一夜の夢のはずだった
一夜の
なんとなく、人肌を求めて一晩ベッドで共寝してくれる女を探すのはいつもの事で、その日ホテルに連れ込んだのは自分が経営しているバーの1つで出会った、夕焼けのような色の髪を腰まで綺麗に伸ばした女だった。
彼女は中々可愛い顔をしていて、少し癖はあるものの店内のダウンライトでも艶やかに光る髪もそうだが、何よりも惹かれたのはその瞳だった。
なんてことは無い、琥珀色の瞳。
けれど、目が合ったその瞬間、自分はその瞳を星のようだと思った。
思わず目が合った相手だったが、彼女がふっと目を細めて唇に笑みを浮かべた瞬間今夜は彼女にしようと決めた。彼女が座る、カウンターの席に近付き「やぁ、こんばんは。素敵なお嬢さん。1人?なら僕とお喋りしない?」とにこやかに声を掛ける。
すると彼女は数回瞬きをした後くすっと笑って「いいですよ」と自分の隣の席を薦める。思った以上にあっさりと同じ酒の席に着くことを了承されて、少し肩透かしな気分になりながらも遠慮なく彼女の隣に腰を下ろした。
そこからは、いつも女たちをその気にさせる時の様に話を弾ませながら上手い具合に酒を飲ませていく。
今バーテンダーとしてカクテルを作っているのは昔から互いによく知る馴染みの男で、僕が隣に座る彼女に口当たりは良いがアルコール度数の高いレディキラーカクテルをどんどん進めている様に『またか』と呆れた顔をしている。けれど、それでも僕の注文通りにカクテル作って出すのだから『いつか刺されても知りませんよ~』なんていう視線を笑顔でスルーして不自然にならないように「美味しいからオススメだよ」とカクテルを飲ませ続けた。
しかし、どこかあどけなさの残る顔立ちをしているのに彼女は中々に酒が強いようだ。もう9杯もグラスを空にしている。が、流石に酔いが回ったようだ。顔が赤く、目が潤んできている。
「お酒、強いんだね?」
と僕が言うと、彼女は「わりとね?」と恥ずかしそうにはにかんだ。
「でも流石に酔っちゃった。次で最後にしようかな?」
火照った頬に指先を当てながらそう言って彼女は先ほどチェイサー代わりに注文していたシャーリーテンプルを口にした。
(…結構飲ませたしそろそろ頃合かな?)
「なら、最後に是非飲んでもらいたいカクテルがあるんだ」
そう言ってバーテンダーに目配せすると『はいはい。あれですね?』と仕方ないな…といったふうにシェイカーに材料を入れて振り、それをカクテルグラスに注いだ。
「わぁ、真っ白で綺麗だね」
真っ白だが、真珠の様な輝きを見せるカクテルに、彼女は感嘆の声を上げる。
「だろう?けどね…それだけじゃないんだ」
と、カクテルと共に添えられた矢の形をしたピペットの先を差し込み中のシロップを注ぎ込む。
すると真っ白だったカクテルは、あっという間に綺麗に赤く染まった。驚きで目を丸くする彼女に微笑んで言う。
「ここの裏メニューのカクテル『三色菫』って言うんだ」
美しい白から、真っ赤に染まったカクテル『三色菫』
その名前を聞いて、パチリ…と彼女は一度瞬きをした。
「三色菫…有名な物語に出てくる花の名前だね」
ポツリと呟き、彼女はじっと赤く染まったカクテルを見つめる。
「……妖精の王様の命で悪戯な妖精が、妖精の王妃様と森に迷い込んだ青年の瞼にこの花の汁を垂らすんだよね?」
「そうだよ。よく知ってるね」
「……何度か読んだことあるの。『夏の夜の夢』」
彼女は指先でグラスのふちをそっと撫でる。
「三色菫の汁を瞼に垂らされた青年は恋人の友人だった女の子に恋をして…妖精の王妃様ですらその効果に抗えず、悪戯妖精にロバの頭を被せられた青年に恋をしてしまった……」
カクテルグラスから彼女はこちらに目線を移し、星の様な瞳が僕に向けられる。
「私も、このカクテルを飲んで一番最初に目にした相手に恋をしてしまうのかな?」
「……そうだな」
自分に向けられた煌めく星の瞳を見詰めたまま、カウンターに置かれた彼女の手にそっと手を重ねる。
「これは所詮は有名な媚薬の名前を借りただけのカクテルだ」
「でも…」と指先を掬い上げ、そっと唇を寄せた。
「夜の帳がおちている間…君に僕と恋に落ちて欲しいと思っているよ」
指先に、軽いリップ音と共に口付けを落として彼女を見れば変わらず星の瞳は僕の姿を映していた。が…
「……優しい顔して、酷い人だね」
瞼を伏せ、溜息と共に言葉を零す。
「貴方、夜の帳が落ちている間のその恋で、私に傷付けと言ってるの?」
その言葉に思わず目を見開くが、直ぐに笑みを浮かべて首を傾げる。
「そんなつもりはないけれど……選ぶのは君自身だよ」
キューピットが放った矢が外れ、落ちた先に咲いていた白い花。その花が恋の矢によって傷付き、真っ赤に染まったのが『恋の三色菫』。
先程彼女は『夏の夜の夢』を読んでいると言っていたから、その事について言っているのだろう。
傷付けるなんて、そんなつもりはない。……なんて言ったけれど、嘘だ。
自分はただ一夜のを共にする相手が欲しいだけで、この恋は綺麗なものじゃ無い。いわゆる火遊びで、彼女の言う通り傷を負う可能性だってある。
それなのに『夜の間に自分と恋に落ちて欲しい』なんて耳障りのいい言葉で取り繕って関係を求める自分をなじる彼女に、あくまで選択権は君にあると委ねる。
卑怯かもしれないが、正直どっちでもよかった。
この申し出を断るのなら僕の手を振り払って帰ればいいし、一夜の恋人になってくれるならそのカクテルに口を付けることで了承の意を示して欲しい。
そうして、暫く見つめ合ったあと彼女はふーっと息を吐いて「いいよ」と答えた。
「酷いけれど素敵な人。今夜、貴方と恋に落ちてあげる」
カクテルグラスの足を指先で摘み、カクテルを軽く揺らすとどこか挑発的に彼女は笑う。
「その代わり、朝の雲雀が鳴くまで…素敵な夢を見せてくれるよね?」
その言葉に「もちろん」と頷くと彼女はにっこりと満足そうに笑顔を見せた後、グイッと『三色菫』を飲み干した。
*
その後店を出て、それなりに綺麗そうなホテルに入った。
「あ、言い忘れていたんだけど……」
部屋に入った後、思い出したように彼女は言った。
「私、こういう経験ないんだ。だから面倒掛けちゃったらごめんね?」
その言葉を聞いて思ったのは『マジか。こいつ処女かよ』だった。処女のくせに一夜の関係に了承して、『素敵な夢を見せてよね』なんて挑発的なことを言ったのか…
驚いて何も言わない僕に「処女が面倒だったら私帰るよ」と言ってきた。処女なのはまあ置いておいて、せっかくここまで来たのだからと飛び切り甘い微笑みを見せて彼女の腰に手を回して抱き寄せる。
「そんなつれないことを言わないでくれよ。今夜の僕たちは、恋人同士じゃないか」
「……そうだね。私は、貴方に恋をしているんだった。ねえ、私、貴方を何て呼べばいいのかな?三色菫を飲んだ私が恋に落ちたから…ニック・ボトム?それともヘレナ?」
三色菫のカクテルを飲んだ彼女は、その花の汁を瞼に垂らされたキャラクターが恋に落ちた相手の名前を上げる。
それはつまり本当の名前は別に知らせなくてもいいということだろう。一夜を共にするだけの関係ならば、それは好都合だ。
「……うーん、でも……貴方にはどちらの名前もしっくりこないね……」
女性名の『ヘレナ』はもとより、驢馬男の『ニック・ボトム』も彼女の中ではしっくりこない様だった。
星の瞳が、じっ…と僕を見つめる。そして、一つの名前を口にした。
「オベロン」
それは、夏の夜の夢の妖精の王の名前だった。――――僕の本名でもある。
しかし、その物語を知っていたことを考えるとその名前が出てくるのはあまり不思議なことではないのかもしれない。
「ね、あなたのこと…オベロンって呼んでもいいかな?」
伺う様に首を傾げる彼女に、「君の好きなように呼んでくれて構わないよ」と答えた。
「ありがとう。じゃあ…オベロン」
「なんだい?」
「私のことは、ハーミアって呼んで」
…妖精王オベロンの妃ティターニアではなく、彼女は物語の主役の一人の『ハーミア』の名前で呼んで欲しいと言ってきた。
「ハーミア?ティターニアじゃないのかい?」
「うん」
「……三色菫の効力で、君は恋に落ちているのに?」
「うん。物語に沿うなら、三色菫を使われたティターニアかライサンダーがいいのかもしれない」
「でもどちらも私には合わないと思うの」と彼女は笑った。
「だから、どうかこの一夜の夢を見ている間私のことはハーミアと呼んで欲しい」
彼女はゆっくり僕に手を伸ばし、頬にそっと触れた。
「妖精たちが見せる一夜の狂想に巻き込まれる乙女の名前……一夜の夢に身を委ねようとしている私にはぴったりの名前じゃない?」
そう言うと、彼女は少し背伸びをして僕の唇に自分の唇を重ねた。
そして僕は彼女…ハーミアと一夜を共にしたのだが…意外なことに今まで夜を共にしてきたどの相手よりも熱い夜を過ごすこととなった。
(……僕としたことが…柄にもなくがっついちゃったな……)
処女なんて久し振りだからどうしたもんかな…と思っていたがなんの因果か、ハーミアとはかなり相性がかなり良かったようだ。
今までならばゆっくり時間を掛けて肌を愛撫して寄り添った後、一度体を繋げるだけで済んでいたのだが今回は手持ちのゴムすべてを使い切ってしまい、それだけでは足らずに部屋に備え付けられた販売機で追加で購入したくらいだ。
(結構…いや、かなり気持ちがよかった)
正直まだまだ足りない位だが初めてであった彼女にかなり無理を強いてしまったので追加で購入したゴムを使い切ったところで終わりにして二人で一緒に風呂に入って体を洗った。
そしてさっぱりと綺麗になった状態でベッドに裸で横になっている。寝間着なんてお互い持っていないのだから仕方がない。
疲れたのだろう。ハーミアはすやすやと眠っている。僕はその寝顔を眺めながら彼女の夕焼け色の髪を指に絡ませたり梳いたりしていた。
「……一夜の関係で終わらせるには惜しいな……」
今までとりあえず体を重ねてはきたが正直気持ちが冷めきっていた自分がこんなに熱くなるほど体の相性がいい相手なんてそうそう見つからないだろう。
(起きたらこのまま関係を続けないか持ちかけてみるか……)
中々に最低ではあるが、彼女と過ごした夜が気に入ってしまったのだから仕方がない。朝になったら連絡先を聞いてみよう。そう考えながら彼女を抱き寄せ、僕も眠りに着いた。
朝日が昇り、空も明るくなった時間帯に目を覚ますと、すでに彼女の姿は消えており、部屋の机の上に備え付けられたメモ帳に
『素敵な夢をありがとう ハーミア』
とだけ書かれたメッセージだけが残されていた。
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