花色の雫
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「信じらんない…」
上は最高学年の六年生から、下は三年生まで巻込んだ一夜の騒ぎはどこへやら。
すみれは布団で上体を起こして、むすっと周りを睨むように見渡す。彼女のもの言いたげな視線に周りは思わず苦笑してしまう。
「なんで皆平気そうなのよ、私は動けないっていうのに。特に小平太!」
「すみれは歳とったんだなぁ…ぶふ!」
「あんたと同じ歳よ!」
すみれは側にあった手ぬぐいを丸めたものを投げる。それは見事小平太の顔面に命中。
「ま、まぁ落ち着きなよすみれちゃん」
「…そんなに痛いのか…」
伊作が次の治療をしながら宥める、一方で布団の傍に胡座をかく長次が尋ねる。
痛みを堪えるように丸めるすみれは頷く。その背を長次は撫でてやる。
「一年半のブランクだ、仕方ないだろう。それにしても私たちによくついてこれたな」
仙蔵は腕を組みながら言った。
言葉通り現役の忍たま五年を相手にしたすみれは今、酷い全身筋肉痛で苦しんでいるのだ。なので朝から布団に縫い付けられていた。
言葉を返すようすみれは仙蔵を見上げた。
「聞いたよ、私の所にくる前に先輩の相手してたんだって?」
道理で動きが鈍いと思ったと。でなければ私一人で皆の相手が出来る訳がない、とすみれが言えば。
苦虫を噛み殺したような面をしたり苦笑したりと反応は様々だ。やはり彼女にはバレていたらしい。
「……で、なんで三年がいんだよ」
湿布を張り終えた留三郎が上着を着ながら、すみれにぴとっと寄り添う喜八郎を見て言った。
喜八郎はすみれに横から腕を回して見返す。その様子に幾人眉がぴくりと跳ねたのは秘密だ。
「すみれちゃんがいるからです」
「授業もう始まっちゃったよ」
留三郎の治療で最後だったのだろう、伊作は薬や道具を片付け始める。
そんな伊作に言われた喜八郎は、む…と押し黙り次いで委員会の先輩である仙蔵を見た。
「…先輩方は?」
「我々はこのあと授業はないから急ぐ必要はない」
喜八郎はこれまた、むーと押し黙ってしまい、すみれに回した腕に力を込める。
そんな喜八郎の様子に気付いたすみれが手を打つ。
「喜八郎は私を心配してわざわざ来てくれたのね。嬉しいわ、ありがとう」
すみれは喜八郎をよしよしと頭を撫でて、頬に唇を当てる。それを見て小平太が、あー!と叫ぶけれど。
二人はほのぼのとした世界を作り出していく。勿論喜八郎の雰囲気も穏やかになっていた。
周りは半ば唖然としながら見ていた。流石というか、なんというか。留三郎と仙蔵は顔を見合わせて肩を竦めた。
「失礼します」
「すみれ、平気かー?」
そこに四年生の四人が現れる。
保健室に上級生がいたことに軽く目を瞠った。
「なんだ、お前達も授業をサボったのか?」
「いいえ、午後から授業はないので。実習を終えて食事を済ませたところです」
入口付近に立っていた文次郎に答えたのは雷蔵だ。他はすみれの近くへ寄り言葉を交している。
そんな中すみれに抱き付いた喜八郎と三郎が密かに睨み合っていて。傍で見ていた留三郎たちは思わず苦笑する。
その時、廊下から騒がしい足音がしてこちらに近付いてきた。皆の視線がそちらに集まり、入口近くにいた文次郎と小平太が構える、が。
すぱーんっ!!
「「すみれ(天野)が戻ってきたって本当か!?」」
勢いよく襖が開けば、そこには懐かしい面々である五年のいろは組がいた。
「おー、お前たちもきたのか!」
「なんだ七松、見ないと思ったらここにいたのかよ」
「なにい組のてめぇらまで来てんだよ」
「来て悪いか。俺たちに内緒で派手に暴れたくせによ」
「ゔっ……」
「元気だったか天野?」
「一年半も音沙汰なしで心配したんだぜ」
「綺麗になったなぁすみれ」
「馬鹿、お前なに口説こうとしてんの」
小平太と文次郎に言葉を返しながら、口々に好き放題に言っている。また大人数で押しかけたので、入口で揉みくちゃだ。
一気に騒がしくなった保健室に、今新野先生がいなくて良かったと思う伊作。彼らの変わらぬ態度に呆れながらも笑みを浮かべる。
後輩同様唖然としていたすみれを見て、留三郎は彼女の頭に手を置いた。
ほら見ろ、みんなすみれの帰りを待ってたんだ。重なる眼差しで留三郎に言われたような気がして、すみれは目頭が熱くなる。
自分はなんて馬鹿な意地を張っていたのだろう。拒絶を恐れていたのは、彼らとの信頼を疑うに等しい。目の前に広がっているものは、どこまでも温かくて優しいのに。
本当に私は馬鹿だった。
あぁ…私なんかがこんなに幸せでいいのだろうか。私一人ではもったいないくらいに、溢れる温もりがここにはある。
すみれは隣りにいる喜八郎に抱き付いた。
「ただいま――」
心配かけてごめん
そしてありがとう
呟いた言葉は胸を熱くさせて。
隠れて浮かべてのは、泣き笑いに近かった。
「「 おかえり 」」
小さく囁いたのに。あれだけ騒がしかったのに。
皆が返してくれた言葉は優し過ぎて。
堪えきれなくなったすみれは喜八郎の胸に顔を埋めた。
誰かが背中を擦ってくれた。
誰かが頭を撫でてくれた。
本当に何もかもが温かくて優しかった。
――父上
私を再びここに導いてくれてありがとう。
これからも私は、この大好きな場所で、大好きな皆の笑顔と共に生きていきます―――
「全く、次から次へとあの子達は…」
すみれは背中から聞こえる愚痴にくすりと笑みをこぼした。
先日あった騒動での怪我の治療のため、保健室でお世話になっているすみれのもとへ日中来客が絶えず訪れていた。怪我の心配や再会の喜び、一部説教を交えておりすみれの傍には誰かが常に居る状態だった。
新野が治療を口実に、強引に訪問者達を追い出し、ようやく保健室は静かになった。
着物をはだけて露わになった背中にある打撲傷を手当てしていく中、新野は彼女の左肩に酷く残る傷痕を見て思わず眉をひそめた。
「そこだけです」
背後で治療する新野が注視している箇所が、すみれはわかった。
左肩の傷痕は先の事件で一番深手を負ったところであり、すみれがくの一を諦めることになった要因である。
「どれだけ頑張っても、そこだけ前のように動かせないんです。利き腕なのに…」
利き腕の負傷は致命傷だ。
もともと器用な彼女は両利きで日常に対応出来ても、忍びの世界では通用しない。
ここでは怪我の後遺症で泣く泣く忍びを諦めて去っていく生徒を多く見送ってきた。去った彼等のその後は把握しきれず気にかけるだけだが、彼女はまだ目の届くところにいる。
「すみれさん、忍びになるだけが人生ではないですよ。貴方は若い。まだまだ出来ることは多いはず」
「わたしはここにいていいんでしょうか…?」
「好きなだけ居なさい。貴方が笑うだけで喜ぶ人が多くいます。もちろん私もそのひとりですよ」
「ありがとうございます」
戻ってきた時は忍びにならなくても皆の側に居られたら、それで良いと思っていた。
けれど、決めるのはまだ早い。
改めて確かめたいことが出来てしまった。
「思った通りにいかないものね…」
すみれの言葉は誰に届くことなく消えていく。
ただ左肩の傷が、ずくりと鈍く痛んだ。
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