花は紫宮に咲く
「――おおっ!これはこれは霄太師殿ではありませんか!」
「………………」
「…え。――霄太師殿ではありませんか!」
「………………」
「―――霄太師殿っ?!」
聞こえていたが、無視していたのに追いかけてきた男に霄太師は内心で舌打ちを零した。回廊を三師の室に向かう為に歩いていた霄太師は汚らしい媚びた声音に仕方なく足を止めて振り返った。
「……ん?誰か呼んだかの?そなたは…………確か、鬘の……」
「…………っ、ハハハ。いやですねー。礼部尚書・
「ああ、そうじゃったそうじゃった。鬘の件の蔡尚書じゃったのの。すまぬのう。最近耳も遠くて、物忘れも激しくて、ほとほと老いには叶わぬわい」
いけしゃしゃと嘘を並べ地雷を踏み抜いて行ったが、蔡尚書は礼を取っていた腕の中でグッと堪えた。
人当たりが良さそうな笑みを貼り付けて顔を上げた蔡尚書に霄太師はさっさと立ち去りたかったので、無駄話をさせないように要件を訊いた。
「して、なにかわしに用かな?」
「……え、あ…」
頭の中で会話の流れを組み立てて来ていた蔡尚書は全てをぶった切られて言葉に詰まった。相手を立てながら、さり気なく本題に持っていこうと考えていたが、さっさと立ち去ろうとする霄太師に慌てた。
「用がないのなら、そちも忙しいじゃろうから、わしは邪魔せぬよう行くかの」
「――し、霄太師殿にはとても聡明で可憐な娘さんが居るとか!」
「………………わしの娘が、どうかしたかの?」
その脂ぎった口から出た話題に霄太師は再び足を止めた。
話が出来る状況になったと思った蔡尚書はホッと息をついた。
「……いえ、高官の間で噂になっているのを小耳に挟みまして、ね」
「…ほぅ」
「聞けば、あの猛暑で疲弊した朝廷を救ったというではありませぬか!」
「はぁ…」
「確か“超梅干し”でしたかな?霄太師殿の代わりに重たい壺を自ら持ってきたなんて、なんて素晴らしい娘さんだと思いましてね。いや、実は私にも息子が居まして――――」
「へぇー」
霄太師は耳をほじり、ほとんど聞いていなかった。
ふと急に思いついたように霄太師は違う話題を口にした。
「そんなことよりも、蔡尚書殿はこんな噂をご存知ですかな?」
「…………はい?」
霄太師は仰々しいまでに辺りを見回して口元を皺くちゃの手で隠した。
「……ここだけの話……茶家当主を示す指輪が、未だ見つからんらしいのじゃ」
「――な、なんとっ?!真ですか?」
「馬鹿者!大声を出すでないわ!」
そう諌められると慌てて口元を両手で覆い隠した。
「………も、申し訳ございません……」
「よいよい。まぁ、そう驚くのも無理はない。わしも耳を疑ったほどだが、実際に茶家はまだ当主を据えておらぬ。もう一年と経とうというのにじゃ……」
確かに。前茶家当主がなくなって次の当主を早く据えなければならないのに未だ公表をされていない。自分が霄太師に声をかけた目的も忘れて蔡尚書は霄太師の話に聞き入った。
「もしかしたら、そこらに落ちているやもしれんと毎日こうして歩き回っておるのじゃ……」
「…………そうだったんですか……」
そこへ聴き馴染んだ声が割って入った。
「――お?なんだ、お前。こんなところで立ち話か?」
「おおっ、なんじゃお主。…別に良かろう?」
「……まぁ、別にいいけどよ………」
宋太傅はなにか考え事でもしているのか、心ここにあらずといった様子の男をみやった。ポン、と皺くちゃな手が硬く広い背中を叩いた。
「お主、ここを通ったということは三師の室に行くところかの?」
「まぁな」
「わしもじゃ。――それじゃあ、わしは此奴と行くでな。……さっきの話は内密じゃぞ?」
最後の言葉をコソっと言って霄太師に蔡尚書はハッと思考の中から這い出て来た。
「は、はい……。―あ、それでは私も失礼します…」
礼もろくに取らず、慌てたように去って行く重たそうな背中を目を細めて見送った。
そんな古馴染みに隣で宋太傅はため息を漏らした。
「………また、悪巧みでもしてたか?」
「……なんだと?人聞きの悪いことを言うな。それにそんなに暇ではないわ」
「ふーん…。じゃあ、なんなんだよ。アイツだろ?しつこく見合い話持って来る奴って」
「ほっほっほっ、もうその面倒も無くなるのう」
そう言って意地悪そうに笑う友人に宋太傅は心の中で思った。
……やっぱり、悪巧みじゃないか。
呆れたように息を吐き出し、宋太傅は回りくどいことを言わず、ずばりと訊いた。
「お前、あの楼閣に出る幽霊についてもなにか知っているな?吐け」
宋太傅の言ったことに霄太師はニヤリと豊かな白髭を持ち上げた。
「お前は相変わらずだな。……そうじゃな、わしと飲み比べで勝ったら教えてやってもいいぞい」
* * * * *
「本年度、第一及第者――状元、杜影月」
国試を司る礼部官が、朗々と今年度の国試及第者の名を読みあげた。
「――はい」
まだ幼さの残る子供のような声が、わずかに緊張を帯びて響く。実際、礼部官によって例の前方に連れてこられたのは、その声にふさわしい年齢の少年だった。
「第二位――榜眼、藍…龍蓮」
ややためらいがあったのは、その声に応える者がいなかったからだった。まさか栄えある進士式をすっぽかす者がいるとは思いもよらなかった。刻限が迫っても一向に姿を見せない「榜眼」に右往左往したあげく、ついに戦々恐々と王に伺いを立てた礼部官の顔色は酷く青くなっていたという。しかし、例年通りにと王が言うので一応その通りにしたが……かなり居心地の悪い沈黙が落ちた。
進行役の礼部官は咳払いで間をごまかし、口早に次の及第者を読みあげた。
「第三位――探花、紅秀麗」
ピン、と目に見えて空気が張りつめた。誰もが一斉に呼ばれた進士に視線を注いだ。
「はい」
凛とした声は、少女のもの。
進み出た娘は、突き刺さる何百という視線に抗するかのようにまっすぐに顔を上げた。野の花のようだ。そう思い、王座の主はふと、笑みをこぼした。
「以上、第一甲第三名、唱和いたしました」
潤月と涼佳は晴れやかな蒼茫とたる空のした進士式を会場の外で聞いていた。
「………始まるな」
「……ええ。この空の下を自由に飛べるのね」
涼佳は壁に頭を付けて胸にいっぱいの空気を吸い込んだ。
高位の官吏達が集まる中、彼女達もそれに該当するのだが贈られた“信頼”はひとまず秘匿するようにとお願いした。反対派の口を黙らせる効果的な機会が必ずある。
「ま、でもその前に大掃除しなきゃ」
嬉しい気持ちで胸がいっぱいだったのに、涼佳の言ったことにげんなりと肩を落とした。
「………わかってるよ…」
「ふふふ、アナタが一番都合が良いのよ。彼女も快く協力してくれるっていうし。ついでに女性らしさってのも学んできなさい」
「……うるせ」
一人楽しそうな友人に、精一杯の悪態をついた。
仕事を終えて、帰宅した潤月は着替えを済ませると台所に向かった。家人達と楽しく夕食の支度をしていると、台所にまっすぐ向かって来る気配に潤月は振り返った。そして、その老人を目に留めて満面の笑みを浮かべ出迎えた。
「――おかえり、霄じい。お疲れ様」
その笑みに、柔らかく目元の皺を緩めた。彼を知る他の人が見れば卒倒するほど優しい微笑みだった。
「潤月様もお疲れ様ですじゃ。今日はなにを作ってくれるんですかな?」
「今日はね、芋を蒸してこした野菜料理と鶏の揚げ物とナスの漬物と煮物と汁物……あと新作炊き込みご飯だよ〜」
「新作ですかな?ほほほ、楽しみじゃ」
「えへへっ、楽しみにしてて」
嬉しそうな笑顔に吊られて頬が緩む。
それを見て、一人の青年がポツリと呟く。
「……じい様、そんな気持ち悪い顔してないでさっさと着替えて来たらどうっすか」
「ここに居ても役にたちませんからね」
「―姫様、こちらもう揚げ始めてよろしいでしょうか?」
好き勝手にいう家人達に霄太師は呆れたように目を細めた。
「……お主らも、随分と気持ち悪くなったな。わしの下にいた頃とは大違いじゃ」
この邸に居る家人達三人は皆、元風の狼であった。風の狼をまとめ上げていた邵可が解散させた時、潤月は行く当ても目的もない者達を引き取って受け入れた。それでもどこ吹く風と共に去って行ってしまった者達も居る。霄太師も家人としてならと潤月の望みを受け入れた。
血に染まり、血を求め、血に溺れてもなお、優しい微笑みで受け入れてくれた。生きる居場所をくれた小さな少女が、今の彼らの絶対的な主人だ。
表向きは霄太師を主人としているが、外から人が入って来ない限り、彼らの霄太師に対する態度は潤月に取り憑いたコブである。
「へっ。ついこの間まで家出して姫様を困らせていたじい様がなに言ってんだか」
「本当に。聞いて呆れました。ボケて彷徨っていた方がまだよかったと思います」
「…………お前ら、本当に好き勝手言うようになったのう」
「
落ち着いた雰囲気の女性が、嗜めるように言うと三人は同時に口を閉じた。
「ふふふ、いいんだよ
嬉しいとその言葉通りに優しい笑みをたずさえる潤月に言われ霄太師はわかりました、と気恥しそうに台所を出て行った。
そうして出来上がった料理を畳みの敷き詰められた居間に運び、全員で食卓を囲んだ。
食後のお茶をのみながら、潤月は養い親に嬉しそうにぽつりと言った。
「あのね…、劉輝が“花の代わり”に羽をくれたの」
「…………そうですか」
「自由に動ける翼をくれた」
「…………」
「それでね、私。あの子のくれた“信頼”にちゃんと“信頼”で返したいと思ってるの」
潤月の言葉を聴きながら養い親は口をへの字に曲げて黙った。そんな養い親を見て、潤月は伺うように名前を呼んだ。
「………霄じい…?」
「………………そんなことをする必要があるんですかのう?今までだって陰ながら支えて来たでしょう」
「必要でしょ?劉輝のことも秀麗ちゃんのことも考えればそれが最善だし、――羽林軍は、白大将軍も黒大将軍も中立を維持してるから、問題はないんだけど――誰の目にも見える形で認めてあげたいんだ」
「……………………」
「それにね、それが彼とした最後の“約束”だから」
「…………そんな約束、捨ておいて良かったのですがな」
「どうして?約束したら、ちゃんと守りなさいって言ったの霄じいだよ?」
「……あの男は一度も潤月様との約束を守ったことがないではありませんか。良いんですじゃ。一回くらい」
不機嫌な霄じいに潤月は眉尻を下げて微笑した。
「そんなことないよ。一回だけ…、最初の約束は守ってくれた。私、戩華おじさんのこと好きだったよ?霄じいも好きだったでしょ?」
「……………」
押し黙った人間嫌いの養い親に潤月はクスクスと笑った。
そんな潤月を見て霄太師は内心で深いため息を吐き出す。この子を迎えに行ったあと、“あの方”から言われたのはこの子の心のままに、とだけだった。
……こういうことは本当に今回だけにしてほしいものだな…。
美しく成長をしてますます“あの方”に似てきた潤月を見る。自分が仙人だということを明かしても、かつての“約束”の話をしても、この子は全てを理解した上で言った。
『――じゃあ、私が霄じいの分までいっぱいみんなのこと大切にするね!だから、霄じいは私のこといっぱい大切にしてね!』
お茶を啜る潤月を見て、霄太師は深いため息を小さく吐いた。
「それにね、涼佳も決めたの」
「……それは当然ですな。アイツは先王と『契約』したとはいえ初めから心に決めていたからのう。『契約』の意味はないですな。あの小生意気な小娘を最後の最後で、押し付けてくれよって…。全くとんだ苦労ばかりじゃ」
「ふふっ、それでも。涼佳と仕事してた霄じいは楽しそうだった。離れちゃったら寂しいんじゃない?」
確かに、どんなに危地に落としてもありとあらゆる手段でしがみついて来た。情報収集能力、状況判断力、処理能力は当時十四前後の年端もいかない少女の能力は朝廷の中でも秀逸だった。しかし、それらを底上げしているのは未来予知ともいえるほどの正確な予測だ。
……菫家の彼奴もわしを見て、ひと言ふた言、言葉を交わしたら次の日には辞すると嘆願していたしのう…。
縹家でもなんでもないただの普通の人間だったのに。…末恐ろしいことだ。霄太師は涼佳に対しても念には念をと気をつけていた。
アイツが手元から離れたところでどうってことはない。多少暇になって静かになるだけだ。
絶対に口にはしないことではあるが、王の命で引き受けたアイツが日の目を見るのは実は良い気分だった。
霄太師は我が娘の問いにどこか曖昧にした。
「…まぁ、うるさくはありましたな……。……それよりも、潤月様。最近困ったことなどはありませんかな?……例えば、誰かに言い寄られたとか、しつこく好意を言われていたり。…友人だとしても、男という生き物は獣なのですじゃ。あまり、隙を見せてはなりませんぞ」
言われて脳裏に浮かんだ人物を内心で慌てて追い払う。
潤月は相談したくても家出中で時間が長く空いてしまったので気恥しさを覚えてしまい、黙っていた。
「……う、うん。わかった…」
「お気をつけなさいませ。なにかあれば、わしに言いなさい。すぐに対処しますじゃ」
そんな養い親に潤月はふと笑みをたずさえた。
「……ねぇ、霄じい」
「はい。今度はなんですじゃ?」
「好きだよ」
「知っておりますよ………」
素っ気ない言い方だったが、満悦らしい笑みが口元に滲み出ていた。
貴陽でも一二を争う名妓楼がある。華やかに着飾った妓女達が行き交う男達を誘う。その花街の一等地には豪華絢爛と称していい建物が妖しく光を灯していた。『姮娥楼』――それが、この妓楼の名前だ。
そこに最近、とても美しい歌声の妓女が入ったと有名だった。どこからともなく聞こえる玉響のような歌声は甘い香りのように人々を吸い寄せた。しかし、どんなに大金をはたいても歌姫は人前に姿を表さないという。姮娥楼を取り仕切る胡蝶がなかなか首を縦に振らないということもあるが、あの胡蝶が大層目をかけて大事にしている歌姫に誰もが興味をそそられた。
歌が終わって、短い吐息が零れた。
「…………………はぁ……」
「おや、なんだい?そんなに艶っぽいため息をつくと襲われちまうよ、潤月様」
シャラリと頭に付いた装飾が頭を動かすごとに鳴る。潤月は室に入って来た妓女をじろりとみやった。彩られた瞼が艶やかに細められ、唇に引かれた紅が不機嫌そうに垂れ下がる。
その表情も美しいと薄く白粉を乗せた陶器の頬にしなやかな手を伸びた。
「ほら。そういう顔も無闇にしてはダメだよ。食っちまいたくなる」
「…………遊んでるだろ、胡蝶」
「なにを言ってるんだい、当然さ。ここは妓楼だよ?女は着飾って男達を楽しませるのが仕事さね。それに協力はすると言ったが、ここでの行動は私に任せるってのが涼佳様とした条件だしね。まあ、潤月様のおかげで連日大入りでこちらとしては嬉しい悲鳴にお釣りがくる」
「…………私、別に客の前に出るわけじゃないからこんなにしっかり支度しなくてもいいと思う……」
ぶつくさと文句を垂れながらも、胡蝶の冷たい手を取り火鉢の前に座らせれば、自分が羽織っていた肩掛けを胡蝶の線の薄い肩にかけた。せっせと茶器を用意して温かいお茶をいれる。
「――はい、胡蝶。温まるから飲みな」
さり気ない気づかいに胡蝶は心の底から息をついた。
「………………あんたが、男でなくて本当によかったよ……」
元々、中性的な整った顔立ちをしていた。武官というむさ苦しい仕事に就いたせいか、性格も行動も初めて出会った時からそこらの男達よりも紳士的である。もしも、彼女が男として生まれていたなら、花街の女共は根こそぎ彼女に心を持っていかれて仕事にならなかっただろう。そうなれば、花街は終わりだ。
妓女の鉄則は“男を楽しませること”、“自分を見失わないこと”、そして、“心を奪わせないこと”。
花街に来る目的は様々だが、多くは女を抱きに来ることが多い。男を、客を楽しませて見返りに代金をもらう。それが妓女の仕事だ。自分が自分を道具のように扱っては取れる客が取れなくなる。そういうのはどれだけ上手く隠したところでバレるのだ。そして、誰か一人に心が奪われれば、他の客を取れなくなる。そうなれば、必然と稼げなくなり食べて行けなくなる。食べてなければ、痩せ細りどんなに着飾ってもみすぼらしくなるだけで、誰からも相手をされなくなる。しまいには、心を奪われた相手にだって………。
そんなよくある妓女の末路を考えて星屑を詰め込んだような瞳をぱちくりと瞬かせる女人武官をみやった。
「ん?なんで?」
きょとんと首を傾げた潤月に胡蝶は微苦笑を浮かべた。
「……いんや、こっちの話さ。―――ところで、聞きたいんだけど、女人官吏ってのには反対派が居るのかい?」
「まあ、居るな。詳しくは教えれないけど、主上には先王のように不満を抑え付けれるほどの威厳はないから。前回からの不満は確実に燻っているね」
「………ふーん。王様の腕の見せどころってわけだね」
「そうだね。それで?どうしてそんなこと聞いてきたの?」
潤月が訊き返せば、胡蝶は形の良い顎を触り考え事をしていたのをやめてにっこりと笑った。
「ふふっ、まあちょいと個人的なお願いをしたくてね。そっちの獲物なのは重々承知だよ。だけど、ソイツのことを懲らしめるなら、一枚噛ませてほしいのさ。私の願いを叶えてくれるってんなら、ソイツが言っていた面白い話を教えてやっても良いよ」
取り引きを持ちかけられた潤月は少し考えた。
この前の青巾党の一件で良好とは言い難いが協力関係を築くことは出来た。こうして、今回も多くの官吏が通う姮娥楼に潤月を潜り込ませて、仕事についての話を妓女達に話させて調査に協力してもらっている。
「…………う〜ん…、話の内容にもよるかな?とりあえず、聞かせてほしい」
「わかったよ―――」
胡蝶の話を聞いて潤月はだんだんと顔色を冷たいものに変えて行った。
「………………」
「――というわけさ。どうだい?そちらさんには重要だろう?」
「………………わかった。私から改めて、言うよ。協力してほしい、胡蝶。ただ、時期はこちらに任せてほしい」
そう言って手を差し出した潤月に胡蝶はにっこりと満足気に笑って、その手を握った。
「潤月様が話のわかる人でよかったよ。――じゃあ、とりあえずご指名が入っているんだよ。座敷に上がってくれるかい?」
「………………は?…いや、私はここで歌ってればいいだけって……、そういう条件だよね……?」
「だけど、協力してくれるんだろう?歌姫の歌声を直接聞きたいんだと。どんなに高くてもかまいやしないっていうからね。絞れるだけ絞ってやろうと思うのさ」
「…………でも……」
「大丈夫さ、一人では絶対に上がらせないよ。必ずこの胡蝶と一緒だから安心しな。それに……」
猫の半面を懐から取り出して、胡蝶は妖艶に微笑んだ。
「潤月様の姿は朝廷でもごく一部の人しか知らないんだろう?コレを付けてしまえば、そう簡単にバレやしないさ。ね?」
潤月の中で、仕事と柄にない格好で人前に出ることの羞恥心が拮抗していたが、秤はついに傾いた。
がっくりと肩を落とした。
「…………………………………………わかったよ……」
「ふふふっ、ありがとう、潤月様」
「…………なんか、胡蝶に踊らされてる気がしないでもないな……」