短編
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(あれは、B組の男子。と、C組の女子…かな)
今日も校舎裏の角の告白スポットをひとり眺める。昼休みの四階の校舎は人があまり来ないので、静かにカップルの成立を見るのには絶好の場所だ。しかも丁度ここは見えにくい位置にある。設計した人を褒め称えたい。本当は屋上から見たいものだが、そもそも屋上も告白スポットなので邪魔をするわけにはいかない。だから、こうして四階の窓から様子を眺めることにしている。虚しくないかって?そんなのは考えたことがない。むしろカップルを眺めることこそ至高の時間なのだ。
B組の男子(名前知らないしB男でいいや)がC組の女子(こっちもC子でいいか)に手紙を差し出すと共に頭を下げる。もうB男は何度もフラれている筈だ。それでもめげずに告白するものだから本当にメンタルが強いのだろうな。
しばらくすると、C子は諦めたように彼の手紙を受け取った。おや、これはカップル成立かな。どうやら成功したようでB男は満面の笑みを浮かべている。私もつい、人がいないのをいいことに、思わず拍手してしまった。
「いや〜良かったねぇ……やっと実ったねえ……」
「ほんまやなあ。もう五回目やで」
「そうそう。何度も断られて……え!?」
誰もいなかった筈の私の隣には、少し伸びた青い髪で、眼鏡をかけた男の子が立っていた。背が高くて顔の綺麗な子。彼もまた、B男とC子の経緯をながめていたようだ。
「びっくりしたあ……」
「堪忍な。でも毎日眺めてる自分も大概やで」
確かにそうだ、とは思ったが、彼も告白の様子を眺めていたのだろう。お互い様ではないか……?
「嬢ちゃん確かD組やんな?岳人の隣の…」
「あぁ、よく向日くんと話してる!忍足くんだっけ?」
せやで、と言って彼は微かに笑った。名字?と聞かれたので頷いて肯定する。
「忍足くんもよくここ来るの?」
「そうやなあ……。しばらく前に名字のこと見つけて。それで気になって見とってん」
まさか前からこの恋人観察を見られていたというのか。そう思うと恥ずかしくなってくる。
「でも、俺もそういうの見るんは好きやで。幸せそうな顔見たらこっちまで嬉しなるし」
「だよね!初めて理解者できたかも」
「それは良かったわ」
それから、よく忍足くんはここに来るようになった。落ち着いているし、静かな関西弁の声が何だか丁度いい。こんなに異性と話していて居心地が良かったのは初めてかもしれない、と思った。それも、他愛のない話をするだけなのだが、忍足くんは何でも聞いてくれた。彼はなんと恋愛小説が好きらしく、かなり話が合ったことも嬉しかった。そしてさらに良い所は、沈黙が気まずくないこと。これは忍足くんというより、校舎裏の告白現場を眺めているというのが主旨だから、という理由でもある。ただ、彼の穏やかな空気感のおかげで、沈黙が全く気まずくないのだ。つくづく不思議な人だな、とも思う。
そうして、三ヶ月くらい過ぎただろうか、いつものように四階の窓で外を眺めていた日であった。
(今日は全然来ないなあ……)
もう昼休みが始まって10分経った。しかし、忍足くんが来る気配はない。何か用事でもあるのだろうか。気を紛らわそうと校舎裏に視線を戻す。そこにやってきたのは可愛い女の子と見慣れた青髪の男の子。
「……忍足くんだ」
そういえばテニス部だったはずだ。すごくモテる、という噂が絶えない。まあ、あんなにかっこいいのだから告白されまくりだろう。毎日ここにいるなんてバレたら女子が殺到しそうだ。バレませんように、と神様に祈っておいた。
女子が忍足くんに向かって何か話しているようだ。彼も頷いてそれを聞いている。ああ絶対告白だ。良かったねえ忍足くん。
すると忍足くんも何かを呟いて、彼女の手を引いた。そのままこちらから見えない死角へと進んでいった。裏にはせいぜい人が一人分入るくらいの、細い行き止まりのスペースがある。
そこに連れ込んだということは…!明らかにキスする流れだ!!
彼、結構大胆なことをするタイプなんだ。こっちまでドキドキしてしまうではないか。絶対「俺も好きやったんや……今日は帰さへんで……」みたいな流れになるやつだ!彼女ちゃんも恥じらいながら受け入れちゃうやつだ!キャー!!
……うざい友達みたいなノリになってしまった。しばらくすると、彼らが裏から出てきた。彼女はそそくさと先に帰っていってしまった。照れ隠しだろうか。一人残った忍足くんは、立ち止まって上を見上げた。
そして、ばっちり目が合った。
外からは多分、見えていないはずだ。窓に光が反射して、角度的にも、絶対こちらは見えない。そのはずなのに、ちょうど彼の瞳は私を捉えているような気がする。こちらをじっと見つめた後、彼は薄く微笑んでその場を去った。
そのとき、胸がなんだかぎゅうっとした。
いつもは心から幸せで、嬉しいのに。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
その翌日。母がカバンのポケットにこっそり入れてくれたクッキーを食べながら、窓の外を眺めていた。母に賛辞を贈りたい。めちゃくちゃ美味い。
ただ、今日は何だか恋人達を見たい気分ではなかった。何故だろう、昨日から締め付けられるような苦しさを覚えている。
「名字、今日も早いなあ」
「忍足くん。こんにちは」
いつもは平気なはずの沈黙が、どうにも気まずい。この空気に耐えられそうにない。でも、昨日のことなんか聞けない。普段の私なら聞けるはずだ。カップル成立を祝えるはずだ。
「昨日、ここおった?」
「う、うん。いたよ」
「じゃあ見えとった?」
直球で来られた。まあ確かにその方がありがたいのだが。
「……うん」
「あれなあ、なんか付き合ってくれ言われたけど、断っといたわ」
「えっ」
良い感じに見えたんですけれども。
「話聞いたところ、俺の外見が好みらしいわ。中身も知らんのによう告れたもんやな」
「え、じゃあ裏に連れ込んでたのは?」
「お前のこと知らんから無理やって言うといたわ」
全くイメージと違う、と思いながらどこか安心している自分がいた。何故安堵しているかなんて分からない。
「で、その後名字の姿が見えてんけど」
「なんで見えたの?ここ反射で見えない筈だよ」
「俺、視力ええから」
右手をVの字にして、「2.0あるねん」と彼は言った。2.0なんて初めて見た。
「2km先とか見えるんじゃないの」
「それは無理やろ」
よかった。いつも通りの会話ペースだ。私のこの変な気持ちまでは悟られていないようであった。
「なあ、名字」
「ん?どうしたの」
「……ずっと見る側やん」
「うん。そうだね」
「たまには、その、見られる側になりたいとか、そういうのは無いんか?」
見られる側……告白したりされたりみたいなことだろうか。
「私、そういうのは別にいいかな。見てるだけで満足だし、気になる人もいない。それに、私のことが好きな人もいないだろうから」
「そんなこと無いやろ」
「……?」
「あっ、いや……気づいてないだけで名字を好きな人もおるかもしれへんで」
「そうかなあ。そしたら断ろ」
「えっ。なんで断るん」
「『見る側』になれないじゃん。私以外の人と付き合ってもらわないと。全力で阻止しなきゃ」
「それは可哀想やろ」
それを言われると、返す言葉がなくなってしまう。こんなの私の都合でしかない。
「気持ち悪いでしょ。告白の観察が趣味です、だなんて。そんな人私以外に見たことある?」
「しれっと隣の人も侮辱してるで」
「いやいや!忍足くんはキモくないから!」
「俺は告白の観察が趣味の奴、好きやで」
忍足くん、正気だろうか。私を励まそうとしてくれてるのであろうが、とんでもないことを口にしているぞ。変人になってしまっている。
「変でも何でもええわ。こんなに趣味がおんなじ奴なんてそう見つからんやろ」
「ありがとう、励ましてくれて。この趣味のおかげで忍足くんに出会えて良かったなあ」
予鈴が廊下に鳴り響いた。彼に手を振って、教室へと急ぐ。彼がくれた温かい気持ちが、胸を締め付けていた紐を少しだけほどいてくれた。そんな気がしたのに、まだ心の底は重いままであった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
『私、そういうのは別にいいかな。見てるだけで満足だし。それに、好きな人も、私のことが好きな人もいないだろうから』
至って裏のない、澄んだ目でそう言っていた。
遠回しになるかもしれないが、好意を伝えたはずなのに、励まされたと勘違いされる。他人の恋模様には興味があるのに、自分のことには無関心。そう思うと、もどかしい気持ちに襲われる。
(俺のことも、あくまで人間観察仲間としか思とらんやろなあ……)
無性に苦しくなる。名字と過ごす為に何もかも跳ね除けてきたが、肝心の彼女には振り向いてすら貰えない。
彼女に想いを伝えたとて、その先が想像出来ない。答えも分からないまま微睡んでいた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「忍足くん見て。跡部さんだよ」
「ほんまやなあ」
生徒会長の彼はこの学園一のモテ男である。今日もすごいルックスとオーラとポテンシャルで女子を寄せ付けている。当人は彼女らと少し距離を取っているようだが。
「いいねえ〜。物語のキャラみたいだよね」
「確かになあ」
嬉しそうに目を輝かせる名字を、忍足は食い入るように見つめていた。
「……名字は、跡部みたいな奴が好きなんか?」
「うーん。見ている分にはいいけど、関わるのはちょっと大変そうだよね」
「さよか」
今度は、「名字はどういう人やったらええ?」と聞いてきた。
「特にないけど……。面白くて優しい人?かなあ」
「へぇ……」
「そうそう、忍足くんみたいな感じの。あっ、いずれこの趣味もバレるだろうから、理解してくれる人がいいな」
すると、彼は微笑んで私に手を伸ばしてきた……と思ったら、頭を優しく撫でられた。一瞬、目の前が真っ白になって、顔が熱くなる。誤魔化すように話を続けた。
「お、忍足くんは……?」
「……ああ、俺も趣味が合って、優しくて可愛い、名字みたいな子がええな」
「えっ、忍足くんって——」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
『ほんと褒め上手だよね』
そう言って彼女は笑った。
「なんっっっっっでやねんっ」
「落ち着け」
目の前で悠長に紅茶を啜っているのは、昼にも見かけたあの跡部だ。正直、自然な流れで彼女の好きなタイプを聞き出せたのは、跡部のおかげだろう。
「あんなこと言うたのに何で気づかへんねん。おかしいやろ……」
「もっとストレートに言えばいいだろ」
「ほぼストレートやろ。名字みたいな子がええなって。ジャブやったって言うんか…」
「ジャブどころかパンチですらねえよ」
「嘘やろ……。じゃあ俺みたいなんが好きって言うのは、俺“が”好きってことやんな?」
「まあ、脈アリだな。後は押すだけだ」
(後は押すだけ……)
どこまでやったら、嫌われへんやろか。この関係が崩れそうだという予感しかしない。いや、たとえ崩れたとしても——。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「名字、今日は外行くで」
「えっ何?なんで?」
「告白スポット見学ツアーや」
「新しい観察場?」
「だから現場に行くんやって」
手を強く握られて、引っ張られるようにして階段を降りた。風の当たりにくい校舎裏へと、彼は進んでいった。
「急にどうしたの?」
「あんな、俺昨日言うたやろ?名字みたいな子がええ、って」
「言ってたね」
変なところしかない私を彼なりにどうにか褒めようとしてくれていたときを思い出す。思い出す度申し訳ない。
「それ、そのままの意味や」
「……?うん」
「ほんまに分からんのか?」
「あ!もしかして何かの隠語……?」
「何でそうなんねん」
彼は「もうええわ……」と言って顔をぐっと近くに寄せた。
「俺が好きなのは名字や。付き合うんやったら名字がいい」
じりじりと距離を詰められ、やがて背中に壁がぶつかる。
「……って意味やってんけど」
刃のように鋭い眼光が私を捕える。目を逸らそうにも逸らせない。時が止まったような、そんな気がして言葉が口から出てこない。
「……恋人を見る側がええってこと、知っとる。恋人を作りたくないってのも知っとる。けど、名字を好きな奴はほんまにおるってことだけ、覚えといてほしい」
それから彼は哀しそうに笑って、私から離れた。背を向けて歩き出そうとした彼の腕を、いつの間にか訳もわからずに掴んでいた。
「……?」
「忍足くん、その……」
緊張で息も吸えない。けれど、このタイミングを逃したら、いけない気がする。
「私、忍足くんと過ごしてて、わかったの。なんか、心の奥が重たい……というか。あったかくなったり、つめたくなったり、する」
彼は顔色ひとつ変えずに私に向き直った。
「忍足くんが来なかった日から、かな。ずっともやもやしてた。でも、今はわかる。私も、忍足くんが好きなのかもしれない」
忍足くんの顔が少しだけ和んだ。綻びるように、穏やかないつもの顔が戻ってきた。心にずっと重くのしかかっていたのは、忍足くんへの気持ちだった。ずっとずっと、私はそれから逃げていたということに、今更気がついた。
「これからも、一緒にいよう。いてください」
「俺でよかったら」
「私こそ。変わってるけど」
変わってるのはお互い様やろ、と微笑む彼にただ頷く今が、一番幸せだった。
恋人を眺める一人の少女と、隣で笑う少年。
彼らは二人の恋人へと変わっていた。
今日も校舎裏の角の告白スポットをひとり眺める。昼休みの四階の校舎は人があまり来ないので、静かにカップルの成立を見るのには絶好の場所だ。しかも丁度ここは見えにくい位置にある。設計した人を褒め称えたい。本当は屋上から見たいものだが、そもそも屋上も告白スポットなので邪魔をするわけにはいかない。だから、こうして四階の窓から様子を眺めることにしている。虚しくないかって?そんなのは考えたことがない。むしろカップルを眺めることこそ至高の時間なのだ。
B組の男子(名前知らないしB男でいいや)がC組の女子(こっちもC子でいいか)に手紙を差し出すと共に頭を下げる。もうB男は何度もフラれている筈だ。それでもめげずに告白するものだから本当にメンタルが強いのだろうな。
しばらくすると、C子は諦めたように彼の手紙を受け取った。おや、これはカップル成立かな。どうやら成功したようでB男は満面の笑みを浮かべている。私もつい、人がいないのをいいことに、思わず拍手してしまった。
「いや〜良かったねぇ……やっと実ったねえ……」
「ほんまやなあ。もう五回目やで」
「そうそう。何度も断られて……え!?」
誰もいなかった筈の私の隣には、少し伸びた青い髪で、眼鏡をかけた男の子が立っていた。背が高くて顔の綺麗な子。彼もまた、B男とC子の経緯をながめていたようだ。
「びっくりしたあ……」
「堪忍な。でも毎日眺めてる自分も大概やで」
確かにそうだ、とは思ったが、彼も告白の様子を眺めていたのだろう。お互い様ではないか……?
「嬢ちゃん確かD組やんな?岳人の隣の…」
「あぁ、よく向日くんと話してる!忍足くんだっけ?」
せやで、と言って彼は微かに笑った。名字?と聞かれたので頷いて肯定する。
「忍足くんもよくここ来るの?」
「そうやなあ……。しばらく前に名字のこと見つけて。それで気になって見とってん」
まさか前からこの恋人観察を見られていたというのか。そう思うと恥ずかしくなってくる。
「でも、俺もそういうの見るんは好きやで。幸せそうな顔見たらこっちまで嬉しなるし」
「だよね!初めて理解者できたかも」
「それは良かったわ」
それから、よく忍足くんはここに来るようになった。落ち着いているし、静かな関西弁の声が何だか丁度いい。こんなに異性と話していて居心地が良かったのは初めてかもしれない、と思った。それも、他愛のない話をするだけなのだが、忍足くんは何でも聞いてくれた。彼はなんと恋愛小説が好きらしく、かなり話が合ったことも嬉しかった。そしてさらに良い所は、沈黙が気まずくないこと。これは忍足くんというより、校舎裏の告白現場を眺めているというのが主旨だから、という理由でもある。ただ、彼の穏やかな空気感のおかげで、沈黙が全く気まずくないのだ。つくづく不思議な人だな、とも思う。
そうして、三ヶ月くらい過ぎただろうか、いつものように四階の窓で外を眺めていた日であった。
(今日は全然来ないなあ……)
もう昼休みが始まって10分経った。しかし、忍足くんが来る気配はない。何か用事でもあるのだろうか。気を紛らわそうと校舎裏に視線を戻す。そこにやってきたのは可愛い女の子と見慣れた青髪の男の子。
「……忍足くんだ」
そういえばテニス部だったはずだ。すごくモテる、という噂が絶えない。まあ、あんなにかっこいいのだから告白されまくりだろう。毎日ここにいるなんてバレたら女子が殺到しそうだ。バレませんように、と神様に祈っておいた。
女子が忍足くんに向かって何か話しているようだ。彼も頷いてそれを聞いている。ああ絶対告白だ。良かったねえ忍足くん。
すると忍足くんも何かを呟いて、彼女の手を引いた。そのままこちらから見えない死角へと進んでいった。裏にはせいぜい人が一人分入るくらいの、細い行き止まりのスペースがある。
そこに連れ込んだということは…!明らかにキスする流れだ!!
彼、結構大胆なことをするタイプなんだ。こっちまでドキドキしてしまうではないか。絶対「俺も好きやったんや……今日は帰さへんで……」みたいな流れになるやつだ!彼女ちゃんも恥じらいながら受け入れちゃうやつだ!キャー!!
……うざい友達みたいなノリになってしまった。しばらくすると、彼らが裏から出てきた。彼女はそそくさと先に帰っていってしまった。照れ隠しだろうか。一人残った忍足くんは、立ち止まって上を見上げた。
そして、ばっちり目が合った。
外からは多分、見えていないはずだ。窓に光が反射して、角度的にも、絶対こちらは見えない。そのはずなのに、ちょうど彼の瞳は私を捉えているような気がする。こちらをじっと見つめた後、彼は薄く微笑んでその場を去った。
そのとき、胸がなんだかぎゅうっとした。
いつもは心から幸せで、嬉しいのに。
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その翌日。母がカバンのポケットにこっそり入れてくれたクッキーを食べながら、窓の外を眺めていた。母に賛辞を贈りたい。めちゃくちゃ美味い。
ただ、今日は何だか恋人達を見たい気分ではなかった。何故だろう、昨日から締め付けられるような苦しさを覚えている。
「名字、今日も早いなあ」
「忍足くん。こんにちは」
いつもは平気なはずの沈黙が、どうにも気まずい。この空気に耐えられそうにない。でも、昨日のことなんか聞けない。普段の私なら聞けるはずだ。カップル成立を祝えるはずだ。
「昨日、ここおった?」
「う、うん。いたよ」
「じゃあ見えとった?」
直球で来られた。まあ確かにその方がありがたいのだが。
「……うん」
「あれなあ、なんか付き合ってくれ言われたけど、断っといたわ」
「えっ」
良い感じに見えたんですけれども。
「話聞いたところ、俺の外見が好みらしいわ。中身も知らんのによう告れたもんやな」
「え、じゃあ裏に連れ込んでたのは?」
「お前のこと知らんから無理やって言うといたわ」
全くイメージと違う、と思いながらどこか安心している自分がいた。何故安堵しているかなんて分からない。
「で、その後名字の姿が見えてんけど」
「なんで見えたの?ここ反射で見えない筈だよ」
「俺、視力ええから」
右手をVの字にして、「2.0あるねん」と彼は言った。2.0なんて初めて見た。
「2km先とか見えるんじゃないの」
「それは無理やろ」
よかった。いつも通りの会話ペースだ。私のこの変な気持ちまでは悟られていないようであった。
「なあ、名字」
「ん?どうしたの」
「……ずっと見る側やん」
「うん。そうだね」
「たまには、その、見られる側になりたいとか、そういうのは無いんか?」
見られる側……告白したりされたりみたいなことだろうか。
「私、そういうのは別にいいかな。見てるだけで満足だし、気になる人もいない。それに、私のことが好きな人もいないだろうから」
「そんなこと無いやろ」
「……?」
「あっ、いや……気づいてないだけで名字を好きな人もおるかもしれへんで」
「そうかなあ。そしたら断ろ」
「えっ。なんで断るん」
「『見る側』になれないじゃん。私以外の人と付き合ってもらわないと。全力で阻止しなきゃ」
「それは可哀想やろ」
それを言われると、返す言葉がなくなってしまう。こんなの私の都合でしかない。
「気持ち悪いでしょ。告白の観察が趣味です、だなんて。そんな人私以外に見たことある?」
「しれっと隣の人も侮辱してるで」
「いやいや!忍足くんはキモくないから!」
「俺は告白の観察が趣味の奴、好きやで」
忍足くん、正気だろうか。私を励まそうとしてくれてるのであろうが、とんでもないことを口にしているぞ。変人になってしまっている。
「変でも何でもええわ。こんなに趣味がおんなじ奴なんてそう見つからんやろ」
「ありがとう、励ましてくれて。この趣味のおかげで忍足くんに出会えて良かったなあ」
予鈴が廊下に鳴り響いた。彼に手を振って、教室へと急ぐ。彼がくれた温かい気持ちが、胸を締め付けていた紐を少しだけほどいてくれた。そんな気がしたのに、まだ心の底は重いままであった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
『私、そういうのは別にいいかな。見てるだけで満足だし。それに、好きな人も、私のことが好きな人もいないだろうから』
至って裏のない、澄んだ目でそう言っていた。
遠回しになるかもしれないが、好意を伝えたはずなのに、励まされたと勘違いされる。他人の恋模様には興味があるのに、自分のことには無関心。そう思うと、もどかしい気持ちに襲われる。
(俺のことも、あくまで人間観察仲間としか思とらんやろなあ……)
無性に苦しくなる。名字と過ごす為に何もかも跳ね除けてきたが、肝心の彼女には振り向いてすら貰えない。
彼女に想いを伝えたとて、その先が想像出来ない。答えも分からないまま微睡んでいた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「忍足くん見て。跡部さんだよ」
「ほんまやなあ」
生徒会長の彼はこの学園一のモテ男である。今日もすごいルックスとオーラとポテンシャルで女子を寄せ付けている。当人は彼女らと少し距離を取っているようだが。
「いいねえ〜。物語のキャラみたいだよね」
「確かになあ」
嬉しそうに目を輝かせる名字を、忍足は食い入るように見つめていた。
「……名字は、跡部みたいな奴が好きなんか?」
「うーん。見ている分にはいいけど、関わるのはちょっと大変そうだよね」
「さよか」
今度は、「名字はどういう人やったらええ?」と聞いてきた。
「特にないけど……。面白くて優しい人?かなあ」
「へぇ……」
「そうそう、忍足くんみたいな感じの。あっ、いずれこの趣味もバレるだろうから、理解してくれる人がいいな」
すると、彼は微笑んで私に手を伸ばしてきた……と思ったら、頭を優しく撫でられた。一瞬、目の前が真っ白になって、顔が熱くなる。誤魔化すように話を続けた。
「お、忍足くんは……?」
「……ああ、俺も趣味が合って、優しくて可愛い、名字みたいな子がええな」
「えっ、忍足くんって——」
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『ほんと褒め上手だよね』
そう言って彼女は笑った。
「なんっっっっっでやねんっ」
「落ち着け」
目の前で悠長に紅茶を啜っているのは、昼にも見かけたあの跡部だ。正直、自然な流れで彼女の好きなタイプを聞き出せたのは、跡部のおかげだろう。
「あんなこと言うたのに何で気づかへんねん。おかしいやろ……」
「もっとストレートに言えばいいだろ」
「ほぼストレートやろ。名字みたいな子がええなって。ジャブやったって言うんか…」
「ジャブどころかパンチですらねえよ」
「嘘やろ……。じゃあ俺みたいなんが好きって言うのは、俺“が”好きってことやんな?」
「まあ、脈アリだな。後は押すだけだ」
(後は押すだけ……)
どこまでやったら、嫌われへんやろか。この関係が崩れそうだという予感しかしない。いや、たとえ崩れたとしても——。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「名字、今日は外行くで」
「えっ何?なんで?」
「告白スポット見学ツアーや」
「新しい観察場?」
「だから現場に行くんやって」
手を強く握られて、引っ張られるようにして階段を降りた。風の当たりにくい校舎裏へと、彼は進んでいった。
「急にどうしたの?」
「あんな、俺昨日言うたやろ?名字みたいな子がええ、って」
「言ってたね」
変なところしかない私を彼なりにどうにか褒めようとしてくれていたときを思い出す。思い出す度申し訳ない。
「それ、そのままの意味や」
「……?うん」
「ほんまに分からんのか?」
「あ!もしかして何かの隠語……?」
「何でそうなんねん」
彼は「もうええわ……」と言って顔をぐっと近くに寄せた。
「俺が好きなのは名字や。付き合うんやったら名字がいい」
じりじりと距離を詰められ、やがて背中に壁がぶつかる。
「……って意味やってんけど」
刃のように鋭い眼光が私を捕える。目を逸らそうにも逸らせない。時が止まったような、そんな気がして言葉が口から出てこない。
「……恋人を見る側がええってこと、知っとる。恋人を作りたくないってのも知っとる。けど、名字を好きな奴はほんまにおるってことだけ、覚えといてほしい」
それから彼は哀しそうに笑って、私から離れた。背を向けて歩き出そうとした彼の腕を、いつの間にか訳もわからずに掴んでいた。
「……?」
「忍足くん、その……」
緊張で息も吸えない。けれど、このタイミングを逃したら、いけない気がする。
「私、忍足くんと過ごしてて、わかったの。なんか、心の奥が重たい……というか。あったかくなったり、つめたくなったり、する」
彼は顔色ひとつ変えずに私に向き直った。
「忍足くんが来なかった日から、かな。ずっともやもやしてた。でも、今はわかる。私も、忍足くんが好きなのかもしれない」
忍足くんの顔が少しだけ和んだ。綻びるように、穏やかないつもの顔が戻ってきた。心にずっと重くのしかかっていたのは、忍足くんへの気持ちだった。ずっとずっと、私はそれから逃げていたということに、今更気がついた。
「これからも、一緒にいよう。いてください」
「俺でよかったら」
「私こそ。変わってるけど」
変わってるのはお互い様やろ、と微笑む彼にただ頷く今が、一番幸せだった。
恋人を眺める一人の少女と、隣で笑う少年。
彼らは二人の恋人へと変わっていた。
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