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短編集


まるで糸が解れて行くかのように、ゆっくりと体の感覚が指先から消えていく。それをぼんやりと感じながら思い浮かべるのはたった1人の事で、どこまでも正直な心情に笑ってしまう。
彼女は怒るだろうか。それとも泣くだろうか。いや、きっとどちらも心の内に秘めて、笑うのだろう。強がりで、本当は泣き虫な愛おしい人。小さかったあの少女は、いつの間にか大きくなり、比例するように自分の中でも大きな存在になっていた。何にも変え難い、大きな存在に。

「ほんとに、こんなことになるなんて思ってもなかったよ。なぁ。――アイゼン」
「……世話焼きもここまで来ると病気だな」
「久々に言葉交わすってのに、言うことに欠いてそれかよ」

白む視界には、懐かしい人影。これは白昼夢だろうかと思いながらも、こうして言葉を交わせる辺りそうじゃないらしい。皮肉の応酬はもう何百年もしていなかったはずなのにまるで昨日もしたかのような気軽さだ。

「……お前は、エドナがこの選択を喜ぶと思うのか」
「はっ、お前にだけは言われたくないね。あの子がどれだけお前の帰りを待ってたと思う? お前に送る為に書いた手紙を、どれだけ握り潰したと思う? 知らねぇとは言わせねぇぞ。お前は知っていながら、この道を選んだんだ。あの子がどう思うかも理解しながら、自身の志を貫いた。なのに今更俺の選択にケチ付けるたぁ自分勝手にも程があるんじゃねぇか」
「…………」

今までだってアイゼンと意見が合うことなんてほとんどなかった。だからいつもいがみ合い、言葉をぶつけ合う。同じようにあの子を案じ、あの子を思っているはずだったのに、俺たちは何処までも別の方向を見ていたように思う。ただ単に互いが気に食わないだけ、とういのも否めないが。

「あの子は強い。強くなった。お前が羽の生えたトカゲになって吠えてる間にな。残念だったな、今じゃ俺の方がエドナをよく知ってるんだぜ。だから――知ってるからこそ、選んだんだ」
「お前……」
「あの子が望むなら、何もかも背負ってあの子の隣に居る覚悟だって出来てた。でもやっぱり、俺じゃダメなんだよ。答えが出せない、それが答えだ」

最後に呼ばれた自分の名に乗せられた迷いは、手に取るように分かってしまって、だからこそ俺は答えを出した。
それが俺に出来る、最後の道標。

「せいぜい驚けばいいさ。強くなったあの子に。今代の導師と共に旅をして、世界を旅してきたあの子はもうお前を待っていただけの小さな女の子じゃない。お前が付けた花の名に恥じない心の持ち主になった。いや……お前が知らなかっただけで、あの子はずっと強かったんだ」

妹を思うあまりに向き合えなかった兄。兄を困らせまいと素直な気持ちを伝えられなかった妹。どこまでもすれ違った不器用な兄妹。いつの間にかそれは取り返しがつかなくなって、行き詰まった迷路の中でただただ迷い続けていた。でももう、それも終わりにしよう。

「だから、これは俺からの餞別だ。これ以上逃げることは許さねぇ。ちゃんと向き合って、言葉を交わして、あの子をちゃんと見ろ。今度泣かしたら化けて出てやるからな」

そんな冗談交じりの言葉も、奴は相変わらずのしかめっ面で受け取る。そう、それでいい。アイゼンの選んだ道はあの子からしたら身勝手で、理不尽だっただろう。だが、その生き方は、志を貫いた様は、認めざるを得ない〝アイゼン〟の生き様だった。

「……お前には世話をかけた」
「ふは、兄妹揃って変なところで素直だよなぁ、お前らは。まぁでも、俺も楽しかったさ」
「……何か言い残すことはあるか」

残された時間の少なさに、1度目を閉じ思いを巡らせる。最期だと言うのに、心は酷く落ち着いていた。

「あの子に一つだけ、いいか」
「言ってみろ」

言いたいことは沢山あった。でも、届けるのはこれだけでいい。君に願う、最期の願い。

「お前の幸せを願ってる。強く生きてくれ、[#ruby=早咲きのエドナ_ハクディム=ユーバ#]」

あの子と同じ色の瞳がこちらに向けられている。その真っ直ぐな瞳に、過去に向けられた信頼をそのまま返す様に笑みを返す。答えるように、眉間に皺を寄せたままのその顔も笑みを浮かべた。

「ちゃんと届けてくれよな」
「ふっ、どうだろうな。人の妹に手を出しておきながら生意気な奴だ」
「自分が撒いた種だぜ? 手紙を届けるのに俺をこき使ったことを精々後悔すればいいさ。ざまぁみろ」
「減らず口が。――だが、俺の目に狂いはなかった」

真っ直ぐ、紡がれた言葉は確かに俺に向けられている。あぁ、もう、本当に。だからお前を憎みきれないんだ。

「感謝する。[#ruby=凪のノーア_ラムール=ビア#]」
「今度はしくじるんじゃねぇぞ、探索者アイゼンウフェミュー=ウエクスブ



最後の音を吐き出し終えたと同時に、眩しいほどの白に包まれる。
あの子の未来を見られないことも、あの若い導師の行く末を見られないことも、心残りにならないと言えば嘘になるだろう。だが、それでも、この選択に後悔はない。
長く歩んで来た道の先に、自らが何か残せたと言うのならば、これ程喜ばしいことはない。
そして何より、あの子の望みを叶えてやれた。
それが例え最善の世界ではなかったとしても。
溶けていく思考の中で巡らせる思いは、今まで歩んできた長い道のりを辿る。

そうして俺は凪の海に帰るのだ。あの日、沈んだ海の底へ。
始まりのあの場所へ。


これは、正解でも間違いでもない。
それでも自らで選んだ答え。

凪の紡いだ、オブリガート。
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