようだが、抵抗しているのだろうか。聞き取れるように霄は耳を近づけてその言葉をやっと聞き取れた。

「………………かかさま…を、助けて……………」


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