黄金の約束
「…………………………えっと、それはつまり……霄の奴は、家出、ということですかな?」
「そうなるかな。………………そっか、先生の所には居ないのか……本当に、どこ行ってるんだろ……」
いつか帰ってくるだろうと、待っているが気にならないわけではなかった。自分は武官で、向こうは文官だ。役目がそもそも違うからあまり口を出さないようにしていた。しかし、春の出来事は容認出来るものじゃなかった。だから、怒った。
思い詰めたように顔を曇らせる潤月に葉医師は微苦笑を零した。
「………わかった。ワシの方でも少し探してみようかの」
「……いいの?」
「かまわんよ。いい歳したじじいがお嬢にこんなに心配させるなんて、不貞ぇことだからな。その代わりって言っちゃ〜なんだがな……」
伺うように言葉をきった葉医師に潤月は小首を傾けながら続きを待った。
「また、お嬢の作ったご飯が食べたいのう」
「そんなの、いつでも遊びに来てよ。美味しい物も美味しいお酒もたくさん用意しておくね」
「ほほほ、楽しみじゃ」
曜春のことを任せて、潤月は施術室を出て行った。
再び鳳珠達の居る別室に戻れば、秀麗が潤月を見やって笑顔で飛び付いて来た。
「――おっとっと、秀麗ちゃん!久しぶり。元気にしてた?」
「潤月様!はい!元気です!」
「そっか。よかった。……ごめんね、文くれてたのになかなか返事出来なくて……」
「いいえ、お忙しいかなとは思っていたので…」
満面の笑みからしゅんと肩を落とした秀麗に潤月は微苦笑を溢し、優しく頭を撫でた。
「……落ち着いたら、私から文を出すね。それまで待てる?」
「―はいっ!待ってます!――それじゃあ、わたし葉先生のお手伝いに戻りますね。涼佳様、少しでも具合が悪くなったら言ってくださいね?本当はもう少し寝てた方がいいんですから」
「…………わかっています。そう心配しなくても、大丈夫ですわ」
元気にパタパタと葉医師のもとに向かった秀麗を見送り、潤月は不貞腐れたように鳳珠の向かいに座る涼佳をみやった。
「涼佳はなんで、そんなに不機嫌なの?」
「…………アンタとそこにいる熊男のせいで、仕事に戻れないからよ」
「……まだ言うのか。お前のそれは最早病気だな。ちょうどいい。腕の良い医師がいるからついでに治してもらえ」
「あんたのように仕事を趣味にしたくないの。仕事と趣味、私生活はきっちりわけていたいのよ」
「………趣味ではないわ」
「あー、実は俺も追われてたりしちゃうんすよね〜」
てへっ、と可愛く言ってみせる燕青をキッと睨み付ける涼佳とは反対に潤月は不思議そうに小首を傾げた。燕青の顔を、モジャついている髭の中をじっと見つめて、あっと声を上げた。
「――キミか!!毎夜毎晩、こっそり賊退治していたの!」
「いや〜、奴さん達すっごいしつこくて、こんなところまで追いかけて来ちまったんすよね。流石に申し訳ないと思ってバリバリ働いてたんす。でも、俺もバレたくさいんで……」
「…………そういうことなら、早く言ってきてほしかったな…」
ということはつまりだ。狙われて居る二人が揃っていて、日中派手に動き回ったことにより、今日ここには大量の団体客が来るということになる。
ふと、室内の人数が足りないこと気づいた。
「………………あれ?翔琳は?」
「あの子なら、薬草取りに裏山に飛んで行っちゃったわよ」
「………………は?こんな時間に?!」
「大丈夫っすよ。アイツらガキの頃から峯盧山に住んでて草木には詳しいはずだし、逃げ足だけは大将軍補佐官のお墨付きなので」
本当に速かった。
潤月も体力と足には自信がある方だ。小さい頃、鬼姫や邵可、北斗達と鬼ごっこやかくれんぼをたくさんして遊んだ。彼等の足の速さはそこに由来する足の使い方だった。
「……しかし、な……」
「アイツのこと信じてやってくださいよ」
そう言われ、潤月は考え直した。
北斗が育てた子ども達。“負けない足”を教え込まれた彼ならば、ちょっと裏山に行って薬草を取ってくることくらい造作もないだろう。
「………………そうだな。私は私の仕事をしよう」
「よかった。実は、大将軍補佐官が居なくなると流石にちょっと数が多いからめんどくさいなって思ってたんすよね」
正直に胸の内を零す燕青に潤月は微苦笑を浮かべた。
「キミ、正直だな。それとその呼び方長くて面倒でしょ。好きに呼んでくれていいよ」
「お、まじ?やった。堅苦しいの疲れるんだよな」
「ふふっ、本当に正直だね」
「それが俺の魅力の一つってことで」
燕青はにかっと笑った。
「それに、太っ腹の大将がここのステキなお庭を貸してくれるっていうので甘えちゃおっかなって」
「…え、本当にいいの?」
「ええ。気になさらないでください。庭院の修繕など、さほど苦労はないので。それよりも早く片付くなら、それだけ軍を早く引き上げられて経費削減できますからそちらの方が良いです」
「……わかった。なら、庭院の被害を最小にしたいから私兵を裏門以外に配置してもらえる?」
鳳珠は頷くと立ち上がって使用人に伝えるべく室を離れて行った。
「――じゃ、俺はちょっくらいろいろ準備してくるかな」
「ほどほどにはしとこうな」
「ほーい」
「行ってらっしゃい。待ってるから、早く片付けて来て」
しかし、仕掛けを作り始めるとなんだか楽しくなって来た。切り込みを入れた梯を塀の外に用意したり、落とし穴、くくり罠など思いつく限りを作っているうちに、竹をしならせ、はね上げるような大がかりな物まで作っていた。
「――これは力作!」
「いやぁ〜、作った作った!潤月が意外とノリが良くてびっくり」
「へへっ、ちょっとしたイタズラとか好きなんだよねー」
「あはは、本当に面白い人だな」
笑い合っていると高い塀の方を見上げた。燕青はにっと満足気に笑ったが、思いがけない見知った顔ぶれに潤月はおや、と声を漏らした。
「お、やっぱ来てくれたんだなー、静蘭。さすが竹馬の友。大感激。でも、そんな大人数でくるとは思わなかったけど」
「静蘭は来るとは、私も思ってた。…けど、楸瑛に絳攸はまぁ、なんとなくわかる。でもなんであの子まで……」
次々と高い塀から落ちてくる人影を見ながら、潤月は呆れ気味に息をついた。
「――潤月!?何故お前がここに居るんだ」
潤月に気づいた静蘭はあちこちで葉っぱをくっ付けたまま駆け寄った。そんな静蘭の頭に手を伸ばし、取って払う。そんな様子を燕青は内心で驚きながら二人を観察した。
「その前に、静蘭。聞いていい?」
「…なんだ?」
「お忍び?」
「そうだ」
「……はぁ、わかった。秀麗ちゃんと燕青が助けてくれた子ども達が、私が今面倒見てる子ども達だから」
「…………なるほどな。お前、どんだけ運が強いんだ……。というか、この仕掛けはやり過ぎだろう。ここまで来るのに難儀したぞ」
そう言われて、潤月と燕青は顔をチラリと目を合わせて同時に指を二本突き出してみせた。
「すっごい頑張った」
「めちゃくちゃ楽しかった」
「……………………お前らな……」
呆れた静蘭に一人はクスクスと笑い、一人は白い歯を見せて笑った。
「だけど、一つも発動させずにくるとはさすが。でも、ここのご主人には話通してあるから、堂々と表門から入ってくりゃよかったのに」
「そういうことは事前に文に書いておけ!」
かなり親しげな様子に、見ていた劉輝はムッとした。彼はお兄ちゃん子だったし、潤月は大事な友人だ。
「誰だお前は!兄…静蘭だけじゃなく、潤月までもが竹馬の友か?!お前の顔など記憶にないぞ!」
横から怒鳴られて、燕青は目をぱちくりさせた。潤月は静蘭と同じように葉っぱを付ける劉輝の髪からもぱっぱと払いながら呆れる。
「おや、新顔。誰?」
「私とは、今さっき会って仲良くなったの。お互い、それはまたあとでってことでいい?ちゃんと紹介するから」
必要でしょ?と片目を瞑ってみせた潤月に燕青はポリポリと頬をかいて苦笑いした。さり気なさを装い誤魔化すように所在なさげな絳攸に燕青は笑いかけた。
「…あー、悪いんだけど李侍郎さん、あっちの離れに姫さんとここのご主人と菫少師さんがいるから。お相手と事情説明よろしく」
足手まといになるだろう絳攸の顔をさりげなく立ててくれる言葉選びは、まったく顔に似合わず繊細でうまい。
「わかった。俺はおとなしく引っ込んでることにする」
「あ、余―――私もちょっと秀麗の顔を見に!」
いそいそ絳攸のあとにくっついていこうとした劉輝の襟首を、静蘭がガシッとつかんだ。
「君、何しにここへきたんです?」
「……お、お手伝いです」
氷のごとく冷酷非情な兄の一撃に劉輝はあっけなく撃墜された。
大方の準備が整ったところで、『団体客』を撃退するのに一番いい位置に陣取り、それぞれ得物を手に背中合わせであぐらをかく。劉輝は庭院の隅で何やらごそごそやっていて一番最後に戻って来た。しかし、逆に剣を置いた潤月に静蘭も劉輝もきょとんと小首を傾げた。楸瑛は面白そうに目を細めた。
「……潤月、剣を持ってないと危ないぞ?」
「おや。噂の潤月の“本気”がこんなところで見れるなんて」
「なに、もしかして……潤月、まさか素手で戦ったりしちゃう系?」
「……得意な武器は剣じゃないのか?」
それぞれの反応に潤月も小首を傾げた。
「……楸瑛以外は知らなくても、不思議じゃないけど……見たことなかったけ?」
「うん。話には聞いたことあるくらいだよ」
「そうだったか……。大丈夫だよ。だって剣なら“みんな”持ってるから」
不敵に笑んで見せた。
そのとき、空気が張りつめた。わずかに剣の鍔をずらした三人を、潤月は短く押しとどめた。
「待って、違うから」
「こっち側で一人帰ってきてないのがいるから、そいつかも」
月を背後に、高い塀を軽々と越えた小さな人影があった。燕青と潤月が仕掛けた数々の罠を一つも発動させることなく、恐るべき速さで離れへ向かう。人間とは思えない身軽さだ。
「なんだあの小猿は!敵じゃないのか」
劉輝に襟元を掴んで揺さぶられ、燕青はぱたぱたと顔の前で手を振ってみせる。
「あー違う違う。ようやく帰ってきたな。よわっちいのに相変わらず足と危機察知本能は抜群にいいなぁ。でもあんなにぞろぞろ敵さん連れてこなくても」
「………でも、私の心配はひとまず消えたかな」
走り去った影につづくようにして、塀を乗り越えてくるいくつもの大きな影があった。 しかし、最初の小さな影と違って、こちらは面白いように仕掛けた罠にはまっていく。静かな夜陰が次々と野太い雄叫びに切り裂かれた。
「うっぎゃ――――――――っっ」
「うおぉおおおなんじゃこりゃ――――――っっっ!」
「いてぇいていていてぇえええええ」
大半が庭院にしかけた罠にかかって足止めを食らう。
邸の外では懐かしい動き方をする気配が暴れていることに潤月は内心でクスリと笑みを浮かべた。
「おーかかってるかかってる。でも思ったより少ないな?火も使ってねーし」
「まぁ、無かったらないで良いじゃん?」
無論、燕青はこのとき邸の外で、邵可と珠翠が賊の十人ほどを“軽くなでて”やったあげく、松明や火矢の類も残らず駄目にしていたことなど知るよしもなかった。
潤月はよっこらせ、などと呟きながら立ち上がる。
「誰が一番捕まえれるか勝負する?」
「勝負ってことは、優勝したら賞品があるんですよね?藍将軍」
「……それ、私が出すのかい?」
「賞品とはなんなのだ?」
「お、俺食いもんとかがいいな〜」
そんなお気楽な会話をしながら、それぞれの得物を手に地面を蹴った。
もちろん、男の中にただ一人、なにも武器を持って居ない女が混じって入れば容易いほうから狙われるのは当然だった。だが、彼女は一番の大ハズレである。
襲い来る山賊が大きく剣を振り上げた―――が、腕だけが宙を切った。
手に持っていたはずの剣がないことに困惑していると強い衝撃に意識が沈む。ドサリと倒れた山賊を他所に手に入れた剣を眺めた。
「……全然手入れしてないな。剣が可哀想」
そう言いつつもポイっと剣を簡単に手放した。そして、地面を蹴ると自ら山賊達の中に入り次々と剣を奪い取ってはなぎ倒して行く。まるで月夜の舞台で舞う剣舞の如き光景だったとか。
この日、黄奇人邸にもぐりこもうとした者たちは不運としかいいようがなかった。
待ち受けていた屈指の腕利き五人組に、片っ端からちぎってはなげられ、ちぎってはなげられ、いささか八つ当たり気味の手痛い攻撃なども受けて、一人残らずあっというまに捕縛されてしまったのだった。
絳攸が事情説明を終えて、室を出て行った。―――かたん、と室の隅で音がした。
「…………まったく、私の養い子を、あんなにいじめなくてもいいだろう、鳳珠」
目の前に立った男に、鳳珠は仮面の裏で険しい表情をつくった。涼佳は呆れたように息をついた。
「黎深。貴様、またうちの使用人を丸めこんで入りこんだな。おまけに盗み聞きか。どこまでも見下げ果てたヤツだ」
「あなた、どうしてここに居るの?」
黄奇人という名がまかりとおっているなかで、今やその本名を知り、なおかつその名で呼びつづける数少ない一人、吏部尚書・紅黎深だった。
「絳攸から、君の邸に出かけるという書翰をもらったのでね。まあ、こんなことだろうと思ってきたのさ。君と絳攸が何を話すか、興味のあるところでもあったし」
黎深はためらうことなく奇人の仮面に手をかけ、紐をほどくとあっさりそれをはずした。下から現れたのは、怒気を露わにした、けれど少しも損なわれることのない美貌。
「相変わらず麗しいな」
悪戯っぽく笑って、黎深は片手で仮面をもてあそんだ。
「懐かしいね。思い出すよ、あの年の国試。君の顔を見た者は、私達以外みーんな君に見惚れて落っこちたんだっけね。同舎になった者は不運だったねぇ。試験官さえ君から目を離せなくて、制限時間を過ぎても合図の鐘を打てずにクビになったその数ざっと三十人」
「そうそう。おかげで無事に国試を受けられたからあたし的にはよかったわよ」
ちなみにその年の国試は「悪夢の国試」と呼ばれており、いまだに誰もその年のことを口にしない暗黙の了解ができている。実際のところ、後世そんな形容詞がくっついたのは別に鳳珠の顔だけが原因ではなかったのだが、原因の一つなのは確かだった。
黎深が秀麗の周りに出没し、『おじさん』などと呼ばせている珍現象や、女に振られて以後十年以上も仮面を被り続けるなどという昔話を中断したのは鳳珠だった。
「あの娘を私のところへ寄越したのは、どっちだ」
不意に奇人の声が鋭くなった。黎深は口許をゆるめた。涼佳は背もたれにゆったりと座って息をついた。
「いいや。その件に関しては絳攸に訊いてくれ。 私は一切関知してない」
「私は提案されたから、了承しただけよ。百の言葉を連ねるより、実際に見てもらったほうが手っ取り早いと思ったんじゃないかしら」
李絳攸この紅黎深が手塩にかけて育てた男。 次の時代を担うであろうあの能吏は、無駄な手は決して打たない。
奇人はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「女人受験導入など到底受け入れがたい愚案だ」
「今度から、と主上が言ったからだろう?だから君は無言で斬って捨てた」
「当たり前だ。時間が少なすぎる。早急に手を打つべきものと、時間をかけるべきものの区別なぞ初歩の初歩だ。反対の言葉すらバカバカしすぎて口にしたくもなかったわ。……何故、お前が居ながら止めなかった?」
女人でありながら、先王の意向で朝廷で働く彼女を鳳珠と同じように黎深もみやった。その視線を受けて涼佳は妖艶に笑んで見せた。
「王が自ら考えたことだからよ。経験を積むにはちょうどいいと思ったの。あなただって、絳攸が送り込んだ秀麗ちゃんを黙って受け入れたでしょ?最初から女の子だってわかっていながら」
「……………単に人手不足だったんだ」
黎深と並んで次代宰相候補と言われる黄奇人こと黄鳳珠。一風変わった風貌だけが突出して語られがちだが、その才、実力ともに黎深と伯仲し、いささかもひけはとらない。何より、彼が常識や固定観念にとらわれぬ柔軟な思考の持ち主であることを、黎深も涼佳もよく知っていた。 男とか女とか、そういうつまらないことにこだわるような男ではない。でなければ派遣されてきた秀麗を娘と知りつつ受け入れたりはしない。 が反対したのは、実際的な問題があると判断したからだ。
「女人の国試受験――確かに一考の余地あるものとは認めよう。実例もある。だが、それは政事は男のものという今まで長きにわたって連綿と信じられてきた固定観念はそう易々と覆らない。今だってそうだ。いきなり降ってわいたようにそんなことを言われても、官吏たちが納得できるものではない。これから先、長くその制度を維持していこうと思うならば、その価値観から変えていかねばならん。お前が再び表舞台に上がって来てその基盤が出来ようとしていたのに…。台無しにする愚行だ」
先王のように王の勅命で制度をむりやり導入することは可能だろう。だが、それでは官吏たちが納得しない。しこりが残るのはもちろん、そうした反対派は、隙あらば法の撤回を求めてくるだろう。現に今、反対派がなにやら大喜びで密かに裏で動いている。
細い綱の上を歩いていた涼佳の足下は今や糸ほどの細さになっている。
「だいたい、何故お前達には花すら渡さない」
「……それは私も気になるね。この草案を通したいというのなら、一番にやっておくべき行動だ。それさえわからぬ愚王か」
そういう二人に涼佳は普段と変わらない口調で答えた。
「花なら、渡そうとしてくれていたわよ。辞めさせたけど」
その言葉に鳳珠も黎深も目を見開いて驚きを表した。
「……何故、受け取らなかった…。それが、お前にとってもどれほど重要な物かわからないはずがないだろう」
「そうね。ただ一つ言えるとしたら……あたしも、あの子も選ばれる側じゃなくて、選ぶ側なのよ。そういう『契約』よ」
誰との、とは二人は聞かなかった。
だんだんと収まってきた庭院の喧騒に目をやった。
「……………なんでお前はよわっちいくせに、ちょろちょろ邪魔しやがったんだこのバカ!」
東の空がぼんやりと薄藍に染まりはじめたころ、賊全部をなんとか縛りあげると、燕青は翔琳少年の首根っこを猫のようにつまみあげた。
「なに?俺様が手伝ってやったから完全制覇できたのだぞ」
「バカタレ!味方への被害のほうが多いじゃねーか」
翔琳の見当違いの「掩護」であちこち余計な傷を負った他の四人は、無言で頷いた。苦笑を零しながら唯一無傷の潤月はつまみあげられた翔琳を抱き上げて下ろしてやった。
「……まあまあ。誰も大きな怪我がなくてよかったじゃん?でもね、翔琳。眠ってる曜春や秀麗ちゃん達になにかあったらいけないから離れを守っていてほしかったな」
「…………うむ。その考えには至らなかったな……」
次回に生かすとするぞ!と張り切った小さな男の子に潤月はにっこりと微笑み頭を撫でた。
許してしまった潤月に燕青は深く息を吐き出す。
「……甘いな。こういう時はビシッと言った方が良いんだぜ?だいたいコイツ一人もつかまえてねーし」
「親父殿は人相手の喧嘩は教えてくれなかった」
真顔でいう翔琳に、燕青は目をぱちくりさせた。
「…………ふーん、なるほどな。そりゃいい親父さんだ」
「当たり前だ。親父殿は国一番の親父殿だぞ」
誇らしげに翔琳が胸を張る。それにクスクスと笑った。そんな潤月に燕青はこっそりと耳打ちした。
「………もしかして、数年前の大規模な賊討伐の時に居た?……『殺人賊』っていう……」
訊かれて潤月は燕青をまじまじと見た。どこか見覚えのある面影が記憶を彷徨い一致する。
「―――っ?!もしかして、あの時の少年!?」
「うお、やっぱり!どっかで見たことあるんだよな〜ってずっと考えてて、戦ってる姿見て思い出したんだよな」
聞こえていた静蘭もその名前に密かに驚き、目を見開いていた。
…………あの時、コイツが居た、だと…?
「いや〜〜、俺ずっと少年だと思ってたわ。髪短かったし」
「ははは、良く間違えられる。……でも、そっか……あの時の……」
「潤月も燕青殿と知り合いだったのかい?」
「知り合いというか顔見知り?遠征任務の時に見かけただけだけど」
潤月、燕青をまじまじと見る。記憶にある姿はほんの小さな男の子だった。
「……随分とデカくなったね。………いいな」
「そっちだってデカくなったじゃん」
あまりの他意のなさに潤月は自分の膨らみのある胸元を押さえて悩ましげに答える。
「同じ成長なら、身長の方がよかったよ。毎日サラシ巻くの大変なんだよ」
「女の人から見たら、十分タッパあるんじゃね?」
「大将軍達を摘めるくらいには身長欲しかったのー」
「あははっ、そうなんだ」
そんな会話をしていると、潤月の耳に弓のしなる音が聞こえた。瞬時に燕青を押し飛ばし翔琳を庇うように抱きしめ寸前のところで矢を避ける。しかし、飛んで来た矢は髪紐を捕え地面に突き刺さった。
緩く結われていた薄い桃色の髪がゆるゆると解けて行く。
「――潤月ッ!」
「――あんにゃろ!まだ生き残って―……ってあれ?」
塀の上に居た山賊が何故か奇っ怪な声を上げてドサリと地面に落ちた。邵可が倒してくれたのだが、その早業を見抜ける者は居なかった。
「……最後の悪あがきってやつか?」
「…潤月、大丈夫か?」
砕けてしまった玉飾りを拾う潤月は駆け寄って来た静蘭の顔を見上げた。
「……え、あぁ。私は大丈夫。……気に入ってたのに、ごめん」
そうポツリと謝った潤月に静蘭は微笑みを浮かべた。
「……いい。また、買ってやる」
「え、いいよ。それよりもちゃんと秀麗ちゃん達とご飯食べて」
そういうと、誰かの腹の虫がぐ〜とマヌケに鳴った。 その音につられたように劉輝もガックリと膝をついた。
「……………そういえば……秀麗のご飯を食べるつもりだったから、余も夕飯抜きだった」
腹が減ったとしくしく呟く劉輝。それは静蘭も楸瑛も同じだった。
離れは暖かそうに煌々と光が灯っている。飛んで火に入る夏の虫ということわざが全員の脳裏をめぐった。でも秀麗に「なにやってたの他人様の庭院で」と怒られたとしてももう構わないと誰もが思った。 本当はこっそり帰る予定だったのだが。
「…………あそこに行って、お嬢様に何かつくってもらいましょう」
静蘭の意見に反対する者は誰もいなかった。
離れに戻ると、秀麗はガミガミと劉輝達を怒り説明を求めたが、潤月が一緒にご飯を作ろうと誘い曖昧に誤魔化した。
次々と運ばれて来る料理を置きながら静蘭は手伝いもせず座っている涼佳をみやった。
「…………手伝うフリくらいしたらどうだ?」
「あら。アンタのご飯にだけ毒を混ぜてもいいのかしら?」
「…フン。やってみろ。倍返しにしてやる」
バチバチと火花を散らせる二人に、旧い友人の新たな一面に燕青は驚きを隠せなかった。
「……アイツが女にあんなに本性むき出しにするとこ初めて見たけど、あの見た目に食ってかかる女も居るんだな…」
「…………あれはいつものことなのだ…」
「顔を合わせなくてもずっとああだよ、あの二人は」
ちょうどそこへ料理を運んで来た潤月はまた仲良く(潤月にはそう見える)遊んでいる二人に息を吐いた。
「――ほ〜ら、じゃれ合ってないで座って座って」
その発言に二人の沸点が爆発した。
「―誰がじゃれてるって言うんだ!」
「―アンタって本当に間抜けっ!!どこが、じゃれてるのよ!コイツがアタシの行く先々に存在してるだけなんだから!最早、呪いかっての!」
「………それは逆でしょう」
「は?第一初対面から気に食わないのよね、アタシ。顔だけだからかしら?」
「ハハ、面白いことを言うんだな。毎日化粧しているようだが、大変そうだ。白粉の減りも多くて金がかかるだろう」
「お金なら、充分稼いでいるので心配要らないわ。化粧で隠せるだけマシじゃなくて?あなたは、腕よりお腹を鍛えたらどうかしら?」
「…化粧、崩れてるぞ」
「…本性、漏れてるわよ」
そもそも、白大将軍と黒大将軍の喧嘩と、静蘭と涼佳の喧嘩は根本的な意味合いが違う。
羽林軍の方はお互いに似た者同士で心のどこかで信頼し合っているわけであって、同じ似た者同士だとしても静蘭と涼佳を例えるならまさに水と油。嫌い合い同士で相容れないのだ。
懐かしいなぁ、と疲れで止める気力もなく劉輝は現実逃避に眺めていた。
「……ふ〜ん。そうなんだ…」
わかってないような潤月の生返事に怒りの矛先が向かいかけたが、秀麗が最後の料理を運んで来たことで難を逃れたのだった。
食卓をみんなで賑やかに囲めば、お腹が満たされる。
劉輝は秀麗と合えて嬉しそうだった。
「…………全く、あの子ったら……自覚があるのかしら?」
「いいじゃん。たまにのお忍びくらいさ。戩華おじさんもよくお城抜け出して遊んでたよ」
側近三人に無茶振りをしたり、街中を連れ回したりと散々やっていた。一番長かったお忍びは街中を使ったかくれんぼだった。
潤月とどこかに居るから探せ、と書き置きを残し側近と風の狼総出で探し回ったという。
懐かしい記憶に微笑んでいる潤月に涼佳はため息を零した。
「………よく、抜け出されても困るわよ……」
そんな会話をしていると劉輝は秀麗に口付けをしていた。
気にせず、涼佳は目の前にあるお酒の入った瓶に手を伸ばした。
「――待った!」
ギョッとした潤月は横から瓶をかっさらう。突然の声にその場に居た全員が驚きに手を止めた。
「……どうしたんだい、潤月」
「………なによ、ちょっとくらいいいじゃない。あたしだって呑みたい気分なのよ」
「…………これはお前には強いからダメだ」
「…あなた、お酒強くないんですか?」
そう訊いてきた静蘭に涼佳は潤月をジト目で見ながら答えた。
「……あまり強い方ではないわ。嗜む程度には呑めるけどね」
「そう。お前は強くないんだ。これは強いお酒だからダメ。……今日くらい我慢しろ」
「……俺も、あまり呑める方ではないから言うが、ここにある酒はさほど強くないと思うが」
「ダメなんだよ、絳攸。絶対ダメ。危険だから」
そんな会話をしている中、静蘭は空いた杯に飲み水を注ぎ置いて行く。涼佳の前にもそっと置いた。
涼佳は息をつき、諦めた。置かれた水に手を伸ばす。
「わかったわよ。あきらめる………あたしだって呑みたかったのに……」
ぶつぶつと文句を垂れるも杯に口を付け一口飲んだ。瞬間、涼佳の動きが停止した。文字のごとく“停止”した。
やっと静かになった涼佳に潤月は座り直して奪い取った瓶を持ち直し、静蘭や燕青の空いてる杯に注いだ。
「……全く。お前は酒癖が悪いんだから気をつけなきゃダメだって言っているだろうが…。振り回されてるこっちの身にもなれ……。―楸瑛、絳攸はおかわりいるか?」
そう言って瓶の口を向けていると後ろから視界の端に白い手が入って来た。振り返り見ると熱に浮かされた虚ろな瞳で妖艶に微笑む涼佳とばっちし目が合う。頬に手が妖しく這った。
――あ、ヤバい。
涼佳の背後に立って居る秀麗を気にして取り押さえるのが遅れた。誰にも被害が及ばないようにするには――。
「―んっ?!」
次の瞬間には、静蘭達は唖然とした。涼佳が潤月に口付けをしていたのだ。