花色の雫
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学園に戻ってきて事務員になり数日が過ぎていた。
私のことなんて周りは覚えていないだろうけど、気休めでも変装をした。と言っても、自分が出来る変装など知れている。極力生徒たちと会わないよう事務の裏方ばかりに回っている。
彼らには会わない――
決めたのは私だ。自分で決めてしまったのだから曲げる気はない。静かに過ごそう。この学園にいられるだけでいいのだから。
私はもう、それだけでいいの。
*
『あの子のことを頼む…』
そう頼まれたのは山田先生からである。あの子とは先日事務員になった小牧さんのことだ。
聞けば彼女は元くのたまで、訳あって学園からしばらく離れていたらしい。そしてこの度戻ってきてから当時学園にいた彼らのことを避けていると。
だから姿や名前を変えて過ごしているのだそうだ。
私には珍しく小牧さんとは打ち解けてよく話をする仲だ。それは私が以前の彼女を知らないから、気兼ねなく接してくれるのもあるけれど。
それでも私は嬉しかった。好意を持つ相手と仲良くなれたのだから。故に山田先生からも頼まれたのだろう。
以前の彼女を知らないことに引け目を感じなくはないが、無意識でも意図的でも構わない。彼女が他でもない自分を頼ってくれているのなら、私はあなたをーー
本日の雑務を終えて自室へ戻る途中で彼女を見つけた。
彼女は本来の姿でぼんやりと星空を見上げている。その瞳が潤んでいるのは気のせいだろうか。
声を掛けようとすると彼女はゆっくりとこちらを見た。あまりに見つめてしまったので気付かれてしまったらしい。
「あら」
「こんばんは」
「こんばんは、今日もお疲れ様です」
私は座っている小牧さんの傍の柱に寄りかかり同じく満天の星空を眺める。
「綺麗ですねぇ」
「ええ、本当に。昔からこうして星空を眺めるのが好きなんです」
「私も昔よく星を眺めてましたよ」
「土井先せ…いえ、土井…さん、もですか?」
彼女の言葉が次第にか細くなるのに、私は思わず小さく噴き出してしまった。
彼女が自分を呼びにくくするのは、これが初めてではない。昼間などは教師として接する彼女だが、他は別の呼び方をする。ここは彼女にとって家でもあるし、彼らは教師以前に家族同然なのだ。
そして私にも呼び分けをしてくれているのだが、まだ会って日が浅いせいかどう呼ぼうか彼女は悩んでいる。
「もう…笑うなんて」
「すみません、つい…。もしよければ、私のことは名前で呼んでくれませんか?」
「名前……ですか?」
「ええ、名前です」
彼女は視線を泳がせた後、遠慮がちに口を開いた。
「は…半助さん……」
「はい、なんでしょう小牧さん」
その一言に心温まる気がした。
私が笑顔を浮かべれば、彼女も優しく微笑んでくれた。その素敵な笑顔に今度は顔が熱くなったことは秘密だ。
熱を誤魔化すため話題を探そうと視線を走らせれば、私はふとあることに気付いた。
「小牧さん、夜遅くにそんな薄着では駄目じゃないですか」
そう、こんな秋の寒空の下で彼女は夜着と上掛け一枚だ。何故もっと早く気付かなかったんだろう。
立たせる為肩に手を添えると、案の定華奢な肩はひんやりとしていた。
「送りますから、早く部屋に戻りましょう。風邪をひきますよ」
「もう少しだけ……」
「駄目です」
彼女を立たせて手をとりそのまま彼女の自室へ向かう。少しばかり荒い足音をさせて。
ちらりと振り返り様子を窺えば、彼女は口を尖らせていた。そんな仕草も微笑ましい。
「半助さんは強引です」
「強引で結構」
しばし睨むように見つめ合い、二人同時に噴き出した。隣りに並んで来た笑顔の彼女が、また一緒に見ようと言った。
私が手に少し力を込めて包めば、優しく握り返してくれたのだ。
(私があなたを支えます。いつまでも…)
*
ある日の夕方、食堂のおばちゃんのお手伝いをすることになった。皆の夕食もだが、実習で遅くなる五年生の為の準備があるらしい。
実習と言っても様々でその日に済むものや数日に及ぶこともある。上級生は自然と長期間になるが、今回のは同日夜遅くには終わるそうだ。だが夕食時からはズレるため、追加で別枠用意しなければならない。
そして夕食の一番忙しい時間帯も過ぎた頃、おばちゃんは注文が入った夕食を出しながら翌日の仕込みを始める。その傍らで私は片付けを手伝いながら、例の五年生用の夕食を作っていた。
私は学園育ちでずっとおばちゃんの料理を食べてきたから、おばちゃんの味を舌が憶えている。少し味が劣るけれど、私はおばちゃんの料理を同じように作れるので、こうして手伝う事が多い。
実習組の夕食の献立はおばちゃんと相談して決めている。凄くお腹を空かせて帰ってくるはずだけれど、夜も遅いので野菜重視の献立である。
それらの料理を作り終えた頃には、食堂の利用者もまだらでおばあちゃんも明日の仕込みを終えていた。作った料理の味見をおばあちゃんにしてもらって合格を貰い、ようやく私たちも遅い夕食をいただく。
「それにしても、料理がまた上手になったわねぇ」
「本当に? おばちゃんにそう言って貰えると嬉しい」
「ふふっ…きっと良いお嫁さんになるわ」
嬉しい言葉も貰っておばちゃんと分かれると、私は最後の作業に入る。食堂の簡単な掃除を済ませてお湯と茶葉の補給。少しの言伝を書いた紙を机に置いて完了だ。
作業を終えて伸びをしていると、裏庭の井戸当たりが騒がしいことに気付いた。五年生が実習から帰って来たのだろう。
退散しようと食堂を出た私だったが、私の足は知らず自室ではない方へ向かっていた。
――なんでこんな所に…
今私がいるのは裏庭の井戸から食堂へ向かう道中の木の影だ。
井戸では複数の忍たまたちがいる。実習により疲れた様子の中、どこか達成感が窺える表情や声音。その様が懐かしくて見たくなるのを押さえ切れない。
足元を睨み付けながら私は自嘲した。
所詮私の決意なんてこんなものだ。こんな簡単に揺らいでしまう程、脆い。やはり私は学園に戻って来ない方が良かったのだろうかと思いはじめた、その時。
「今日の実習もキツかったな」
どくん、と私の心臓が大きく跳ねた。
目を瞠って声をあげまいと口を押さえる手が震える。そんな私の耳に会話は容赦なく入ってくる。
「いつもより大変だったよね」
「それはお前の不運のせいだろ」
「ひどいなぁ」
声変わりをしていても姿を見なくても誰かわかる。
忘れるわけがない。だって私は、ずっと――
限界になった私はその場から離れようとした。しかし、それがいけなかった。枯れ葉を踏んで音を立ててしまい、彼らに気付かれた。
(私のことなんか、放ってくれたらいいのに…)
*
実習を終えて学園に戻って来た俺たちはすっかり緊張も解けていた。気が緩むと同時に、どっと疲れが全身にのしかかる。
隣りにいた伊作と話しながら食堂へ向かっていると、傍にある木陰から微かに物音がした気がした。
「―――誰だ!?」
実習の延長で少しばかり気が張っているかもしれないが、ここは忍術学園で用心にこしたことはない。
けれど目を向ける木からは何も現れない。気のせいではないか、と伊作が俺の服を引いた。
すると木影から、人が現れた。月明りがその人物の顔を照らした瞬間、俺も伊作も息を呑んだ。そいつが気配もなく現れたからじゃない。
――すみれ…?
そう、そいつは俺たちがずっと待ち望んでいた子の顔をしていたから。きっとあいつが更に大人びた時の顔に。
俺が声を上げようとすると、そいつは口を開いた。
「はじめまして。私は――」
その言葉はザーッと吹いた風にかき消された。風は強くて手を翳して思わず目を瞑った。
すると風と共に、ふわりと懐かしい香りに包まれる。次の瞬間俺は駆け出していた。
「すみれっ!!」
しかし数歩駆け出した所で俺は立ち止まった。そこには人影がなくただの木陰だったから。
「どういうこと…?」
伊作の呟きに応えるものはなかった。
俺も今起こったことに呆然とするばかりだ。
「留三郎に伊作、そんな所で何をしている?」
「仙蔵、文次郎…」
そこにい組の二人が来た。
伊作が二人と俺を交互に見ているのが背後から伝わる。
「なに呆然としてやがる。疲れて変なものでも見たか?」
文次郎の言葉につっ掛からず俺は一瞥しただけ。いつもと違う俺に文次郎が眉を寄せたのを視界の端で捉える。
どれだけ見ていても、そこは先程から変化はない木陰。俺は息をひとつつくと、木陰から背を向けた。
「わりぃ…なんでもねぇよ」
――俺の声は、また届かなかったのか…
*
自室に駆け戻った私は壁伝えにずるずると座り込んだ。俯けば途中でかきむしるように解いた藍色の髪が頬にかかる。
そういえばそのままの姿で二人の前に出てしまった。遠ざかる中、名前を呼ばれた気がする。
混乱してぼんやりとする頭でお気に入りの髪飾りをかき抱いた。
「すみません、小牧さん。いま良いですか?」
部屋の外からかけられたその声に私はなりふり構わず、障子を開け放つと目の前の人に飛び込んだ。半助さんは驚いていたけれど、しっかり受け止めてくれた。
「小牧さん!? どうかしましたか?」
私は応える代わりに首を振って、広い胸に顔を埋める。半助さんは状況がわからないにも関わらず苦笑しながら、優しく背中を撫でてくれた。
その温もりに涙が溢れていった。
(お願い呼ばないで。甘えてしまうから…)
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