ハグしないと出られない部屋
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誰にだって、手に入らないものはある。
この俺を以ってしても。
休み時間には言い寄られ、昼休みには呼び出され、部活終わりには待ち伏せに遭う。
360度、いつも誰かから見られている。
朝から部活を終えて帰宅するまで気を張っていなければならない毎日。
色目を使う奴、媚を売る奴、権力に肖ろうとする奴。
人に好かれるのはいいとして、そういった面倒な輩が近づいてくるのが気に食わなかった。
そんなことを考えていた二限目、横で何かが落ちる音がした。
こちらにぽてぽてと転がってきた消しゴムを拾う。
「ごめん」
声のした方を見上げると、隣の席の名字がいた。
渡してやると、「ありがと」と短い返事が返ってきて、すぐに座り直して黒板の方を向いた。
名字なまえ。
隣の席なのに会話したことがない。
休み時間になるといつも教室の奥の友人の席にいるせいだろうか。
いや、違う。この前のグループワークの時も話しかけられなかった。目すら合わせてくれたことがない。そう考えるとさっきも目が冷たかったような……。
嫌われているのだ、と気づくまでにそう時間はかからなかった。何故だ?特に話したこともないのに嫌う理由が知りたくて仕方がなかった。とはいえ迂闊に話しかけに行って余計に嫌な思いをさせてはいけない。
かくして、名字の観察が始まった。
いつも授業中は表情が無く、堂々としていて冷静だ。が、友人と話している時は素直で無邪気な笑みを見せる。クラスメイトにだって態度は変わらず、優しい笑みを浮かべていた。
今までそんな顔は見たことがなかった。
ただ、俺自身が今まで見ていなかったようで、表情は割ところころと変わるらしい。驚いたり、怒ったり。そして可憐な花のように笑う。
俺には、そんな風に表情は見せないのか。
見れば見るほど、知れば知るほど面白く、興味が湧いてしまう。たとえ彼女に手が届かなかったとしても。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
そして今日、書類を片付けて生徒会室で仮眠をとっていたのに、気がつけば真っ白な部屋の中にいた。
「…!名字…」
何故か目の前にある机で名字がすやすやと寝息をたてている。
出口はないかと探すと、一つだけドアがあった。その上にはハグしないと出られない部屋、と書かれている。なんだこのふざけた部屋は。
まずドアが開かないか確認する。ドアノブを回しても、叩いても、蹴っても動かない。力ずくでは開けられないようだ。
(この学園にこんな部屋なんてあったか…?)
窓もなく、このドア以外の逃げ道はないようだ。
こんな状況の中悠長に眠っている名字。
いつものような冷たい雰囲気を微塵も纏っておらず、あまりにも無防備だ。
起こそうと近くに寄った。光を反射し輝く髪に、今にも触れてしまいそうになる。
(触れたら、きっと余計に嫌われるだろうな)
迂闊なことはしないようにと、元の場所に座り、名字が起きるまで待つことにした。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
彼女が目覚めた。立ち上がってきょろきょろとしている。ドアの近くまで行って、上を見た途端に硬直した。そして、首を傾げた。なかなか挙動が面白い。ドアをこじ開けようとしているが、やはり俺は気がつかれていないようだ。
ドアを叩き出した頃に、「俺も試したが開かなかったぜ」と彼女の背中に向かって告げた。
彼女は勢いよく振り返り、「跡部……?」とこちらを見た。本当に俺のことに興味がないようだ。
どうしたらいいのかな…と困り果てている名字。その紙の通りにすればいいんじゃねーの、と返す。ほら、とこちらに来るよう促しても、彼女の顔は引き攣っていた。苦しそうな名字の顔が見ていられなくなって、俺は目を逸らした。
彼女の足音が近づく。そのゆっくりなテンポとは真逆で、俺の心臓は早いリズムを刻んでいた。
腕をそっと回す。思いのほか小さくて、すぐに壊れてしまいそうだ。
名字を抱きしめた後、俺を避けていないか、と聞いてみた。あまりにもストレートだったが、このまま話さないことの方が怖いという気持ちが大きかった。
そうかな、と曖昧な返事をする名字。それが気に食わず、俺のことが嫌いか、と尋ねてみる。また、「別に」と曖昧な答えが返ってきた。
半ば強引に彼女の身体を引き寄せる。名字がよろけたせいで更に二人の距離は近づいてしまった。関わったら迷惑か、と尋ねる。彼女はしばらく考えて、「なんで」と訊いた。
「好きだ」と正直に伝えると、また彼女は暫く黙り込んでしまった。顔が見えない分何を考えているのか分からず、苦しい。気がつくと「嫌か」と訊いてしまっていた。嫌われることが恐ろしくて仕方ない。久々にこんな思いをした。
すると彼女は、「嫌じゃない」と小さな声で呟いた。「全然、嫌じゃない」と、今度はしっかりとした声で言われた。苦しかった胸がだんだんと落ち着きを取り戻す。受け入れられたことが何よりも嬉しかった。
そんな俺の思いも知らずに名字は、「ドア開いてるかも」と言って俺から離れた。おいおいと言いたかったが確かにここから出ることが先決だ。
だが、ドアノブを動かす鈍い音が部屋内に響き渡るだけで、開く様子は見られなかった。
そして彼女はドアの上の紙を見て、その場に崩れ落ちた。
側に寄って見てみると、なんとお互いが手を回さないと出られないらしい。さっきの名字は確かに棒立ちだったからカウントされなかったようだ。
つまり、もう一度抱きしめられる。
自分の口角は今もの凄く上がっているだろう。ほぼ放心状態の彼女の隣にしゃがみ、無理やり立たせる。
「ほら、ちゃんと腕を回せ」
彼女の小さな手が自分の背中に触れているのが分かる。否応なく身体と身体が密着する。あまりに心地がよかったので、ドアがガチャリと音を立てるまで、1分経ったことに気が付かなかった。
「開いた…のかな?」
「そのようだな」
ドアノブを捻るとすぐにドアが開いた。
「校内だったんだ」
「ったく、誰がこんなもの用意したんだか」
許しはしないが、名字と話す機会を作ってくれたことは感謝しなければならない。
「やっと出られたね」
「…ずっとあの部屋でも良かったが」
「それは勘弁して」
「冗談だ、まあ部屋なんかなくてもハグぐらいできるようになったからな」
「流石に学校ではやめてよね」
名字はどうやら目立ちすぎるのが嫌だそうだ。それなら避けられているのも納得がいく。だとしたら、学校外でならいいんだな?と尋ねてみた。すると彼女はぎょっとした顔でこちらを見た。本当に表情がころころと変わって、見ていて飽きない。名字の顔を見つめていると、彼女は俯き頬を染めて「降参…」と呟いた。案外素直なところもあるようだ。
彼女の腰を軽く抱いて、髪を撫でてみる。そのまま首筋を指でなぞると、名字はびくりと反応した。もう片方の腕も回して、彼女の耳元でこう囁いた。
もう、逃がさない
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