【大正文通許婚】恋を綴り、愛を紡ぐ
『真冬の夜のような男』
オベロン・ヴォーティガーンを知る者は、彼の事をそう口にする。
今にも零れ落ちそうなくらい、たっぷりと雪を蓄えた雲のような藍墨の髪。肌は新雪のように白く、小さな顔 の中にはすっと通った鼻筋。髪と同じ色の睫毛に縁取られた夜の帳が降りる直前の空のような青藍の瞳。そして形のいい薄い唇が絶妙な比率で配置されている。誰もが目を留めて見惚れてしまうほど整った顔の美男子である。しかし、いつも柔らかい微笑みを口元に湛 えてはいるが、彼の瞳は冷え切った印象を受ける。
また、彼は言葉を巧みに操るのに長けた男であった。彼の唇から唄う様に紡がれる言葉は、時にやさしく静かに降り積もる雪のようであったり、時に激しく吹き荒れる吹雪のようであったり……どちらであっても彼の言葉に耳を傾けているといつのまにか冷たい雪に足を取られて身動きができなくなっていたようだった…と交渉した相手からは恐れられていた。
───吐息も身も凍えてしまいそうなほど冷たい空気の、月や星の淡い光のみが雪を照らす夜。
そんな、真冬の夜を人の形にしたような男。それが、オベロン・ヴォーティガーン。付いた呼び名が『冬の貴公子』。
けれど、そんな彼にも暖かな陽だまりを感じた時のような、凍えた心を優しく解き解す……そんなかけがえのない存在がいるのだ。
*
「ヴォーティガーン少尉」
本日の業務が終了し、帰路に着こうとしていた時呼び止められる。
「この後飲みに行きません?同じ部隊のやつらといい店見つけたから行こうって話してたんですが……」
オベロンに声を掛けてきたのは同じ部隊に所属するロビン・フッドだった。彼の側には何人か同僚がいて彼らがこれからその店に行くメンバーらしい。
「ああ……せっかくだけれど、今日は遠慮しておくよ。大切な用事があるんだ」
そう言うとロビンは片方の眉を上げたあと、何かに気付いた表情になった。
「……ああ、もしかして春の姫さんですか?」
『春の姫』という呼び名にふっ……と笑って「そうだよ」と答える。
「愛しい陽だまりから、そろそろ便りが届く頃だからね。一刻でも早く帰りたいんだ」
そう言うとロビンは肩を竦めて「そりゃー邪魔できねぇや」と言ってまた次の機会に。と手をひらひら振り、「悪いね。また今度」とその場を後にしたオベロンを見送った。
「……ヴォーティガーン少尉のあんな表情初めて見ました……」
オベロンの姿が見えなくなった所で一緒にいた部下がポツリと呟いた。それを聞いたロビンは思わず笑ってしまう。
「あ~冬の貴公子サマがあんな顔しているの中々お目にかかれないからなぁ……」
真冬の夜のような男。そう人々から言われているオベロンが、まるで雪が解けたように温かさを感じられる笑みを零す時がある。
彼が『僕の陽だまり』と呼ぶ、婚約者───その存在を知る者は『冬の貴公子』と呼ばれた彼に暖かな雪解けの春をもたらす存在として『春の姫』と呼んでいる───海を渡った東の島国にいる乙女からの便りが届く時。
*
家に帰り、オベロンは部屋で軍服から普段着に着替えながら今日の家であったことの報告を家令から受ける。
「そして、本日届いた手紙がこちらです」
報告の最後に、今日ヴォーティガーン邸に届いた手紙を纏めて差し出される。その一番上に置かれた控えめだが可愛らしい便箋…古くからオベロンに使える家令は婚約者であるりつかからの手紙が届いたときは真っ先に目に入るように配置してくれる。
「ありがとう。この後ゆっくり読ませてもらうからお茶を貰ってもいいかな?」
手紙を受け取り、そう言えば「すぐにお茶のご用意を致します」と言って使用人たちは部屋から下がる。
部屋の奥にある書斎机に向かい、一番上に置かれた手紙を手に取る。
【Dear. Oberon Vortigern】と封筒に書かれた自分の名前を見て、ああ…筆記体もずいぶん上達したなぁ…と微笑ましい気持ちになる。
りつかが、文字を覚えて手紙のやり取りを始めたばかりの頃はまだひらがなを書くのがやっとだったため宛名は兄の立香が書いていたが、少ししたら自分で書くようになった。その当時はひどくたどたどしいアルファベットだったが、今はとても美しい筆記体で綴られている。
『いつかオベロンのお嫁さんになるんだからまずはオベロンの名前から書けるようになるんだって。今頑張って練習してるんだよ』
と、りつかが英語を勉強を始めたばかりの頃、立香から来た手紙でそれ知った時は嬉しさで胸がいっぱいになったものだ。
使用人が持ってきてくれたお茶を飲みながら、海の向こうの東の島国から届いた手紙を、宝箱を開けるように大切に開けた。
【拝啓 オベロン・ヴォーティガーン様】
女性らしい、綺麗な文字で綴られた自分の名前。今はきちんと纏っているが昔は文字も弾むように元気な様が窺えて…まるで彼女の明るい声で名前を呼ばれているようだったな…と思い出してクスッと笑ってしまう。
りつかの手紙には、今手紙を書いている季節の挨拶に始まり、通っている女学校で今学んでいることや、学友との会話。りつか自身の中での流行。
りつかの手紙の中で話してくれる彼女の事はいつもとても楽しそうで、読んでいる自分も楽しい気持ちになるから不思議だ。
向こうでは今、桜の季節だろうか……英吉利も、春の花々が咲き誇っていっていたが、もうすぐ新緑の季節となる。
【オベロン様。貴方と一緒に梅も桜も見ることができたら……きっと今まで見たどの花より綺麗に見えると思うのです】
という一文を見て「ああ……俺も同じ気持ちだよ」とそっと呟く。
花だけでなく、君と見ればきっとどんなものでも美しく見えてしまうのだろうな……と思い、少し笑ってしまう。そして、りつかの手紙に返事を書く為にオベロンは引き出しからレターセットを取り出し、愛用の万年筆を便箋に滑らせた。
【拝啓 藤丸りつか様】
世界で一等愛おしい、オベロンの陽だまりの君の名。自分で書いた名前だけで愛しく思えてしまうなんて、もう末期だな。なんて思いつつ筆を走らせる。
【英吉利では、春の花から新緑の季節となって来ました。】
と季節の移り変わりを始めとして、オベロンも何気ない日常を認 めていく。そして、オベロンは机の上に用意した小包に目をやった。
「……りつか、喜んでくれるといいな」
小包の中身は、彼女に似合いそうだと思って選んだ黄色のリボン。職人の手により、オレンジの蝶々と、花の刺繍が施されている一点物だ。
海の向こうの、愛しい女の子。離れて暮らしている分、悪い虫が付かないかとても心配で…だから、オベロンはこうしてリボンなどの装飾品を選んでは度々贈るのだ。
「……ああ……今度、特別な香水を贈ろうかな」
それを身に付けて、彼女に近づく悪い虫に少しは誰の物かとわかればいいと……そんな想いを込めて……
*
オベロンはとても聡く、なんでも真実を見透かしてしまうような洞察力の鋭い眼 を持っていた。そのせいか、幼い頃から心がどこか冷め切っていて、見る世界は基本的に色味の少ない、つまらないどころか吐き気がするほど汚いようなものも多いのであった。
けれど……日本での出会いで、オベロンの世界は変わった。
オベロンがまだ手で数えられるくらいの齢の時に、事情があり親族の女の子と一緒に日本に渡った事があった。その時に縁のあった藤丸家に一時的に身を寄せていたのだ。
そこで、オベロンは人生で無二の親友になる藤丸立香と、彼の心に春をもたらす存在となる妹のりつかに出会った。
りつかはオベロンと出会った時は生後数ヶ月。この世界のどんなものよりも無垢な存在であり、その澄み切った眼と、自分よりも一回り小さな手に、オベロンの冷え切っていた心に陽だまりのような温かさが湧いてくるのを感じた。りつかは物心着く前だったし、覚えてないだろうけど……その時にオベロンは既にりつかが愛しくて愛しくて堪らなかったのだ。始めは、人生で初めて触れた赤ん坊に対して芽生えた庇護欲だったかもしれない。けれど、りつかがあまりにも可愛いから離れがたくて……帰国が決まった時に「このまま英吉利に連れて帰って僕のお嫁さんにする」と駄々を捏ねてしまった。それくらい、オベロンはりつかが好きだった。そんな彼の様子を見て、優しい藤丸夫妻はオベロンをりつかの許婚にしてくれたのだ。
……あれから、十余年。
「りつか。もうすぐだ。」
小さかったりつかも、成長して年頃の娘になった。……もう、結婚もできる歳だ。
「もう少ししたら、きみを迎えに行ける」
朝も、昼も、夜も……すべての季節、日々の暮らしの中で……きみがいてくれたらどんなに幸せだろう……
オベロンは、ずっと待っている。彼の花嫁を迎えに行く日を。
「ああ……早く今のきみに会いたいなぁ」
今日も、オベロンは愛しい彼女に想いを馳せている。
オベロン・ヴォーティガーンを知る者は、彼の事をそう口にする。
今にも零れ落ちそうなくらい、たっぷりと雪を蓄えた雲のような藍墨の髪。肌は新雪のように白く、小さな
また、彼は言葉を巧みに操るのに長けた男であった。彼の唇から唄う様に紡がれる言葉は、時にやさしく静かに降り積もる雪のようであったり、時に激しく吹き荒れる吹雪のようであったり……どちらであっても彼の言葉に耳を傾けているといつのまにか冷たい雪に足を取られて身動きができなくなっていたようだった…と交渉した相手からは恐れられていた。
───吐息も身も凍えてしまいそうなほど冷たい空気の、月や星の淡い光のみが雪を照らす夜。
そんな、真冬の夜を人の形にしたような男。それが、オベロン・ヴォーティガーン。付いた呼び名が『冬の貴公子』。
けれど、そんな彼にも暖かな陽だまりを感じた時のような、凍えた心を優しく解き解す……そんなかけがえのない存在がいるのだ。
*
「ヴォーティガーン少尉」
本日の業務が終了し、帰路に着こうとしていた時呼び止められる。
「この後飲みに行きません?同じ部隊のやつらといい店見つけたから行こうって話してたんですが……」
オベロンに声を掛けてきたのは同じ部隊に所属するロビン・フッドだった。彼の側には何人か同僚がいて彼らがこれからその店に行くメンバーらしい。
「ああ……せっかくだけれど、今日は遠慮しておくよ。大切な用事があるんだ」
そう言うとロビンは片方の眉を上げたあと、何かに気付いた表情になった。
「……ああ、もしかして春の姫さんですか?」
『春の姫』という呼び名にふっ……と笑って「そうだよ」と答える。
「愛しい陽だまりから、そろそろ便りが届く頃だからね。一刻でも早く帰りたいんだ」
そう言うとロビンは肩を竦めて「そりゃー邪魔できねぇや」と言ってまた次の機会に。と手をひらひら振り、「悪いね。また今度」とその場を後にしたオベロンを見送った。
「……ヴォーティガーン少尉のあんな表情初めて見ました……」
オベロンの姿が見えなくなった所で一緒にいた部下がポツリと呟いた。それを聞いたロビンは思わず笑ってしまう。
「あ~冬の貴公子サマがあんな顔しているの中々お目にかかれないからなぁ……」
真冬の夜のような男。そう人々から言われているオベロンが、まるで雪が解けたように温かさを感じられる笑みを零す時がある。
彼が『僕の陽だまり』と呼ぶ、婚約者───その存在を知る者は『冬の貴公子』と呼ばれた彼に暖かな雪解けの春をもたらす存在として『春の姫』と呼んでいる───海を渡った東の島国にいる乙女からの便りが届く時。
*
家に帰り、オベロンは部屋で軍服から普段着に着替えながら今日の家であったことの報告を家令から受ける。
「そして、本日届いた手紙がこちらです」
報告の最後に、今日ヴォーティガーン邸に届いた手紙を纏めて差し出される。その一番上に置かれた控えめだが可愛らしい便箋…古くからオベロンに使える家令は婚約者であるりつかからの手紙が届いたときは真っ先に目に入るように配置してくれる。
「ありがとう。この後ゆっくり読ませてもらうからお茶を貰ってもいいかな?」
手紙を受け取り、そう言えば「すぐにお茶のご用意を致します」と言って使用人たちは部屋から下がる。
部屋の奥にある書斎机に向かい、一番上に置かれた手紙を手に取る。
【Dear. Oberon Vortigern】と封筒に書かれた自分の名前を見て、ああ…筆記体もずいぶん上達したなぁ…と微笑ましい気持ちになる。
りつかが、文字を覚えて手紙のやり取りを始めたばかりの頃はまだひらがなを書くのがやっとだったため宛名は兄の立香が書いていたが、少ししたら自分で書くようになった。その当時はひどくたどたどしいアルファベットだったが、今はとても美しい筆記体で綴られている。
『いつかオベロンのお嫁さんになるんだからまずはオベロンの名前から書けるようになるんだって。今頑張って練習してるんだよ』
と、りつかが英語を勉強を始めたばかりの頃、立香から来た手紙でそれ知った時は嬉しさで胸がいっぱいになったものだ。
使用人が持ってきてくれたお茶を飲みながら、海の向こうの東の島国から届いた手紙を、宝箱を開けるように大切に開けた。
【拝啓 オベロン・ヴォーティガーン様】
女性らしい、綺麗な文字で綴られた自分の名前。今はきちんと纏っているが昔は文字も弾むように元気な様が窺えて…まるで彼女の明るい声で名前を呼ばれているようだったな…と思い出してクスッと笑ってしまう。
りつかの手紙には、今手紙を書いている季節の挨拶に始まり、通っている女学校で今学んでいることや、学友との会話。りつか自身の中での流行。
りつかの手紙の中で話してくれる彼女の事はいつもとても楽しそうで、読んでいる自分も楽しい気持ちになるから不思議だ。
向こうでは今、桜の季節だろうか……英吉利も、春の花々が咲き誇っていっていたが、もうすぐ新緑の季節となる。
【オベロン様。貴方と一緒に梅も桜も見ることができたら……きっと今まで見たどの花より綺麗に見えると思うのです】
という一文を見て「ああ……俺も同じ気持ちだよ」とそっと呟く。
花だけでなく、君と見ればきっとどんなものでも美しく見えてしまうのだろうな……と思い、少し笑ってしまう。そして、りつかの手紙に返事を書く為にオベロンは引き出しからレターセットを取り出し、愛用の万年筆を便箋に滑らせた。
【拝啓 藤丸りつか様】
世界で一等愛おしい、オベロンの陽だまりの君の名。自分で書いた名前だけで愛しく思えてしまうなんて、もう末期だな。なんて思いつつ筆を走らせる。
【英吉利では、春の花から新緑の季節となって来ました。】
と季節の移り変わりを始めとして、オベロンも何気ない日常を
「……りつか、喜んでくれるといいな」
小包の中身は、彼女に似合いそうだと思って選んだ黄色のリボン。職人の手により、オレンジの蝶々と、花の刺繍が施されている一点物だ。
海の向こうの、愛しい女の子。離れて暮らしている分、悪い虫が付かないかとても心配で…だから、オベロンはこうしてリボンなどの装飾品を選んでは度々贈るのだ。
「……ああ……今度、特別な香水を贈ろうかな」
それを身に付けて、彼女に近づく悪い虫に少しは誰の物かとわかればいいと……そんな想いを込めて……
*
オベロンはとても聡く、なんでも真実を見透かしてしまうような洞察力の鋭い
けれど……日本での出会いで、オベロンの世界は変わった。
オベロンがまだ手で数えられるくらいの齢の時に、事情があり親族の女の子と一緒に日本に渡った事があった。その時に縁のあった藤丸家に一時的に身を寄せていたのだ。
そこで、オベロンは人生で無二の親友になる藤丸立香と、彼の心に春をもたらす存在となる妹のりつかに出会った。
りつかはオベロンと出会った時は生後数ヶ月。この世界のどんなものよりも無垢な存在であり、その澄み切った眼と、自分よりも一回り小さな手に、オベロンの冷え切っていた心に陽だまりのような温かさが湧いてくるのを感じた。りつかは物心着く前だったし、覚えてないだろうけど……その時にオベロンは既にりつかが愛しくて愛しくて堪らなかったのだ。始めは、人生で初めて触れた赤ん坊に対して芽生えた庇護欲だったかもしれない。けれど、りつかがあまりにも可愛いから離れがたくて……帰国が決まった時に「このまま英吉利に連れて帰って僕のお嫁さんにする」と駄々を捏ねてしまった。それくらい、オベロンはりつかが好きだった。そんな彼の様子を見て、優しい藤丸夫妻はオベロンをりつかの許婚にしてくれたのだ。
……あれから、十余年。
「りつか。もうすぐだ。」
小さかったりつかも、成長して年頃の娘になった。……もう、結婚もできる歳だ。
「もう少ししたら、きみを迎えに行ける」
朝も、昼も、夜も……すべての季節、日々の暮らしの中で……きみがいてくれたらどんなに幸せだろう……
オベロンは、ずっと待っている。彼の花嫁を迎えに行く日を。
「ああ……早く今のきみに会いたいなぁ」
今日も、オベロンは愛しい彼女に想いを馳せている。
2/2ページ