出られない部屋シリーズ
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(前回の続き)
もう眠いったらありゃしない。
社会の先生のゆったりしていて優しいトーンに流されて、ぐっすりと寝てしまっていた。何だよあの眠りを誘う魅惑のヴォイスは。確か次の授業は移動教室だった気がする。
「んん…って移動!?やばいやばいやばい」
「あーん?何言ってやがる。もう放課後だ」
顔を上げると、いつもの端正な顔がこちらを眺めていた。みんな大好き跡部景吾様である。
「跡部何してんの」
「ここ、どこか分かるか?」
「えぇ?教室……、じゃないなこれ」
真っ白で、窓が無く、ドアはひとつだけで真ん中に机のある部屋。何やら大変見覚えがある。
「どうやら前と同じ部屋に閉じ込められたらしい」
「嘘だ〜。嘘だと思いたい」
ドアの前まで行くと、以前と同じようにドアの上に貼り紙があった。
☆キスしないと出られない部屋☆
なんてことだ。
「跡部…バージョンアップしてる…」
「何だと?……本当だな」
まるで「アンタ達も次のステップに進みなさいよっ☆」みたいなノリである。何故。そして誰だよこんなこと仕掛けてるのは。
「作ったの跡部じゃないよね」
「んなわけねえだろ。第一こんな部屋の存在も知らなかった」
「だよね……」
だとしたら迷宮入りである。しかし、身の回りにこんなことを企画しそうな人がいるかと言われても見当がつかない。一旦、諦めよう。そう思って跡部の方を振り向いた瞬間、彼は私の右手を取って、その手の甲にキスした。
「ぎゃっ」
「……よし、出るか」
(えぇ…なんでそういうことしれっと出来んの…)
流石に動揺する。何の躊躇いも無いなんて…。
まあ
そして、ドアは開かず。
「……また条件付きか」
「でも、紙に何にも書いてないよ?」
跡部は上だけセロハンテープで貼ってある紙を勢いよく剥がして、裏を向けた。
「……ほらな」
少し笑ってこちらに紙を見せてきた。ええっと……何だ…?
☆口でよろ☆
口て。
というか何なのそのテンションは。「よろ☆」じゃねえよ。犯人を見つけたら一回だけぶん殴らせて頂こう。
「で、どうだ?出来るか?」
随分と挑発的な眼でこちらを見る跡部。余裕綽々なのが腹立つ。腹は立つけれども……。
「……出来ません」
「あーん?」
「出来るわけないじゃん…無理……」
正直言って恥ずかしい。キスなんてしたことがい。ましてや跡部とだなんて。誰かが見てたらスクープが立ってしまうではないか。
当の跡部は、「無理……か…」と言ってどこか明後日の方向を向いていた。顔はどこかしょげているように見えないこともない。早く帰りたそう。私が頑張るしかない。
「ちょっと心の準備できるまで待って」
「……分かった。いくらでも待ってやる」
ファーストキスが跡部って、この学校の全女子の夢みたいなものじゃん。何やら非常に申し訳ない気分だ。なぜ私だけこんな部屋に閉じ込められるのだろうか。もっと他の人はいなかったのか。白すぎる壁を見つめてぼんやりと考えた。跡部の方を見ると、部屋の端っこで目を閉じていて、まるで西洋の人形のようであった。
(…黙っていれば、こんなに綺麗なのになあ)
高圧的で、何かと上から目線なところがちょっと気に入らない。でも、今こうやって待っていてくれるように、優しいときもある。そう考えると、皆から好かれるのも納得がいく。
「準備、出来たか?」
「……うん」
きゅっと目を瞑った。彼の足音が迫ってきて、私の前で止まった。腰を引き寄せられて、両腕を回された。
「ちょ…ちょっと……ストップ」
「あーん?何だ」
「所作が……いやらしい…」
その言葉を聞いたのち、跡部は大声で笑い始めた。そのままずっと笑い続けている。
「悪い。だがこんなのはスキンシップの範疇だ」
「跡部の普通は私と違うからね?」
「少しは意識してくれたようで何よりだ」
悪魔のように微笑んだ跡部。今すぐに意地悪、と叫んでやりたい。
「もう大丈夫か?」
「…ごめん。どうぞ」
また、そっと目を閉じた。芳しい香りがぐっと近づき、鼻先まで漂ってくる。柔らかくて温かいものが、優しく唇に触れた。触れ合った瞬間がやけに長く感じた。甘い後味がくっきりと残っている。とろけるような時間が過ぎ去った後、私はその場に崩れ落ちてしまった。彼が差し伸べてくれた手を取って、力の入らない足を無理やり叩き起こした。
「…っと、大丈夫か?」
「うん、大丈夫……」
「フッ、そんなに気持ち良かったのか?」
思わず彼の方を見上げた。それは満足そうに口の端を上げて、「美味かったぞ」と呟いた。あまりにもいたたまれない気持ちになって顔を覆った。こういうこと平気で言うか?普通の人。
そうして、ドアの鍵が開く音がした。二人で部屋を後にして、校舎の外へと歩く。もう空は橙色に染まっていた。外に人の気配はなく、もう下校時間はとっくに過ぎていることが分かる。誰もいない校舎を二人で歩いた。歩いている間は二人共黙っていた。密室から出られた解放感と、何とも言えない気まずさで言葉が見つからない。長い沈黙を破ったのは、私ではなく彼だった。
「不快だったか」
「え?」
「そんな顔をしていたら、誰だって不安には
なる」
彼によると、どうやら私は知らず知らずのうちに深刻な顔をしていたらしい。気まずい心情がそのまま顔に表れていてしまったようだ。
「不快…ではないんだけど。不快じゃないのが
疑問で」
抱きしめられたときと同じ、このままでいいのだろうかという思いがずっと心の底を巡る。ドアが開いてしまったのが虚しいような。彼を受け入れるどころか、いないと淋しいような。けれど求めてしまえば後悔してしまいそうで、それもまた怖い。嫉妬や非難が降りかかる気も勿論ある。後悔しないとあのとき決めたはずなのに、関わらない方が穏やかに過ごせる気がする。私は階段を降りるペースを早めた。隣を歩いていた彼が視界から消える。私も彼の前から消えて、これきりの関係になった方がいいだろう。
だって、このままでは彼を好きになってしまう
から。
「それが恋ってやつじゃねえのか?」
「分かってるよ。だから…離れないといけ
ない」
正面玄関の開かれたままのドアから風が吹き込んでいる。靴を履き替えて、門へと足を運ぶ。
「やっぱり、後悔する気がするから。それに、跡部を好きな人はたくさんいるし。きっと
私よりいい人いるよ」
「…何言ってる」
いつもよりずっと低く芯のある声が辺りに響き渡る。明らかに跡部の声色が変わった。
「嫌なら、嫌でいい。だがお前自身を卑下するのはやめろ。俺には今のお前以上にいい女はいねえ」
顔を上げると、跡部はすぐ隣にいた。彼の綺麗な手が髪に触れる。そのまま優しく撫でているのを黙って見ていた。手が頬を滑って下唇をなぞった。
「拒まねえんだな」
拒んだところで、逃がしてくれないだろう。迫ってくる朱い唇を受け入れるように、また目を閉じた。
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