花色の雫
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ことり、と棚に花瓶を置いて私は少し離れて見てみる。花瓶にある花――藤袴は、先日下級生から貰った花束の一部だ。質素過ぎる部屋に、小さな藤色の花たちが鮮やかに季節を表している。
中々の出来栄えに満足した私が腰を上げようとした時。障子が開き部屋の持ち主である半助さんが入ってきた。
「……おや」
「…っ、勝手にお邪魔してすみません。花を飾ろうと思いまして…」
「あぁ、構いませんよ」
少し驚いた風だったが、半助さんは笑顔を向けてくれた。
半助さんが近寄り隣に腰を下ろしたので、私も上げかけた姿勢を戻す。
「藤袴ですか…」
「はい、先日二年の子達からたくさん貰ったものです。お茶も煎じるので、よかったらどうぞ」
「いいですね、是非。それにしても、あの子たちもやりますね」
同じく藤袴を眺めていた半助さんの意味あり気な視線に、私は首を傾げる。
半助さんの温かい手が頬に添えられて、
「小さな花ながら凜として咲いている。まさに貴女のようだ」
真摯の眼差しを真正面から向けられてそう言われて。頬を触れられているにも関わらず、熱くなる顔を隠すため俯いた。
でも貴女ならどの花も似合いそうだ、といつもの柔らかな声音の中、半助さんの手が私の頬から離れていく。心地良さに揺れながら私が視線を上げると、目の前には半助さんの優しい笑顔があった。
そこで私の心の内に温かさと共に溢れるは―――罪悪感。私はこんな心優しい人を騙し、己の寂しさを紛らす為に利用していたのか。なんて愚かなことをしていたのだろう。
再び顔を伏せた私は、膝の上にある手を力強く握った。
けれどいつまでも騙しているのは、嫌だ。言わなくては。例え軽蔑されようとも。
「あのっ、私は貴方に言わなければ…」
「知ってましたよ」
半助さんの突然の言葉に私は思わず息を飲んだ。
力を込めた拳を解かれて、大きな手に包み込まれる。つられて顔を上げれば、半助さんの変わらない柔らかな笑みと出会う。
「山田先生から聞きました。あなたは、“小牧”さんではなく、“すみれ”さんだと――」
「でも、私は何も知らないあなたを利用して…っ」
「いいんです」
言葉を遮るようにかき抱かれて、気がつけば私は半助さんの腕の中にいた。
「確かにあなたのお父上も、昔のすみれさんも知らないけれど。それでも私はすみれさん、あなたの存在自身に心魅かれたんだ。例え利用されていても、その相手になれたことを不謹慎ながら嬉しかった…」
耳元で響く優しい声音。
半助さんの温もりに心が溶かされていく。
「これまでのことは、私が全て承知の上での行動です。それはこれからも変わりませんよ」
「半助さん…」
私はせめてもと思って、半助さんの広い背に手を回した。
どうしてあなたは私に笑顔を向けてくれるのか。私はあなたに己を偽り、何も知らないあなたを利用して甘えたのに。自分を優先してあなたの優しさに縋っていたのに。
――あぁ、本当にあなたは優しすぎる…
しばらくして抱き締められる腕の力が緩み、私も名残惜しい気持ちと共に身体を離す。
「ところで…明日は空いてますか?」
唐突の質問に呆気に取られたけれど、特に用はないので私は頷いた。
すると半助さんは子供のような満面な笑みを浮かべて言った。
「私と一緒に町へでかけませんか?」
*
翌日私は外出届けを二人分出した足で、すみれさんの自室へ向かっていた。なんとかすみれさんを誘えた私は気持ちが逸るのを感じる。あの時の彼女の笑顔は、歳相応に無邪気で見てる此方も嬉しかった。
しかしその足取りは幾らか重い。
何故ならすみれさんと約束し分かれた夕刻から今朝まで、自称彼女の保護者である先生方に捕まっていたのだ。
やれ傍から離れるな、やれあの娘から目を離すな、彼女に何かあればどうなるか、など言われ続けた。その前にどうして彼らが知っているのだろうか。
前途多難だなぁとぽつりと思った時、支度の済んだすみれさんが部屋から出て来た。
淡い若葉色の小袖には鮮やかな橙色の花が所々飾る。普段下ろされている髪は緩く結い上げられて、白い首筋に思わずどきりとした。
「半助さん、お待たせしました」
「いえ、大丈夫ですよ」
挨拶はしたものの普段見ない彼女の雰囲気に戸惑っていると、すみれさんに徐に頭を下げられた。
「……あのっ、今日はよろしくお願いします」
突然のことに私は惚けていた。
けれどすみれさんと視線が合った瞬間、私たちはほぼ同時に噴き出した。
なんだか変に緊張している自分がおかしかった。
「こちらこそよろしく。……では、行きましょうか」
「はい…」
差し出した手には自然と白く細い手が収まって、私たちは町へと出かけたのだった。
*
「皆おかえりー。実習お疲れさま、しっかり食べてね」
まだ陽も昇らない早朝、夜通しの実習を終えて帰ってきた俺たちを迎えたのは、すみれの笑顔と温かな食事だった。
心も身体も暖まれながら俺はぼんやりとする頭で思い巡らせていた。今日は休日なので、風呂を入り睡眠の後何をしようか。
その時配膳が一段落ついたすみれが俺たちのいる机にきた。……すんげー笑顔を浮かべて。
「あのね、今日私町へ行くんだ」
「…あれ? そういえば此迄すみれは町へ行ったことなかったよね」
「そう、だから今日が初めてなの」
成程、すみれの満面の笑顔はそれか。
子供のように無邪気に戯れるすみれは久し振りで。伊作を始め、俺たちの視線は自然と柔らかくなる。
「まさか一人じゃないだろうな」
「違うよー、土井先生と行くの」
瞬間ピシッと音を立てて俺たちの周りの空気が固まった。
いつも人一倍敏感なすみれは気付いてない。仙蔵は容赦なく導火線へ火種を近付けていく。
「土井先生と二人きりか?」
「うん、そうだよ。今日は土井先生に誘われたんだ」
――バキリ…
「……留三郎、小平太…湯呑み……」
長次の言葉を聞く迄もなく、何かが割れる音と共に重みを増す空気。特に俺の横と向え側から。真横から聞こえる全然笑っていない小平太の乾いた笑い。俺は必死で視線を逸して反対側のすみれたちへ意識を向ける。
相当嬉しいのかまだ気付かないすみれ。
そして気付いているだろう仙蔵は状況を楽しむかのように嫌な笑顔。勘弁してくれ……。
「すみれー、おかわり頼むわ」
「俺も」
「はーい、ちょっと待ってて」
その時他の机からの声にすみれは調理場へと戻った。これは時間差故の特権。少し多めに作ってくれるので、普段出来ないおかわりも可能だ。因みに小平太と俺は追加済み。
すみれが離れたので、俺は肩から力を抜いて溜め息をついた。伊作は慌てて湯呑みを握り砕いた二人に怪我がないか尋ねている。
すると仙蔵の口角がにやりと上がった。あ、なんか嫌な予感。
「…これで、今日の予定が決まったな」
仙蔵の視線に応えるように、同じく口元に弧を描く小平太。向えの留三郎は無表情のまま鼻を鳴らし、頼みの伊作でさえうずうずしている。
……だめだな、こりゃ。
力なく長次に視線を送るも、諦めろと言わんばかりに頷かれた。俺は再び重い溜め息をつく。さっきまで温かかった味噌汁がやけに冷えていた。
*
あの夜、突然出された学園長命令。これから起こることに一斉口出し手出しをしないこと、と。
他の先生方は分かっているのか、少し心配の色は見えたが落ち着いていた。野村先生は終始忙しなく歩き回っていたけれど。状況についていけない私は、気がつけば部屋を抜け出していた。
そして騒がしい長屋の方へ行けば、複数の六年生と五年生が争っていたのだ。争う五年生たちは、確か彼女と親しいかったはず。成程今回の騒動は彼女関連か。
一年の違いは大きいらしく、次第に押されていく五年生。私が木の枝で傍観を決め込んでから暫くして、新たに現れた四つの影。
『先輩!』
『此所は構わず、さっさと行けっ』
貴上の言葉に五年生の六人は何処かへ向かって行った。下では六年対六年の、中々見応えのある対決が始まっている。
けれど私は彼らの向かった方へ目を向けていた。私の予想通り、その方角は彼女――すみれさんの自室がある。
その時爆音が響き、煙が上がった。
私は動きそうになる身体を必死に抑えた。
邪魔をしてはいけない。彼らの間に私の入る隙などないのだ、と。それと同時に、もう無条件に自分を頼って来ないだろうか。
少しだけ寂しく思っていたのも、本当だった――…
どさっ…と、最後の一人が倒れる音がした。
流石に同学年の相手はてこずり四人の息は荒かった。
長屋で様子を見ていた他の六年達が、倒れている奴等を部屋へと運ぶのを尻目に、私は木から飛び降りた。
『あぁ…土井先生、あなたですか』
肩で息をする貴上の視線は、自然と後輩がいる方へ向けられる。ボロボロな彼らを目の前に、私はなんだか自分が情けなくなってきた。
すると顔に出ていたのか、貴上から、
『先生、なんだかヒドい顔してますよ』
『やはり彼らには敵わないかな、と…』
『……なに弱気になってるんです』
笑い飛ばされると思っていたから、私は貴上の言葉に目を瞬く。
その後も貴上からの、厳しいながらも嬉しい言葉は続いた。
『俺なら、今のあいつらには任せられません』
あいつらが恋情を抱いているとは思えない。
例え気付いてないだけだとしても。
『あんな顔、久し振りに見たんですよ』
あんたの隣りにいたあの娘は、すみれは凄く柔らかい笑みを浮かべていたんだ。天野先生の時と同じ笑顔を。
だから――…
「半助さん?」
名を呼ばれてはっと横を見ると、心配そうな顔をするすみれさんがいた。どうやら知らず物思いにふけていたらしい。
「大丈夫ですか? ぼーっとしてましたけど」
「ええ、平気ですよ。ご心配おかけしました」
良かった、と安心した笑みを浮かべるすみれさんに心温まる気持ちがした。今は休憩として、甘味処でお茶をいただいている。
美味しそうに団子を頬張るすみれさんをしり目に、後ろを窺えば相変わらず複数の気配。昼過ぎに学園を出てからずっと後を付けて来た彼らに、思わず笑みが零れる。
彼女と二人きりの時間も十分楽しんだので、もうそろそろいいかな。
今日二人で見て回っていて、先ず驚いたことはすみれさんが町に初めて来たことだった。あれだけ先生方が喧しく言っていた訳が分かった。
養父の事情で幼いすみれさんは学園外部との接触を最低限にする必要があった。いまは成長もして、外で本名を名乗らなければ問題ないだろうと大木先生から判断されたらしい。
なので町で見るもの全てが珍しくみえて、少し控えめにはしゃぐすみれさんは年相応に見えた。色々見て周るなか贈り物を用意する予定だったが、彼女は余り物欲を見せなかった。聞けば髪飾りや着物などは卒業生から定期的に送られているらしく、町へ買い物に来ることはなかったのだ。けれど彼女の好みはある程度分かったので、次の機会に活かしたい。
「では、そろそろ帰りますか」
「そうですね」
すみれさんが食べ終わり一息ついたところを見計らって、声を掛けて私は立ち上がった。お代を払い、すみれさんはお土産の団子を片手に。私たちは甘味処を後にした。
他愛のない話をしながら、町と山道の境目で私は足を止める。首を傾げるすみれさんに頷いて見せてから、少し意地悪な笑みを浮かべて後ろを振り返る。
「もういい加減、出てきたらどうだ?」
*
仙蔵の言葉通りというか。俺たち六人は、町へ行くすみれと土井先生の後をつけていた。小平太はあれこれと目移りしていたけれど。
すみれの、初めての町への外出の相手が俺らじゃないのは、少しどころかかなり悔しい。
すみれがなんにでも興味を示し、片っ端からあらゆる店を回っているからか。あまり色気がある逢引ではないけれど、終始二人は良い雰囲気だった。手は繋いでいたし。
そして甘味処を出て暫くすると、追跡がバレて皆で帰路につくことになった。邪魔されたと頬を膨らませたすみれは、伊作がなんとか宥めてくれた。そして今は、文次郎や伊作と武器の話で盛り上がるすみれの背を見ながら、俺はふと思った。
そういえば、あの獣並に鋭いすみれが、全く俺たちに気付かなかった。それはよほど他のことに気をとられていたことになる。
つまり、すみれは今日の土井先生と二人で出掛けることに、少なからず緊張していたことになる。考えたくはないし、認めたくもないが。
また土井先生は、折角の二人きりのところに俺たちを呼んだ。まるで大人の余裕を見せつけられた気分だ。
横目で隣りの土井先生を見上げるも。前を歩く三人を、すみれを見守る視線はどこまでも優しかった。
その後忍術学園に着いた俺たちは、学園長へお土産を渡す為すみれと土井先生とは分かれた。
仙蔵はわざわざ俺の隣りに並び、こう零した。
「…強敵だな」
こいつ、人事だと思いやがって。
不敵に笑う仙蔵に、俺は思いっきり眉を顰めて舌打ちをしたのだった。
*
学園長や先生方にお土産を配り終わり。私はすみれさんを部屋の前まで送りとどけている。
「今日はありがとうございました。本当に楽しかったです」
「それは良かった。私も楽しかったですよ。またご一緒しませんか?」
「はい、是非!」
それでは、と部屋に入ろうとするすみれさんだったけど。知らず私は彼女の腕を掴み、引き止めていた。
あの時の言葉が浮かんでくる。
自分でも驚くほど、心の内は静かだった。
「いつかの日か、もう一度私を見てくれた時に。その時私は貴方に、この気持ちを伝えます。けれど、それまでは…」
どうか、あなたの傍に――…
私は半ば呆然とするすみれさんの額に、そっと口づけをする。
これからまだたくさんの人と出会い、その中には彼女の心を奪う人が現れるかもしれない。
他の誰かと結ばれても、彼女が幸せだったらそれで構わない。
けれどもし、貴女が私を一人の男として見てくれたならば、その時は―――
『あんたに、すみれのこと託します』
少し離れて、私はすみれさんの頬に指を滑らせる。
彼女の頬が色付いているのは、夕日の輝きのせいだけではないことを願いながら――…
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