ハッピーエンドルート

 人間の足になったその日から、ケイローン先生の指導の元猛特訓が始まった。初日はとりあえず人間の足で立って歩くというのを覚える為にケイローン先生に支えて貰いながらひたすら足を動かした。
 それぞれ分かれた足を交互に前に出して前へと進むのは中々難しい。海の中では常に浮いていたからまず、二本の足で支えるというのから感覚を覚えなくてはいけなかったし、前に足を出しながら重心を移動させて行くというのも未知の感覚だ。

「上手ですよリツカ」

 ゆっくりとしか進めず、手を取って支えて貰いながらもまだ左右に体がブレてしまうのに、ケイローン先生は慣れない足を動かす私を褒めてくれた。

「今日は人間の足でできる基本的な動作をひたすら繰り返して体に覚えさせましょう」
「はい」
「明日からは実際にダンスの練習をしつつ人間の貴族社会の勉強もやっていきます。……本当は一つ一つ時間を取ってじっくり教えていきたいところですがいかんせん時間がありません」

 私の手を引いていたケイローン先生は、ふいにその場に立ち止まる。視線を足元から先生に移すと、真剣な顔でこちらを見ていた。

「リツカ。貴方が友人と踊りたいと望んでいる場所は貴族階級の人間が集まる重要な舞台です。そこでの印象が今後の人生を大きく左右すると言っても過言ではありません。」

 表情と同じ様に真剣な声音で、私にしっかりと言い聞かせるように先生は話す。

「わかりますか?リツカ。貴女が舞踏会で何か粗相をしたら、貴女だけでなく貴女をパートナーとして伴っている相手も恥をかくということです」

……私が失敗したら……オベロンが恥ずかしい思いをしてしまう。

(……それは、絶対に嫌だ。)

 私はぎゅっと自分の唇を引き結んでケイローン先生を見つめ返す。そんな私の様子を見て、ケイローン先生は少し目元を緩めた。

「私も全力で貴女に知識と教養を教え、ダンスもきちんと踊れるように叩き込みます。なので貴女も全力で挑んでくるように」
「はい!!」

 私は全力で頑張った。でも、オベロン達人間の貴族が生まれてからずっと学んで身に着けてきたこと……言葉遣いも、所作も、マナーも……何一つ身に付いていない私が完璧に覚えるには全力だけじゃ足りなくて…それこそ死ぬ気で挑まなくてはいけなかった。
 大変なのはそれだけじゃない…

「無理無理無理!」
「無理ではありません。慣れなさい」
「何で人間みんなこれで踊れるの!?」

 本命のダンスの特訓でも、まず舞踏会で踊るための靴を履いた時が大変だった。踵が高い上にとても細くて……それを初めて履いた時は足がプルプルしてしまい、しばらく一歩も動けなかった。
 それでも、ケイローン先生は指導の手を緩めず厳しく叱咤しつつ、けれど、上手くできたところはしっかりと褒めてくれながら私が舞踏会に出ても恥をかかない様に叩き込んでくれた。

「なんでそんなに頑張るんだ。人魚のお前が、行く必要のない舞踏会なんかのために」

 ダンスの練習をしている合間に、様子を見に来てくれたイアソンがヘトヘトになった私にそう言ってきた。それに、笑って答える。

「だって……大切なお友達が、言ってくれたことだから……」

 オベロンにとっては何気なく言ったことで、私が人間の足になって一緒に踊るなんて本気で思ったりしていないかもしれない。
 でも……

「可能性があるなら……諦めたくないの……」

 オベロンは素敵な男の子だから、もうとっくにパートナーを決めて、舞踏会にエスコートするのかもしれない。舞踏会に行ったって、私はオベロンとダンスを踊れないかもしれない。

 ……そもそも、私は舞踏会に行くことすらできないかもしれない……

 それでも、たくさんの人に助けられて人の足を手に入れた上に、私に必要なこと全てを教えてくれる先生までいるのだから……あとはもう、私自身の努力次第だ。

「最後まで、私、頑張るよ」

 そうして、死に物狂いで頑張って……五ヶ月目でケイローン先生から合格を貰った。

「今まで、よく頑張りましたね。リツカ。及第点です」

 その言葉を聞いた瞬間に涙が溢れ、ボロボロと目から零れた。

「ありがとうございます……!!」

 舞踏会まであと一ヶ月……正直、間に合わないかもしれないと思ったけれど、ケイローン先生に「舞踏会に出しても恥ずかしくない令嬢になりましたよ」と言われて心の底から嬉しかった。
 それから、人間社会にも繋がりがある知人達にまた助けを借り、とある貴族のお家の人に頼み込んで舞踏会へ行けるように手配をしてもらった。さらに偶然にも、そのお家の御令息がオベロンと親しいというので彼に会わせて欲しいというのもお願いした。

「オベロンと舞踏会で踊りたくて、人魚から人間になったんだって?」

 すごいね。と目を丸くする男の子……フジマルに、私はケイローン先生に叩き込まれた貴族の令嬢の顔で微笑みかける。

「はい。オベロン様と舞踏会で踊ることが、私の夢なのです」

 たった一度だけでもいい。一緒に踊れたなら…と言ってくれた事が何よりも嬉しかったから…その夢を叶えるために、私はこの一年たくさんの人に助けられながらも必死に頑張ってきた。そんな私の顔を、フジマルはしばらく見つめた後にこっと笑い返してくれた。

「そっか!……俺は、君を応援するよ」

 フジマルに「もしかしたらオベロンに会えないかもしれないけれど」と言われながらもオベロンの住んでいる家の近くまで一緒に連れて来てもらった。
 ……私が今いるのは、いつも私とオベロンが会って話していた砂浜。いつもは海から来ていた場所に今はこうして陸側からやって来るのは何だか不思議な気分だった。

「……いつも、ここでオベロンが来るのを楽しみにしていたっけ……」

 毎日の様にここに来てはオベロンとたくさんの話をするのが本当に好きだった。
 ……たった、一年前の事なのにその日々が酷く懐かしい。
 浜辺には、私一人しかいなかったので……こっそり靴を脱いで、いつもオベロンを待っていた波打ち際に素足で立つ。
 打ち寄せる波に、足を撫でられる感触を感じながら、キラキラと輝く水平線を眺めていると砂浜に誰かが走ってくる音がして……

「……リツ……カ……?」

 ―――私の名前を呼ぶ、懐かしい声。振り返った先に居たのは、私が知っている星を溶かしたような色の髪ではなく……夜に染まった様な髪の色をしている男の子。あまりにも印象が変わっていたから一瞬誰だかわからなくて首を傾げてしまったがすぐにオベロンだと気が付いた。

「オベロン!!」

 砂浜を蹴って、ずっと会いたかった友達の元へ走り出しす。

(ああ……私、もうただ波打ち際で待つだけじゃなくて……自分の足で走って、オベロンに会いに行けるんだ……!!)

 そのことに気付いて、ますます人間の足になってよかった!!と思いながら、私は両手を広げて大好きなオベロンを思いっきり抱き締めた。


 
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