思い出のスパナ
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3月某日、山王工業高校卒業式の日。2年生の名前は在校生の1人として卒業式の式典に参列していた。
雪国であるこの秋田県ではまだ、出会いと別れの時期の象徴ともいえる桜の樹は全く色をつけておらず、未だに冷気が厳しく残っている。だが凍えるような雪が積もる冬の真っ只中からは、ようやく微かに暖かな春へと向かう兆しが見えはじめた頃だ。
「えーでは卒業生の皆さん、この山王での仲間との出会いが皆さんの一生の宝になりますことを……。」
式典ではどうやら校長やら町長やらが良い話をしているようだが、とある思案を巡らせてる名前の頭にはまるで内容は入ってはいなかった。
(うう、深津先輩~……。結局最後まで話しかけられなかったな……。)
席に座りながら名前は、深津の顔を思い浮かべていた。
名前は入学して間もなく、1つ学年が上の深津のことが一目惚れに近く気になった。深津の姿を追ううちに明確に好きになっていったのだが、決して積極的ではない名前はこの2年間、一度も深津に話しかけることができなかった。ずっと遠くから見ていることしかできなかったのである。
しかし、今日はいつもとは違う様子であった。
(でも今日だけは……何としてでも話しかけて、私の青春の思い出として深津先輩の『アレ』を貰うから……!)
明日からは憧れの深津はもうここには居ない。
だからほんの僅かでいい、最後に深津との淡い青春の思い出を作る。そのように堅く心に誓っていた。
式が終わり後片付けを手伝っていると、名前の決意を知る親しい友人たちが彼女に話しかけた。
「名前ちゃん、今日はがんばって!」
「絶対途中で引き返すんじゃないよ?」
「うん……ありがとう。」
こうして友人に背中を押された名前は後片付けを終えていよいよ、バスケ部が集まっていると聞く体育館近くの一角へと向かって行った。
「本当にココに集まってる……。」
名前が聞いていた話の通り、体育館の付近にバスケ部員たちは集まっていた。
部員たちはワイワイと卒業アルバムを見て笑ったり、仲間内で寄せ書きし合っている様子であった。
それにしても、山王のバスケ部の集団というのは何とも近寄りがたい雰囲気があった。
それは統一された坊主頭が軍隊のような一体感を出していたり、彼らの背格好が大きいというのもあるのだが、王者山王の看板を背負ってきた彼らには独特の威厳というものが感じられ、名前は勝手に圧倒されてしまっていた。
(そう言えば……沢北くんも最初はどう接していいか分からなかったなあ。)
そんなガタイの良い坊主たちの集団を遠目で見ながら名前はふと、クラスメイトで今はアメリカに留学している沢北のことを思い出した。
バスケ部に入ってまもなくエースとして活躍し始めた沢北に対して、名前も最初は勝手に萎縮していた。そんな沢北と名前だったが機械科の実習でよく同じチームで作業することがあり、そのうち沢北の勉強をたびたび手伝うようになったりと親しくなっていったのである。
「でも、沢北くんは意外と気さくで親しみやすかったな。今日もアメリカで元気にバスケやってるかなあ~。」
などと、思わず今はここにはいない遠く太平洋の彼方のエースへと意識が脱線してしまっていた。
名前は勝手に頭の中で、「名字さんなら大丈夫だって!」と笑って励ます沢北の顔を思い浮かべた。
……実際の沢北は、そのような事を言ったことはないのだが。
「って、違うか……。沢北くん、私はやってみせます!」
だが、名前にとって何よりも今重要なのは大好きな深津のことである。
やや遠目から深津の姿を確認すると名前は、緊張感からドクドクと鼓動が高鳴ってきた。
「うう、やっぱり止めておこうかなっ……。
いやいや、ここで諦めちゃダメだよ!今日は絶対、深津先輩との最初で最後の思い出を作るって決めたんだから!
がんばれ~!私!」
沢北くんだって応援してくれているんだもん!と、自分に鼓舞を入れて意を決した名前は、バスケ部員たちの前へと身を乗り出して行った。
なお、実際の沢北は名前の恋心については全く知ってはいない。
「あ、あの、深津先輩!」
名前が思い切って深津を呼ぶと当然ながら、大柄な男所帯の中で突然現れた彼らよりずっと小柄な女子の名前に対して、注目が一気に集まってきた。
名前はドクリと気圧された。だがもうここまで来たら後には引けなかった。名前は懸命に口を開こうとした。
「……呼んだピョン?」
「あっ、バスケ部の先輩の皆さん、ご卒業おめでとうございます!
それで……深津先輩!えっと、わたし、ずっと深津先輩のファンでした!
少しだけ、お話できないでしょうか?」
「うん。いいピョン。」
名前は深津に視線を向けて懸命に気持ちを伝えた。
そんな見るからに緊張している様子の名前に対して、深津はあっさりと至極冷静に返答をする。
「じゃ、じゃあ少し人目のつかないところに行きたいです……。」
こうして男所帯の学ランの坊主集団から、名前と共に深津は抜けていった。
「……何あれ、いいなあ。」
「なんで深津だけ女の子に話しかけられんだよ……。」
「キャプテンだからなのか……?」
この日も全く女っ気が無かった他のバスケ部員たちは、切ない羨望の込もった眼差しで、トコトコ歩く名前に付いていく深津の背中を見送った。
……そして、好奇心に逆らえなかった河田・野辺・一之倉・松本は隠れてこっそりと名前と深津の様子を伺うことにしたのである。
それから少し離れた場所で、名前は深津と向き合った。
(うわ~!本当に深津先輩と2人になっちゃった。こんな近くで見たの初めてだよ……。
やばい!どうしよう、どうしよう……。)
「それで、話って何ピョン?」
名前は人知れず2年間も思いを寄せていた深津と初めてまともに対面し、思わず眉が下がって唇をキュッと結んだ。
そして、何とか言葉を紡いでいく。
「あの、突然すみません……。深津先輩とは今までお話したことなかったですけど、私……高校に入ってからの2年間ずっと先輩に憧れてたんです。」
名前はいつになく真剣な面持ちで、深津の目を見上げながら気持ちを伝えた。
そんな名前の熱い好意が込められた言葉を聞いても深津は特に顔つきを変えることなく、じっと名前の言葉の続きを待つ。
「深津にずっと女の子のファンがいたのかよ……。」
「沢北だけだと思ってたよね。」
「あんな事言われてみてえな……。」
「というかアイツこんな時でも動じねえな。」
そんな彼らの様子を物陰からこっそりと見守る4人組が、小声でヒソヒソと話し合う。
「えっと、なので……思い出として深津先輩の……。」
名前はずっと好きだった深津が、視線を自分に向けていることを意識をしてしまい、ますます恥じらう様子を見せた。
「青春だなー。」
「間近でこの光景を見るとはな。」
「間違いなくアレだよね、アレ。」
学ランの男子、好意を持つ女の子、そして卒業式……。その場にいる誰もが、名前が次に続けるであろう言葉を確信していた。
「せ、先輩のぉぉ……。」
(頑張れ~!女子!)
(大丈夫だ、言え!)
好奇心と深津へのやっかみの気持ちから状況を見守っていた4人だが、目をぐるぐるとさせて顔を赤くしている名前のしおらしさに、思わず応援モードになってしまった。
そして名前は、いよいよその場にいる皆が想定する言葉を出した。
「……実習で使っていた工具を私にいただけないでしょうか!?」
……かのように思えたのだが。
名前が深津からの思い出として授かりたいと願っていたのは、深津が実習で使っていた工具だった。
「そうそう、卒業式といえばボタンだよな~。」
「……って、あれ?」
「ボタンじゃないのか!?」
「……なんで工具?」
卒業式の定番の第二ボタンなどではなくどういうわけか工具を所望した名前に、野次馬の4人は意表を突かれた。
「いいよ、あげるピョン。
でも教室に戻らないと工具箱ないピョン。
このまま少し待っててピョン。」
「……!は、はいっ!」
しかし、思わずズッコケそうだった4人とはまるで違い、急に工具を欲しがられても深津は全く動じることはなかった。
名前の願いをさらりと快諾すると深津は名前に待つように告げ、いったんその場を離れていった。
「…………。」
(ギクッ……。)
途中、物陰から覗いていた河田・野辺・一之倉・松本を深津は真顔で何も言わずにちらりと一瞥した。
盗み聞きしていたという若干の後ろめたさで4人は少し冷や汗が出たが、見られていても深津は特に気にしている様子はなかった。
「わあ~。
深津先輩の生ピョンが聞けちゃったよ……。
やっぱり話しかけてよかった……!」
深津が去った後、1人で待つ名前は深津と話せたことにしみじみと感動していた。
そんな名前の様子を最後に見て野次馬の4人はまあ充分楽しんだかと思い、そっとその場から離れることにした。
「深津の奴……女子からあんなに好かれてたなんてな。」
「でもこれでお別れって何かあの子可哀想だね。」
「深津東京の学校行くしなあ……。」
「どうだろうな。縁があれば続くこともあるべ。」
それから少し時間を置いて、深津が名前の元へと戻ってきた。その手には、名前のお願いの通りにしっかりとスパナが握られている。
「はい、お待たせピョン。」
「先輩、わざわざ取りに行ってくださってありがとうございます……!」
名前がスパナを受け取ると、まだ深津の握っていた人肌の温もりが残っていた。その温かみを感じると、名前はずっと密かに積み上がっていた2年間の深津への想いが、じわじわと心にこみ上がり切ない気持ちになった。
「……深津先輩、とっても嬉しいです!
これさえあればこれからの実習、いくらでも頑張れます!
大学でもバスケ、頑張ってください!」
名前はこれからはもう深津を見ることが出来ないお別れの悲しさと、せめてもの最後の思い出を作れたことへの感慨深さで、半泣きになりつつもパアアと華やかな笑顔を深津へと見せた。
「あと、これもあげるピョン。」
続けて、そんな名前に対して深津は、東京都から続く住所の書かれたノートの切れ端と、校章と同じデザインの金色のボタンを手渡した。
深津と対面するので精一杯な名前は全く気が付いてはいなかったが、深津の学ランの2つ目のボタンはいつの間にか外れていたのである。
「深津先輩、これは……。」
「東京に来た時はいつでも遊びに来てほしいピョン。」
「えっ……!?」
「手紙も待ってるピョン、名字さん。」
深津は少し優しい声色で名前にそう告げた。この時の深津は、いつもよりほんのりと柔らかさのある表情で、ほんのわずかだが口角が上がっているように見えた。
「深津先輩っ……!」
名前は目を見開いてそんな深津の表情に見とれた。
この深津の一連の行動により名前は、たとえ明日から学校に深津の姿が無いとしても、深津のことを忘れられるわけがなかった。
恐らく1年ほどは、深津に差し出す手紙の文面のことで何度も何度も頭を悩ませることだろう。
その後、深津は「そろそろ戻るピョン。」と言って仲間たちの元へと帰って行った。
名前は胸の高鳴りが収まらず、しばらくその場でぼーっと立ちすくんでいた。
「あれっ。でも深津先輩、なんで私の名前知ってたのかな……?」
ーーこれは、とある日の校内での練習試合のことである。
ふと観客席を見渡した沢北が、練習試合を見に来ている観客の中に名前の姿を見つけた。
「あ、名字さんだ!」
よく勉強を助けられているクラスメイトの名前に対して、沢北は親しみを込めて笑顔で軽く手を振った。
名前はそんな沢北に、同じく控えめに手を振り返した。
「……あの女の子、名字さんって言うピョン?」
「ん?深津さん、名字さんのこと気になるんですか?
いいと思いますよ~。名字さんいい子ですから。昨日も宿題手伝ってくれたし!」
「沢北、宿題は自力でやるピョン。」
洞察力の高い深津は、時々どことなく感じる名前からの熱視線に気が付いていたのである。
もちろん、その日も名前は何回かちらりと深津へ憧憬の眼差しを向けていた。
そしてこれから1年ほど先の未来では、名前は東京の学校へと進学し深津と再開することになるのだが……。
秋田の春は、まだまだ遠い。だが何はともあれ今の名前には、深津から譲り受けたスパナだけで心に満開の花を咲かせていた。
【完】
雪国であるこの秋田県ではまだ、出会いと別れの時期の象徴ともいえる桜の樹は全く色をつけておらず、未だに冷気が厳しく残っている。だが凍えるような雪が積もる冬の真っ只中からは、ようやく微かに暖かな春へと向かう兆しが見えはじめた頃だ。
「えーでは卒業生の皆さん、この山王での仲間との出会いが皆さんの一生の宝になりますことを……。」
式典ではどうやら校長やら町長やらが良い話をしているようだが、とある思案を巡らせてる名前の頭にはまるで内容は入ってはいなかった。
(うう、深津先輩~……。結局最後まで話しかけられなかったな……。)
席に座りながら名前は、深津の顔を思い浮かべていた。
名前は入学して間もなく、1つ学年が上の深津のことが一目惚れに近く気になった。深津の姿を追ううちに明確に好きになっていったのだが、決して積極的ではない名前はこの2年間、一度も深津に話しかけることができなかった。ずっと遠くから見ていることしかできなかったのである。
しかし、今日はいつもとは違う様子であった。
(でも今日だけは……何としてでも話しかけて、私の青春の思い出として深津先輩の『アレ』を貰うから……!)
明日からは憧れの深津はもうここには居ない。
だからほんの僅かでいい、最後に深津との淡い青春の思い出を作る。そのように堅く心に誓っていた。
式が終わり後片付けを手伝っていると、名前の決意を知る親しい友人たちが彼女に話しかけた。
「名前ちゃん、今日はがんばって!」
「絶対途中で引き返すんじゃないよ?」
「うん……ありがとう。」
こうして友人に背中を押された名前は後片付けを終えていよいよ、バスケ部が集まっていると聞く体育館近くの一角へと向かって行った。
「本当にココに集まってる……。」
名前が聞いていた話の通り、体育館の付近にバスケ部員たちは集まっていた。
部員たちはワイワイと卒業アルバムを見て笑ったり、仲間内で寄せ書きし合っている様子であった。
それにしても、山王のバスケ部の集団というのは何とも近寄りがたい雰囲気があった。
それは統一された坊主頭が軍隊のような一体感を出していたり、彼らの背格好が大きいというのもあるのだが、王者山王の看板を背負ってきた彼らには独特の威厳というものが感じられ、名前は勝手に圧倒されてしまっていた。
(そう言えば……沢北くんも最初はどう接していいか分からなかったなあ。)
そんなガタイの良い坊主たちの集団を遠目で見ながら名前はふと、クラスメイトで今はアメリカに留学している沢北のことを思い出した。
バスケ部に入ってまもなくエースとして活躍し始めた沢北に対して、名前も最初は勝手に萎縮していた。そんな沢北と名前だったが機械科の実習でよく同じチームで作業することがあり、そのうち沢北の勉強をたびたび手伝うようになったりと親しくなっていったのである。
「でも、沢北くんは意外と気さくで親しみやすかったな。今日もアメリカで元気にバスケやってるかなあ~。」
などと、思わず今はここにはいない遠く太平洋の彼方のエースへと意識が脱線してしまっていた。
名前は勝手に頭の中で、「名字さんなら大丈夫だって!」と笑って励ます沢北の顔を思い浮かべた。
……実際の沢北は、そのような事を言ったことはないのだが。
「って、違うか……。沢北くん、私はやってみせます!」
だが、名前にとって何よりも今重要なのは大好きな深津のことである。
やや遠目から深津の姿を確認すると名前は、緊張感からドクドクと鼓動が高鳴ってきた。
「うう、やっぱり止めておこうかなっ……。
いやいや、ここで諦めちゃダメだよ!今日は絶対、深津先輩との最初で最後の思い出を作るって決めたんだから!
がんばれ~!私!」
沢北くんだって応援してくれているんだもん!と、自分に鼓舞を入れて意を決した名前は、バスケ部員たちの前へと身を乗り出して行った。
なお、実際の沢北は名前の恋心については全く知ってはいない。
「あ、あの、深津先輩!」
名前が思い切って深津を呼ぶと当然ながら、大柄な男所帯の中で突然現れた彼らよりずっと小柄な女子の名前に対して、注目が一気に集まってきた。
名前はドクリと気圧された。だがもうここまで来たら後には引けなかった。名前は懸命に口を開こうとした。
「……呼んだピョン?」
「あっ、バスケ部の先輩の皆さん、ご卒業おめでとうございます!
それで……深津先輩!えっと、わたし、ずっと深津先輩のファンでした!
少しだけ、お話できないでしょうか?」
「うん。いいピョン。」
名前は深津に視線を向けて懸命に気持ちを伝えた。
そんな見るからに緊張している様子の名前に対して、深津はあっさりと至極冷静に返答をする。
「じゃ、じゃあ少し人目のつかないところに行きたいです……。」
こうして男所帯の学ランの坊主集団から、名前と共に深津は抜けていった。
「……何あれ、いいなあ。」
「なんで深津だけ女の子に話しかけられんだよ……。」
「キャプテンだからなのか……?」
この日も全く女っ気が無かった他のバスケ部員たちは、切ない羨望の込もった眼差しで、トコトコ歩く名前に付いていく深津の背中を見送った。
……そして、好奇心に逆らえなかった河田・野辺・一之倉・松本は隠れてこっそりと名前と深津の様子を伺うことにしたのである。
それから少し離れた場所で、名前は深津と向き合った。
(うわ~!本当に深津先輩と2人になっちゃった。こんな近くで見たの初めてだよ……。
やばい!どうしよう、どうしよう……。)
「それで、話って何ピョン?」
名前は人知れず2年間も思いを寄せていた深津と初めてまともに対面し、思わず眉が下がって唇をキュッと結んだ。
そして、何とか言葉を紡いでいく。
「あの、突然すみません……。深津先輩とは今までお話したことなかったですけど、私……高校に入ってからの2年間ずっと先輩に憧れてたんです。」
名前はいつになく真剣な面持ちで、深津の目を見上げながら気持ちを伝えた。
そんな名前の熱い好意が込められた言葉を聞いても深津は特に顔つきを変えることなく、じっと名前の言葉の続きを待つ。
「深津にずっと女の子のファンがいたのかよ……。」
「沢北だけだと思ってたよね。」
「あんな事言われてみてえな……。」
「というかアイツこんな時でも動じねえな。」
そんな彼らの様子を物陰からこっそりと見守る4人組が、小声でヒソヒソと話し合う。
「えっと、なので……思い出として深津先輩の……。」
名前はずっと好きだった深津が、視線を自分に向けていることを意識をしてしまい、ますます恥じらう様子を見せた。
「青春だなー。」
「間近でこの光景を見るとはな。」
「間違いなくアレだよね、アレ。」
学ランの男子、好意を持つ女の子、そして卒業式……。その場にいる誰もが、名前が次に続けるであろう言葉を確信していた。
「せ、先輩のぉぉ……。」
(頑張れ~!女子!)
(大丈夫だ、言え!)
好奇心と深津へのやっかみの気持ちから状況を見守っていた4人だが、目をぐるぐるとさせて顔を赤くしている名前のしおらしさに、思わず応援モードになってしまった。
そして名前は、いよいよその場にいる皆が想定する言葉を出した。
「……実習で使っていた工具を私にいただけないでしょうか!?」
……かのように思えたのだが。
名前が深津からの思い出として授かりたいと願っていたのは、深津が実習で使っていた工具だった。
「そうそう、卒業式といえばボタンだよな~。」
「……って、あれ?」
「ボタンじゃないのか!?」
「……なんで工具?」
卒業式の定番の第二ボタンなどではなくどういうわけか工具を所望した名前に、野次馬の4人は意表を突かれた。
「いいよ、あげるピョン。
でも教室に戻らないと工具箱ないピョン。
このまま少し待っててピョン。」
「……!は、はいっ!」
しかし、思わずズッコケそうだった4人とはまるで違い、急に工具を欲しがられても深津は全く動じることはなかった。
名前の願いをさらりと快諾すると深津は名前に待つように告げ、いったんその場を離れていった。
「…………。」
(ギクッ……。)
途中、物陰から覗いていた河田・野辺・一之倉・松本を深津は真顔で何も言わずにちらりと一瞥した。
盗み聞きしていたという若干の後ろめたさで4人は少し冷や汗が出たが、見られていても深津は特に気にしている様子はなかった。
「わあ~。
深津先輩の生ピョンが聞けちゃったよ……。
やっぱり話しかけてよかった……!」
深津が去った後、1人で待つ名前は深津と話せたことにしみじみと感動していた。
そんな名前の様子を最後に見て野次馬の4人はまあ充分楽しんだかと思い、そっとその場から離れることにした。
「深津の奴……女子からあんなに好かれてたなんてな。」
「でもこれでお別れって何かあの子可哀想だね。」
「深津東京の学校行くしなあ……。」
「どうだろうな。縁があれば続くこともあるべ。」
それから少し時間を置いて、深津が名前の元へと戻ってきた。その手には、名前のお願いの通りにしっかりとスパナが握られている。
「はい、お待たせピョン。」
「先輩、わざわざ取りに行ってくださってありがとうございます……!」
名前がスパナを受け取ると、まだ深津の握っていた人肌の温もりが残っていた。その温かみを感じると、名前はずっと密かに積み上がっていた2年間の深津への想いが、じわじわと心にこみ上がり切ない気持ちになった。
「……深津先輩、とっても嬉しいです!
これさえあればこれからの実習、いくらでも頑張れます!
大学でもバスケ、頑張ってください!」
名前はこれからはもう深津を見ることが出来ないお別れの悲しさと、せめてもの最後の思い出を作れたことへの感慨深さで、半泣きになりつつもパアアと華やかな笑顔を深津へと見せた。
「あと、これもあげるピョン。」
続けて、そんな名前に対して深津は、東京都から続く住所の書かれたノートの切れ端と、校章と同じデザインの金色のボタンを手渡した。
深津と対面するので精一杯な名前は全く気が付いてはいなかったが、深津の学ランの2つ目のボタンはいつの間にか外れていたのである。
「深津先輩、これは……。」
「東京に来た時はいつでも遊びに来てほしいピョン。」
「えっ……!?」
「手紙も待ってるピョン、名字さん。」
深津は少し優しい声色で名前にそう告げた。この時の深津は、いつもよりほんのりと柔らかさのある表情で、ほんのわずかだが口角が上がっているように見えた。
「深津先輩っ……!」
名前は目を見開いてそんな深津の表情に見とれた。
この深津の一連の行動により名前は、たとえ明日から学校に深津の姿が無いとしても、深津のことを忘れられるわけがなかった。
恐らく1年ほどは、深津に差し出す手紙の文面のことで何度も何度も頭を悩ませることだろう。
その後、深津は「そろそろ戻るピョン。」と言って仲間たちの元へと帰って行った。
名前は胸の高鳴りが収まらず、しばらくその場でぼーっと立ちすくんでいた。
「あれっ。でも深津先輩、なんで私の名前知ってたのかな……?」
ーーこれは、とある日の校内での練習試合のことである。
ふと観客席を見渡した沢北が、練習試合を見に来ている観客の中に名前の姿を見つけた。
「あ、名字さんだ!」
よく勉強を助けられているクラスメイトの名前に対して、沢北は親しみを込めて笑顔で軽く手を振った。
名前はそんな沢北に、同じく控えめに手を振り返した。
「……あの女の子、名字さんって言うピョン?」
「ん?深津さん、名字さんのこと気になるんですか?
いいと思いますよ~。名字さんいい子ですから。昨日も宿題手伝ってくれたし!」
「沢北、宿題は自力でやるピョン。」
洞察力の高い深津は、時々どことなく感じる名前からの熱視線に気が付いていたのである。
もちろん、その日も名前は何回かちらりと深津へ憧憬の眼差しを向けていた。
そしてこれから1年ほど先の未来では、名前は東京の学校へと進学し深津と再開することになるのだが……。
秋田の春は、まだまだ遠い。だが何はともあれ今の名前には、深津から譲り受けたスパナだけで心に満開の花を咲かせていた。
【完】
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