妖精王がマスター♀の指先を彩る話
夕焼けの髪と、明星 の瞳を持った君。
落ちたら最後の無限のウロが切り裂かれた先に広がる、突き抜ける青空に飛んだカルデアのマスター 。
吐き気がするほどキレイな空へと飛んで行った君は、今もまだ『汎人類史を救う』なんて大層な役目を背負ったまま舞台の上に立ち続けているのだろう。
(まあ、君の事だからどんな困難が待ち受けていても自分から役を降りたりしないんだろうな)
まったく健気で、涙がちょちょぎれそうで、反吐が出る。
ちっぽけな人間のくせして、世界を救うために血反吐を吐くような無茶をして…どんどんボロボロになっていくのに、それでも君は立ち止まらない。…立ち止まれない。
【楽園の妖精 】と【妖精王と奈落の虫 】は役目も終わったから舞台から降りたけれど、朝のひばりも、夜のとばりも、君にはまだやってこない。
未だ世界は救われず戦いは続いてて…【汎人類史最後のマスター 】には不要なものだから。
『次もがんばって!君たちの健闘を、心の底から祈っているとも!』
夢の中の───現実ではすでに燃えてしまった───ウェールズの森で最後に彼女に贈った言葉。
……ああ、そうだとも。せいぜい、あがいてみればいい。
俺の誘い を断ったんだ。なら、ボロ布みたいになりながら、自分の世界を取り戻して見せろ。
「ま、俺にはもう関係のないことだけどね」
楽園の妖精 の聖剣によって霊核に大きなダメージを負った俺は、もう二度と這い上がることはできない。飛び立つ力は残っていない。…そもそもこの飾り物の翅ではどこへも飛べやしないけど。
「あーあ!疲れた!よくやったよなー俺!」
もうやることやったし、休んでしまおう。どうせ後はどこまでも、落ちていくだけなのだ。…底無しの奈落に向かって永遠に…
*
───役目を終えて舞台を降りたと思ったら、何故かカルデアにサーヴァントとして召喚をされた───
オベロンは奈落の空洞を落ち続けていた最中、足先から虹色の光に包まれたと思ったら妖精王の姿で立っていた。
そして、真っ先に目に飛び込んできたのは夕焼けの髪と明星 の瞳…
汎人類史の空へと飛んで行った、カルデアのマスター
(……なんだこれ。)
何故、今、目の前に藤丸立香が立っているのか……
もう二度と会うことは無いと思っていた人物が現れて困惑したが、頭の回転の早いオベロンは一瞬で状況を理解した。
(ああ…そう…そういうこと…)
未だ人理は安定しておらず、夢も現も幻も───それこそ嘘でさえ───あやふやなものも“ありえたかもしれない”で通ってしまう……だから、自分なんかとも縁を繋げてしまったのだろう……
(というか、どんだけ節操ないんだ……)
旅先で味方だったものも、敵だったものも、戦いが終わった後で縁さえあれば呼び出せて戦力としていたのは知っていたが……まさか自分のようなものまで縁を繋いで手繰り寄せるなんて……
呆れたオベロンは嫌味でも言ってやろうと口を開きかけて、少しおかしいことに気が付いた。
目の前の彼女の顔が、自分が知るものよりもあどけなさを感じる。
そして何より…立香は驚いた表情をしているがこの驚きは奈落へと落ちた自分との再会を驚いたものではなく……
⦅すごい…英霊ってこんな妖精の王子様みたいな人もいるんだ…⦆
と、召喚で呼び立っていた英霊の姿に驚きを感じているようで……そこでオベロンは再び理解した。
(ああ……なんだ……)
彼女は、未だあの妖精國ブリテンに至っていない藤丸立香。
(あの国で僕と旅して、俺と対峙した君では無いんだな)
何だか心の片隅が冷めてしまったような感覚を覚える。……これでは、悪態の一つも吐けやしない。
「やあ。ここが…カルデア?」
色々と湧き出た感情を飲み込んで、オベロンは穏やかな、誰もが一度は思い浮かべる御伽噺の王子の顔で笑った。
*
これは、本当にただの思い付きだった。
「マニキュア?立香ちゃんに?」
『マスターにマニキュアを作ってあげたいのだけど』と相談されたロマニ・アーキマンは目を丸くする。そんなロマニに相談を持ち掛けたオベロンは柔らかく微笑んだまま「うん」と頷いた。
……オベロンが呼ばれたカルデアは、どうやら魔術王ソロモンが起こした人理焼却による人類史滅却の危機から世界を守るために戦い始めたばかりのようだった。
オベロンが召喚される少し前に、マスターである藤丸立香はカルデアがソロモンの配下であるレフ・ライノール・フラウロスにより爆破された直後に特異点の一つである冬木に飛ばされた。そこで初めてデミ・サーヴァントとして覚醒したマシュ・キリエライトと契約し、マスターとして敵性サーヴァントと戦闘してきたらしい。
オベロンは召喚された後に聞かされた事情を知って驚いた。元々知っていた藤丸立香が魔術師としては平凡以下なのは知っていたが、本当にここまで何も知らなかったとは思わなかった。
(よくこんな無知で非力な子供に世界の運命背負わせようと思ったな…)
ソロモンとその配下である魔神柱が人類史滅却の為に用意した歴史を改竄した特異点……そこへは『レイシフト』という人間の魂をデータ化して肉体から取り出し異なる時間空間に投射するという、カルデアの“魔術”と“科学”の融合した特殊な技術でしか行けないらしい……その、レイシフトができる適性者が……藤丸立香ただ一人だったと……
『世界を救う』なんて大義名分の為に、魔術とかそういうことも何も知らなかった人間に重責を押し付けるなんてどうかとも思うけど……
(まあ、他にそれができる人間がいないのだったら…それに縋るしかないのか)
たった一人マスター適性を持って爆発から逃れ、突発的とはいえ一つの特異点をサーヴァントと共に乗り越えた彼女はまさにカルデア希望の星だというわけだ。
そうやってカルデアの……人類の未来を背負い、一度は人理を修復して、さらに自分の守った汎人類史の生存権を獲得するために5つの異聞帯を切除してきたのが奈落の虫 の前に立った異邦の魔術師。それが、オベロンが妖精國ブリテン出会った藤丸立香。
けれど、今の彼女は……
「カルデアの魔術礼装の補助……というか、魔術回路のスムーズな起動と魔力出力の補助になるような効果を掛けたマニキュアを作りたいと思うんだ」
このカルデアで、オベロンと契約して人類の未来を守るために特異点へと飛び、奔走する少女。
「それは……そんな効果を持ったマニキュアが作れるならすごいけど……なんでまた……」
「……マスターって、魔術回路はあるけれど元々魔術師とかじゃない一般人だったんだろ?」
生まれながらに、使命を与えられていたわけでもない。ましてや魔術なんて世界に触れても来ていない。
彼女が生まれた時代の育った国は、中流階級の人間でも子供は労働をする必要がなく学び舎に行き、衣食住も何不自由なく与えられているのだという。立香も、そんな例に漏れずに両親からの愛情を受けて平和に暮らしていたのだろう。
「マスターになってから、令呪や礼装使用の為に魔術回路の使い方とか学んでいるみたいだけど……幼少期から訓練詰んでいたわけじゃないし……かなり、負担は大きいんじゃないかなぁ……」
現に、オルレアンで身に着けていたカルデアの魔術礼装起動を繰り返し行った影響か最後の方は手に多少の違和感を覚えていたようだった。
「……それは、確かにそうだね……レイシフトが終わった後、メディカルチェックでもまだ魔術回路に魔力を流すと痺れるような痛みがあると言っていた……少しずつ、魔力を流す訓練をして慣れてはきたと聞いたけど……」
「うん。僕のマスターは頑張り屋だからね」
普通に生きていれば、戦いの場に立つことも無かったであろう平凡に幸せな人生を歩んでた子供。
……それが、カルデアが必要とする才能を保持した上にその才を見出されてしまって……聞けば、ろくな説明もなくカルデアに人数合わせに連れてこられて、彼女は訳も分からずマスターとなり、世界の命運を託されてしまった。
……選ぶ余地もなく、この戦いに対しても自分にできることを、全力でやろうとしている…
……本当に、見てれば見てるほど、善良で普通な一人の人間で……
「人類の未来を背負わされたマスターの負担を、少しでも軽くしてあげられたらなって……」
どこまでもお人好しで……託された願いを一身に抱え込んで……そんな姿に何とも言えない気持ちが、心の底でぐつり……と湧き出しそうだ。
そんな、気持ちを少しも出さずに「ほら、僕も彼女のサーヴァントだから」とオベロンは笑って言った。
*
その後、オベロンは現在のカルデアの司令官であるロマニ・アーキマンからの承諾を得てマニキュアの製作を開始した。
普通に作ろうと思えばマニキュアくらい作れるが、今回オベロンが作りたいのは魔術補助効果のあるマニキュアである。
魔術的効果を付与しなくてはならないのももちろんだが“魔術”と“科学”を融合させたカルデアの技術の妨げにならないようにもしなくてはならない。
その為に、カルデア特別技術顧問のレオナルド・ダ・ヴィンチと女性で魔術に長けているコルキスの魔女・メディアに協力を依頼し、更にオベロンと同じく初期の頃から立香を支えている弓兵のエミヤと時計塔のロードを依り代としている軍師の諸葛孔明、キャスターのクー・フーリンなどにも事情を話して適宜アドバイスをもらいながら制作した。
「それにしても、何故マニキュアなんだ?魔力操作を円滑に行うのならば指輪とかグローブとかでも良かったと思うが……」
試作を重ねている間に投げかけられた質問。
「うん。そういうのもいいけれど……身に着けるものだと、壊れたり外していたりすると効果が無くなってしまうだろ?その点、マニキュアなら塗って置けばちょっとやそっとじゃ剝がれたりしないし……」
と、もっともらしいことを言いながらオベロンの脳裏に浮かんだのは特異点から帰るたびにボロボロになってしまった手を見て、そっと息を吐く立香の姿……
「爪も割れにくくなるし……あと、少し衝撃や暑さ寒さから保護できるような効果も付けておけば急な火傷や凍傷で指が無くなってしまう危険性も……減るかなぁ……って」
……召喚された時、挨拶と共に握手の為に差し出された立香の手は、擦り傷こそあったけれど少女らしい柔らかさのある手だった……
全部を全部、守れる保証はどこにもないけれど……それども、気休めでもなんでも少しでも守る手立てを用意しておくことに越したことは無い。
彼女は、どこかの女の子と違って、出会った時には既に足の指が無くなってしまったりしてないのだから。
「意外とマスターのこと考えているのね」
「妖精ってもっと自由気ままで他人のことなど気にしない生き物だと思ってたわ」と少し皮肉な色を滲ませてメディアは言った。
「あはは。自由気ままなのは否定できないなぁ。妖精は気まぐれだからね」
「でも、僕は結構真面目な男なのさ」とパチッと茶目っ気を含ませてオベロンはウインクをしてみせる。
「正直、人類史滅却の危機に関してはそんなに思うところはないんだ……」
まあ、本音はすこぶるどうでもいい。
「滅亡してしまうなら、それも仕方ないかなって……」
むしろ自分も汎人類史を滅ぼそうとしました。なんてことをオベロンは勿論言わない。
「でも僕は……」
少し先の、遥か遠くの未来。黄昏の空が広がる妖精國ブリテン。
そこで出会った夕焼けの髪に明星 の瞳を持つ異邦の魔術師と、同じだけど違う女の子。
人類最後のマスターになったばかりの彼女が未来を守るために力を貸して欲しいと自分に頼んできたその姿を見た時、まあ色々と思うことはあったけれど……召喚の時に「微力ながら君の力になる」と言ってしまった。
……きっとその時、自分は『役を羽織って』しまったのだ。
「……今、このカルデアにいる“オベロン”は世界を救うために戦う女の子に力を貸す妖精王だからね」
世界を終焉に導こうとした自分が、今度は世界を救う側として舞台に立つなんて…何ともお笑い種だけど……
それでも、オベロンは『プリテンダー 』なので……色々と複雑な思いを持ちつつも、この役で舞台に立ったならば演じきってやろうと思っているのだ。
「あの子が諦めずに頑張るのならば、僕はできる限り力になってあげたいのさ」
思っていることないことを、耳障り良い響きで包み込みながら、この大嘘つきの良く回る口は今日も絶好調にペラペラと言葉を吐き続ける。
そうやって口を動かしながらも、彼は彼のマスターの為にマニキュアを作る手を止めることは無かった。
*
特異点修正の合間を縫って試作を重ねて、オベロンの作ったマニキュアは完成した。
マニキュアの入った小瓶を天井に向けて電灯の光で透かして見れば透明感のある橙色の液体がとろりと動いた。
「……うん。いい出来だ」
何度も試行錯誤を繰り返して作ったマニキュアは会心の出来である。
「彼女は喜んでくれるかな?ブランカ」
あの奈落に飲み込まれていくブリテンで、オベロンに向けられた呪いのすべてを身代わりに受けて息絶えたはずの、オベロンの白く美しい友人は彼と共にカルデアにやってきた。
オベロンの問いかけに、彼女は彼の肩に乗って冬の空のような瞳を覗き込み『あの娘は貴方の好意を無下にする人ではないしきっと喜んでくれるわ』と答える。
そんな彼女に微笑みかけて、「ありがとう」とそっと指先で頭を撫でると、早速マスターに渡そう。と、彼女のマイルームへと向かう。その途中で協力してくれたみんなにお礼を言いながら足を進めていると通路で目的の人物の姿を見つけることができた。
「マスター」
声を掛ければ夕焼け色の髪を揺らしてオベロンのマスターである藤丸立香が振り返った。
「オベロン」
明星 の瞳にオベロンの姿を映すと人好きのする笑みを浮かべて彼の名を呼んだ。
「どうしたの?」と首を少し傾げながら尋ねる立香に自分に少し付き合って欲しいと言えば彼女は「いいよ」と嫌な顔一つせずに頷いた。
「何か面白いことでもあった?」と尋ねてきた立香に「面白いかどうかはわからないけど」と前置きを置いてプレゼントしたいものがあるのだと伝える。突然プレゼントしたいなんて言われた立香は少し驚いて目を丸くした。
「私に?」
「そう。いつも、人類ただ一人のマスターとして頑張る、君に」
徐に、彼女の右手に手を伸ばす。
そっと救い上げた手に刻まれているのは、赤い令呪。
これが、『藤丸立香』を『マスター』とたらしめる証。
(……ああ……なんて……)
禍々しい…とオベロンは心の中で吐き捨てる。
英霊とマスターを繋ぐ鎖であると同時に、彼女が背負わされた使命への楔でもある赤い刻印に心の中で悪態を吐きながら手に取った右手の指先を見て爪の先端が変に欠けていたり、そもそも手の全体が荒れているのを確認した。これはマニキュアを塗る前にしっかりケアが必要だな……なんて考えていたら「……オベロン……?」と不思議そうな声音で自分を呼ぶ立香声が耳に入った。それにすぐに微笑んで「マスター」とこちらからも呼びかけ、明星 の瞳をまっすぐ見つめる。
「僕が君に、ささやかだけど魔法をかけてあげよう」
そう言って、彼女にウインクをした。
*
そのまま、オベロンと立香は立香のマイルームに向かいオベロンは彼女をベッドに座らせると手近に置いてあったサイドテーブルや椅子を持ってきて向かいに腰を下ろした。
「君に渡したいものというのは実はこれなんだ」とマニキュアの入った小瓶をテーブルに置き、説明をした。
このマニキュアは色々と協力を仰ぎながら自分が作ったこと。爪の補強はもちろん、魔術の補助してくれる効果もあること。
「最近、戦闘服のガンドをよく使うようになっただろう?……あれは大体のエネミーを拘束することができる強力なスキルだけど……あまり使いすぎると君にも負担が大きい……現に、今少し指先が痛んでいないかい?」
そう指摘すると、立香は大きく目を見開いた。
「……気づいていたの……?」
驚いた様に呟いて、彼女は自分の手元に視線を落とす。
「わかるとも。僕は君の、サーヴァントだからね」
彼女の方に手を伸ばし、その指先にそっと触れる。
「……頑張り屋のマスターも素敵だけど……無理は良くないよ?ここにはドクターもいるのだから、ちゃんと後で不調を伝えないと……」
と少し嗜めると「……うん……そうだね……ごめんなさい」とすぐに反省の言葉が返ってきたので「……素直に謝れるのは、マスターの良い所だね。」と言った後少し大げさにマニキュアのアピールをした。
妖精王妃の心すらも惑わせるほどの薬を作る妖精王オベロンの道具製作スキルと、カルデアの有志の協力の元試作を重ねたこのマニキュアは胸を張ってオススメできる自信作である。
自信作ではあるが、いざ本人に塗ってもらった時の仕上がりも気になったので自分が塗ると申し出た。
再び、彼女の指先をそっと掬い取ると恭しく空いた手を胸に当てて、請い願う様に頭を下げる。
「親愛なるマスター。どうかこの妖精王に、君の指先を彩る名誉をくれないかい?」
ボロボロの手のケアもしたいし。と思いながらマスターを伺うと、「……オベロンが良ければ、喜んで」とはにかみ綻ぶ様に笑って答えてくれた。
*
そこから、オベロンは迅速に行動した。
すぐに熱すぎず温過ぎない温度のお湯を洗面器に用意して、切り傷や擦り傷などに効く薬草を浮かべると立香の手をしばらく浸した後、柔らかいタオルで丁寧に水気を拭う。
そして、その手に丁寧に薬効成分のある特製のクリームを優しく塗った。痛みはないかと確認しながら、魔力の流れが良くなるようにと気持ち程度のマッサージも忘れない。
クリームを塗り終わったら、爪やすりで爪の形を整えて、表面も専用の道具でピカピカに磨き上げた。
オベロンの丁寧なケアの甲斐もあり、立香の手は大分綺麗になる。
「すごい……ピカピカ……」
磨いただけでツヤツヤになった桜貝のような爪を見て、彼女は声を弾ませた。
だが、忘れてもらっては困る。
「おや、まだ本番はこれからだよ。マスター」
真打はここからなのだ。
「さ、もう一度手を貸してごらん」
オベロンはオレンジのマニキュア以外にも、きちんと爪に綺麗に塗るために必要なベースコートとトップコートも用意をしていた。
ベースコートの蓋を捻り、自分で磨きぬいた少女の手を取る。拘ったオレンジの発色が綺麗に出るように、薄いミルクの様なベースコートを立香の爪に塗っていく。
すぐ乾くマニキュアだったので、すぐに本命のオレンジのマニキュアを塗った。
魔術補助の効果など以外に、色味も実はすごく拘った。
透き通るような、橙色。夜の帳が訪れる前の、地平線に沈む燃えるような夕陽の色。
……目の前の少女との親和性を高めるために、髪の色に寄せて作ったものだ。
明るく、生命力を感じさせ、けれどあまり色をきつくしすぎないように…
無駄にこだわってしまった気がするが、だがその分納得のいく色になったと思う。
「わぁ……!」
仕上げに透明なトップコートを塗ると、立香は抑えきれないという様に歓声を漏らした。
「綺麗……」と呟き、自分の指先を見る瞳はとても、とてもキラキラしていた。
「気に入ってくれたかい?」
と聞くと「すごく」と立香は満面の笑顔で即答し、それにオベロンは「なら良かった」と笑い返す。
「マスター。頑張り屋さんな女の子である君に、少しでもこのマニキュアが心を弾ませてくれたなら僕はとても嬉しいよ」
「うん……!!すごく、すーっごく!!嬉しい……!!」
キラキラと、輝く明星 の瞳。自分の指先を本当に嬉しそうにいつまでも見詰めるその顔を見て、オベロンは心の中でああ……と呟く。
(……立香……君、本当に普通の女の子だったんだな……)
たった一つの爪紅で、ここまで心を弾ませる目の前の少女。
⦅すごい…綺麗…こんなにつやつやしてて、輝いて…自分の爪なのに、まるで宝石みたい…⦆
そんな風に心の底から喜ぶ彼女を姿を、オベロンは眩しいものを見た様に、目を細めた。そして、もし……と考える。
(……あの、妖精國で出会ったきみも…こんな風に喜んでくれたんだろうか……)
まあ、あの時そんな余裕も時間も無かったけれど。
それでも、目の前のあの時出会った彼女と同じで違う少女を見ていると、もしも……と考えてしまう。
(きみと、アルトリアの2人…それぞれの好きな色のマニキュアを贈ったら…君達は普通の女の子みたいに、喜んでくれたのかな……)
それぞれの使命を背負って1人は役目を果たし、もう1人は未だ世界の未来の為に駆けて行った、滅亡をもたらそうとした自分に対峙したなんでもない普通の女の子達。自分と似たような荷物を背負って、それでも別々の旅路を行った2人は、オベロンの中に癪ではあるが色濃く残っている。
あの日の日々は、彼にとっては過ぎ去ってしまった、少し先の、遥か遠い思い出の話……
少し、自分の中の記憶を振り返っていたら「オベロン!」と明るい声で名前を呼ばれた。
「本当にありがとう!!こんなに素敵なものを、私の為に!!」
本当に嬉しそうに笑う、今のオベロンと契約したマスター にオベロンは胸に少し芽生えた何かを気付かないふりして、完璧な王子様の優しい笑顔で、「君が笑ってくれるなら僕も嬉しいんだ」と応えるのだった。
落ちたら最後の無限のウロが切り裂かれた先に広がる、突き抜ける青空に飛んだカルデアの
吐き気がするほどキレイな空へと飛んで行った君は、今もまだ『汎人類史を救う』なんて大層な役目を背負ったまま舞台の上に立ち続けているのだろう。
(まあ、君の事だからどんな困難が待ち受けていても自分から役を降りたりしないんだろうな)
まったく健気で、涙がちょちょぎれそうで、反吐が出る。
ちっぽけな人間のくせして、世界を救うために血反吐を吐くような無茶をして…どんどんボロボロになっていくのに、それでも君は立ち止まらない。…立ち止まれない。
【
未だ世界は救われず戦いは続いてて…【
『次もがんばって!君たちの健闘を、心の底から祈っているとも!』
夢の中の───現実ではすでに燃えてしまった───ウェールズの森で最後に彼女に贈った言葉。
……ああ、そうだとも。せいぜい、あがいてみればいい。
「ま、俺にはもう関係のないことだけどね」
「あーあ!疲れた!よくやったよなー俺!」
もうやることやったし、休んでしまおう。どうせ後はどこまでも、落ちていくだけなのだ。…底無しの奈落に向かって永遠に…
*
───役目を終えて舞台を降りたと思ったら、何故かカルデアにサーヴァントとして召喚をされた───
オベロンは奈落の空洞を落ち続けていた最中、足先から虹色の光に包まれたと思ったら妖精王の姿で立っていた。
そして、真っ先に目に飛び込んできたのは夕焼けの髪と
汎人類史の空へと飛んで行った、カルデアのマスター
(……なんだこれ。)
何故、今、目の前に藤丸立香が立っているのか……
もう二度と会うことは無いと思っていた人物が現れて困惑したが、頭の回転の早いオベロンは一瞬で状況を理解した。
(ああ…そう…そういうこと…)
未だ人理は安定しておらず、夢も現も幻も───それこそ嘘でさえ───あやふやなものも“ありえたかもしれない”で通ってしまう……だから、自分なんかとも縁を繋げてしまったのだろう……
(というか、どんだけ節操ないんだ……)
旅先で味方だったものも、敵だったものも、戦いが終わった後で縁さえあれば呼び出せて戦力としていたのは知っていたが……まさか自分のようなものまで縁を繋いで手繰り寄せるなんて……
呆れたオベロンは嫌味でも言ってやろうと口を開きかけて、少しおかしいことに気が付いた。
目の前の彼女の顔が、自分が知るものよりもあどけなさを感じる。
そして何より…立香は驚いた表情をしているがこの驚きは奈落へと落ちた自分との再会を驚いたものではなく……
⦅すごい…英霊ってこんな妖精の王子様みたいな人もいるんだ…⦆
と、召喚で呼び立っていた英霊の姿に驚きを感じているようで……そこでオベロンは再び理解した。
(ああ……なんだ……)
彼女は、未だあの妖精國ブリテンに至っていない藤丸立香。
(あの国で僕と旅して、俺と対峙した君では無いんだな)
何だか心の片隅が冷めてしまったような感覚を覚える。……これでは、悪態の一つも吐けやしない。
「やあ。ここが…カルデア?」
色々と湧き出た感情を飲み込んで、オベロンは穏やかな、誰もが一度は思い浮かべる御伽噺の王子の顔で笑った。
*
これは、本当にただの思い付きだった。
「マニキュア?立香ちゃんに?」
『マスターにマニキュアを作ってあげたいのだけど』と相談されたロマニ・アーキマンは目を丸くする。そんなロマニに相談を持ち掛けたオベロンは柔らかく微笑んだまま「うん」と頷いた。
……オベロンが呼ばれたカルデアは、どうやら魔術王ソロモンが起こした人理焼却による人類史滅却の危機から世界を守るために戦い始めたばかりのようだった。
オベロンが召喚される少し前に、マスターである藤丸立香はカルデアがソロモンの配下であるレフ・ライノール・フラウロスにより爆破された直後に特異点の一つである冬木に飛ばされた。そこで初めてデミ・サーヴァントとして覚醒したマシュ・キリエライトと契約し、マスターとして敵性サーヴァントと戦闘してきたらしい。
オベロンは召喚された後に聞かされた事情を知って驚いた。元々知っていた藤丸立香が魔術師としては平凡以下なのは知っていたが、本当にここまで何も知らなかったとは思わなかった。
(よくこんな無知で非力な子供に世界の運命背負わせようと思ったな…)
ソロモンとその配下である魔神柱が人類史滅却の為に用意した歴史を改竄した特異点……そこへは『レイシフト』という人間の魂をデータ化して肉体から取り出し異なる時間空間に投射するという、カルデアの“魔術”と“科学”の融合した特殊な技術でしか行けないらしい……その、レイシフトができる適性者が……藤丸立香ただ一人だったと……
『世界を救う』なんて大義名分の為に、魔術とかそういうことも何も知らなかった人間に重責を押し付けるなんてどうかとも思うけど……
(まあ、他にそれができる人間がいないのだったら…それに縋るしかないのか)
たった一人マスター適性を持って爆発から逃れ、突発的とはいえ一つの特異点をサーヴァントと共に乗り越えた彼女はまさにカルデア希望の星だというわけだ。
そうやってカルデアの……人類の未来を背負い、一度は人理を修復して、さらに自分の守った汎人類史の生存権を獲得するために5つの異聞帯を切除してきたのが
けれど、今の彼女は……
「カルデアの魔術礼装の補助……というか、魔術回路のスムーズな起動と魔力出力の補助になるような効果を掛けたマニキュアを作りたいと思うんだ」
このカルデアで、オベロンと契約して人類の未来を守るために特異点へと飛び、奔走する少女。
「それは……そんな効果を持ったマニキュアが作れるならすごいけど……なんでまた……」
「……マスターって、魔術回路はあるけれど元々魔術師とかじゃない一般人だったんだろ?」
生まれながらに、使命を与えられていたわけでもない。ましてや魔術なんて世界に触れても来ていない。
彼女が生まれた時代の育った国は、中流階級の人間でも子供は労働をする必要がなく学び舎に行き、衣食住も何不自由なく与えられているのだという。立香も、そんな例に漏れずに両親からの愛情を受けて平和に暮らしていたのだろう。
「マスターになってから、令呪や礼装使用の為に魔術回路の使い方とか学んでいるみたいだけど……幼少期から訓練詰んでいたわけじゃないし……かなり、負担は大きいんじゃないかなぁ……」
現に、オルレアンで身に着けていたカルデアの魔術礼装起動を繰り返し行った影響か最後の方は手に多少の違和感を覚えていたようだった。
「……それは、確かにそうだね……レイシフトが終わった後、メディカルチェックでもまだ魔術回路に魔力を流すと痺れるような痛みがあると言っていた……少しずつ、魔力を流す訓練をして慣れてはきたと聞いたけど……」
「うん。僕のマスターは頑張り屋だからね」
普通に生きていれば、戦いの場に立つことも無かったであろう平凡に幸せな人生を歩んでた子供。
……それが、カルデアが必要とする才能を保持した上にその才を見出されてしまって……聞けば、ろくな説明もなくカルデアに人数合わせに連れてこられて、彼女は訳も分からずマスターとなり、世界の命運を託されてしまった。
……選ぶ余地もなく、この戦いに対しても自分にできることを、全力でやろうとしている…
……本当に、見てれば見てるほど、善良で普通な一人の人間で……
「人類の未来を背負わされたマスターの負担を、少しでも軽くしてあげられたらなって……」
どこまでもお人好しで……託された願いを一身に抱え込んで……そんな姿に何とも言えない気持ちが、心の底でぐつり……と湧き出しそうだ。
そんな、気持ちを少しも出さずに「ほら、僕も彼女のサーヴァントだから」とオベロンは笑って言った。
*
その後、オベロンは現在のカルデアの司令官であるロマニ・アーキマンからの承諾を得てマニキュアの製作を開始した。
普通に作ろうと思えばマニキュアくらい作れるが、今回オベロンが作りたいのは魔術補助効果のあるマニキュアである。
魔術的効果を付与しなくてはならないのももちろんだが“魔術”と“科学”を融合させたカルデアの技術の妨げにならないようにもしなくてはならない。
その為に、カルデア特別技術顧問のレオナルド・ダ・ヴィンチと女性で魔術に長けているコルキスの魔女・メディアに協力を依頼し、更にオベロンと同じく初期の頃から立香を支えている弓兵のエミヤと時計塔のロードを依り代としている軍師の諸葛孔明、キャスターのクー・フーリンなどにも事情を話して適宜アドバイスをもらいながら制作した。
「それにしても、何故マニキュアなんだ?魔力操作を円滑に行うのならば指輪とかグローブとかでも良かったと思うが……」
試作を重ねている間に投げかけられた質問。
「うん。そういうのもいいけれど……身に着けるものだと、壊れたり外していたりすると効果が無くなってしまうだろ?その点、マニキュアなら塗って置けばちょっとやそっとじゃ剝がれたりしないし……」
と、もっともらしいことを言いながらオベロンの脳裏に浮かんだのは特異点から帰るたびにボロボロになってしまった手を見て、そっと息を吐く立香の姿……
「爪も割れにくくなるし……あと、少し衝撃や暑さ寒さから保護できるような効果も付けておけば急な火傷や凍傷で指が無くなってしまう危険性も……減るかなぁ……って」
……召喚された時、挨拶と共に握手の為に差し出された立香の手は、擦り傷こそあったけれど少女らしい柔らかさのある手だった……
全部を全部、守れる保証はどこにもないけれど……それども、気休めでもなんでも少しでも守る手立てを用意しておくことに越したことは無い。
彼女は、どこかの女の子と違って、出会った時には既に足の指が無くなってしまったりしてないのだから。
「意外とマスターのこと考えているのね」
「妖精ってもっと自由気ままで他人のことなど気にしない生き物だと思ってたわ」と少し皮肉な色を滲ませてメディアは言った。
「あはは。自由気ままなのは否定できないなぁ。妖精は気まぐれだからね」
「でも、僕は結構真面目な男なのさ」とパチッと茶目っ気を含ませてオベロンはウインクをしてみせる。
「正直、人類史滅却の危機に関してはそんなに思うところはないんだ……」
まあ、本音はすこぶるどうでもいい。
「滅亡してしまうなら、それも仕方ないかなって……」
むしろ自分も汎人類史を滅ぼそうとしました。なんてことをオベロンは勿論言わない。
「でも僕は……」
少し先の、遥か遠くの未来。黄昏の空が広がる妖精國ブリテン。
そこで出会った夕焼けの髪に
人類最後のマスターになったばかりの彼女が未来を守るために力を貸して欲しいと自分に頼んできたその姿を見た時、まあ色々と思うことはあったけれど……召喚の時に「微力ながら君の力になる」と言ってしまった。
……きっとその時、自分は『役を羽織って』しまったのだ。
「……今、このカルデアにいる“オベロン”は世界を救うために戦う女の子に力を貸す妖精王だからね」
世界を終焉に導こうとした自分が、今度は世界を救う側として舞台に立つなんて…何ともお笑い種だけど……
それでも、オベロンは『
「あの子が諦めずに頑張るのならば、僕はできる限り力になってあげたいのさ」
思っていることないことを、耳障り良い響きで包み込みながら、この大嘘つきの良く回る口は今日も絶好調にペラペラと言葉を吐き続ける。
そうやって口を動かしながらも、彼は彼のマスターの為にマニキュアを作る手を止めることは無かった。
*
特異点修正の合間を縫って試作を重ねて、オベロンの作ったマニキュアは完成した。
マニキュアの入った小瓶を天井に向けて電灯の光で透かして見れば透明感のある橙色の液体がとろりと動いた。
「……うん。いい出来だ」
何度も試行錯誤を繰り返して作ったマニキュアは会心の出来である。
「彼女は喜んでくれるかな?ブランカ」
あの奈落に飲み込まれていくブリテンで、オベロンに向けられた呪いのすべてを身代わりに受けて息絶えたはずの、オベロンの白く美しい友人は彼と共にカルデアにやってきた。
オベロンの問いかけに、彼女は彼の肩に乗って冬の空のような瞳を覗き込み『あの娘は貴方の好意を無下にする人ではないしきっと喜んでくれるわ』と答える。
そんな彼女に微笑みかけて、「ありがとう」とそっと指先で頭を撫でると、早速マスターに渡そう。と、彼女のマイルームへと向かう。その途中で協力してくれたみんなにお礼を言いながら足を進めていると通路で目的の人物の姿を見つけることができた。
「マスター」
声を掛ければ夕焼け色の髪を揺らしてオベロンのマスターである藤丸立香が振り返った。
「オベロン」
「どうしたの?」と首を少し傾げながら尋ねる立香に自分に少し付き合って欲しいと言えば彼女は「いいよ」と嫌な顔一つせずに頷いた。
「何か面白いことでもあった?」と尋ねてきた立香に「面白いかどうかはわからないけど」と前置きを置いてプレゼントしたいものがあるのだと伝える。突然プレゼントしたいなんて言われた立香は少し驚いて目を丸くした。
「私に?」
「そう。いつも、人類ただ一人のマスターとして頑張る、君に」
徐に、彼女の右手に手を伸ばす。
そっと救い上げた手に刻まれているのは、赤い令呪。
これが、『藤丸立香』を『マスター』とたらしめる証。
(……ああ……なんて……)
禍々しい…とオベロンは心の中で吐き捨てる。
英霊とマスターを繋ぐ鎖であると同時に、彼女が背負わされた使命への楔でもある赤い刻印に心の中で悪態を吐きながら手に取った右手の指先を見て爪の先端が変に欠けていたり、そもそも手の全体が荒れているのを確認した。これはマニキュアを塗る前にしっかりケアが必要だな……なんて考えていたら「……オベロン……?」と不思議そうな声音で自分を呼ぶ立香声が耳に入った。それにすぐに微笑んで「マスター」とこちらからも呼びかけ、
「僕が君に、ささやかだけど魔法をかけてあげよう」
そう言って、彼女にウインクをした。
*
そのまま、オベロンと立香は立香のマイルームに向かいオベロンは彼女をベッドに座らせると手近に置いてあったサイドテーブルや椅子を持ってきて向かいに腰を下ろした。
「君に渡したいものというのは実はこれなんだ」とマニキュアの入った小瓶をテーブルに置き、説明をした。
このマニキュアは色々と協力を仰ぎながら自分が作ったこと。爪の補強はもちろん、魔術の補助してくれる効果もあること。
「最近、戦闘服のガンドをよく使うようになっただろう?……あれは大体のエネミーを拘束することができる強力なスキルだけど……あまり使いすぎると君にも負担が大きい……現に、今少し指先が痛んでいないかい?」
そう指摘すると、立香は大きく目を見開いた。
「……気づいていたの……?」
驚いた様に呟いて、彼女は自分の手元に視線を落とす。
「わかるとも。僕は君の、サーヴァントだからね」
彼女の方に手を伸ばし、その指先にそっと触れる。
「……頑張り屋のマスターも素敵だけど……無理は良くないよ?ここにはドクターもいるのだから、ちゃんと後で不調を伝えないと……」
と少し嗜めると「……うん……そうだね……ごめんなさい」とすぐに反省の言葉が返ってきたので「……素直に謝れるのは、マスターの良い所だね。」と言った後少し大げさにマニキュアのアピールをした。
妖精王妃の心すらも惑わせるほどの薬を作る妖精王オベロンの道具製作スキルと、カルデアの有志の協力の元試作を重ねたこのマニキュアは胸を張ってオススメできる自信作である。
自信作ではあるが、いざ本人に塗ってもらった時の仕上がりも気になったので自分が塗ると申し出た。
再び、彼女の指先をそっと掬い取ると恭しく空いた手を胸に当てて、請い願う様に頭を下げる。
「親愛なるマスター。どうかこの妖精王に、君の指先を彩る名誉をくれないかい?」
ボロボロの手のケアもしたいし。と思いながらマスターを伺うと、「……オベロンが良ければ、喜んで」とはにかみ綻ぶ様に笑って答えてくれた。
*
そこから、オベロンは迅速に行動した。
すぐに熱すぎず温過ぎない温度のお湯を洗面器に用意して、切り傷や擦り傷などに効く薬草を浮かべると立香の手をしばらく浸した後、柔らかいタオルで丁寧に水気を拭う。
そして、その手に丁寧に薬効成分のある特製のクリームを優しく塗った。痛みはないかと確認しながら、魔力の流れが良くなるようにと気持ち程度のマッサージも忘れない。
クリームを塗り終わったら、爪やすりで爪の形を整えて、表面も専用の道具でピカピカに磨き上げた。
オベロンの丁寧なケアの甲斐もあり、立香の手は大分綺麗になる。
「すごい……ピカピカ……」
磨いただけでツヤツヤになった桜貝のような爪を見て、彼女は声を弾ませた。
だが、忘れてもらっては困る。
「おや、まだ本番はこれからだよ。マスター」
真打はここからなのだ。
「さ、もう一度手を貸してごらん」
オベロンはオレンジのマニキュア以外にも、きちんと爪に綺麗に塗るために必要なベースコートとトップコートも用意をしていた。
ベースコートの蓋を捻り、自分で磨きぬいた少女の手を取る。拘ったオレンジの発色が綺麗に出るように、薄いミルクの様なベースコートを立香の爪に塗っていく。
すぐ乾くマニキュアだったので、すぐに本命のオレンジのマニキュアを塗った。
魔術補助の効果など以外に、色味も実はすごく拘った。
透き通るような、橙色。夜の帳が訪れる前の、地平線に沈む燃えるような夕陽の色。
……目の前の少女との親和性を高めるために、髪の色に寄せて作ったものだ。
明るく、生命力を感じさせ、けれどあまり色をきつくしすぎないように…
無駄にこだわってしまった気がするが、だがその分納得のいく色になったと思う。
「わぁ……!」
仕上げに透明なトップコートを塗ると、立香は抑えきれないという様に歓声を漏らした。
「綺麗……」と呟き、自分の指先を見る瞳はとても、とてもキラキラしていた。
「気に入ってくれたかい?」
と聞くと「すごく」と立香は満面の笑顔で即答し、それにオベロンは「なら良かった」と笑い返す。
「マスター。頑張り屋さんな女の子である君に、少しでもこのマニキュアが心を弾ませてくれたなら僕はとても嬉しいよ」
「うん……!!すごく、すーっごく!!嬉しい……!!」
キラキラと、輝く
(……立香……君、本当に普通の女の子だったんだな……)
たった一つの爪紅で、ここまで心を弾ませる目の前の少女。
⦅すごい…綺麗…こんなにつやつやしてて、輝いて…自分の爪なのに、まるで宝石みたい…⦆
そんな風に心の底から喜ぶ彼女を姿を、オベロンは眩しいものを見た様に、目を細めた。そして、もし……と考える。
(……あの、妖精國で出会ったきみも…こんな風に喜んでくれたんだろうか……)
まあ、あの時そんな余裕も時間も無かったけれど。
それでも、目の前のあの時出会った彼女と同じで違う少女を見ていると、もしも……と考えてしまう。
(きみと、アルトリアの2人…それぞれの好きな色のマニキュアを贈ったら…君達は普通の女の子みたいに、喜んでくれたのかな……)
それぞれの使命を背負って1人は役目を果たし、もう1人は未だ世界の未来の為に駆けて行った、滅亡をもたらそうとした自分に対峙したなんでもない普通の女の子達。自分と似たような荷物を背負って、それでも別々の旅路を行った2人は、オベロンの中に癪ではあるが色濃く残っている。
あの日の日々は、彼にとっては過ぎ去ってしまった、少し先の、遥か遠い思い出の話……
少し、自分の中の記憶を振り返っていたら「オベロン!」と明るい声で名前を呼ばれた。
「本当にありがとう!!こんなに素敵なものを、私の為に!!」
本当に嬉しそうに笑う、今のオベロンと契約した