花色の雫
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冷たい風が吹く中私は箒を掃いていた。風に遊ばれる落葉はまるで自分の心のようだと思った。ため息をついていると突然温かいものに包まれた。自然と頬が緩むのがわかる。
「どうしたの、喜八郎」
実を言うと私を見抜いたのは喜八郎が最初だった。くのたまのときから一緒にいることが多かった後輩だから、本来の名で呼ばれても何とも思わない。
私が前に回された腕にそっと触れると、
「すみれちゃんが泣いてるから」
その言葉に目を瞠る。込み上げる想いを下唇を噛んでなんとか堪える。
振り返って見れば、喜八郎の表情も泣きそうだった。心優しい後輩の頬をそっと撫でれば、ゆっくりと喜八郎の腕に包まれる。同じ高さになった肩へ顔を埋めれば、熱くなる目頭を少し誤魔化せた。
今だけこの温かさに身を委ねるのを許してほしい。泣く資格なんてない私だけど、いまだけはーー
*
すみれちゃんの背中はこっちまで苦しくなるくらい無理して虚勢を張っていた。だから後ろから抱き付いてみた。けどすみれちゃんは簡単に折れないから、今度は正面から優しく抱き締めた。
一年半前とは違って僕はすみれちゃんと背丈が同じくらい大きくなってて、しっかり僕の腕の中に彼女を閉じ込めている。
それでも彼女は折れることはなかった。僕はすみれちゃんが離れるまで背中を撫でながら抱き締めていた。
そのあとすみれちゃんと縁側へ移動した。彼女はこう話してくれた。
この間の晩留たちにあったの。と言っても伊作と留の二人は前にも会ったけど。
あの日も私ははじめまして、なんて言って逃げたっけ。皆変わってたし変わってなかった。
私のことなんかどうでもいいんじゃないかなって、そう思い込んで。拒絶されるのが怖くて。それでせっかく会えたのに話せたのに酷いこと言っちゃった。
戻ってこなければ良かった。会いたくなかった…なんて、ほんと嘘ばっかり。皆に会えたのが嬉しくて悲しくて。名前を呼んでくれたのが悔しくて申し訳なくて。
「あの時追いかけてくれなくて、捜しにきてくれなくて…腹が立ったの。勝手に期待してた昔のことなのにね。凄く矛盾して、馬鹿みたい」
あの時の私は、暗い闇の奥深くでゆらゆらと揺れる中にいた。きっと学園から去っていたのだと思う。その時朦朧とする意識の中で声が聞こえたの。
絶対に戻って来い、いつまでも待ってるからって。
その言葉が私の支えだった。日常生活が出来るまで訓練して辛い時、その言葉が私を前へと押したの。だからここに戻って来ようとも思えた。
「けど、凄く悩んだの」
あんな許されないことをしてしまった私を受け入れてくれるだろうか?
忍を目指していた自分がこの学園で耐えられるだろうか?
「ほんとはね、皆の顔を見て旅に出ようとも思ったよ」
けれど出来なかった――
「だって忍術学園は私の家で居場所で…皆は私にとって大切な家族なの」
温かくて優しくて甘えてしまう。
もう離れたくない。
寂しい思いはしたくない。
おかえりと言ってくれる場所。
忍者を目指すことは出来なくても、私の居場所があるのだと。
「勝手なのはわかってるよ。でも私はもう…一人になるのは耐えられないの。この温もりを手放したくない」
だから皆には隠して静かに過ごそう。
黙って皆を見送ろう。
私という存在がいなかったかのように。
皆と共に過ごした“すみれ”は、もういないのだと。
お願いだから…忘れて――と。
「喜八郎」
不意に呼ばれて向けば、すみれちゃんの泣き笑いがあった。
「お願い、卒業するまででいいの。あなたは私の傍にいてくれる?」
僕の髪を撫でる手を掴み、すみれちゃんの肩を引き寄せた。
「いるよ。僕は何があっても、すみれちゃんの味方だからね」
ありがとう…と囁いてすみれちゃんは僕に擦り寄る。
彼女は、僕が一年の時一人でいるといつも声を掛けてくれた先輩だった。僕は僕のままでいいと頭を撫でてくれた。優しく抱き締めて温かさを教えてくれた。僕がさびしいなと思ったら必ず傍にいてくれた。
だから今度は僕があなたを支える番だ。
もう忍者になれなくても目指せなくても。僕にとって大切な人には変わりないから。
なにがあってもすみれちゃんはすみれちゃんだから――
例え学園中がすみれちゃんの敵になっても、僕は最期まであなたの傍を離れない。あの人達に勝てるくらい強くなってみせるから。
*
「逢いたくなんてなかった――…!」
すみれの言葉は、柄にもなく結構堪えていた。勿論彼女が本気で言っていないとは分かっている。が、同時にそれほどまでに彼女が傷付いていることに衝撃だった。
それなのにあの時の私たちは、彼女になにもしてやれなかった。幼かったことや学園長命令など言い訳にもならない。
しかし済んだことを悩んでも仕方ない。これからあの頑固娘をどうするかを考えねばならない。
その時作法室の障子が静かに開いた。
「……なにか用か、喜八郎」
「先日…すみれちゃんに会ったそうですね」
なるほど、四年生だけでなく喜八郎も知っているのか。彼女の後輩贔屓は相変わらずらしい。
「思い切り突き放されたがな」
「それで大人しく引き下がるんですか?」
いつもと変わらぬ無表情だが、喜八郎の目が気迫が彼の内を物語る。
私はふっと笑みを零した。
彼女は気付いているだろうか。自分がどれだけ周りに想われているということに。
「まさか。私も奴に負けず劣らず、諦めが悪いからな」
「………。それを聞いて安心しました。あともう一つ。例え先輩でも…すみれちゃんを泣かしたら許しませんから」
「覚えて置こう」
言いたいことを言い終えた喜八郎は、軽く一礼をして部屋を出た。
一人となった私は再び考えを巡らせた。
待つのは辞めよう。
お前が動かぬなら、こちらから歩み寄るだけ。
必ず引きずり出させて見せる。
私たちが待つ、すみれを―――
私から逃げられると思うな。
*
あの時振り向いた君を見て、俺は思わず言葉に詰まった。君の瞳が泣いていたから。どれだけ言葉で突き放そうが、彼女の心が寂しいと叫んでいたから。
彼女は自分から折れるのを恐れている。それくらい意地っ張りなことを、俺は知ってる。
それなら俺から行けばいい。人一倍甘え下手な君が思う存分甘えられるよう、俺は両手を広げて待とう。だからもう、手の届かない所に行かないでくれ。
俺は――…
「――食満」
ぐるぐる考えを巡らせていた俺は呼ばれてはっとする。そんな俺を見て用具委員長である貴上(たかがみ)先輩は苦笑を浮かべていた。
「ぼーっとしてっと指打ち付けるぞ」
「すいません…」
いけない、今は委員会活動中だった。俺は止まっていた手を動かし始めた。
そこで先輩はにやりとして、
「天野すみれだろ?」
ガンッ!
「――っ」
「ほらみろ」
「い、今のは先輩が!」
「でも図星だろー」
先輩の爆弾発言により、金槌で打ち付けた指を押さえながら俺は言葉に窮する。
そんなに俺はわかりやすいのだろうか…。
「何言われたか知らんが、あいつが本気じゃないって分かってんだろ?」
「……なんでそんなこと先輩が知ってるんすか?」
俺の声が不満そうに聞こえたのか、貴上先輩に妬くなよと言われた。
別にこれは嫉妬ではない。多分。
「そりゃあ可愛い後輩だ。俺なりにあいつのこと心配してんよ。なにせ俺たち六年に対してたった一人で乗り込んでくる子だからな」
「――!?」
「それで頭さげんだよ。別に天野のせいじゃないのに、責任感じて自分責めてさ」
この人は知ってるんだ、俺たちの知らないあの真相を。
そう思った瞬間俺は先輩に食って掛かっていた。
「貴上先輩はあの事件のこと知ってるんですよね? 一体なにがあったんですか?!」
「――知ってどうすんだ?」
貴上先輩の眼差しに俺は射抜かれた。
知ったら俺はどうするんだ。あいつを慰める? それとも同情するのか?
いや、駄目だ。すみれはそんなことを望んでいないはずだ。それでは彼女の心には届かない。
「……お前さあ。あいつの過去とか知るよりも、まず言ってやりたいことはねぇわけ? あいつの気持ち知ったら潔く引き下がる程、お前の気持ちは弱いのかよ」
再び思考の迷路に迷い込んだ俺には、貴上先輩の言葉が不思議な程あっさりと俺の心に落ちた。
俺は――…!
顔を上げた俺は、目の前が開けて見えたんだ。
ーー君の笑顔の傍にいたい
*
「……行ったか」
「おう。らしい面になったと思わね?」
にやにやとする俺に呆れながら頷く同じく用具委員の中塚東伸。
「それより古之助、やはり動いたぞ」
「あー…あいつらも懲りねぇな。しつこい男は嫌われるっつーのに」
よっこらせと腰を上げて伸びをする。
委員会活動は大方終わっているから問題ないだろう。
「さーて、可愛い後輩たちの為に一肌脱ぐに行きますか」
「もっと締めなくてはな…」
「おっ! 珍しく乗り気じゃねぇか東伸!」
景気よく拳を鳴らし、ふたりで足を踏み出した―――
あの夜――、実戦訓練を終えた俺たちを出迎えてくれたのは担任の教師ではなかった。
そこには月明りを背に立つ一人の少女がいた。幻想的な輝きを放つ長い髪が柔らかく風に舞う。
俺たち六年を相手にその子は真直ぐに見つめてくる。殺気さえ放つ者がいるにも関わらず。そんな中彼女はゆっくりと膝をつき頭を垂れた。その仕草一つ一つが優雅で目を奪われる。
身構えていた俺は彼女の行動に面食らう。と同時にどこか親近感を感じていた。俺はこの子と会ったことがあるのだと…
「お久し振りです、先輩方。――天野すみれです」
「え!? 君があのすみれちゃん!?」
彼女の言葉にどよめきが走った。鉄の言葉は俺たちの心の叫びを代弁していた。
そして次の瞬間彼女――天野に向けてクナイが投げられた。天野は全てを受け止めるかのように、避けずにそのクナイを静かに見つめていた。
けれど当たりはしない。栄三の細鎖が踊りクナイを弾いたから。鉄が天野を庇うように立ち、クナイを放った奴等の方に振り返る。横目で確認すれば、血の気が多くて有名な奴らだった。
「いきなり何してんの? 可愛い後輩に手を上げるなんて随分じゃないか」
「そいつが後輩? 馬鹿言え、くのたまでもない奴なんか後輩じゃねぇよ。それに……そいつは裏切り者だろ」
「この…っ!」
裏切り者――
胸倉を掴む鉄を宥めている東伸の声が酷く遠く感じた。すぐ傍にいるのに。
彼女を見れば表情から一切の感情がはがれ落ちていた。そんな彼女に栄三が眉を顰めるのがわかった。
心優しい彼女のことだ。きっとあの事で自分を責めているんだろう。しょうがない子だなぁ。あれは君のせいなんかじゃないのに。
「先輩の言う通りです。申し訳ありませんでした」
「謝って済むと思ってんのかよ。めでたい奴だな」
「そんなこと思ってません。ですから――(チャキ…)気が済むまで、どうぞ」
彼女はどこからかクナイを取り出して自分の首筋に当てた。
俺は呆れてため息をついた。彼女の頑固なところは相変わらずだ。
「いい加減にしろ、天野」
「貴上先輩…」
そして有無を言わさず彼女からクナイを取り上げる。大丈夫だと頷いてみせれば、彼女の瞳が不安げに揺れた。
俺が口を開いたので鉄は大人しく下がる。それにより自由になったそいつは俺を睨み付ける。別にお前に睨まれたところで怖くもないが。
「甘くないか、貴上? わかってんのかよ、そいつのせいで一体何人失ったと思ってんだ?」
「…ったく、てめぇもしつこいぞ。じゃあ聞くが、てめぇならなにか変わってたのか? あれだけの先生や先輩方が行ってたんだぜ」
少し凄んで言えば、そいつは口を閉ざした。よく知らないくせに。口だけなら最初から黙っていろ。
彼女が何をしたっていうんだ?
まだ十三にも満たない少女が、あれだけの事件からたった一人生き延びて帰ってきたというのに――
俯く彼女に近寄り肩に手を置けば、ゆっくりと顔を上げた。
不思議だ。血は繋がっていないはずなのに、どこかあの人に似ている。
「天野先生のこと、辛かっただろう? 悪かった、何もしてやれなくて…」
「いえ、そんな……」
「あと卒業した先輩たちからの伝言。『君は笑っていてくれ』だってさ」
彼女の瞳は大きく見開かれて潤いが増した。
俺は目を細めて、少しでも傷ついた彼女の心が和らいでくれたらと願う。
「よく戻ってきたな…。お前の帰りを待っていた、すみれ」
すみれは大きく頷くと、勢い良く頭を下げて足早に去っていった。その震える細い背中が見えなくなるまで、鉄や東伸、栄三とともに優しく見送っていたら、
ありがとう――
そう聞こえた気がした。
*
ごりごり ごりごり…
渡利(わたり)先輩が薬草をすりつぶす音が響く。今保健室は僕と先輩の二人きり。僕は自分の作業を終えてぼんやりとしていた。
思い浮かぶのは戻ってきた彼女――すみれちゃんのことだ。久し振りの再会なのに、彼女は僕たちを突き放した。逢いたくなかった、と言って。
僕はその言葉に頭が真っ白になった。そして思った。それは本気で言っているのか、と。
彼女を信じていないわけではない。けれどあれだけのことがあって、彼女に影響がなかったとは言い切れない。また彼女は凄く頑固なのだ。一度決めたことは簡単に曲げたりはしない。
――もしあの言葉が本気ならば?
そこで僕はため息をついた。過去に僕がすみれちゃんを丸め込めた試しはないから。
「伊作くん、ため息ばかりついてどうしたの?」
渡利先輩に言われて僕ははっとした。そんなにため息をついていたのだろうか。
「いえ…別になんでもありません」
「もしかして、恋の悩みかい?」
「―――はい?」
「なんだ、外れか。残念」
固まっている僕を尻目に、渡利先輩は僕が包装した薬を確信し始めた。
この先輩は頼りがいがある良い人だが、時より唐突なことを言うのでついていけないことがある。
「あのぉー…」
「おや、ここの配合間違えてるよ」
「え、ほんとですか!? すいませんっ!」
「大丈夫。嘘だよ」
「………」
もう一度言おう。
この先輩には時折ついていけない。
「何か悩みがあるなら聞くよ? お兄さんでよければ相談に乗るからさ」
渡利先輩は姿勢を崩してこちらを向いた。
僕はこの先輩に隠し事は出来ないとわかっているので、正直に話すことにした。少しは気がはれるかもしれないし。
「渡利先輩、実は――久し振りに会ったおん…、友人がいるんですけど。それでその子に逢いたくなかったって言われて、正直どうすればいいかわからないんです」
「その子がそう言った理由は分かるかい?」
……痛い、所をつかれた。
僕は当時の歯痒さがよみがえり拳を強く握った。
「その子、過去に辛い事があったんです。けどその時僕は何もしてあげられなかったんです。だから怒ってしまって…」
「……本当に、そう思ってるの?」
「え…?」
「じゃあどうして君はその子と言葉を交わせたの? もし逢いたくないなら、逃げられてるはずでしょ」
あれだけ悩んだものでさえ、どうしてこうもあっさり抜け穴が見つかるのだろう。
「その子と離れたくないならしっかり捕まえとかないと。たまにはちょっと強引にいっても良いんじゃないかなぁ。
さて、――君はどうしたいんだい?」
「僕は――…」
もう迷ってなんかいられない。
だって君が待ってるから…
*
「なんだ、鉄一人か?」
「おや栄三、今日は頭の具合でも見に来たのかい?」
「ほざけ」
ふざける鉄にクナイを投げ付けるがあっさりと掴みとった。
委員会を早めに切り上げた俺は保健室に来ていた。鉄一人な所を見ると、迷える後輩をきちんと送り出したらしい。
「冗談だよー。ところでそっちはどうだい?」
「手筈通りだ。あとはあいつら次第だな」
「彼らはもう少し思い切っていいと思うよ。まあもっとも先輩方のようにやたら突っ走るのもどうかと思うけどさ」
鉄の言葉にあの先輩方の奔放無尽が思い浮かび俺は苦笑した。
その時――
「こらーっ!! 七松、どこに行くんだ?!」
「止めないで下さい先輩!」
「いや、別に止めてねーし。つーかまだ委員会の途中だぞ!?」
「私を待っている子がいるんだ! 今行くぞ、待ってろ―!!」
「いやだから、意味わかんねーよ!!」
「「……………」」
どこからか猛然と駆けていく音と悲痛の叫びが聞こえてきた。
「………いたぞ?」
「うん、いたね」
俺は心の中で同じクラスの体育委員長に手を合わせた。
*
私が保健室へ戻って来たのはもう委員会の終わった頃だった。残っていた六年の鉄君と栄三君を送り出した私は、机一杯にある薬に手を伸ばした。
今年の六年生の用意周到さに思わず苦笑していると、音もなく保健室に入ってくる人影があった。
「いらっしゃい、野村先生」
入って来たのは野村雄三で、バツが悪そうに頭をかいている。
あまり見られない彼の仕草に笑みが零れる。
「心配ですか?」
「当たり前でしょう。現役の忍たま相手なんて、もし大怪我でもしたら…」
「大木先生の指導を受けているのなら大丈夫でしょう」
「だから、それが気に入らないんですよ!」
なんでよりにもよってあいつとなんか、などとぶつくさ言う。彼は天野君の兄貴分でもあった大木先生とはやたらつっ掛かる仲だから。
その時机の上に視線を送った野村先生はぎょっとした。
「流石に多過ぎませんか?」
「ええ…でもあるに越したことはありませんから」
「やはり、ここはわ「子供の喧嘩に大人が首を突っ込むものではありませんよ」……ゔっ」
踵を返そうとした野村先生に私は釘を差した。もっとも今回は喧嘩というより、頑固で分からず屋のお嬢さんを捕まえて説教をするものだが。
私たちが何を言ってもあまり効果はない。閉ざされた彼女の心に真直ぐ響くものでなければならないのだ。
「あの子は本当に幸せ者ですね。良い子たちに恵まれて」
「すみれは私が育てた娘なのだから当然です」
「ええ、すみれさんは益々良い娘さんになりましたね」
“私が”育てた、というのはあえて触れないで置こう。それだけ彼も彼女のことを大切に思っている証拠だろう。
そして少し困ったあの娘の為にあれだけの人が動いている。改めて彼女がどれだけ多くの人に慕われているかを見せられるのだ。
「それもこれも天野君の教育の賜物ですか」
「いや全く。大木に似たらとんだ暴れ馬になってますよ」
まだあの娘が幼くやんちゃ盛りの頃。変な事まで覚えてしまう彼女に、天野君や当時の上級生らが必死に訂正していたのだ。
また大木先生と天野君がすみれさんのことで口論したり。上級生らが大木先生を追いかけて怒ったりという場面もあった。
本当に懐かしい。あの頃は戦火が激しかったが、学園内は一人の少女により温かかった。そういえば滅多に現れない卒業生たちが、やたら訪ねてきていた。
いつもあの明るい笑顔が絶えなかった優しい日々。もう同じものを見ることは出来ないけれど。あの頃にも劣らない日々はこれからもやって来るだろう。
天野君や上級生が大事に、大切に育てた小さな芽が、蕾から花を開いていくのだから――
*
「よぉ遅かったな」
「委員会だ、バカタレ」
文次郎が委員会を終え五年生長屋の庭に来てみれば留三郎がすでにいた。
そしてそこへ次々と集まっていく彼ら。
「考えることは皆同じだね」
「奴の頑固さには困ったものだな」
「……分からず屋……」
「よぉし、皆ですみれを捕まえるぞ! いけいけどんどーん!!」
いつもの六人が揃いすみれの元へ一歩踏み出した、その時…
「―――待て」
彼らの前に立ち塞がる影があった―――
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