花色の雫
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授業を終えた俺は所用の為裏々山へ足を進めていた。ふとその時裏山の山道で前を行く人影を見つけた。
――すみれさんだ。
先日の騒ぎの後改めて再会した彼女から、
「もうくのたまではないので先輩とは呼ばないで」と言われて。少し戸惑ったが三郎や兵助のようには呼べず、『すみれさん』と呼ぶことにしたのだ。
しかし彼女はどうしてこんなところにいるのだろうか。
迷子――、ではない。彼女はずっと忍術学園で育ってきて、俺よりも裏山付近は詳しいはずだ。
では何をしているのか?
そんなことを考えているうちに、すみれさんはどんどん奥へと進んで行く。内心焦った俺は身を隠しながら彼女を追って行った。
すみれさんは遂に裏々山まで足を踏み入れていた。そして俺の祈り虚しく、彼女はその場所の近くで足を止めた。
樹々が生い茂る中少し拓けた場所に、傾いた陽が黒い影を落とす。
「もう出てきたらどう、八左ヱ門?」
驚いた俺は大人しく姿を現した。
名前まで言われて出ない訳にはいかない。
「やはり分かりましたか。気配は消していたのですが……流石すみれさん」
「気配は消せても、溢れ出る感情は丸見えだったよ。……そうね、今の貴方からは『焦躁』」
当たりだ。俺は笑みを浮かべながらも、冷たい汗が背中に落ちる。
すみれさんはゆっくり振り返ると、俺と目が合い瞳を細めた。いつもは綺麗と思えるその仕草が、今はどこか恐ろしかった。
場所が違えばこうも変わるのだろうか。それとも獣を感じる雰囲気が彼女をそうさせているのか。
俺は獣に追い詰められた獲物のように身体が動かなかった。
「それに匂いは中々誤魔化せない。特に、この子たちには――…」
すみれさんがそう言った途端、彼女の背後で二対の眼光が光った。
瞬間俺は反射的に飛び退く。言葉では現せない威圧感が辺りを埋め尽くす。
すみれさんの背後から現れたのはふたつの巨体。
闇よりなる毛並みは艶が栄えて、しなやかな筋肉はそれが動く度に存在をこれでもかと主張する。がっしりした体躯から放たれる眼差しは夜に浮かぶ月だった。
少し黒いのに劣るも、もう一方も凄まじい存在感を示すには十分なほど。銀の輝きが交じる灰色の毛並みは柔らかく、けれど同じ色の瞳は鋭いものを宿していた。
黒色と灰色の立派な狼はすみれさんに添うように両側へ立つ。黒色は幾分前へ出ており、すみれさんが背を撫でれば目を細めた。灰色も同様に撫でられていたが、もっととせがむようにすみれさんの腕に頭をすり寄せる。すみれさんも目を細めて灰色の首回りへ腕を絡めた。
「黒いのが『たゆら』で、白いのは『まゆら』と言うの、可愛いでしょう。八左は狼は初めて?」
「えぇ、まぁ……」
そんな構えなくていいのに、とすみれさんは言われた、が。
無理に決まっている。学園にも巨体の忍犬がいるけど、比べ物にならない。ましてこれ程立派な狼が裏々山にいることに驚きだ。
「この子たちはもう長くここにいて、人の出入りがあるのには慣れてるの。本拠地はもっと奥だけれど、今もこうして見回りも兼ねて逢いにきてくれる」
今も、とは――? それに見回り、なんて。 もしかしてこの二匹は群れの上位か。
顔に出ていたのか、すみれさんはくすりと笑いを零した。
「察しの通り、ここら一帯の二大ボスだよ。けど昔、私はこの子たちを野生へ帰れなくさせるところだったの」
すみれさんは俺に真剣な眼差しを向けたまま、横にある木の根元の覆う葉を掴んだ。
そこは…っ!?
「だからね八左エ門、貴方のこれは感心しないわ」
俺が声を発する前に、すみれさんはその葉を持ち上げる。その葉に隠れていたのは負傷した子狐が小さく丸まっていた。
すみれさんは子狐をどうするつもりなのだろうか。内心ハラハラしながら俺が見守っていると、ひょいと子狐の首根っこを摘み上げて、灰色の毛並みをした狼の前に翳した。
顔の血の気がさっと引く気分だ。狼の方は、ぷらぷら動く子狐を視線で追っているし。
「なにしようとしてんですか!?」
「数日お預けをくらったんだ。もういいでしょ」
「馬鹿なこと言うなっ、今すぐやめろ!!」
知らず俺は敬語も忘れて叫んでた。
子狐を揺らすのを止めて、すみれさんは眉を寄せてこちらを向いた。
「野生の肉食動物に人の手がかかれば、彼らの均衡を崩し兼ねない」
何を、言うかと思えば。
灰色の狼とすみれさんを交互に見て警戒しながら、俺は心の中で首を傾げた。
「それが幼い時分なら尚更どうなるか、分からないあなたじゃないでしょう」
そんなことは百も承知だ。
けれど目の前に傷付いたものがいれば、放ってなんかおけない。
「じゃあ、すみれさんは目の前に怪我してる奴がいても見捨てるのか?」
「基本、ね。私はそこまで優しくないし、伊作みたいに治療できる技量もないから」
すみれさんが、俺が予想したのと反対の事をさらりと口にしたから。俺は眉を顰めていた。
すみれさんは苦笑しながら、そんな恐い顔しないでと言った。
どうして貴方はそんなことが言えるんだ!?
「では、言わせてもらうけど。あなたはその甘い考えで、仲間や己を死に追いやるつもり?」
やはりこの人にはお見通しなのか。
すみれさんの言葉に、俺は更なる混乱の深みに引きずり込まれた。
「それとは関係ないんじゃあ…」
「果たして、本当にそう言えるかしら。忍の世界では、一瞬の隙が命取りになるの」
すみれさんの手元が光ったと思えば、耳元で何かが風を切る。次いで、カカッと突き刺さる音がした。後ろを窺えば、木に刺さる千本が三本あった。
俺はすみれさんが構える所も、投げる所も捉えられなかった。
「一流だろうが、忍者のたまごだろうが関係ない。人を殺める術を知る限り、命を取られても文句は言えないのよ」
わかってる、わかってるさ。
俺だって忍たまをして四年になるし、人を殺めたこともある。
忍の世界がどんなに過酷か。
やるかやられるかの状況がどれだけ緊迫しているか、知ってる。
だけど――…っ
俺がぐるぐると思い巡らせていると、すみれさんはため息をついて、
「まゆら」
名を呼ばれて口を開けた狼。
それを目にした途端、俺は駆け出してすみれさんから子狐を奪い返した。
「それでも、これが俺のやり方だから!」
それで命を落とすことになっても。
手を差し延べなかったことを後悔するよりずっとマシだ!!
責任ならいくらでもとってやる!
俺が手を差し延べるものなら、この手に掴んだものはみんな全て。
「俺が一生面倒見てやるよ!!」
俺は有りっ丈の声を張り上げて思いをブチまけた。
重い沈黙が走る中、俺の荒い息遣いだけが響いていた。冷たい眼差しをするすみれさんの次なる言葉を、俺は固唾を飲んで待った、が。
「そう…ならせめて、隠す場所を考えなさい」
先程の表情は消えて、ふっと雰囲気が柔らかくなったすみれさん。
俺の目はきっと点になってたと思う。
「ここは危ないのよ。この子たちが見張ってなかったら、今頃他の獣に食べられてたわ」
「へ? ……え、あー…」
「そうだ。用具委員会に頼んで飼育小屋の増設なんてどうかな? これから小動物を養う時、便利だと思うの」
間抜けな反応しか返せない俺は、すみれさんのいつもの笑顔を向けられれば、見事に腰が抜けた。
「厳しいこと言ってごめんなさい。でも忘れて欲しくなかったから」
いつの間にか濡れていた頬を撫でる指は、どこまで無優しい。
無償の愛情を持って甘えさせてくれる、俺の憧れの人。
「せめて忍たまのうちは、自分の思うままにしていいの。私に出来ることがあれば、幾らでも手を貸すよ」
だって、私の可愛い後輩の為だもの――…
*
夢を見ていた。
あれは確か四つの頃、私は裏山で二匹の狼の赤子に出会った。二匹とはすぐ仲良くなり、嬉しくて私は一緒に忍術学園に戻った。
するといつも温和な父上にそれを見て、きつく叱られたのだ。多分初めてのことだったと思う。二匹を裏山へかえすよう、父上に言われた。
しかし幼かった私はいやだいやだと駄々をこねて、二匹を抱えたまま父上と雅兄の腕を掻い潜って逃げた。長屋の空き部屋に隠れたけど、あっさり先輩が見つけてしまう。その後三人から諭されて渋々了解し、私たちは裏山に行き二匹をかえすことになった。
そして翌朝、二匹と出会った場所に立った私は中々二匹を離せなかった。
父上たちが苦笑していると、一匹の狼が現れた。褐色の毛並みにしなやかな巨体をして、左の瞳に刀傷が走る。隣の父上から、からま、と呟いたのが聞こえた。
その姿を見た途端、二匹は私の腕から飛び下りた。じゃれる彼らを見ながら涙を流す私の頭は父上は優しく撫でてくれた。
すると三匹が近寄ってきて、褐色の狼が私の頬に顔を寄せた。私は頭を撫でてから、しゃがんで小さな二匹にばいばいってお別れをした。
三匹が山へ戻っていく姿を見送り、学園に戻っても私は父上の腕で泣いていた。
また逢えるよ、と父上は言ってくれた。
『あいつに気に入られるなんて。流石、私の娘だよ』
そう言いながら、父上はなんだ嬉しそうに笑っていて。当時は不思議だったけど、あとになってその意味がわかった。
それから約二年後のこと。私はあの二匹と再会を果たす。私のことを覚えてて、ずっと一緒にいて共に学び成長し、私にとってなくてはならない存在となった。
その二匹が、たゆらとまゆらだった――…
ふっと目を覚ました私を迎えたのは、柔らかな毛並みと温もり。どうやらたゆらに寄り掛かったまま眠ってしまったらしい。
日の高さを見れば此所へ来た時とあまり変わってなかった。しかし昼間とはいえ秋も終盤のこの時期に外で眠ったからか。たゆらが叱るように尻尾を振ってる。もっともたゆらのお陰で寒くはなかったけれど。
苦笑しながらたゆらの頭を撫でていると、まゆらを連れて八左が現れた。
私が目を丸くしているのを見て、八左は眉を下げる。聞けばまゆらに引っ張れて来たらしい。
「あの子狐ですけど。怪我も直ったんで、先程親元に返して来ました」
八左は私の傍に腰を下ろしながらそう報告した。私は手を伸ばして、高くなった頭を撫でる。
大丈夫。この後輩はきちんとわかってる。
私みたいな間違いはきっと起こさないだろう。
はにかんだ笑みを浮かべる後輩の顔を眺めていると、突然何かが潰されたような声と共にまゆらが現れた。まゆらが八左の背中にのしかかったのだ。
八左は唸りながらまゆらの重みで潰れないように踏ん張っている。一方まゆらは楽しんでいて、尻尾がぱたぱたと揺れていた。
私はその光景に堪え切れなくなり、声を上げて笑ってしまった。八左に笑ってないで助けて下さいって言われたけど、無理。
だってそんなに楽しそうなまゆらは久々にみるのだからね。
たった数日で気難しい彼らに気に入られる後輩。それは彼の天性の才からくるのだろうか。
「さすが、私の後輩だね」
穏やかな木漏れ日が溢れる中、楽しげな声は暫く続いていた――
*
それはある日の出来事ーー
「げーほげほげほっ」
「こほっ。……雅之介兄さん、一つお聞きしたいことがあります」
「なんじゃ、竜助。今は逃げたすみれを追うのが先じゃろーが」
「まともな御意見ですね。…しかし、何故まだ四つのすみれが煙幕を使ったのです?」
「がーはっはっはー、さすがわしの娘じゃ! 教えて間もないのに、よう使えたもんだ」
「やはりまた貴方ですかーっ!!」
「ぐはぁっ」
「全く何度言えばわかるのですか。幼いすみれに危ないことをさせないで下さい!」
「…だからって、顔面グーはないじゃろ!! お前はいつから兄であるわしに手を上げるようになったんじゃ!」
「そりゃあ可愛い娘に手裏剣やら戦輪やら教え込まれた日には、鼻の一つや二つ潰したくなるもんです」
「待て、それは俺だけじゃなくてあいつ等も教えとっただろ! そしてお前も見たじゃろ、すみれがわしに向かって戦輪を投げたのをっ」
「ええ、見事に雅兄の頬を掠ってましたね。我が娘ながら、拍手を送りましたとも。
しかし、ほんとどーしてくれるんですか? せっかく私がすみれを、花や蝶やとお淑やかな娘を目指して努力していたと言うのに」
「………それにしては、すみれは毎日裏山や裏々山を駆け巡り過ぎではないか?」
「元気があって良いではありませんか」
「……………この間は猪一匹伸してたよな?」
「もう猪の対処法まで身につけましたか。さすがすみれですね」
「だぁぁぁっ! このままではわしの可愛いすみれが、竜助みたいな森の豪者になってしまうーっ」
「野蛮人が何を失敬な。人は自然と隣り合わせなのです。自然の摂理を学ばせて何が悪いのですか?
大体雅兄さんは子育てと言うものをですね、」
「あのー、すみれ捕まえて来ましたけど…」
『ぶー』
「アフッ」「ワンッ」
→next.
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