【弁護士・嶋田光司】

「おやすみ」

妻に一声かけたあと、嶋田は書斎に入り、鍵をかけた。

革張りの椅子に深く腰をかけ、のけ反るように背中を伸ばすと、腰や背中にピリピリとした痛みが走った。

目の奥には長い年月をかけて蓄積された、澱のような疲れが、鈍い痛みを伴って居座っている。

弁護士として無我夢中で走ってきた18年。

レイプ被害者の弁護で白眉の活躍を演じ、また痴漢冤罪裁判における実証主義的検証方法と、冤罪に関する著述や公演でマスコミに取り上げられるなど、血気盛んな若手時代の活躍で、若くして個人事務所を構える人気弁護士となった。

抱えるスタッフも増え、経済的にも成功を収めた今。

疲労と無力感ばかりが自分を支配していることに、自嘲の笑みで口元が歪む。

性犯罪者の再犯率の高さが問題視されており、法曹界でも議論が百出していた。

嶋田が弁護を担当した小児性愛者の男が、出所後に児童に対する暴行で逮捕されたのは去年のことだった。


殺人にまで至る凄惨な性犯罪が増えるに従って「悪影響を与え、性犯罪を励起させる」との理由付けで、各種ポルノの規制が次々と強化されてゆく。

これまで規制が比較的緩かったアニメーションやマンガにまでその規制対象は広がり、ゆくゆくは官能小説等の活字メディアにさえ、その表現に関する規制が検討されそうな勢いである。

「メディアが人間を犯罪者に育て上げる」

嶋田にはとうていそうは思えなかった。

「エロ本差し入れてくれよ。せんずりもロクにさせてくれないのかよここは」

あの男が収監先で嶋田に言った言葉が脳裏をよぎる。

逆に過剰な規制強化は、開放されるべき情念のマグマを地下に封じ込め、ひいてはとてつもない大爆発を引き起こすのではないか、そう思っていた。