一夜の夢のはずだった


 一夜の思い出だけで十分だった。

 ずっと好きな人がいる。
 世界の全てを嫌っていて、口から出る言葉は捻れて出てきてしまって……けれど、なんだかんだで情があって優しい男の子だった。
 口ではなんやかんや言いながら、私の旅で力を貸してくれた

 そんな彼に、恋をした。

 けれど、彼にはずっと探し求める相手がいて、彼の愛はその人だけのものだった。

 だから私はその恋を必死に隠して、

 全部が終わってからも、

 最期の息を吐くその時までも、

 私は彼に「好き」だと伝えることはしなかった。

 (オベロンは気付いていたかもしれないけれど)

 なんせ、あらゆる嘘を見抜いて真実を映す瞳を持っていたのだから。
 けれど何も言ってこなかったということは、彼にとって私の恋は口に出すほどのものでも無かったのだろう。
 そうして、私は恋心を大事にしまい込んだまま永い眠りについたのだけれど何の因果か記憶を全部丸ごと持って再び生まれ落ちた。
 人理焼却や人理漂白などの世界の危機の無い、平和な世界の中で、一般的な家庭の双子の妹として生を受けながらカルデアでの記憶を持って、カルデアで縁を縁を結んだ人達とも少しずつ再会を果たした。記憶の有無はまちまちだけれど、それはとても嬉しいことだった。

 そうして、たくさんの再会を果たすうちに一つの可能性に気付く。

(もしかしたら、オベロンともまた会えるかもしれない…)

 必ず、なんて保証はない。けれど、それは私にとって希望だった。

 オベロン…人類最後のマスターとして駆けた人生の中で私が恋した相手…

 叶うのならば…一目だけでも、会いたい

 そう思ってから、私は髪を伸ばした。
 願掛けの意味合いももちろんあるのだが……オベロンが探し続けた妖精王オベロンの妃であるティターニアは絵画に描かれたり姿や、キャラクターとしてゲームなどに出ていても髪の長い女性のイメージが強い。
 それに、オベロンの好みの女性像に近いんじゃない?と旅の中で話した風の氏族のコーラルさんも、
 オベロンが、思惑はどうあれずっと気にかけていた楽園の妖精のアルトリアも……
 みんな、美しい長い髪を持っていた……
 髪を伸ばしているからと言って、オベロンがその相手を好きになるわけではない…

 ……それでも……

 私も髪を長く綺麗に伸ばしたら……少しは、オベロンも私を女の子として見てくれるだろうか……

 なんて、下心がありすぎる理由で、私は髪を長く伸ばした。

 癖が強くて、サラサラの真っ直ぐなロングヘアにはなれなかったけれど……
 それでも、毎日のセルフケアも、定期的な美容院での手入れやトリートメントも欠かさなかった。

 それもこれも……オベロンにどんな形でも、嘘でも皮肉でも、「綺麗だね」と言って欲しい……そんな、思いからだった……

(それとも、オベロンは『君がこんな男の目を気にするなんて滑稽だなぁ』って笑うかな…)



 オベロンと再会したのは、気まぐれで立ち寄ったバーだった。
 『夢の森』と書かれた看板に惹かれて、重厚な扉を押して足を踏み入れたバーは、壁一面に本棚があってところどころに植物やきのこ、妖精のモチーフの装飾が施され、まるで森の中にいるような気分になれるデザインの店内だった。バーならではの雰囲気も味わいたくてカウンターの隅の席に着き、カウンター内でくるくると手際よく働いているバーテンダーに注文をして1人でお酒を楽しんでいたら店内にずっと探していた彼の姿を見つけたのだ。

(オベロン…)

 見間違えるはずがない。ずっと、ずっと焦がれていた……オベロンその人である。高鳴る胸を落ち着かせるように、一度視線をグラスに向けて呼吸を整え……そして、もう一度見るとオベロンと目が合った。
 オベロンと再会できただけでも嬉しいのに、彼と目が合ったことが嬉しくて……思わず、笑みが零れてしまった。すると、オベロンは私に笑い返したかと思ったら、なんとこちらに近付いてきた。

(え、オベロン…もしかして…)

 私のことを覚えているのだろうか……そう思ってドキドキしながらなんて言おうか考えていたら、私が何か言葉を掛ける前にオベロンが口を開く。

「やぁ、こんばんは。素敵なお嬢さん」

 誰もが見惚れるような、素敵な笑顔で言われた言葉。それを聞いた瞬間、オベロンは私の事を覚えていないのだと悟ってしまった。
 ……あえて、初対面のように話しかけている可能性もあるかもしれないのに、オベロンの声を聞いた瞬間に何故か彼は記憶がないのだと感じた。
 ……そのことに、ズキッ…と胸が痛んだ。
 今まで、再会してきたカルデアで縁を結んだサーヴァント達の8割はカルデアでの記憶を所持していなかった。だから、別に覚えていない可能性の方が高い。

 ……けれど……私は、心のどこかで……オベロンは全部覚えているものだと信じていたのだ。

「1人?なら僕とお喋りしない?」

 オベロンに記憶が無かったことは悲しいが、それでも目の前の彼が『自分が人類最後のマスターだった時のサーヴァントのオベロン』だという確信があった。
 たとえ、記憶が有っても無くても、オベロンと巡り会えた事は紛れもなく幸運だ。このままお別れするのだけは、嫌だった。絶対に。

「いいですよ」

 お喋りをしよう。と言う、彼のお誘いを快諾して隣の席を薦め私とオベロンは話に花を咲かせた。
 カルデアでの記憶が無くても、オベロンは明るく愉快な妖精王を演じていた頃と同じように会話を弾ませるのが上手かった。
 彼の話を聞いて、相槌を打って、笑って……楽しい会話を繰り広げながら、オベロンのオススメだというカクテルを飲んでいたとき、ふと気づいた。

(あれ……?これ、私を酔わせようとしてる……?)

 私自身がお酒も強く、勧められたカクテルも口当たりが良くて飲み易かったのでどんどん口にしていたが……今まで飲んだカクテルの名前を思い返してみるとアルコールの度数の高いものを使っているレシピのものではなかっただろうか?
 ――――所謂、『レディキラーカクテル』と呼ばれる………
 気付いてしまった時にはすでに9杯目のカクテルが目の前に置かれ、どうしようか……と内心悩みつつ、グラスに口を付けて一口飲むと更に強いアルコールの風味が口に広がった。今まで飲んだアルコールも蓄積されていたようで流石に頭がふわふわとしてきた。顔も、熱い。

「お酒、強いんだね?」

 9杯目のカクテルを飲む私にオベロンは言う。

「わりとね?……でも流石に酔っちゃった。」

 火照った頬に指先を当てながら「次で最後にしようかな?」と言いながら水の代わりにチェイサーとして手元に置いておいたシャーリーテンプルを口にする。
 すると、オベロンは「なら、最後に是非飲んでもらいたいカクテルがあるんだ」と言ってカウンター内に目配せをすると、バーテンダーは心得た様に流れるような手つきでシェイカーに材料を入れて振った。
 シャカシャカと軽快な音を立てて混ぜ合わさったカクテルが、華奢なカクテルグラスに注がれた。それは、真珠の様に美しい白のカクテルで思わず「わぁ、真っ白で綺麗だね」と声を上げてしまった。感嘆の声を上げる私に、オベロンは「だろう?」と嬉しそうに笑う。

「けどね…それだけじゃないんだ」

 そう言って、オベロンはカクテルに添えられた矢の形をしたピペットの先を表面に差し込むと中に入ったシロップを注ぎ込む。すると、真っ白だったカクテルは、あっという間に美しい赤い色に染まった。

「ここの裏メニューのカクテル『三色菫』って言うんだ」

 真っ赤に染まったカクテルを見つめていたらオベロンがカクテルの名前を教えてくれた。

『三色菫』

(……その、名前の意味するものは……)

 真っ赤に染まったカクテルの入ったグラスのふちを、そっと指先で撫でる。

「三色菫の汁を瞼に垂らされた青年は恋人の友人だった女の子に恋をして…妖精の王妃様ですらその効果に抗えず、悪戯妖精にロバの頭を被せられた青年に恋をしてしまった……」

 そう、それは妖精の王妃・ティターニアすら、恋に落ちてしまうほどの…有名な喜劇『夏の夜の夢』に出てくる、妖精王オベロンが使用した恋の妙薬。

(……これを、私に飲ませようとしてくる意味は……なんだろう?)

 カクテルグラスから目線を上げ、オベロンの晴れ渡る冬の空のような瞳をじっと見つめる。

「私も、このカクテルを飲んで一番最初に目にした相手に恋をしてしまうのかな?」

 ……もう、とっくに、彼に恋はしているのだが……そんな、彼にとって初めて出会うはずの私の心など、わかるはずも無いのでそう問いかける。
 私の瞳を見詰めたまま、オベロンはカウンターに置かれた私の手に、彼の手をそっと重ねた。

「これは所詮は有名な媚薬の名前を借りただけのカクテルだ。……でも……」

 私の指先を掬い上げ、オベロンはそこに唇を寄せる。
 ………生まれ変わっても、こういう王子様のようなことが様になっていて狡い………と思ってしまった。
 私の指先に、ちゅっと音を立ててキスをしたオベロンは冬の空の様な瞳で私を見つめると優しく微笑んだ。

「夜の帳がおちている間…君に僕と恋に落ちて欲しいと思っているよ」

 言葉の意味を理解して「最低!」と口から飛び出しそうになるのをぐっと堪える。
 オベロンの目を見ていられなくて、目線を手元に落とし…未だ捕らえられた指先を見て、ふーっと息を吐いた。

「……優しい顔して、酷い人だね」

 溜息と共に、責めるように、言葉が零れた。
 ……この男は……オベロンは……今日知り合ったばかりの女である私に、一夜の体の関係を持ちかけているのだ。

(……今のオベロンって、知り合ったばかりの人とそういうことできるんだ……)

 世界のあらゆるものを嫌っていた、私の知るオベロンは、そういう触れ合いを気持ち悪いと嫌悪しそうなのに……
 生まれ変わって、彼の終末装置としての役割からも、ずっとあった厄介な性質からも解放されて、そういう人と人が肌を合わせて快楽を求めるようなことも平気でするようになってしまったことが、勝手ながらひどくショックだった。

「貴方、夜の帳が落ちている間のその恋で、私に傷付けと言ってるの?」

 責めるように、問いかけるとオベロンは目を見開いて驚いた顔をしたが、直ぐに微笑むと首を傾げて私の顔を覗き込んだ。

「そんなつもりはないけれど……選ぶのは君自身だよ」


(嘘吐き)


 傷付けるつもりが無いだなんて、どの口が言うのだろうか。
 今、私に、出会ったばかりの男である自分と火遊びをして火傷しろと言っているくせに。
 そうやって誘って娼婦の様に足を開ける女だと思われている時点で、すでに心が痛くて痛くて潰れてしまいそうだ。

(………ああ、でも………)

 と思い直す。

(これは、二度とないチャンスかもしれない)
 
 前世ではついに口にすることの無かった、私の恋心。

(……本当は、好きだって伝えたかった)

 叶わぬ恋だとわかっていた。

 そして、恋を口にする前に、自分にはやらなくてはならないことがあるのだからとその恋心を飲み下し続けた。

 ………人類最後のマスターとして、世界を救うという………命を懸けた[[rb:使命>グランドオーダー]]が、自分にはあった。

(でも、今は?)

 今の自分は、人類最後のマスターでもなんでもない。前世の記憶というものを覚えているだけのただの女だ。

(それなら、一夜の恋に溺れてしまうくらい……いいんじゃない?)

 ずっと、好きだったのだ。

 旅の中で力を貸してくれたオベロンが。

 口では意地の悪いことを言いながらも、最期まで付き合ってくれた優しいオベロンが。

 『[[rb:輝ける星>ティターニア]]』を一途に想って探し続けていたオベロンが………。

 ずっと、ずっと………大好きだったのだ………。

(このオベロンの誘いに応じたら……)

 そしたら、私は、一夜の夢であっても、この恋を叶えることができる。

「いいよ」

 色々な思いが胸の中をぐるぐると回ったけれど、腹決めた私は肺に溜まった息をふーっと吐き出すと笑って答えた。

「酷いけれど素敵な人。今夜、貴方と恋に落ちてあげる」

 震える指先を取り繕いながら、私はカクテルグラスの足を摘まんで軽く揺らした。

「その代わり、朝の雲雀が鳴くまで…素敵な夢を見せてくれるよね?」

 精一杯の、虚勢を張ってそう言うとオベロンはそれはそれは綺麗に笑って「もちろん」と頷いた。

(………ああ、やっぱり………好きだなぁ………)

 オベロンの笑った顔に、私もにっこりと笑い返すと真っ赤な『三色菫』のカクテルをグイッと飲み干した。






 あの後、バーでの会計を済ませて(オベロンが全部出してくれた)、少し歩いたところにある綺麗なホテルに2人で入った。
 そして、まるで本当に熱愛中の恋人同士のように肌を重ねて、何度もお互いの体を繋げた。

(……正直こんなに抱かれるとは思っていなかったよね……)

 ホテルに入った時点で処女だと宣言していたのだが、初めてだとは思えないくらいとろとろに溶けるように愛撫され気持ちよくされたかと思ったら片手では足りない位抱かれた。

(いや、まさか追加でゴム買うほどとは思わないじゃない?)

 オベロンが自分で持っていたコンドーム3包を全部使ったのも驚きだったのだが……3回私の中で薄い膜越しに出した後部屋にある自販機でまた買ってきてそれを使い切るまでするなんて完全に予想外である。

(………オベロンって、性欲強い方だったんだな………)

 お陰で腰が痛い。隣で眠る、オベロンの顔を見つめながら実はすごいんだなぁ…としみじみ思う。
 しばらく、その整った顔を眺めていたが、ある程度堪能するとゆっくりベッドから抜け出して脱ぎ散らかした下着と服を身に着けていく。
 そして自分が着てきた衣服をすべて身に着け終るとホテルの部屋に備え付けられていたメモ帳に手伸ばして、備え付けのペンを取った。

 ………お互いに、本当の名前は名乗らなかった。
 一夜限りの火遊びの相手でただの恋人ごっこだったのだから。

(ああ、でも……一夜だけでも、オベロンにこんなに愛されて幸せだったなぁ……)

 例えオベロンは自分の性欲を発散させたいだけでも、彼はこのホテルの部屋で優しい恋人の役を演じ切ってくれた。

 一夜の素敵な[[rb:夢>思い出]]を私にくれた。

(もう、この[[rb:夢>思い出]]だけで……私は十分)

 さらさらと、メモ帳にペンを走らせる。
 
『素敵な夢をありがとう ハーミア』

 一言のお礼と、彼の一夜の恋人としての名前を書き記して私はホテルの部屋をそっと出た。

 太陽が昇り、空が明るくなっていく。
 始発が出る前の、静かな駅までの道を、私は駆け出した。ヒールの靴でもお構いなく、私は息が上がるほどの速さで走る。
 胸の苦しさを寝起きの全力疾走のせい。頬を伝う水滴は目の近くから流れる汗だと心の中で言い訳する。


(ああ………私の恋はこれで終わったんだ………!)



 朝日に向かって駆けて行く。一夜の夢で叶った恋を置き去りにして……
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