花色の雫

夢小説設定

この小説の夢小説設定
名前
偽名



 少し風が冷たくなってきたある日の昼間のことだった。

 どっか――ん!!

「どこんじょー!!」


 門を文字通り蹴破り、物凄い速さで走っていく人物。土煙が舞うなか事務員がその人物を追いかけながら、入門票にサインをーと叫ぶ声が虚しい。
 聞き慣れた声に、聞き覚えのあり過ぎる台詞。昼休憩に保健委員の仕事で包帯を洗濯していた伊作は、首を傾げて遠くなる土煙を見送った。


「あのひとは確か…」


 あのひとと一番関わりがある彼女は、この訪問を知っていたのだろうか。 
 騒がしくなりそうだ、と思い次の作業へ向かった。







「学園長!」


 のんびりとお茶を飲んでいた学園長はいきなりの訪問者に驚いた。
 現れたのは元忍術学園教師大木雅之介である。相変わらず何かと勢いがある男だ。


「何じゃ、雅之介か。どうかしたかのぉ?」

「うちのすみれが怪我をして動けないって本当ですか? しかも喧嘩をしたと」


 それで雅之介が学園に来た理由が分かった。雅之介はまさに彼女の、もう一人の父親のような存在だったから。
 しかし知らせの文を出したのはつい先日だ。文が届き彼が学園に来るのはもう数日あとだと思っていたけれど。


「まぁ…遠からず近からず、じゃな。じゃがあれは和解する為であって、…」

「どこのどいつじゃ! 許さ――んっ!!」

「…ってコラ! 話は最後まで聞きなさい!」


 話を最後まで聞かず雅之介は叫びながら学園長室を飛び出して行った。
 学園長の声は届かず、開け放たれた障子から見慣れた庭だけが写っていた。





 みんなのお陰で変な意地も張らなくなり、元通りに接するようになった。辛い全身筋肉痛からも解放された。
 そんなある日の昼間のこと。すみれは事務の仕事で書類の受渡しに職員室へ来ていた。
 昼休みの半ばで大抵の教師は昼食を済ませて一息ついていたところ、何処からか聞こえてる大声に爆音。
 皆一様にお互いの顔を見合わせる。そして黙々と作業を進めるすみれに視線を送る。彼が会いに来たであろう彼女に。
 すみれすみれで書類をまとめて早々に職員室を去ろうとしていた。もちろん彼女にもあの門を蹴破る音や叫び声が聞こえていたからだ。
 まだ仕事が残っているのに面倒くさいことに巻き込まれるのはごめんだ。けれどそんな彼女の願いは届くことなく、背後の障子が勢いよく開いた。


すみれはここかー!」


 開口一番がそれかい。
 そしてすみれは隠れる暇もなく、大声爆音の大木雅之介に見つかってしまったのだ。


「お前怪我は平気か!?」

「怪我というより筋肉痛なんだけど」

「文が届いた時は驚いたぞ。全く喧嘩なんぞしよって」

「話聞かなかったんだね。でもあれは喧嘩じゃなくて…」


 雅之介の手が肩に触れる前に、すみれはぺちりとその手を叩き落とす。こんな興奮した状態では、肩を掴まれ容赦なく揺さぶられては堪ったもんじゃない。
 雅之介は構わず詰め寄り続ける。


「わしは心配で駆けて来たんじゃ!」

「飛んで来た、の間違いじゃない?」

「なにせ、わしはお前の父親だからな!! という訳だから、お父さんと呼んでくれて構わんぞ!」

「何が“という訳”よ! いきなり何意味分かんないこと言ってんの!?」

「若しくは父上でも可。あーでも、それだと竜助と被るなぁ」

「ほっんとあんたは人の話聞かないよね! なに、それは私の声量があんたに劣ってるから!?」

「あんたとはなんだ、お父さんに向かって。悪い子じゃ」

「どうしてかなー? あんたに言われると凄く腹立つ!」


 普段穏やかな彼女が声を荒げるのを見て、他の者はやれやれと思った。
 この二人は昔からこうだった。雅之介が面白がって幼いすみれに、あんな事やこんな事やそんな事をしたからか。すみれは何かと雅之介に対しては若干冷たい。
 そんな二人はよくぶつかり騒ぎを起こすが、それはまるで兄妹が喧嘩しているように見えるのだ。喧嘩するほど仲が良い、とでもいうのだろうか。


「なんだ、騒がし…あ?」

「「あ」」


 とそこに、間の悪い男が一人現れた。野村雄三、少し授業が伸びて昼食を済ませたところだ。
 またこの男は、雅之介とはあまり良い仲ではない。すみれに劣らずよく衝突している。まさに揃ってはいけない三人である。


「野村先生…どうして今なの」

「あーなんか悪いな」

「そうだぞ! どうしてラッキョウを三つしか持ってない時なんじゃ!」

「持ってる方が不思議よ」

「…って、何こっちに渡そうとしてんだ! ばっ馬鹿、よせ!」

「わしからの愛じゃ。すみれへの愛には敵わんが……許せ」

「余計いらんわ!!」

「こらっ食べ物を粗末にしない!」


 ラッキョウ片手に野村へ歩み寄る雅之介からすみれはラッキョウを奪う。
 取られた本人は半ば固まってすみれをまじまじと見て言った。


「…お前、言動とか竜助に似てきておらんか?」

「え…」

「何故そこで顔を赤める?」


 嬉しいやら複雑ながら頬を染めるすみれ。そんな彼女に野村も雅之介も眉間に皺が寄る。
 いくら弟分とはいえ、いくら父親とはいえ面白くはないのである。などと騒いでいると、


「いい加減にせんか! アホやるなら外でやれー!!」

 ゴッ! ガッ! ゲンッ!!


 木下に怒鳴られて職員室から叩き出された三人。しかも拳骨付きである。


「なにすんじゃ、全くあのふけ顔がっ」

「いったーい! ちょっと、あんたのせいで追い出されたじゃないの!」

「あー利いたぁ」


 頭を擦りながら座り込むすみれに、野村は手を貸して立たせる。
 言わずもがな一つ殴る音が違った雅之介は、未だ頭を抱えていた。


「ったく、毎度毎度嫌がらせをしよって。今日こそはケリつけてやる!!」

「ほんと何度言わせるのよ! 野村先生と戯れるのは良いけど、周り(特に私)を巻き込まないで!」

「……おい、今幻聴が聞こえたんだが。私はいいのか!?」

「え? 二人は相思相愛なんでしょ?」


 雅之介を叱っていたと思えば。
 すみれから出た言葉に、派手にこけた雅之介と野村。


「何いっとんじゃすみれー! 気色悪いわ、なんでわしがこんな気障野郎と!」

「それはこっちの台詞だボケ! んな事誰が言ってたんだ!?」

「父上」

「「おのれ竜助ぇぇぇぇぇ!!」」

「ま、でも…」


 すみれは梢子棍を取り出して容赦なく振る。
 それを間一髪で避ける二人。


「これ以上の面倒ごとは御免だわ。ここは手っ取り早く、二人とも……黙って?」


 すみれはにっこりと笑顔だが、二人はひしひしと身の危険を感じていた。
 確信、やはりすみれはあの竜助の娘だと…。
 すみれは二人を追いかけて、また雅之介と野村も争い出した。まさに混戦状態である。





「滝――!」

「あ、すみれさん! この後授業がないんで、出来れば指導を…」

「ごめんね、今度にお願い。それよりちょっと戦輪貸して」

「あのー…??」


 突然憧れの人に声を掛けられたと思えば、戦輪を貸してと言われて。更にすみれの来た方から土煙を上げて何かが近付いていた。
 状況を掴めず滝夜叉丸は首を傾げていたが、次の瞬間それどころではなくなった。


「行けー輪子ちゃん!!」

「「ぎゃ――っ!!」」

「輪子ぉぉぉぉぉ!!」


 憐れな被害者そのーの悲鳴が響いた。





「三木――!」

「どうしましたすみれさん? そんなに走ってはまた筋肉痛になりますよ」

「相変わらず心配性ね。最近は文次とかの鍛練に交ぜて貰ってるから大丈夫よ」

「また極端な人と…。今度顔に傷つけたら俺たちが……って何いじってんですか?」


 呆れた三木ヱ門の隣りでは、すみれがまさに導火線に手を伸ばしていた。向きはいつの間にか変えられて、何か土煙を上げながらこっちへ向かってくるものへ。
 あれは一体なんだ? いやその前に、この人と火器の組み合わせが問題だ。


「ねー、あと火つけたらいいんだよね?」

「いやいやいや、貴方みたいな火器音痴が触ったらだめで…「えいっ」…ちょっとぉぉ!」

 ちゅどーんっ!!


 三木ヱ門の制止も虚しく、すみれの手により起こった爆音。
 しかしそれはあらぬ方向であり、巻き込まれた者の叫びが聞こえた。


「おー」

「おー、じゃないでしょ! なんで90度以上狙い外れてんですか!」

「ゆりこ、だめじゃない」


 ぺちっと、すみれが火器――ゆりこを叩くもんだから。
 三木ヱ門は更に声を荒げた。


「こらーっ、ゆりこ叩くな! あんたの火器音痴のせいですよ!」

「って、ばかもーん! すみれに火器持たせたら危ないだろーがぁぁ!!」


 とそこに、すみれの火器音痴のお陰で直撃を免れた雅之介が現れて。
 更に災難なことに。どげし!とゆりこは蹴り飛ばされた。


「あ゙ー!! 何してくれてんですか、あんたは?! しっかりしろ、ゆりこぉぉぉぉぉぉぉ」


 荒らすだけ荒らした二人は、またどこかへ走り去って行く。そんな二人を追いかける野村の声も聞こえる。
 そんな中憐れな被害者その二の悲痛な叫びが虚しく響いた。


 周りを色々巻き込みながらすみれが学園内を駆けていると、横に並ぶ影があった。


「喜八郎」

「何か騒がしいと思ったらすみれちゃんだったの」


 そう言いながら喜八郎は後ろを振り向く。
 そこにはお互い組合いながら追いかけてくると言う図。相変わらずの二人だ。いや、三人か。


「戦輪も大砲もだめだったのよ」

「……………。もしかして、さっきの爆音はすみれちゃん?」

「うん、三木にゆりこ貸して貰ったの」

「駄目だよ、すみれちゃん火器音痴なんだから。怪我したらどうするの」

「えー、私ってそんなに火器音痴かなぁ」


 無表情ながらも恐い顔をする喜八郎に、すみれは眉を下げた。


「それより喜八郎、手伝ってくれるよね?」

「勿論」


 喜八郎が頷くと同時に足を止めて、猪と化した二人(雅之介と野村)を迎え打つ。
 すみれは再び梢子棍、喜八郎は木鍬を手に。


「一時の方向に大きなターコちゃんがあるよ」

「じゃあそこへあいつらを「「ぎゃああぁぁぁ」」……は?」


 突然消えた二人に、駆け出そうとしたすみれと喜八郎は踏み込みをやめた。
 肩抜かしに合いながら近寄ると、深く入り組んだ穴に目を回した二人が落ちていた。これは小平太が掘った塹壕だろう。


「あら、意外の意外」

すみれちゃん、縄」

「そうね。留に言って借りてこよう」





*


 私は落ちた時に打って痛みに眉を寄せた。教え子の掘った塹壕に落ちるとは情けないな。
 しかも幅が狭くて縄でもなければ上がれそうにない。すみれが戻ってくるのを待つか。
 その時一緒に落ちて身動きのとれない大木が笑いを零した。


「いつものすみれだな、安心した」

「あぁ…あいつらに感謝しないと」


 照れくさいような笑みを浮かべる大木に、私もつられて頬を緩めた。
 そういえばこいつとは久々に話すんだった。あの日から、一年以上が経つ。


『わしと早食い競争をしてくれ。この学園を去る理由をくれないか。
 わしはあいつの分も、あの娘を守らなければいかん。これからすみれがどうなろうと、傍にいてやるんだ!』


 あの事件ですみれは生死を彷徨う大怪我を負った。どの医師からも、「目覚めたとして傷が癒えようが、普通に生活は出来なくなるだろう」と言われて。
 誰もが言葉を失った。まだ十三の子供なのに。多くの慕う先輩や仲間を、最愛の父上を失ったばかりの子に。
 どうしてすみれなんだ――!?

 そしてあの日、大木はすみれの傍を選び学園を出て行った。再びすみれ一人に、重荷を背負わせない為に。
 私は二人を見送りながら、これが最期だと思ってたんだ。けれど――


すみれ!』
すみれちゃん!』
『絶対に戻って来い、いつまでも待ってるからっ!!』


 ――そして、すみれは戻ってきた。
 成長した彼女を見て、私は神に全てに感謝したものだ。


「これからはあいつらがあの娘の傍にいてくれる。わしはお役御免だな」

「なに言ってんだ。“お父さん”はどうしたよ」

「けど…、いくら頑張っても本物の父親の、竜助の代わりにはなれん」

すみれはそう思ってねぇよ」


 柄にもなく弱気な大木に私は呆れかえった。
 こいつも対外気付いていないのか。やはりそっくりだな。少し癪だが。


「確かに竜助の代わりは無理でも、“父親”の代わりは出来る」


 そう、昔からずっとこいつだけは違った。あの親子の中に唯一入っていけた者。
 大きくなっていくすみれからの呼び方が変わる中、こいつだけは子供の頃から変わらなかった。

『まさにぃー』
『雅兄』

 私はそんなお前がいつも羨ましかった。


「もう戻ることはないのか?」

「町内会の会長になったからの! のんびり畑耕して、お転婆娘の帰省を待つことにするわ」


 こいつの明るさがすみれの支えになっていたのだろう。
 大丈夫、お前は十分父親代わりをやっている。


「そうか……また来いよ」

「おー、今度はたっぷりラッキョウとネギ持って来るからな!」

「前言撤回、二度と来るな!」


 ――やはりこいつとは合わない。





*


「お待たせー、縄梯子持って来たよ。…って、よくそんな狭い所でまでやるわね……」


 すみれが戻ってきて見れば、二人はまたやり合っていたのだった。
 その後三人は揃って長時間の説教を受けた。もう日も落ちたので雅之介は学園に泊まることになり、また騒ぎが起きたのは言うまでもない。


 そして翌朝、まだ陽が昇り始めるより早くに雅之介は門前にいた。秋の終わりを告げるように空気は張り詰めて朝靄が漂う。
 ふとその時霞む影が揺れるのを見た。


「なんじゃ、気付かれたか」

「あんたの行動パターンなんて知り尽くしてるだけだよ、雅兄」


 夜着に上着をかけてだけのすみれがゆっくりと近付く。下ろした柔らかな髪が動きに合わせてふわりと揺れる。
 久し振りに呼ばれた名に目を細めながら、すみれの頬へ手を伸ばした。髪を絡めながら手を滑らせると、瞳を閉じて委ねてくるすみれ

 愛しい娘。竜助と共に育てた大切な子供。
 雅之介はすっと撫でている手を引く。最後まで絡む髪がゆっくり落ちていった。


「身体には気をつけろよ。また近い内に来るからな」

「ん…」


 身を翻そうとすれば雅之介は動きを止めた。
 細い指が上着の裾を摘んでいたから。


「ありがとう……」


 ずっと傍にいてくれて、支えてくれて。
 学園に戻ると言う自分を快く送り出してくれて。


「―――――…」


 静か過ぎる中ぽつりと零した言葉に、雅之介は目を瞠った。
 そして顔はそのままに、昔に比べて高くにある娘の頭を些か乱暴に撫で回す。


「お前は本当に、世話の焼ける娘じゃ」


 言い終わるや否や、雅之介の姿は消える。
 ボサボサになった髪を整えながら、すみれは雅之介が去った方を暫く見つめいた。

 柔らかな笑みを浮かべるすみれを包むように、朝日が輝き出した。



『ありがとう、お父さん…』



→next.
8/11ページ
    スキ