海へ続く道
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「じゃあ茂一おじさん、行ってくるね」
「頼んだぞ、名前」
授業後、田岡先生……私にとっては叔父の茂一おじさんに呼ばれて体育館へと足を運んだ私は、バスケ部の備品の買い出しリストを受け取った。
茂一おじさんが指導をするこの陵南のバスケ部にはマネージャーがおらず、部員の誰かに買い出しを頼まなければいけない。
私はそこまでバスケは詳しくなかったけれど、入学時から親戚のよしみでよくお手伝いをしに来ていて、かれこれ2年半以上になっていた。
今回も私が買い出しに行くことで部員の皆が少しでも手が空くならと、喜んで引き受けた。
そんなやり取りをしていた私と茂一おじさんに対して、着替えて練習に来たばかりの越野くんが声をかけてきた。
「先生、名前さん一人でいいんですか」
「荷物はいつもより多いが、子供じゃないんだぞ。大丈夫だろう」
「今なんて雨上がりですよ。大量の荷物なんて持ったらどうせ滑って転んで撒き散らすのが目に見えるんですけど……」
「こ、越野くん、気をつけるから大丈夫!」
私はどうも運動音痴のドジで、バスケ部員の前でも何度かすっ転んでしまっている。そんな私がドジを踏む光景をずっと見てきた越野くんは、今日もどうせ同じようなことになるのではないかと懸念しているようだった。
「じゃあ、オレが名前さんについて行こうかな」
「仙道~、お前が行ったら絶対帰ってこなくなるだろうが!というかお前はキャプテンなんだから、ちゃんと部員の面倒見てろよな!」
「……はぁ、仕方ないな。悪い越野、付いてくれるか」
姪である私の鈍臭さをよく知っているからか、茂一おじさんは越野くんの懸念を否定しきることが出来ずに結局2人で行くことになってしまった。面目ない……。
仙道くんは何やら、ニコニコと暖かい目で越野くんを見ていた。
「よかったなあ、越野」
「……何がだよ」
こうして、私は越野くんと2人で電車で数駅先にあるスポーツ用品店へと向かうことになった。最寄りの陵南高校前駅への道のりを歩きながら、私は隣の越野くんへと話しかけた。
「越野くん、ごめんね。早く行って早く帰ってこようね」
「別に、気にしなくていいですよ。慌てる必要も無いんで」
「あっ……」
すると早速、私の右足がべちゃっ、と勢いよく大きくて深い水たまりに突っ込んでしまった。
「あーもう何やってんですか。ベタベタじゃないっすか。ちゃんと足元見てくださいよ」
「あはは……」
「やっぱ付いてきて正解でしたよ……」
越野くんはそんな私に対してハァ、と小さくため息をついた。
出だしから早くも、情けない姿を見られて越野くんに呆れられてしまうことになった。湿った靴下の感触が何とも嫌な感じだ。
「これでも昔に比べたら少しだけマシにはなったんだけどね。1年の時なんて魚住くんを巻き込んで転んで、乗っかかっちゃったことあったなあ……」
「は? 魚住さんに? 乗っかる……?」
その話を聞くと越野くんは固まってしまっていた。
まだ1年の始めの頃。体育館の掃除の手伝いをしている途中、転がっていたバスケットボールに躓いた私は、盛大にずっこけて目の前にいた魚住くんを押し倒す形になってしまった。当時の様子は、今思い出してもちょっぴり恥ずかしい。
今も相変わらず抜けているとは言われるけれど、自分のドジで他人を巻き込むことは近頃は無くなってきたし、転ぶこともだいぶ少なくなってきた。
「一応、少しずつ進歩してるんだ」
「それでもまだ名前さんはボケっとしすぎなんですよ……」
道中そんな苦い過去を思い出しながら、見晴らしの良い海の近くの陵南高校前駅まで着いて、緑の電車に揺られて進んでいった。
順調にお店に着くと、これまたモタモタとしている私に対して、越野くんはテキパキと手際よく動いて買い出しを終わらせた。備品の詰め込まれた買い物袋をひとつずつ持って、学校までの帰路を進みはじめる。
『ただいま緊急の車両点検のため30分程の遅れが出ています。お急ぎのところ申し訳ありませんが……』
帰りの電車に乗ろうとした私たちだったけれど、駅へ着くとそんな電車遅延のアナウンスが流れていたのだった。
「マジかよ……」
「ありゃ~。仕方ないね。ベンチに座って待ってようか」
足止めをくらった私たちは、ホームのベンチで電車が来るのを待った。
さすがにマイペースな私でも、隣に座る越野くんに対して申し訳ない気持ちになった。
夏のインターハイでは惜敗してしまい、冬の大会で何としてでも全国出場を目指したい彼らにとっては、練習時間は1分1秒でも惜しいはずだった。
「ごめんね越野くん、私に付き添ったばっかりに。早く練習したいよね……」
「別にいいっすよ。買い出しだって本当は部員のやることじゃないっすか。
名前さん、部員じゃねえのにいつも手伝ってくれてるし」
越野くんは少し照れくさそうに、私の顔を見ることなく、でも優しくそのように言ってくれた。
越野くんにはヘマをするたび呆れられてばかりだけれど、その実、マネージャーではなくともずっとバスケ部に関わってきた私を仲間として大切に思ってくれているということを、私はわかっている。
ベンチに座ってぼうっとホームの眺めを見ながら、数ヶ月前のことを思いだした。
「名前さん、今日部活来るんですか」
「うん。茂一おじさん忙しそうだから」
その日、バスケ部の練習が始まる前にたまたま越野くんと会った私は、一緒に体育館へと向かっていた。
魚住くんと池上くんが引退して、仙道くんが新キャプテンとなり新しい陵南の体制が始まって、少し経った頃だった。
「全く、仙道のマイペースには参りますよ。あんな緩いキャプテンじゃ後輩に示しがつかねえっす」
「仙道くん、コート上だとすごく頼もしいんだけどね。のんびり屋さんだから。でも、やる時はやるからきっと大丈夫だよ」
「……仙道もだけど、名前さんものんびりし過ぎですからね」
「そうだね~。私や仙道くんみたいなのんびり屋さんにはきっと越野くんみたいなしっかり者が必要なんだよ。
だから越野くん、仙道くんを支えてあげてね」
私がそのように言うと、越野くんは心無しか少しだけ顔が赤らんだ様子だった。
そんなやり取りをしていた私たちだったけれど、どこからともなく女の子の話し声が聞こえてきた。
「あの人、どうせ仙道くん目当てでマネもどきやってんでしょ。ドジなくせにね」
「わかりやすいよね~」
それは恐らく校内で抜群に人気のある仙道くんへ想いを寄せている女の子の、やっかみの言葉だった。明確に名指しはしていないけれど、その内容から私のことであると推測できた。
仙道くんと私はお互いにマイペースでのんびりしているからか、確かに気が合う関係だった。「今日も綺麗な空だねえ」と言いながら2人で突っ立ってニコニコと空をぼんやり眺めているなんてこともあった。
でも、本当にそれだけだ。仙道くんは私に対して異性としての気持ちなどかけらも無いだろうし、何より私が気になっていたのは、いつも私のドジに呆れつつも何だかんだ気にかけてくれている越野くんなのだから。
「……は?なんだよアイツら!」
「越野くん、いいよ」
「でも、あんな根も葉もないこと言われて、」
「いいから、私は気にしないよ。心当たりが無いなら堂々としてればいいんだもん」
「名前さんが良くてもオレが良くねえよ!」
声のした方向へと身を乗り出そうとした越野くんを、私は制止した。越野くんは、悪く言われた本人である私以上に悔しそうな顔をしていた。
「……名前さんは確かにドンくせえしノロマかもしれねえけどよ。
頑張ってる人に対してあんな言い方ねえだろ……。オレらが今までどんだけ名前さんに助けられてきたと思ってんだよ。
何も知らずに好き勝手言いやがって」
「そっかあ……」
「……何ヘラヘラ笑ってんですか。ムカつかないんですか」
私以上に悪口を気にしてプンプンと怒ってくれている越野くんを見て、その気持ちが嬉しくてこんな状況なのにも関わらずつい頬が緩んでしまった。
「たしかに、悪意のある言葉にはへこんじゃうけどね。
でも……それ以上に、越野くんが私のためにそこまで気にして怒ってくれてることの方がずっと嬉しい。だから平気だよ」
「…………!」
「おかげで、越野くんが私のこと頼りにしてくれてるのもわかっちゃったし。むしろ変なこと言われてラッキーなのかもしれないなあ」
「は……?」
越野くんは悔しさなどかけらも見せず、むしろニコニコとしている私に対して、何言ってんだこの人、と言いたげな目を向けた。
「あの子たち、もしかしたら何か嫌なことがあったのかもしれないよ。
それか仙道くんのことが本気で好きだから、ついイライラしちゃうのかな。それだけ強い気持ちってことなのかもね」
「いや違いますよ、完全に僻みですって……。
いくら名前さんのおめでたい頭でも、良い方向に持ってくのは無理ですから」
なんとも呑気な様子の私に対して、ハァ~と越野くんは大きなため息を漏らしたのだった。
……元々越野くんのことを気になってはいたけれど、初めて彼のことを好きだと明確に思ったのはこの時だった。
そんな出来事を思い出しながら電車を待っているうちに、時間は徐々に夕暮れ時へと差し掛かっていった。
「……ありがとう、越野くん」
「は?急になんですか?」
「ううん、なんでもないよ」
「……?」
あの時に感じていた感謝の気持ちを、聞こえないように小さくボソッと言ったつもりだったけれど、しっかりと聞こえてしまっていた。越野くんは不思議そうに私を見ていた。
そしていよいよ、お待ちかねの電車がアナウンス通りの30分遅れでホームへと到着した。
私たちは緑の車両にガタンゴトンと揺られ、徐々に街中から海の広がる景色へと近づいていく。
車窓から見える海沿いの風景は、真っ黄色な夕焼け空になっていた。雨上がりだからなのか、澄んだ空気の薄い雲の合間から、優しく美しい黄金色が空一面に広がっていた。
「わあ、もしかしたら今までで1番の眺めかも」
「すげえ……」
私たちを含めたいくつかの乗客が、その夕焼けの光景に思わず見入ってしまう。そして私たちを乗せた緑の車両は、陵南高校前駅へと着いた。
電車を降りて、見晴らしの良いホームから黄色い夕焼け空に照らされた海を眺める。私たち以外にも、ため息をついてその場を動かない乗客の姿がポツポツと見られた。
予定通り30分前に着いていたら、きっとまだ空は青かっただろう。
「越野くん……これは多分、電車が遅れてなかったら見られなかった景色だよ。
たまには、のんびり進むのも悪くないね。
いつも練習がんばってる越野くんへのご褒美だったりして!」
「…………」
輝くこがね色の夕日に色付けられた空と海を、越野くんは口を真っ直ぐに閉じ目を見開いてじいっと見つめていた。越野くんはこの風景を見て今、何を感じているのだろうか。
私はいつも、この穏やかな海に勇気を貰っていた。いつもポヤポヤしてると思われている私にだって、時には辛いこともある。何もかもがうまくいかなくて気分が沈むこともある。
でも、そんな時にこの陵南高校前駅の前面に広がる、キラキラと波を打つ遥かな大海原を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。
「いつも思ってるけど、ここから見える景色ってなんでこんなに綺麗なんだろ」
そして今日は一段と、夕暮れの黄金色の光に照らされてゆらゆらと揺れる波の煌めきが、なんだか泣きそうになってしまうくらいに優しく感じて、ノスタルジックな気持ちにさせられる。
のんびりと過ごしていたつもりだったのに、あっという間に3年生も後半の時期になってしまった。この海沿いの風光明媚な景観に包まれた陵南で過ごす愛おしい日々も、あともう数ヶ月で終わってしまう。
終わりが近づいていくのは切なくて寂しい。だけど、きっと時間が進むことを悲観していたら、もっと楽しい未来の可能性まで色を失ってしまうのではないか。卒業までにもしかしたら、今日以上に綺麗な景色が見れてしまう可能性だってあるはずなのだから。その時はまた、隣にいる越野くんと一緒に見れたらいいな。などと、そんな風に思ってしまう。
「もしかして、越野くんといっしょに見てるからなのかも」
「名前さんのそういうとこ、マジで苦手なんですって……」
ニコリと笑った私に対して、ぷいっと逸らされた越野くんの顔が真っ赤に染まっているのは、けして夕陽に照らされているせいではないということはわかっている。
越野くんは、私のことが大好きだ。鈍いと言われてばかりの私でも彼の愛情を、実の所はわかってはいるけれど。私の幼稚な乙女心が、ちゃんと真っ直ぐに気持ちを伝えて欲しいと願ってしまう。
だから、ちゃんと越野くんから告白してくれないと応えてあげない。ゆっくりでいいから。私は私らしくのんびりと、君が素直に気持ちをぶつけてくれるその日が来るのを待っているよ。
「……名前さん」
「……!」
そんなことを思いながら駅を出ると、越野くんは赤みがかかったままのムッとした顔で、私に荷物を持っていない方の手を差し出してきた。
「……学校着くまでに転ばれたらオレが困るんですよ」
「へへ……」
照れくさそうに目線を合わさない越野くんを見て、思わず頬が緩んでしまう。私の手がそっと越野くんの手に触れると、ためらいがちに優しく掴まれた。越野くんに負けないくらい、顔の熱が上がっていくのを感じる。そうして手を重ねて動きはじめた二つの夕影が、長く伸びていく。
今日も明日も、越野くんは遅くまで練習だ。練習後の帰り道は、今みたいな優しい夕焼け空は見られないくらい暗くなってしまうけれど。
たしか天気予報では、明日は快晴のはずだった。明日も最後までお手伝いしに行こうかな。そしたら、越野くんときれいな星空を見ながら駅まで一緒に帰ろうか。
【完】
「頼んだぞ、名前」
授業後、田岡先生……私にとっては叔父の茂一おじさんに呼ばれて体育館へと足を運んだ私は、バスケ部の備品の買い出しリストを受け取った。
茂一おじさんが指導をするこの陵南のバスケ部にはマネージャーがおらず、部員の誰かに買い出しを頼まなければいけない。
私はそこまでバスケは詳しくなかったけれど、入学時から親戚のよしみでよくお手伝いをしに来ていて、かれこれ2年半以上になっていた。
今回も私が買い出しに行くことで部員の皆が少しでも手が空くならと、喜んで引き受けた。
そんなやり取りをしていた私と茂一おじさんに対して、着替えて練習に来たばかりの越野くんが声をかけてきた。
「先生、名前さん一人でいいんですか」
「荷物はいつもより多いが、子供じゃないんだぞ。大丈夫だろう」
「今なんて雨上がりですよ。大量の荷物なんて持ったらどうせ滑って転んで撒き散らすのが目に見えるんですけど……」
「こ、越野くん、気をつけるから大丈夫!」
私はどうも運動音痴のドジで、バスケ部員の前でも何度かすっ転んでしまっている。そんな私がドジを踏む光景をずっと見てきた越野くんは、今日もどうせ同じようなことになるのではないかと懸念しているようだった。
「じゃあ、オレが名前さんについて行こうかな」
「仙道~、お前が行ったら絶対帰ってこなくなるだろうが!というかお前はキャプテンなんだから、ちゃんと部員の面倒見てろよな!」
「……はぁ、仕方ないな。悪い越野、付いてくれるか」
姪である私の鈍臭さをよく知っているからか、茂一おじさんは越野くんの懸念を否定しきることが出来ずに結局2人で行くことになってしまった。面目ない……。
仙道くんは何やら、ニコニコと暖かい目で越野くんを見ていた。
「よかったなあ、越野」
「……何がだよ」
こうして、私は越野くんと2人で電車で数駅先にあるスポーツ用品店へと向かうことになった。最寄りの陵南高校前駅への道のりを歩きながら、私は隣の越野くんへと話しかけた。
「越野くん、ごめんね。早く行って早く帰ってこようね」
「別に、気にしなくていいですよ。慌てる必要も無いんで」
「あっ……」
すると早速、私の右足がべちゃっ、と勢いよく大きくて深い水たまりに突っ込んでしまった。
「あーもう何やってんですか。ベタベタじゃないっすか。ちゃんと足元見てくださいよ」
「あはは……」
「やっぱ付いてきて正解でしたよ……」
越野くんはそんな私に対してハァ、と小さくため息をついた。
出だしから早くも、情けない姿を見られて越野くんに呆れられてしまうことになった。湿った靴下の感触が何とも嫌な感じだ。
「これでも昔に比べたら少しだけマシにはなったんだけどね。1年の時なんて魚住くんを巻き込んで転んで、乗っかかっちゃったことあったなあ……」
「は? 魚住さんに? 乗っかる……?」
その話を聞くと越野くんは固まってしまっていた。
まだ1年の始めの頃。体育館の掃除の手伝いをしている途中、転がっていたバスケットボールに躓いた私は、盛大にずっこけて目の前にいた魚住くんを押し倒す形になってしまった。当時の様子は、今思い出してもちょっぴり恥ずかしい。
今も相変わらず抜けているとは言われるけれど、自分のドジで他人を巻き込むことは近頃は無くなってきたし、転ぶこともだいぶ少なくなってきた。
「一応、少しずつ進歩してるんだ」
「それでもまだ名前さんはボケっとしすぎなんですよ……」
道中そんな苦い過去を思い出しながら、見晴らしの良い海の近くの陵南高校前駅まで着いて、緑の電車に揺られて進んでいった。
順調にお店に着くと、これまたモタモタとしている私に対して、越野くんはテキパキと手際よく動いて買い出しを終わらせた。備品の詰め込まれた買い物袋をひとつずつ持って、学校までの帰路を進みはじめる。
『ただいま緊急の車両点検のため30分程の遅れが出ています。お急ぎのところ申し訳ありませんが……』
帰りの電車に乗ろうとした私たちだったけれど、駅へ着くとそんな電車遅延のアナウンスが流れていたのだった。
「マジかよ……」
「ありゃ~。仕方ないね。ベンチに座って待ってようか」
足止めをくらった私たちは、ホームのベンチで電車が来るのを待った。
さすがにマイペースな私でも、隣に座る越野くんに対して申し訳ない気持ちになった。
夏のインターハイでは惜敗してしまい、冬の大会で何としてでも全国出場を目指したい彼らにとっては、練習時間は1分1秒でも惜しいはずだった。
「ごめんね越野くん、私に付き添ったばっかりに。早く練習したいよね……」
「別にいいっすよ。買い出しだって本当は部員のやることじゃないっすか。
名前さん、部員じゃねえのにいつも手伝ってくれてるし」
越野くんは少し照れくさそうに、私の顔を見ることなく、でも優しくそのように言ってくれた。
越野くんにはヘマをするたび呆れられてばかりだけれど、その実、マネージャーではなくともずっとバスケ部に関わってきた私を仲間として大切に思ってくれているということを、私はわかっている。
ベンチに座ってぼうっとホームの眺めを見ながら、数ヶ月前のことを思いだした。
「名前さん、今日部活来るんですか」
「うん。茂一おじさん忙しそうだから」
その日、バスケ部の練習が始まる前にたまたま越野くんと会った私は、一緒に体育館へと向かっていた。
魚住くんと池上くんが引退して、仙道くんが新キャプテンとなり新しい陵南の体制が始まって、少し経った頃だった。
「全く、仙道のマイペースには参りますよ。あんな緩いキャプテンじゃ後輩に示しがつかねえっす」
「仙道くん、コート上だとすごく頼もしいんだけどね。のんびり屋さんだから。でも、やる時はやるからきっと大丈夫だよ」
「……仙道もだけど、名前さんものんびりし過ぎですからね」
「そうだね~。私や仙道くんみたいなのんびり屋さんにはきっと越野くんみたいなしっかり者が必要なんだよ。
だから越野くん、仙道くんを支えてあげてね」
私がそのように言うと、越野くんは心無しか少しだけ顔が赤らんだ様子だった。
そんなやり取りをしていた私たちだったけれど、どこからともなく女の子の話し声が聞こえてきた。
「あの人、どうせ仙道くん目当てでマネもどきやってんでしょ。ドジなくせにね」
「わかりやすいよね~」
それは恐らく校内で抜群に人気のある仙道くんへ想いを寄せている女の子の、やっかみの言葉だった。明確に名指しはしていないけれど、その内容から私のことであると推測できた。
仙道くんと私はお互いにマイペースでのんびりしているからか、確かに気が合う関係だった。「今日も綺麗な空だねえ」と言いながら2人で突っ立ってニコニコと空をぼんやり眺めているなんてこともあった。
でも、本当にそれだけだ。仙道くんは私に対して異性としての気持ちなどかけらも無いだろうし、何より私が気になっていたのは、いつも私のドジに呆れつつも何だかんだ気にかけてくれている越野くんなのだから。
「……は?なんだよアイツら!」
「越野くん、いいよ」
「でも、あんな根も葉もないこと言われて、」
「いいから、私は気にしないよ。心当たりが無いなら堂々としてればいいんだもん」
「名前さんが良くてもオレが良くねえよ!」
声のした方向へと身を乗り出そうとした越野くんを、私は制止した。越野くんは、悪く言われた本人である私以上に悔しそうな顔をしていた。
「……名前さんは確かにドンくせえしノロマかもしれねえけどよ。
頑張ってる人に対してあんな言い方ねえだろ……。オレらが今までどんだけ名前さんに助けられてきたと思ってんだよ。
何も知らずに好き勝手言いやがって」
「そっかあ……」
「……何ヘラヘラ笑ってんですか。ムカつかないんですか」
私以上に悪口を気にしてプンプンと怒ってくれている越野くんを見て、その気持ちが嬉しくてこんな状況なのにも関わらずつい頬が緩んでしまった。
「たしかに、悪意のある言葉にはへこんじゃうけどね。
でも……それ以上に、越野くんが私のためにそこまで気にして怒ってくれてることの方がずっと嬉しい。だから平気だよ」
「…………!」
「おかげで、越野くんが私のこと頼りにしてくれてるのもわかっちゃったし。むしろ変なこと言われてラッキーなのかもしれないなあ」
「は……?」
越野くんは悔しさなどかけらも見せず、むしろニコニコとしている私に対して、何言ってんだこの人、と言いたげな目を向けた。
「あの子たち、もしかしたら何か嫌なことがあったのかもしれないよ。
それか仙道くんのことが本気で好きだから、ついイライラしちゃうのかな。それだけ強い気持ちってことなのかもね」
「いや違いますよ、完全に僻みですって……。
いくら名前さんのおめでたい頭でも、良い方向に持ってくのは無理ですから」
なんとも呑気な様子の私に対して、ハァ~と越野くんは大きなため息を漏らしたのだった。
……元々越野くんのことを気になってはいたけれど、初めて彼のことを好きだと明確に思ったのはこの時だった。
そんな出来事を思い出しながら電車を待っているうちに、時間は徐々に夕暮れ時へと差し掛かっていった。
「……ありがとう、越野くん」
「は?急になんですか?」
「ううん、なんでもないよ」
「……?」
あの時に感じていた感謝の気持ちを、聞こえないように小さくボソッと言ったつもりだったけれど、しっかりと聞こえてしまっていた。越野くんは不思議そうに私を見ていた。
そしていよいよ、お待ちかねの電車がアナウンス通りの30分遅れでホームへと到着した。
私たちは緑の車両にガタンゴトンと揺られ、徐々に街中から海の広がる景色へと近づいていく。
車窓から見える海沿いの風景は、真っ黄色な夕焼け空になっていた。雨上がりだからなのか、澄んだ空気の薄い雲の合間から、優しく美しい黄金色が空一面に広がっていた。
「わあ、もしかしたら今までで1番の眺めかも」
「すげえ……」
私たちを含めたいくつかの乗客が、その夕焼けの光景に思わず見入ってしまう。そして私たちを乗せた緑の車両は、陵南高校前駅へと着いた。
電車を降りて、見晴らしの良いホームから黄色い夕焼け空に照らされた海を眺める。私たち以外にも、ため息をついてその場を動かない乗客の姿がポツポツと見られた。
予定通り30分前に着いていたら、きっとまだ空は青かっただろう。
「越野くん……これは多分、電車が遅れてなかったら見られなかった景色だよ。
たまには、のんびり進むのも悪くないね。
いつも練習がんばってる越野くんへのご褒美だったりして!」
「…………」
輝くこがね色の夕日に色付けられた空と海を、越野くんは口を真っ直ぐに閉じ目を見開いてじいっと見つめていた。越野くんはこの風景を見て今、何を感じているのだろうか。
私はいつも、この穏やかな海に勇気を貰っていた。いつもポヤポヤしてると思われている私にだって、時には辛いこともある。何もかもがうまくいかなくて気分が沈むこともある。
でも、そんな時にこの陵南高校前駅の前面に広がる、キラキラと波を打つ遥かな大海原を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。
「いつも思ってるけど、ここから見える景色ってなんでこんなに綺麗なんだろ」
そして今日は一段と、夕暮れの黄金色の光に照らされてゆらゆらと揺れる波の煌めきが、なんだか泣きそうになってしまうくらいに優しく感じて、ノスタルジックな気持ちにさせられる。
のんびりと過ごしていたつもりだったのに、あっという間に3年生も後半の時期になってしまった。この海沿いの風光明媚な景観に包まれた陵南で過ごす愛おしい日々も、あともう数ヶ月で終わってしまう。
終わりが近づいていくのは切なくて寂しい。だけど、きっと時間が進むことを悲観していたら、もっと楽しい未来の可能性まで色を失ってしまうのではないか。卒業までにもしかしたら、今日以上に綺麗な景色が見れてしまう可能性だってあるはずなのだから。その時はまた、隣にいる越野くんと一緒に見れたらいいな。などと、そんな風に思ってしまう。
「もしかして、越野くんといっしょに見てるからなのかも」
「名前さんのそういうとこ、マジで苦手なんですって……」
ニコリと笑った私に対して、ぷいっと逸らされた越野くんの顔が真っ赤に染まっているのは、けして夕陽に照らされているせいではないということはわかっている。
越野くんは、私のことが大好きだ。鈍いと言われてばかりの私でも彼の愛情を、実の所はわかってはいるけれど。私の幼稚な乙女心が、ちゃんと真っ直ぐに気持ちを伝えて欲しいと願ってしまう。
だから、ちゃんと越野くんから告白してくれないと応えてあげない。ゆっくりでいいから。私は私らしくのんびりと、君が素直に気持ちをぶつけてくれるその日が来るのを待っているよ。
「……名前さん」
「……!」
そんなことを思いながら駅を出ると、越野くんは赤みがかかったままのムッとした顔で、私に荷物を持っていない方の手を差し出してきた。
「……学校着くまでに転ばれたらオレが困るんですよ」
「へへ……」
照れくさそうに目線を合わさない越野くんを見て、思わず頬が緩んでしまう。私の手がそっと越野くんの手に触れると、ためらいがちに優しく掴まれた。越野くんに負けないくらい、顔の熱が上がっていくのを感じる。そうして手を重ねて動きはじめた二つの夕影が、長く伸びていく。
今日も明日も、越野くんは遅くまで練習だ。練習後の帰り道は、今みたいな優しい夕焼け空は見られないくらい暗くなってしまうけれど。
たしか天気予報では、明日は快晴のはずだった。明日も最後までお手伝いしに行こうかな。そしたら、越野くんときれいな星空を見ながら駅まで一緒に帰ろうか。
【完】
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