妖精王がマスター♀の指先を彩る話

「マスター。僕が君に、ささやかだけど魔法をかけてあげよう」

 そう言って、マスターの手を取った妖精王はウインクした。



 藤丸立香と言う名の少女が、人類最後のマスターとなってからそれなりの月日が経った。
 人類最後のマスター……人数合わせで選ばれた48人目の補欠候補。
 ……本来ならば、魔術なんてものとは縁遠い一般人の女の子。
 当然のように魔術師としての知識もなく、戦場に出た際の動き方だって訓練していない。
 ソロモン王によって人理が焼却された地球上に現れた特異点の修復と並行して、それらの訓練も行っていく必要があった。

「痛っ……!」

 特異点での戦闘の際、エネミーの攻撃が後方で支持を出すマスターである立香にも飛んできたので避けた際に転んで手に怪我をしてしまった。

「先輩!大丈夫ですか?」

 共に戦場に立つデミ・サーヴァントのマシュ・キリエライトが立香の声に反応して駆け寄る。

「うん……ちょっと手を怪我しちゃったみたい……」

 戦闘中は無我夢中だったが、戦闘が終わって一息ついた所で痛みが湧いてきたのだろう。
 「すぐに手当します」と言ってマシュは盾の中から救急セットを出して手の傷の消毒をしてくれた。

(………いっぱい、怪我をするようになったなぁ………)

 シールダーとして矢面に立つマシュと違い、後方から礼装などによって戦うサーヴァント達に魔術的支援をしたり、指示を飛ばす立場ではあるが戦場に立つ以上危険は付き物だし、真っ先に非力な弱者であるマスターが狙われることも少なくない。
 訓練を付けてもらっているお陰で、始めの頃よりも避けたり受け身が取れるようになったとはいえ、普通に現代日本生きていたらこんなことを立香は経験することもなかっただろう。
 家事の手伝いくらいでしか水仕事もあまりせず、季節の寒暖差などで少し荒れてしまうくらいだった柔らかい少女の手は、もう少し薬を塗ったくらいでは誤魔化せない位傷ついていた。

「終わりましたよ先輩」

 手当をしてくれたマシュの声にハッと飛んでいた思考が戻ってきた。

「今はこのくらいしかできませんが、帰ったらドクターに見て頂きましょう」

 怪我した手を労わるように、手を重ねてくるマシュに「そうだね。手当してくれてありがとう」とお礼を言って、立香もマシュの手を握る。

「マシュも、戦闘お疲れ様。いつもありがとう」

 そう言うと、マシュは笑って「いいえ。このくらい……私は、先輩のサーヴァントですから」と答えてくれた。
 ……自分を先輩と呼んでくれるこの少女の方が、勇気を振り絞って戦ってくれている……

 だから、こんな風に手がボロボロになるくらい、どうってことないのだ



「マスター」

 カルデアの廊下を歩いていたら声を掛けられた。

「オベロン」

 立香に声を掛けてきたのは、妖精王オベロン。
 彼女が初めてレイシフトした特異点F・炎上汚染都市冬木からカルデアに帰還した直後に行った英霊召喚で召喚に応じてくれたサーヴァントだ。
 召喚サークルが、虹色に輝きながら回転した後に立っていた彼はまさに御伽噺の中の妖精の王子様そのものという出で立ちで、初めて見た時はサーヴァントっていろんな人?がいるんだなぁ……とびっくりしたものだ。

「どうしたの?」
「うん。これから時間はあるかい?少し…僕に付き合って貰えないかな?」
「いいよ。何か面白いことでもあった?」

 オベロンは召喚してきた時に言っていた様に場を和ませることが得意なようで、楽しい話をしてカルデアの人達を笑わせたりしてくれる。
 人理修復の為に日々緊張の糸を張り詰めている中で、彼の話してくれる夢のような物語は数少ない娯楽となっていた。
 そんなオベロンだから、今回も立香は何か新しい話でもあるのかと尋ねた。

「あ~……面白いかどうかは分からないんだけどね……前々からマスターにあげたいと思っていたものがあって……」
「私に?」
「そう。いつも、人類ただ一人のマスターとして頑張る、君に」

 そう言って、オベロンは令呪の刻印された右手を取って持ち上げた。

「…オベロン…?」

 暫くジッと立香の指先を見たオベロンはすぐにいつもの柔和な王子様のような微笑みを浮かべた。

「マスター」

 柔らかいけれど、はっきりとした声で呼ばれる。
 オベロンの顔を見ると、冬の空のような瞳が真っ直ぐ立香に向けられていて少しドキッとしてしまう。

「僕が君に、ささやかだけど魔法をかけてあげよう」

 そう言って、妖精王はウインクをした。



 オベロンと向かった先は、立香のマイルームだった。
 オベロンは立香をベッドに座らせるとサイドテーブルを動かして立香の前に配置し、自分はその向かい側に椅子を持ってきて腰を下ろした。

「君に渡したいものというのは実はこれなんだ」

 そう言って、オベロンは小さな小瓶をテーブルに置いた。

「これ……マニキュア?」

 それは、爪を補強したり彩ったりするために使われるマニキュアであった。

「大正解!」

 見ればわかるものであったと思うが、この小瓶の正体を言い当てた立香をオベロンは少し大げさなほどに褒めた。
 立香はオベロンのリアクションに内心おかしな気持ちになりながらも「これどうしたの?」と尋ねた。

「僕が作ったんだ」
「オベロンが?」

 純粋に驚いた……マニキュアって作れるものだったのか……と思った。

「うん。ドクターやダ・ヴィンチにメディア、あとエミヤとキャスターのクー・フーリンと孔明に相談してね。少し特別なマニキュアを作らせてもらった」

 小瓶を手に取り、オベロンは少し揺らして見せた。
 瓶の中では透き通ったオレンジの、とろりとした液体が動くのがわかった。

「このマニキュアは、爪の補強ももちろんなんだけど君が扱う魔術礼装の魔術の効果の補助もしてくれる優れものなのさ!」

 どうだい?すごいだろう?というようにオベロンは胸を張る。
 そんなオベロンを見て立香はぱちくり……と目を瞬かせた。

「魔術の……効果の補助……?」
「そうとも!最近、戦闘服のガンドをよく使うようになっただろう?
……あれは大体のエネミーを拘束することができる強力なスキルだけど……あまり使いすぎると君にも負担が大きい……現に、今少し指先が痛んでいないかい?」

 そう言われて、立香は大きく目を見開いた。

「……気づいていたの……?」

 立香は自分の指先に視線を落とした。
 ……先日、ガンドをもっと上手く使えるようにと訓練でクールタイムをそれほど置かずにエネミーに当てたのだ。何度も打ったせいか、指先が痛む感覚はあったが少し休めば治まるだろうと誰にも言わずにいたのに……

「わかるとも。僕は君の、サーヴァントだからね」

 手元に落とした立香の視線に、自分のものではないすらりとした綺麗な男の手が入る。その指は、優しく立香の指先を労わるように触れた。

「頑張り屋のマスターも素敵だけど…無理は良くないよ?ここにはドクターもいるのだから、ちゃんと後で不調を伝えないと……」
「……うん……そうだね……ごめんなさい」
「……素直に謝れるのは、マスターの良い所だね。で、そんな訳でこのマニキュアってわけさ!」

 オベロンは再び小瓶を立香の目の前に置いた。

「このマニキュアは、ドクター達の監修の元、君が魔術を使う際に負担を軽くしてくれるような、そんな効果を付与して、僕が誠心誠意を籠めて作ったものさ!」
「そんなマニキュアまで作れるなんて、オベロンすごいね」
「僕は結構器用なのさ。戦いでの武器もお手製だしね」

 「手作りで失礼!」と言いながら武器を投げるオベロンの姿が頭に浮かび、ふふふっと笑ってしまう。

「よかったら、これからこのマニキュアを塗らせてもらってもいいかい?」
「オベロンが塗ってくれるの?」
「ああ!作った手前、いざ本人に塗ってもらった時の仕上がりも気になってしまってね!
それに……言っただろ?ささやかだけど、魔法をかけると」

 オベロンは立香の指先を優しく掬いとると、空いた方の手を胸に当てて恭しく頭を下げた。

「親愛なるマスター。どうかこの妖精王に、君の指先を彩る名誉をくれないかい?」

 わざわざ、こんなかしこまった態度でそんな事を言われるものだから何だかとても擽ったい気持ちになった。

 立香が生きていた中で、こんな風にお姫様の様に扱われたことは無かったのだから……

「……オベロンが良ければ、喜んで」

 擽ったさと、照れ臭い気持ちを滲ませるように口元を緩ませて立香は笑って答えた。



 そこから、オベロンの行動は早かった。
 すぐに熱すぎず温過ぎない温度のお湯を洗面器に用意して薬草を浮かべ、立香の手をしばらく浸した後、柔らかいタオルで丁寧に水気を拭った。そして、その手に丁寧に薬効成分のある特製のクリームを塗ってくれた。

「痛くはないかい?マスター」
「うん…さっきまで痛かったのが全然なくなっちゃった…」

 オベロンがクリームを丁寧に塗り込んでくれた後、痺れるような痛みがあった指から痛みが取れたのがわかった。

「それならよかった。気休め程度だったけどそこまで酷くなかったからか良く効いてくれたみたいだね」

 それから、オベロンは爪やすりで立香の爪の形を整えて、爪の表面もピカピカになるまで磨く。

「……ただマニキュア塗ってもらうだけだと思ってたから……ここまでしてくれるなんて思わなかった……」

 オベロンは立香が自分でもしたことないくらい、彼女の手をしっかりとケアして磨いてくれた。

「ただ、マニキュア塗るだけなんてとんでもない!まずは頑張っているマスターの手を労わってあげないとね」

 オベロンの丁寧なケアのお陰で、マスターになってからボロボロになってしまった手は元通りとはならなかったがかなり綺麗になった。

「すごい……ピカピカ……」

 磨き抜かれた爪は、何もつけていないはずなのにピカピカと輝いていて……それだけで立香は胸が弾むような気持だった。

「おや、まだ本番はこれからだよ。マスター」

 先に見せられたオレンジ色のマニキュア以外に、薄いミルクのような白のベースコートと透明のトップコートのマニキュアの小瓶を用意して、ベースコートの小瓶を捻りブラシを取り出した。

「さ、もう一度手を貸してごらん」

 差し出されたオベロンの手に、立香は彼に磨き抜かれた自分の手を素直に重ねた。
 オベロンは、これまた丁寧に立香の爪に丁寧にマニキュアを塗っていった。
 まずはベースコート。次に、オレンジのマニキュア。最後にトップコート。
 どれもすぐに乾くものだったので、そこまで時間をかけずに立香の指は鮮やかなオレンジに彩られた。

「わぁ……!」

 先程、磨き抜かれたピカピカの爪を見た時もわくわくしたがツヤツヤと色付いた自分の爪はそれはそれは……

「綺麗……」

 思わず、うっとりとした声で呟いてしまった。

「気に入ってくれたかい?」
「すごく」

 立香は自分の爪をキラキラとして目で見詰める。
 そんな彼女の様子に、オベロンは「なら良かった」と笑った。

「マスター。頑張り屋さんな女の子である君に、少しでもこのマニキュアが心を弾ませてくれたなら僕はとても嬉しいよ」
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