荼毘(燈矢)短編
名前変換が必要な場合はどうぞ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「こんにちは、焦凍さん」
親父に紹介されたのは新しい家政婦さんだった。広い家を姉さんだけで管理するのも大変だし、今年からは担任も受け持つ事になって今まで以上に仕事が忙しくなるかもとは言っていたけど、まさか親父が新しい家政婦を雇うとは思わなかった。
年齢的に姉さんと変わらない気がする。慣れるまでは通いで来てくれると言うその人を真っすぐ見れないまま、親父の車椅子に付き添う姿を眺めていた。
「お食事なんかの家事に好みがあればおっしゃってくださいね、旦那様ってば栄養以外は気にしたことがないなんておっしゃるものですから」
落ち着いて見えるのに笑顔は子供のような人だった。
不思議と他人に馴染むのが上手く、一ヶ月もすれば家にいるのが当たり前になってきた。
意外と甘党なところ、食事を作る時に鼻歌が聞こえること、親父の晩酌に付き合える程度には酒が飲めること。
いろんなことを知って行くたびに、クラスの女子と関わる感覚とは違う気がして、不思議だった。
「みょうじさん……?」
そうして三ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎた。
高校を卒業してプロとして活動し始めた俺は、実家から足が遠のいていた。初めての一人暮らしは中々上手くいかず、教えて貰ったレシピで調理しても姉やみょうじさんのように出来上がることはない。
たまたま母校で案件があったため実家の門をくぐったが、人の気配はない。そう言えば親父は最近、大戦における基金の設立とか何とかで公安に顔を出していると聞く。
誰もいないのか、と廊下を歩み進めた先に、彼女がいた。
一番奥の部屋は、家の中でもどこか冷えた空気を纏っているようにも思う。所謂仏間と呼ばれるその部屋は至ってシンプルで、重く、昔は入ろうとするだけで怒鳴られていた場所だ。
畳に正座をして背をぴんと伸ばした彼女は、静かに両目を伏せて手を合わせている。正面にある長兄の遺影は昔から変わっておらず、少年の時のままだった。
それ以上声をかけることが躊躇われるような静謐さ。線香独特の香りが頬を撫でてはかすれて漂う。
「焦凍さん、お帰りになられていたんですね。すみません、お出迎えもせず」
一分か、それとも一時間か。
体感時間が狂ったまま見つめていた横顔は、いつの間にか廊下に立ち尽くしていた俺を見ていた。
慌てて今来たばかりだと言うように彼女の隣に腰かける。
「……いつも線香あげてくれてんのか」
「はい、出来るだけ毎日。燈矢がさみしくないように」
燈矢、と呼んだ彼女の横顔は澄んでいる。真っすぐ遺影を見つめるその顔に、裏も表もないように思えた。
「燈矢兄のこと、知ってんだな」
「……旦那様は焦凍さんに何もお話ししていないのですね」
少しだけ複雑そうな表情を浮かべ、彼女は考える仕草を見せてからゆっくりと口を開く。
「過去の話ですよ。幼い頃、私と燈矢は婚約者として出会いました」
「……は?」
「小学校に上がる前です。私の個性はご存じですか?」
個性の話は聞いたことがなかったし、日常で何かを使っている素振りもなかった。素直に首を横に振ると、小さく微笑んだ彼女は俺に手を伸ばす。
つい昨日の出動で擦り傷の付いた腕に触れると、ゆっくり撫でられる。じんわりと熱くなった皮膚に熱個性の類いかと思ったが、触れていたてのひらが離れて間違いだったと気付かされた。
「治癒……!」
「擦り傷程度でしたら、この通り。正確には生命力を分け与える個性です。花を咲かせたりすることも出来ます。……でも、死人を生き返らせることは、できませんでした」
分け与える、と言った。
その言葉をそのまま受け取るならばつまり、対価が必要と言うことだ。
慌てて彼女の腕を見るが、自分の擦り傷が移っている訳ではないようで少しだけ安堵する。
「例えばⅡ度の火傷を治療しようとしたら、何日か寝込むかもしれませんね。一度燈矢の火傷に触れた時は、三日ほど寝込んで心配をかけました。大人になってから試したことはないので、今の体力がどの程度であるのかは分かりませんが」
兄は何度も彼女の元を訪れ、看病してくれたのだと言う。それはとても優しく穏やかな時間で、今でも時折夢に見るほど嬉しかったと笑っていた。
けれどどうしても嫌な想像がちくちくと胃を突き刺す。
「つまり親父は燈矢兄に治癒の個性を継いだ子供を、」
「当時の旦那様がどのようにお考えだったか、それは推察に過ぎません。詮なきこと、ですよ」
あの頃の親父は、きっと。
そう思ったところで過去の言葉が聞こえてくる訳ではない。
「少なくとも私は、幸せでした。共に読んだ本も、繋いだ手も、何もかも。燈矢は優しかったし、いつでも真っすぐでした。そんな燈矢のことを、幼心に慕っていたんです」
まるで大切な宝物を見るように、動かない遺影を見つめる。
嬉しくて、愛おしい。彼女の表情から溢れて来るのは純粋な好意だった。
「だから、かなしかった。自分の力が及ばなかったことに、絶望しました。そうして轟家とも疎遠になりましたけれど、……先の大戦で、家族を失った私に、うちへ来るかとおっしゃってくださったのは旦那様です」
「そんな都合の良い、」
「都合など、邪推するものではありませんよ、焦凍さん」
それ以上は言うなと言わんばかりに、彼女は俺の言葉を遮った。
何もかも知っているようでいて、何もかもを拒絶するかのような分厚い壁がある。
「私は燈矢の、……荼毘の手を取らなかった。後悔こそあれ、今が現実です。私は鬼籍に入った燈矢のお嫁さんにはなれません。けれど、ここで暮らすことは許されている。それが誰かの贖罪であるか否かは問題ではないのです」
「荼毘の、手」
「ふふ、私たちだけの秘密です」
あの混乱の中、彼女は兄に会ったと言うのだろうか。
兄は、彼女に会いに行ったのか。友人や家族ではなく、他の誰でもない、彼女に。
「あぁ、驚いた顔は少し、燈矢に似ていますね」
そう言って鮮やかに微笑った彼女を見てこみ上げる気持ちに気付きたくなくて、浮かべた笑顔はぎこちなかっただろう。
何も言わずに受け入れてくれる彼女に甘えたまま、きっと俺はこれからも歩いて行かなければならない。
過去を背負うのではなく、慈しむように抱きしめた彼女を、置き去りにして。
親父に紹介されたのは新しい家政婦さんだった。広い家を姉さんだけで管理するのも大変だし、今年からは担任も受け持つ事になって今まで以上に仕事が忙しくなるかもとは言っていたけど、まさか親父が新しい家政婦を雇うとは思わなかった。
年齢的に姉さんと変わらない気がする。慣れるまでは通いで来てくれると言うその人を真っすぐ見れないまま、親父の車椅子に付き添う姿を眺めていた。
「お食事なんかの家事に好みがあればおっしゃってくださいね、旦那様ってば栄養以外は気にしたことがないなんておっしゃるものですから」
落ち着いて見えるのに笑顔は子供のような人だった。
不思議と他人に馴染むのが上手く、一ヶ月もすれば家にいるのが当たり前になってきた。
意外と甘党なところ、食事を作る時に鼻歌が聞こえること、親父の晩酌に付き合える程度には酒が飲めること。
いろんなことを知って行くたびに、クラスの女子と関わる感覚とは違う気がして、不思議だった。
「みょうじさん……?」
そうして三ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎた。
高校を卒業してプロとして活動し始めた俺は、実家から足が遠のいていた。初めての一人暮らしは中々上手くいかず、教えて貰ったレシピで調理しても姉やみょうじさんのように出来上がることはない。
たまたま母校で案件があったため実家の門をくぐったが、人の気配はない。そう言えば親父は最近、大戦における基金の設立とか何とかで公安に顔を出していると聞く。
誰もいないのか、と廊下を歩み進めた先に、彼女がいた。
一番奥の部屋は、家の中でもどこか冷えた空気を纏っているようにも思う。所謂仏間と呼ばれるその部屋は至ってシンプルで、重く、昔は入ろうとするだけで怒鳴られていた場所だ。
畳に正座をして背をぴんと伸ばした彼女は、静かに両目を伏せて手を合わせている。正面にある長兄の遺影は昔から変わっておらず、少年の時のままだった。
それ以上声をかけることが躊躇われるような静謐さ。線香独特の香りが頬を撫でてはかすれて漂う。
「焦凍さん、お帰りになられていたんですね。すみません、お出迎えもせず」
一分か、それとも一時間か。
体感時間が狂ったまま見つめていた横顔は、いつの間にか廊下に立ち尽くしていた俺を見ていた。
慌てて今来たばかりだと言うように彼女の隣に腰かける。
「……いつも線香あげてくれてんのか」
「はい、出来るだけ毎日。燈矢がさみしくないように」
燈矢、と呼んだ彼女の横顔は澄んでいる。真っすぐ遺影を見つめるその顔に、裏も表もないように思えた。
「燈矢兄のこと、知ってんだな」
「……旦那様は焦凍さんに何もお話ししていないのですね」
少しだけ複雑そうな表情を浮かべ、彼女は考える仕草を見せてからゆっくりと口を開く。
「過去の話ですよ。幼い頃、私と燈矢は婚約者として出会いました」
「……は?」
「小学校に上がる前です。私の個性はご存じですか?」
個性の話は聞いたことがなかったし、日常で何かを使っている素振りもなかった。素直に首を横に振ると、小さく微笑んだ彼女は俺に手を伸ばす。
つい昨日の出動で擦り傷の付いた腕に触れると、ゆっくり撫でられる。じんわりと熱くなった皮膚に熱個性の類いかと思ったが、触れていたてのひらが離れて間違いだったと気付かされた。
「治癒……!」
「擦り傷程度でしたら、この通り。正確には生命力を分け与える個性です。花を咲かせたりすることも出来ます。……でも、死人を生き返らせることは、できませんでした」
分け与える、と言った。
その言葉をそのまま受け取るならばつまり、対価が必要と言うことだ。
慌てて彼女の腕を見るが、自分の擦り傷が移っている訳ではないようで少しだけ安堵する。
「例えばⅡ度の火傷を治療しようとしたら、何日か寝込むかもしれませんね。一度燈矢の火傷に触れた時は、三日ほど寝込んで心配をかけました。大人になってから試したことはないので、今の体力がどの程度であるのかは分かりませんが」
兄は何度も彼女の元を訪れ、看病してくれたのだと言う。それはとても優しく穏やかな時間で、今でも時折夢に見るほど嬉しかったと笑っていた。
けれどどうしても嫌な想像がちくちくと胃を突き刺す。
「つまり親父は燈矢兄に治癒の個性を継いだ子供を、」
「当時の旦那様がどのようにお考えだったか、それは推察に過ぎません。詮なきこと、ですよ」
あの頃の親父は、きっと。
そう思ったところで過去の言葉が聞こえてくる訳ではない。
「少なくとも私は、幸せでした。共に読んだ本も、繋いだ手も、何もかも。燈矢は優しかったし、いつでも真っすぐでした。そんな燈矢のことを、幼心に慕っていたんです」
まるで大切な宝物を見るように、動かない遺影を見つめる。
嬉しくて、愛おしい。彼女の表情から溢れて来るのは純粋な好意だった。
「だから、かなしかった。自分の力が及ばなかったことに、絶望しました。そうして轟家とも疎遠になりましたけれど、……先の大戦で、家族を失った私に、うちへ来るかとおっしゃってくださったのは旦那様です」
「そんな都合の良い、」
「都合など、邪推するものではありませんよ、焦凍さん」
それ以上は言うなと言わんばかりに、彼女は俺の言葉を遮った。
何もかも知っているようでいて、何もかもを拒絶するかのような分厚い壁がある。
「私は燈矢の、……荼毘の手を取らなかった。後悔こそあれ、今が現実です。私は鬼籍に入った燈矢のお嫁さんにはなれません。けれど、ここで暮らすことは許されている。それが誰かの贖罪であるか否かは問題ではないのです」
「荼毘の、手」
「ふふ、私たちだけの秘密です」
あの混乱の中、彼女は兄に会ったと言うのだろうか。
兄は、彼女に会いに行ったのか。友人や家族ではなく、他の誰でもない、彼女に。
「あぁ、驚いた顔は少し、燈矢に似ていますね」
そう言って鮮やかに微笑った彼女を見てこみ上げる気持ちに気付きたくなくて、浮かべた笑顔はぎこちなかっただろう。
何も言わずに受け入れてくれる彼女に甘えたまま、きっと俺はこれからも歩いて行かなければならない。
過去を背負うのではなく、慈しむように抱きしめた彼女を、置き去りにして。
