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花は紫宮に咲く



いつものように早めに出仕した涼佳が執務室で届いている書類や文を確認していると絳攸と楸瑛がいつもの時間通りに執務室にやって来た。

「お二人とも、おはようございます」
「――ああ、おはよう、涼佳殿」
「…おはようございます。涼佳様」

どことなく、機嫌の悪そうな絳攸に気づいたが涼佳は気に止めず仕事の話を初めた。

「早速で悪いんだけど、昨日お願いした書類は出来たかしら?」
「はい。こちらに――――っ!?…………あります……」

腕を伸ばしなにかを堪えるように顔を一瞬歪めた絳攸の様子に涼佳は眉を潜めた。

「……あなた、もしかして怪我してるの?」
「…………いえ……少し、ぶつけただけで……」
「そのようなんだよ。どうやら、『悪夢』を見て寝台から転げ落ちたらしいよ。どんな悪夢だったかは教えて貰えないけど」

ペラペラと話す腐れ縁に絳攸はじろりと睨み付けて、適当な本を投げようとして、失敗した。

「………そう。あまりに酷いなら陶老師のところに行くか、安静を取って休みなさい」
「…大丈夫です。紅家に在住しているお抱えの医師にもう診てもらったので」
「なら、あまり無理はせず仕事して。重要な書類等は私が運ぶわ。いいわね」

そう言って本日の仕事の内容を涼佳と打ち合わせして、絳攸は机案についた。
暫く、仕事をこなしまとめた書類を手にゆっくりと立ち上がった絳攸は執務室を出た。
今は涼佳と楸瑛が出払っていて、誰も居ない。涼佳はああ言ってくれたが、上司に当たる人を使いっ走りのように扱うのは流石に気が引ける。
そもそもの話、悪夢を見て寝台から落ちるなど間抜けにもほどがある。……いや、悪夢でしかなかったのだが……。

「…………。――いや、バカか。仕事中だぞ。しっかりしろ、俺。……だいたい、楸瑛がすすめて来たあの小説が行けないんだ。そうだっ!全部アイツが悪い!」

そんな理不尽に近い八つ当たりをぶつくさと呟きながら、絳攸は扉に手をかけた。触っただけで開いた扉に不思議に思い、視線を上げると午後出仕して来た彼女が立っていた。
突然の登場にビクッと身体が硬直すると同時に強打した背中がビキビキッと痛みを走らせ、思わず書類を手放し背中を抑えた。

「――ッ?!っ〜〜〜〜!」
「あ、わ!?こ、絳攸っ?!どうしたの、大丈夫?!」

突然、うずくまった絳攸に潤月はあたふたと心配そうに同じように屈んだ。痛みを堪えながら、絳攸はなんとか口を開いた。

「…………だ、大丈夫だ……。少し、手違いで背中を打っただけだから……」
「…そうだったんだね。私拾うから待ってて」
「いや、……それは悪いから、俺も拾う」

二人で散らばった書類を拾っていると不意に視線が合った。

「…………あー……。……絳攸、あのね……」

少し、照れくさそうに視線を泳がせる潤月に絳攸は彼女がなにを言うのかと身構えた。

「………絳攸が、昨日言ってくれたこと……私、ちゃんと考えてみたんだ。……そしたらね、たぶん、……特別なんだと、思う」
「………………」
「絳攸の方が、私より私に詳しいのおかしいよね。……それで、嫌な役回りさせちゃってごめんね。でも、ありがとう」

はにかんだように笑う彼女がキラキラと可愛らしく見えた。
ズドンと落ちた言葉に絳攸は鉄壁の理性で平静を装った。

「……いや、俺も昨日は悪いことをした。すまなかったな」
「ううん。私、絳攸とは良き友人で居たいから。私が鈍感なのが悪いんだけど、これからもよろしくね?……ダメ、かな?」
「………ああ、主上付き仲間だからな。俺達は。……恋愛のことは、楸瑛ほど詳しくないし助言なんてものは出来ないが……なにかあれば、話くらいは聞いてやる」
「ありがとう。……でも、今は秘密にしておきたい。楸瑛に言ったらからかいのネタにされるから口が裂けても言わないよ。それに、今は一番大事な時だし…。そっちに集中したいって思ってるから、秘密にしておいてほしいかな」
「……そうか。まあ、それはそうだな。アイツ、意外とおしゃべりだしな」
「ね。稽古はサボりがちだし、どうしようもないよ、全く」

ふふっと笑い合うと潤月は絳攸が持っていた書類を受け取った。

「――これ、どこに持ってく予定?戸部?」
「そうだが……」
「戸部なら私が届けるよ。あと、背中の打撲は放置すると将来腰曲がっちゃうから、帰ったらちゃんと冷やして固定するといいよ。だから、今は安静に!」
「わかった。ありがとう。それじゃあ、頼んだ」
「いいよ、すぐ戻るね!」

そう言ってかけて言った潤月を見送り、絳攸は鉄壁の理性を保ったまま、凄まじい勢いで仕事を片付けて行った。



* * * * *



進士達が朝廷での仕事にも慣れ始め、進士の中でも賄賂が飛び交うようになったある日。潤月は出仕後いつも通りに執務室で報告をしてから、羽林軍の様子を見に武官舎に顔を出していた。

「――おつかれ様〜」

声をかけながら稽古場に足を踏み入れれば、活気に満ちていた声が妙に静まり返った。どうしたのかと小首を傾げていると同期で同じ班を組んでいた皇子竜が血相を変えて飛んできた。

「――楊将軍!大丈夫ですか?!」
「…大丈夫って、なにが?」

潤月が不思議そうに聞き返せば、今朝廷で流れている噂が同期の口から出てきた。
潤月は手を止める他の武官達を見回し、子竜を真っ直ぐにみやった。

「信じたか?」
「馬鹿なこと聞かないでください。ここで貴女と共に剣を握る者は誰一人としてそんなくだらない噂信じません。むしろ怒ってるんです」
「――本当だぜ!」
「――宮中警護の時に文官から聞かれた時は、腹立ってぶん殴ってやろうかと思ったよなっ!」

そうだ、そうだと上がる声に潤月は自然と口元を緩めていた。

「なら、私は大丈夫だ。背中を預けられる仲間達が信じていてくれるなら、私の罵詈雑言はどんな物も小鳥の囀りだよ」
「―――お前が良くても、俺等が気に食わん!」
「………その通りだ」

そう言いながら、地ならしが起きそうなほどご立腹の両大将軍が潤月に歩み寄ってきた。

「――俺等の目が腐ってるって言われてんだぞ!」
「………」
「そうだ!馬鹿にされて黙ってられるかっ!」
「……」
「あったりまえだ!ここに噂流した奴連れて来い!根性叩き直してやる!!」

黒大将軍と無言で会話を繰り広げる白大将軍に潤月は向き合って窘めた。

「剣も持ったことない奴いたぶったら、ただの暴力です。王の剣であるあなた方がそんなくだらないことやめてください。そんなことしたら、くだらない噂を流す奴と同じになりますよ。なので、今回は何が起ころうとも耐えてくださいね」

そう言った潤月に両大将軍は眉を顰めた。

「…ということは、誰の仕業かわかってるのか?」

聞き返された言葉に潤月はにっこりと微笑むだけに留めた。そうして、パンと手を強く打つと潤月は稽古に合流した。
そんな彼女をみやって白大将軍は頭をガシガシと掻きむしった。代弁するかのように隣でぽつりと黒大将軍がボヤいた。

「………主上は何故、花を…」
「確かにな。花のひとつでも、もらってればちったぁ違っただろうが……」



「―なぁ、知ってるか?」
「あぁ、あの噂だろ?」

最近特に聞くようになった噂話を秀麗と影月はそれぞれの場所で耳にして、静かに眉根を寄せていた。
―――夜。

「―なぁ、あの噂知ってるか?」

大量に押し付けられた仕事を手伝っていた珀明が唐突に秀麗と影月に訊いた。

「…どの噂のことですか?」
「……楊監督と菫少師が―」

二人の名前が出た瞬間、秀麗は机案が壊れそうなほど叩き立ち上がった。

「―――有り得ないわ!!絶対にッ!誰よそんな根も葉もない噂を流した奴!!とっ捕まえて引っぱたいてやるわ!!」

秀麗の気迫に気圧され、珀明は身を縮こませた。

「……確かに、王位争いを収束させた後、全ての責任を負って投獄されたって聞いたわ……だけど、牢の中でもあの人はずっと官吏として働いてたのよ!!それを今更ッ!!どんな思いで、少師の地位にありながら無位無官を着ていたか!!―――潤月様だって!そうよ!!朝廷の中で一番平和を願ってる人だわ!!それを…こんな……こんな、踏みにじるような……」

秀麗は自分の官服をギュッと握り締めた。

「秀麗さん、ちょっと落ち着きましょう?誰も彼もが、あんなデタラメな噂信じていませんよ」
「……そうね。…ごめんなさい、大きな声を出したりして」
「大丈夫ですよ〜。僕もだいぶ腹が立ちますから、秀麗さんが怒る気持ちわかります」

温厚という文字を着ているかのような影月が怒った秀麗に同意したことに珀明は意外に思いつつも影月の言ったことに頷いた。

「…ふん、俺だってあんなデタラメ信じていない。菫少師がどんな方は知らないが、宿舎の短い期間だけでも楊監督がどんな人かくらいわかるつもりだ」

国試を受ける前に問題児として、十三号棟に一括りに入れられた時は絶望的だったが、彼女が特別監督官として配属されてからは集中して勉強が出来た。榜眼及第したにもかかわらず進士式をすっ飛ばした、あのふざけた藍龍蓮にいうことをきかせた彼女には恩義しかない。武官だというが、国試の勉強に詳しく知識が豊富だったことにも驚いた。

「…お前は、随分菫少師に詳しいんだな。会ったことがあると言ってもそこの小動物が命より大切な受験札を無くした時なんだろ?」

そう指摘されてギクリと喉を詰まらせると、秀麗は慌てた。

「…………あ、あ〜〜、―そうっ!父様からいつも聞いてたし、あれよ!!珀が吏部侍郎を尊敬しているのと同じ感じよ!」
「…ふ〜ん。なるほどな」

それ以上聞かずに妙に納得してくれた珀明に一安心した。
秀麗は息をついてなにやら考え込むと、ぽつりと零した。

「…………そうだわ…。そうよ!」
「…秀麗さん?どうしたんですか?」
「―私、課題提出、もう一つ出すことにするわ!!」



劉輝は過去の国試合格者の名簿を見返していた。
ある年の状元及第した者の名前をじっと見て吟味する。

「主上。………どうしたんです?そんなもの見返して」
「ん?あぁ、ちょっと気になったことがあって……。楸瑛、この名前、どう思う?」
京珠陽きん じゅよう。別に普通の名前じゃないですか。なにがそんなに引っかかるんです」
「……楸瑛は意外と頭が硬いのだな。これをこうして、こうすると……」

筆を取り名前を書き出した劉輝はそのまま向かいにいる楸瑛に見せた。その読み方に楸瑛は目を見開いた。

「………まさか…」
「…たぶん、そうなのだろうな」

楸瑛、劉輝にふと訊いた。

「…………主上、今朝廷を巡っている噂をご存知ですか?」
「ああ、二人のデタラメな噂だろ?」

涼佳は、戩華を謀ってその罪により投獄されていた。なのに主上の心を操り、無罪方面とし牢から出てのうのうとのさばっている。あまつさえ、主上を洗脳してやりたい放題。女人登用も菫少師の入れ知恵である。潤月は、王の剣である禁軍を女武官が腑抜けにしている。女であるから籠絡して今の地位にいる。大猿といえど、女は女なのだ。
そして、二人は結託して、主上を操り謀反を企てているという。デタラメもいいところの根も葉もない噂だった。

「ふふ、珍しく、怒っているな。楸瑛」
「………当たり前です。彼女の実力も知らないくせに。うちは賄賂でどうこう出来るような場所ではありませんから」
「そうだな」

落ち着いた様子で、頷くだけの劉輝に楸瑛は再び訊いた。春先から、ずっと王の信頼を受けたのは、たった二人だけだった。

「主上、もうひとつお聞きしたいのですが」
「なんだ?」
「何故、二人に花を渡さないので?」

ふと、劉輝は霄太師に言われたことを思い出した。
『選ぶ側ではなく、選ばれる側』
未だどういう意味なのかわからないが、彼女達は余の信頼思いを受け取ってくれた。……どういうことなのだろうか。

「……主上?」
「あ、いや、すまない。霄太師に言われたことを思い出してな。……暫く隠しておくように言われたが、楸瑛や絳攸になら良いだろう」
「…………………なにをです?」
「…………春に渡そうとしたさ。だが、花なんか要らないと言われた。だから、代わりの物を渡したぞ」
「……代わりのもの?」
「自由に動けるだけの翼だ」



* * * * *



進士達が与えられた七日に一度の公休日で、ようやく全員が帰宅出来た朝廷では女人官吏にまつわる噂が急速に広まっていた。
それが、劉輝の耳に届くか届かないかといった頃、休日を楽しもうと秀麗と影月が出かけた矢先に姮娥楼に軟禁されていた。
同時刻。出仕してまもなく、執務室で届いていた書類等を確認していた涼佳は便りもなしに我が物顔で現れた同期の同僚に息をついた。

「……ちょっと、急に来るなんて……。その方々は?」
「涼佳。私と一緒に軟禁されないか?」

質問にも答えず唐突なことを言った黎深に涼佳はすぐには理解が出来なかった。後ろに控えていたのはゴロツキとさほど変わらない十六衛だ。

「………………誰が、誰に?」
「私が、この名も知らぬ十六衛共に」
「…………………………はい?……」

聞き間違いかと思って、素っ頓狂な声を出してしまった。そもそもの話、こんなところまで入って来ていい身分ではない。
しかし、黎深は気にせず話を続けた。

「お前のところにも行くというので、わざわざ私が迎えに来たんだ。行くぞ」

涼佳は暫く考え事をするように形の良い顎を触り、手持ちの情報から今後の動きを算出した。『紅黎深』を捕らえる。その意味はこの国を半壊しかねないことだった。

「…………意外と早く動いたのね。全く、我慢の足らない人。――いいわ。行きましょう。でも少しだけ待ってくださる?片付けと文だけ出したいの」

そう言って、涼佳は手早く片付けをすると筆を取り走らせた。

「――どなたか、この文を藍楸瑛様に届けていただける?必要ならお使いになって、と言伝を添えて」
「…そんな物を渡す意味があるのか?」

文のや内容に検討がついているのか、黎深は単なる紙を見るように文をみやった。

「私はあなたとは違うの」
「……ふん。紅家の者に届けさせる」

涼佳から文を受け取ると黎深はそのまま紅家官吏を呼び、文を渡した。

「――ついでに潤月も一緒に。あの子絶対支度しないから」
「それなら、連れて来るようにさっきの馬鹿共に伝えてある」
「流石ね、黎深。でも、彼らにお使いがちゃんと出来るかしら?」
「…子供じゃあるまいし、それくらいできるだろう」



今日は通常出仕していた潤月は稽古場にいた。
ザワつく朝廷内の空気に不審を感じながらも、朝礼を行っていた。
騒がしくなる武官舎の外に視線を門の外に投げた。
押し切る形で、許可もなしに十六衛がなだれ込んできた。

「―――楊潤月は居るか!」

突然、響いた怒鳴るだけの声に視線を向けた。羽林軍の鋭い眼光に十六衛はウッと一歩引いた。
潤月は剣に手をかける部下達を手を上げて制した。

「私ならココに居る」

凛と辺りに響く声音がその場に響く。堂々と前に踏み出して来た潤月を見て、十六衛達は驚きに瞠目した。

「…ほ、本当に?」
「噂と違うじゃないか……」
「……大猿、じゃねぇ……」
「――無許可でココに足を踏み入れた理由は」

ざわつく十六衛達を無視して、潤月は凛と声を張った。
気迫に負けてたじろぐ十六衛達だったが、その中の一人が口を開いた。

「…お、お前には謀反の疑いがある!とある方から命を受け来た!即刻、その身柄を拘束する!」
「―なっ!?馬鹿なことを――」
「……いい、やめろ。楸瑛」

ザワりと羽林軍の眼光が鋭くなった。
あまりに馬鹿げたことを口にした十六衛の男に合同訓練に参加していた楸瑛が声を荒らげようとしたのに潤月は止めた。

「大人しく拘束されてやるし、ちゃんと着いていってやる。ただし、一つだけ答えろ。私の他に誰が拘束されている?」
「……お前と同じ容疑の菫涼佳という女と吏部尚書の紅黎深だ…」
「…………馬鹿な……」

それを聞いて潤月は内心でため息を吐き、楸瑛は再び唖然とした。
……アイツ…。昨日、花街に向かう前に胡蝶から今日は休んで良いことと、明日は貸切になるとの旨の文を受け取った。
動くのが今日ということはわかっていたが、流石にこの展開になるとは潤月も思わなかった。
…………やっぱり、くじ引きって良くないよ……戩華おじさん…。
ピクピクと動くこめかみを揉みほぐし、潤月はすぐに思考を切り替えた。
しかし、涼佳が大人しく捕まったのだろうか。そこまで考えて潤月はふと自分の顎を触った。
今回の動きは全て劉輝に経験を積ませようという動きだった。
……まあ、あの噂もあるし……。拘束されておくのが無難なのかと考えると潤月は小さく息をつき十六衛達を見渡した。
今回の騒動が片付いたら、十六衛を整理しようと決意して。

「……いいだろう。連れて行け」
「―楊将軍!」
「大丈夫。――皆、自分の剣をくだらぬことに汚すなよ!わかったら、持ち場に戻れっ!」

楸瑛をみやり潤月はふと口元を緩めた。

「…あとは頼む」
「……わかった…」



三人が捕らえられたという報はすぐに朝廷内を駆け回った。

「主上、失礼します。 静蘭から、紫紋の直文が届きました」

楸瑛の入室しざまの言葉に、劉輝は思わず椅子を立った。

「待て。あの印章は影月に渡したはずだ。どうして静蘭からくる。影月はどうした」
「秀麗殿と一緒に、花街で監禁された模様です」

花街。監禁。劉輝は注意深く聞き直した。

「…………もしや、そなた行きつけの姮娥楼でか?」
「そうです。また、現在十六衛の下部組織の一部が勝手に動いているようで」
「十六衛?」

十六衛は精鋭近衛の羽林軍と違って、 雑多な兵士たちの集まりである。上層部ともなれば統率も自覚も実力もそろったなの通った腕のたつ武官がいるが、下っ端には力自慢なだけの破落戸崩れも多い。ちなみに静蘭もこの十六衛の中部組織に所属している。

「なんで十六衛が。なんのために?」
「……紅黎深殿と涼佳殿、並びに潤月を捕縛するためのようで」

劉輝は絶句した。吏部尚書である紅黎深だけでは飽き足らず、中書令で王の秘書であるが、まだ公にしていないにしても少師の地位に就く涼佳や、上官に当たる潤月までが、下っ端武官が勝手に捕縛!!

「は?なぜそうなる!」
「今日一日で、ずいぶんと例の噂が広まったでしょう」
「ああ、秀麗が国試を不正に及第したのではないかというやつと…二人が謀反を企てているというやつだな」

悪意ある噂ほど千里を巡るように広まる。宮中なら、なおさらだ。及第当初から似たような噂はあったが、根も葉もない域を出なかっただが今回は少し様子が違った。

「国試を司る礼部が噂の発信源のようですから、妙な信憑性があったんでしょうね。もともと女性官吏を快く思っていなかった官吏たちの間でくすぶっていた不満が、それをきっかけに爆発したようで。彼女を、彼女等を認めてくれる官吏もちゃんと出始めていますが、まだ少数派です。きっとあの男も今のうちにと思ったんでしょうねぇ。ついでに秀麗殿の後見であった黎深殿まで十把一絡げにやってしまおうと」

劉輝は本気で眩暈がした。 頭を抱えた。

「……………なんという馬鹿なのだ。よりによってあの三人に手を出すとは」
「ところでここにもう一つ、藍家の情報網に引っかかったものがあるんですが」
「……な、なんだ」
「現在、紅家名代・紅玖琅殿が貴陽に入都、邵可様のところへ行っているとかいないとか」

劉輝は真っ白になった。

「ここ最近、秀麗殿の身辺整理をしてくれていたのは、黎深殿でなく彼だったみたいです」
「………………………………」
「泣きそうな顔しないでください。ほら、だから最小限の被害にするべく、頑張ってくださいといってるんです。あの黎深殿相手にギリギリまで粘って、結局当主にしてしまった人ですからね。玖琅殿を怒らせたら本当に後が怖いですよ」
「………も、もう少し奴が調子に乗ってくれれば、打つ手もあるのだが......」
「――安心しろ。調子に乗せた」

絳攸の声が割って入った。ずかずかと机案までくると、両手に抱えた書翰を積んだ。

「紅秀麗の進士返上を求める連名書と菫少師及び楊将軍の官位剥奪、退官処分を求める連名書、だそうだ。ぞくぞく届いている。先ず、秀麗の方は『紅進士がその正当なる及第を証明するまでは、進士と認めるわけにはいかない。明日正午にでも、彼女に対する査問会をひらくべきだ』だそうです。涼佳様と潤月は『菫少師並びに楊将軍は王を誑かし、国崩しの疑い有り。よって、明日の朝議にて審問会を開き、無実が証明出来なければ官位剥奪、及び退官の後に十悪を犯したとして処分を求む』だそうです。これが各連判状」
「―でかした絳攸!よく言わせて書かせた!!」

劉輝は墨と筆を取り出すと、猛然と文をしたためはじめた。

「―この勅書をすぐに各高官に回せ。ついでに連名書とその書状もくっつけて回覧させろ。明日の朝議と正午には査問会だな?開いてやろうではないか」

ほとんど殴り書きで書き終えると、劉輝は剣をひっつかんで立ち上がった。

「―秀麗のところへは余が行く」

絳攸は涼佳に言われたことを思い出す。
…本当にどこまで、見通しているんだ。

「―待ってください。涼佳様から言伝を預かっています」
「…………なんて?」
「―秀麗ちゃんのところに行くなら、四半時前までには戻って来なさい。私はここで貴方の采配を温かく見守っています―だそうです。そして、私からも一言。…逃げるなよ。どんなに帰ってきたくなくても」
「……………う、はい…。…わ、わかってる……」
「恨むなら、あのカツラじじいを恨め」

劉輝は疲れ切ったように頷いた。


一方、その頃。自己の疑いを晴らしたはいいが、軟禁を続ける涼佳と黎深は運ばれて来る衣装や装飾品を見て選んでいた。

「コレなんかどうかしら?」
「こっちだろう」
「…」
「それだと派手よ」
「派手で良いだろう。初披露目なんだから」
「……」

潤月は椅子の上で片足を折り膝の上に肘を付いて、不貞腐れていた。そんな顔をする潤月に黎深は扇子で潤月の細い顎を上向かせる。

「なんだ。この私が直々に見立ててやっているのに、不満か?」
「………不満だな。いつまで、続けるんだ?“軟禁ごっこ”」
「フン、決まっている。身に覚えのない汚名を着せられたんだ。それがしっかり晴れるまではココを出ないつもりだ」
「――いいんじゃない?事前調査が足らないのが悪いのよ」

ケタケタと笑い合う二人に頭を抱える。

「……お前等は、そうやって…」
「…それよりも、潤月。見合い話の返事が届かないんだが?」
「………は?…なんの話?」

唐突な話に潤月は訝しげに黎深をみやった。
その反応に黎深は眉根を寄せる。

「……なんだ、あのたぬきジジイからなにも聞いてないのか?私の息子との縁談を持って行ってやったのに」
「………聞いてない」

反物を選びながら涼佳が口を挟んだ。

「―――愛娘には激甘な上司が、この子にそんなこと言うわけないでしょ。前に、――全人類にこの子はもったいないッ!――とかほざいてたし」
「………あの、人でなしクソジジイめ…」

酷い言いようの二人にため息を吐いた。

「……あまり、人の養父を悪く言わないで。霄じいが、色んな人に意地悪したりするのは知ってるから…自業自得だとは思うけど、聞いてて気持ちの良いことじゃない」

そう言うと黎深も涼佳も素直に口を閉じた。

「……ふん、まぁいい。聞いていないなら直接言うまでよ。絳攸と結婚しろ」
「――断る。というか、そもそもなんで私なの。絳攸が女性嫌いなのわかってるよね?大事な息子の嫌がることしちゃダメでしょ。絳攸は大事な仲間で友人なの!いくら親でも友人の嫌がることするなら私は怒るよ」

ぷんすこと怒る潤月を無視して、黎深は涼佳に視線を投げたが彼女は目を合わせようとはしなかった。

「…おい」
「あたしに言わないで」
「なんでだ」
「管轄外よ」
「…阿呆なのか?」
「違うわ。間抜けなのよ」

二人特有の会話に潤月はわなわなと震え出した。

「――私の恋愛観の話は別に今どうでもいいだろ!そうじゃなくて、絳攸の話だ!息子の嫌がることをするんじゃないって言ってるの!わかった?」

見当違いも甚だしい方向から怒ってくる潤月に二人はため息を吐いて、首を振った。

「……まるっきり、絳攸がダメだったわけではないんだな」
「………この手のことは他人がどうこう出来る問題でもないしね…。ま、どうにかしたいなら先ずは絳攸から攻略するしかないわね。ちなみに言っておくと、押しに弱いけど、逃げ足は早いわ」
「………ふむ、なるほど。なら、手はあるか…」
「―こら!話聞いてるのか!」

離宮の扉が遠慮がちに叩かれた。
潤月が怒っていると占拠された離宮に恐る恐ると言ったように下吏が訪ねて来た。

「……し、失礼しますっ!ほほ、報告します。菫少師、並びに楊将軍におかれましては明日の巳の四つ時の朝議にて審問会が開かれます!今回の件の真偽が、問われることとなりました!同日の正午には紅進士の査問会が開かれます!」
「………忙しないな」

扇子がパチンッと鳴った。その音に下吏はビクッと肩が震えた。
怯えながらも三人の返事を待つ下吏に視線を投げた。

「………そうだな。魯官吏が迎えに来てくれるなら、出よう。でなければ、この二人も連れて行かぬ。わかったら、下がれ」
「……し、しかし、菫少師と楊将軍は…国崩し、十悪の真偽にかけられた重要参考人、です。…時間に来て頂かなくては……その……」

下吏が二人を伺いながら、あの紅黎深に意見を述べた。
扇子で手を一度打った黎深の眉がピクリと上がる。

「………ほう。この私に意見するのか?いい度胸だな」
「―ヒッ!!す、すみませんっ!!かしこまりましたっ!失礼しますっ!」

脱兎のごとく下がっていった下吏を見送ると、潤月は黎深を睨む。

「………黎深。行く気ないの?」
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