花色の雫
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
陽も落ちて夜に更けようとする頃すみれは長屋の廊下を歩いていた。ふと辺りが静か過ぎるのに気がつき足を止める。今日は特に実習がある学年はないはず。なのに空気はどこか張り詰めているのだ。
おかしいと首を傾げれば、視界の端で何かが光った。見ると暗闇の中にクナイを構える人影があった。
すみれは懐に手を伸ばしかけて止める。放たれたクナイは的外れの所に突き刺さった。
「喜八郎!」
なぜなら喜八郎がその人影に体当たりをして軌道がずれたのだ。
すぐさま突き飛ばされた喜八郎に駆け寄れば、物陰から姿を現す彼ら。深い緑色の制服に身を包む六年生、先日すみれに対してあまりいい態度を取っていなかった人達だった。
「先輩方お揃いで、なにか御用ですか?」
「簡潔に言おう。俺たちはお前を許していない。今すぐ出ていけ」
「それは存じております。しかし学園を出ていくことはできません。ここは私の全てですから」
「ならば…今ここで消えろ!」
六年の一人がクナイを振り上げた。すみれは喜八郎を抱き締めて目を瞑った。すると爆音がしてすみれたちを白煙が襲う。誰かが焙烙火矢を投げたのだ。
すっかり伸びた六年生を尻目にその場から離れようとすると、突然足元にクナイが刺さり足を止めた。煙の向こうに揺らめく新たな人影があった。
「……なんのつもり?」
現れたのは予想通り、食満留三郎・善法寺留伊・立花仙蔵・潮江文次郎・中在家長次・七松小平太の6人。
すみれは喜八郎を背に庇いながら彼らを見据える。彼らの忍服は所々薄汚れていた。今日は何かの鍛練でもしてきたのだろうか。
「暇なんだろ。今から俺たちに付き合えよ」
「昔みたいにさ」
文次郎は凄みながら、小平太は楽しそうに言った。すみれは呆れて思わず半眼になるのがわかった。
「あのね、私はもうくのたまでは…―――っ!?」
人の言葉遮るように長次が縄標を投げてくる。
すみれは避けずに腕を翳せば、それは腕にぐるぐる巻き付いた。
「…素人に手をあげるわけ?」
「貴様は違うだろう? すみれ」
カチン、と。すみれの眉が跳ねた。
今は呼んで欲しくない名をあえて呼ぶのはこの男らしい。
「私は、小牧だ」
「まだ言うか、バカタレ!」
そう叫んで文次郎小平太仙蔵の三人がかかってきた。
喜八郎を視線で退かせて、腕を斜に構えればすっとクナイが下りてくる。それを掴むと慣れ親しんだ感触がじんわりと手に広がっていく。
「もう、その名は名乗れないよ…」
呟きが思いの外寂しげに響いたのは内緒だ。
三人をギリギリまで引きつけてから、クナイで腕に巻き付く縄を切り上へと逃げる。
「この分からず屋が!」
文次郎が追いかけてきて空中にて切合う。文次郎の馬鹿力のお陰で、すみれは弾く度に腕に重く響く。
最初はお互い一本だったクナイは、文次郎が左手にもう一本クナイを掴むと、すかさずそれをすみれが数本の千本を瞬時に現し絡めて弾く。そして文次郎が次の一撃繰り出す前に彼の肩に手を置いて身体を浮かせ、頭の上で回ると文次郎の背中を踏み台にし跳んだ。
その反動で文次郎が地に落ちたのを確認していると身体に縄標が絡む。辿って見ればやはり長次で、縄を引きすみれを地に着かせようとする。身体を持っていかれてクナイと千本が手から離れた。
すみれはちらりと長次を一瞥して縄抜けで抜ける。そして縄を掴み逆にこちらへ引きつけた。すみれが手繰り寄せながら先端側の縄をしならせる。それに気付いた長次が跳びずさるが、その前にすみれが腕を振る。
縄はまるで蛇の様に唸り襲いかかった。長次が飛ばされて地を転がる中すみれが着地した途端、後ろから仙蔵がかかってくる。しかしすみれは身体を傾けて避け、振り向き様に千本を構え切りつけるが、仙蔵も避けて届くことはなかった。
少しむっとしたすみれは、はけ口に未だ地に伏せて唸る文次郎へと千本を投げてしまった。ぎゃーとか変な声が聞こえたが、無視。
残りの4人が構えたのを確認して、すみれが左手を構えれば再び千本が指に絡まる。
「おいおい、どんだけ出てくんだよ…」
「そういえばすみれちゃんは暗器の名手だったね」
あの袖の中はどうなっているのだろうか。留三郎と伊作が思わず苦笑していると仙蔵が視線を寄越す。
「身軽さには敵わん。空中にいかすな」
仙蔵の言葉に伊作が頷いてけしかければ、留三郎も反対側からそれに続く。伊作が跳んだのを合図に二人同時にクナイを構えて仕掛けた。
そして鈍い音が響く。すみれは五尺ほどの長い棍棒で二人の攻撃を受け止めていた。
すみれは手首を捻り、まず伊作を大きく弾いて離した。自分にも同じものが来ると留三郎は身構えるが、すみれはどこかへ身を翻す。
「上だ!」
その直後聞こえた仙蔵の声に確認するより先に、身体が動き後ろへ跳びずさる。
すると先程たっていた場所に千本の雨が降り注ぐ。間一髪だった。
「いけいけどんどーん!」
一方小平太がすみれに突っ込んでいく。すみれは直接対決を避ける為棍棒で間合いを広げる。
しかしまどろっこしいと思った小平太は、それを掴みすみれから奪うと曲げてしまったのだ。
「嘘…」
余りの怪力にすみれは唖然とする。が、小平太は容赦なく拳を振るっていく。すみれはなんとか避けたり軌道を逸らせるが、それさえ骨が軋む程重くて辛い。更に忍服の小平太に対して、小袖のすみれは動き辛そう。
その時下がり足がつっ掛かり僅かに体勢を崩した所を狙われた。すみれが足を繰り出したのと同時に、頬に鈍い痛みが襲った。
お互い数歩離れて体勢を整える。すみれの蹴りは顔面のはずだが小平太はケロリとしている。口の中で血の味を感じながらすみれは不敵に笑う。
「女の顔の傷は高くつくよ?」
「責任は私がとるよ!」
「冗談」
二人同時に、地を蹴った―――
*
「なぁ何が起きてんだよ」
突然出された長屋からの外出禁止と聞こえる戦闘の金属音や爆音。
いつもの四人は一室に集っていて、ハチが訝しげにそう言った。それに応えたのは先程から何か思案していた三郎だ。
「きっと……すみれだ」
「すみれ先輩のこと? けどどうして彼女が?」
「戻って来てから、名前変えて変装してただろう。それで先輩方と揉めてんじゃないか?」
確かにすみれは戻ってきてから慣れない変装までしていた。あまり姿を現さなかったから、きっと今の五年生の先輩を避けていたのだろう。
あの先輩方だ。待ち望んだ彼女がいるのに、そう手放したくないはず。
それは、俺さえも――
その時三郎が立ち上がり部屋の障子に手をかける。
「おい、どこに行くんだ?」
「黙って待つのはもう嫌なんでね。それにあの人に貸しを作るいい機会だ」
その言葉に促されるように、俺はゆっくりと腰を上げた。
*
ちょうど小平太がすみれに向かっていく頃、隙を狙っていた私の前に立ちはだかるものがいた。
こやつがすみれの為に動くのはわかっていたので、姿を見た時驚くことはなかった。
「なんの真似だ喜八郎」
「先輩は行かせません」
「そういやお前はすみれと呼んだな」
私たちの時は小牧だと言い張ったのに。
「僕とすみれちゃんの仲ですから」
分かるような分からないような返答。柄にもなく後輩に心を乱されてしまう。
遠慮せずにクナイを構えた時、ふとあちらに気配が増えたのに気付いた。
「――なんだ?」
*
小平太の組合いは終始押されていた。当然と言えば当然だが。腕をかち合わせることさえ出来ない程両腕は痺れて感覚がない。小平太の攻撃を躱すばかりで、気がつけば背に木が触れていた。
その瞬間クナイが放たれて肩口でぬいつけられる。身動き出来ないでいると小平太が容赦なく拳を振りかぶる。冗談なきで恐い。
私は渾身の力で着物を引き破り寸前の所で離れた。小平太の拳でその木はべこりとヘコんだ。
こいつは加減を知らないのか!? わかっていたけどね!
「…って、わっ!」
伊作と留が次々とクナイや手裏剣、縄標を引っ切り無しに向けてくる。避けてはいくけれど次第に追い詰められ、遂に退路を断たれて一本の絃に捕らえられた。
留の持つ絃で私が動けないでいる中、そこに復活した文次も加わり、伊作・小平太の三人が一気に畳み掛ける。
私は為す術もなく目を固く瞑った。
しかし痛みの代わりに訪れたのは身体の解放感と、新たな気配だった。
「三郎! ハチ! 兵助!」
「何捕まってんだよ。それにあんたが一番相手しなきゃいけないのは別だろ」
身体に巻き付く絃を解きながら様子を窺うと、少し離れた所に雷蔵もいた。
兵助は伊作と、ハチは文次と互いに散っていく。
「四年生がなんの用だ?」
「いえ、部屋で大人しく待つより、こっちの方が面白そうなんでね」
「そうかー。……なら、遠慮はいらないな?」
「お手柔らかに」
そう言うと三郎も小平太を連れてどこかへ行ってしまう。
そして私はゆっくりと、正面にいる留に視線を合わせて見つめ合った。
あぁ…もう、逃げられないかな――
*
すみれにしてやられた俺は痛みに眉を寄せながら身を起こす。
じくじく熱を持つ胸に手を添えて、酷い痣になりそうだと呑気に思っていると地を踏む音がした。
「……不破……」
「……先輩、どうしてこんな事を?」
そちらを向けば責めるような眼差しを向けてくる不破。
成程な、端から見れば俺たちがすみれを苛めている風に見えるのだろう。だが、これが俺たちのやり方だ。言葉よりも確実な。
何かを競う時、喧嘩をして面白くない時。
悲しいことがあった時、嬉しいことがあった時。
そして……
「……こうしないと、すみれが笑わない……」
どうしても素直になれない時――
時間を遡って、過去を変えたり無いモノには出来ない。
どれだけ辛くて悲しいかなんて、本人にしか分かりはしない。
ならば、全てを吐き出せ。
俺が、俺たちが受け止めるから。君を腕に包み守るから。
溜め込んで負の感情に押し潰されないように、君が笑えるように。
「……俺たちはただ、すみれの笑顔が見たいんだ……」
ふと視線を中庭に移すと、すみれと留三郎が打ち合っていた。もう少しだと思わず目を細める。
暫く眺めていると、それまで黙っていた不破が口を開いた。
「僕は、すみれ先輩に何も……っ」
不破の声が震えているのも、頬を濡らすものも気付かないふりをしよう。
本当にこの後輩は真面目過ぎる。
何も出来なかったのではないのに。
「……傍にいた……」
お前はすみれの傍にいてくれた。俺たちが出来ない代わりに。
彼女ならきっと抱き締めてお礼を言うだろう。ありがとう、と。
そして、全てを終わらせる音が響いた。
*
留が何かを投げて、それを受けとれば見知ったものだった。
「これは…」
「わりぃな、今はそれしかねぇんだ」
愛用の鉄双節棍を構えながら留は苦笑する。
私の手にあるのは、昔留が練習用に使っていた梢子棍。長さが異なるもので比較的扱い易く、久し振りに触れる私でもいけそうだ。と言っても、私の専門は二節棍ではないけれど。
すると留は鉄双節棍を私に向ける。
「これで終わりにしようぜ」
それはいつもの合図。
二人だけの組合いの最終段階へ、そして私が素直になれる瞬間への誘い。
本当に敵わないなぁ、なんて思わず苦笑してしまう。そして私たち二人は駆け出した。
ーーガンッ!!
鉄と鉄のぶつかり合い。
硬くて重いモノはまた反動も大きい。
お互いに弾き振り切る。ぶつかり、また弾かれる。
その繰り返し―――
衝撃が腕に肩に響く中、頭にも響くものがあった。
『すみれ―…』
どうしてなの?
どうして今あなたの声が響くのだろうか。
ーーガガンッ!!!
回転をくわえて振り切れば、増した衝撃にお互い顔を歪める。
『君は変なところで頑固だね』
あぁ…あれは確か、意地を張って一人になっていた時だ。
留の振るう鉄双節棍を長い方の柄で受け止める。
『どうして黙っているんだい? 私にも言えないか?』
『やだ、いいたくない。……いったら、ちちうえすみれのこと、きらいになるもん…っ』
そう言って私は遂に泣いてしまったっけ。ずっと我慢していたから、きっとすごい泣き方だったと思う。
そんな私をあなたは抱き上げて優しく背中を撫でてくれた。
受け止めた留の鉄双節棍を弾いて、そのまま長い柄で突きを出す。
『それはないなぁ。でもなんでそう思ったんだ?』
『…ひっく……だって、すみれはわがままでなんでも、いうから…っゔー』
『ははっ…いいんだよ』
『……ふぇ…?』
しかしその突きは避けられて、留はすかさず鉄双節棍を振り上げた。
『今はまだ言ってもいいんだよ、すみれ。すみれの周りには先生方やお兄さんがたくさんいるだろう。言って良いことも悪いことも教えてくれるよ。すみれはそれを少しずつ覚えて大きくなればいいんだ』
私は身を屈めてそれを避ける。
風を切る音が頭上に走った。
『それに今回も皆すごく心配していたよ。すみれはもっと素直になっていいんだ。誰も嫌いになんかならないよ。だって皆すみれのことが大好きだからね』
『ほんと? あのね、あのね! すみれもみんなのこと、だーいすきっ!!』
あの後物影に隠れていた皆が一斉に現れて揉みくちゃにされたっけ。
同時に振り切りかち合えば、お互いに大きく弾き間合いを取る。
肩で息をしながらお互いを見つめ合う。自分の手を見下ろせば梢子棍を握る感覚さえない。
内心舌打ちをしながら構え直すと、先に留が仕掛けて来た。
「…あれ、本気じゃねぇよな」
留の攻撃をなんとか受け止めながら、様子を窺った私は息を呑んだ。
留の怒った顔――
大事な人の怒った表情は、今の私が一番苦手とするものだから。
「戻らなきゃ良かったって、なんだよ」
ーーガンッ!!
「逢いたくなかったって、本気で言ったのかよ?!」
「あっ…!」
留の言葉一つ一つに反論なんか出来なくて。
重く鋭い攻撃に堪え切れなくなって私の手から梢子棍が離れた。
最後の隠し持っていたクナイを投げるも、留にあっさり弾かれてしまう。
「どうなんだ、すみれ!!」
お願い、やめて!
もう…それ以上は――
苦し紛れに丸腰で向かえば、途中足がもつれて体勢が崩れる。そのまま体当たりをして、留と共に地に倒れてしまった。
大の字になった留はこちらも限界だったのか、激しく胸を上下させて荒い息をつくだけで動こうとしない。
私はそんな留の胸元に手を添えながら辺りに目を向ける。そう遠くない所に梢子棍を見つけて、それに手を伸ばし掴むと留に馬乗りになり見下ろす。
留の瞳と見つめ合いながら、梢子棍の長い柄を力を入れて回した。パキ…と枷が外れる音がして、ゆっくりと白刃が姿を現す。
留は眼差しをそのままに黙って見ている。私は白刃を持つ手が震えているのを隠す為もう一方の手も添えた。両手に構えて高く振り上げる。
『素直になっていいんだよ――…』
そして私は白刃を降り下ろした。
「 」
ドスッ――
*
俺はずっとすみれから目を離さなかった。彼女が俯いているので髪が表情を隠す。
顔のすぐ横に刺さる白刃を一瞥し、動こうとしないすみれへ手を伸した。
「すみれ…」
「……そ、…からっ」
動き回って乱れてしまった髪をかき上げてやれば、すみれは瞳を揺らしていた。
「…も、戻らなきゃよかった、とか……逢いたくなかった、なんてっ……う、そだから…」
「あぁ…わかってる」
「私っ…ずっと、みんなに逢いたくてっ、ずっと…ずっと―――」
彼女の瞳から涙が溢れた瞬間、俺は身を起こしてすみれをかき抱いた。
俺の服を掴み泣きじゃくるすみれを見て俺は思わず苦笑した。周りも似たような反応だった。
俺はすみれを更に強く抱き締めて懐かしい香りに目を瞑った。
あまり心配をかけるな、と思いながら―――
→next
*******
(補足;各々の心情)
留三郎
『変な意地張ってないで俺たちを頼れ!』
伊作
『君の本当の気持ちが知りたいな』
仙蔵
『全く世話の焼ける…』
文次郎
『バカタレが! なんだ、偽名って!』
小平太
『無理はしないで欲しいな!』
長次
『…我慢しなくていい…』
三郎
『子供扱いは御免だな。私だってあなたを守れるんだ』
雷蔵
『すごくお世話になったのに。僕はあなたの助けになれなかったかもしれない…。それが悔しいなぁ』
八左エ門
『あんたの笑顔好きだぜ!』
兵助
『早く素直になればいいのに。困った人だなぁ』
喜八郎
『すみれちゃん大好き』
六年生
『早く君の笑顔を見せて安心させてくれ』
6/12ページ