幕間ロストベルト

「本当は、貴女には戦ってほしくはないのです」
 蘭陵王がぽつりと本音を零したのは、立香の部屋という他には誰もいない、二人きりの空間での安息感から起因したものであろう。
「私は、戦いの中で果てれば幸福だと思っていました。しかし、貴女は違うでしょう。貴女は平和の中で、家族に看取られて天寿を全うするべきお方なのに」
 蘭陵王は立香の手を、自らの両手で包む。その小さな手は、度重なる戦闘で少女らしからぬいくつもの傷がついていて、包帯や絆創膏で隠されていた。立香の手を俯いてじっと見つめる蘭陵王の表情は、髪に隠れて立香には見えなかったが、きっと辛そうな顔をしているのだろうと思えた。
「かといって、私は貴女がいなければ、この大きな戦いに勝てないことも理解はしているつもりです。斎藤一殿のように、貴女を連れて逃げても、この白紙化した星は元には戻せない」
 蘭陵王は不意に顔を上げ、今生の主の目をじっと見つめる。
「マスター、無理をしているのならば話してほしいのです。私にできることは少ないのでしょうが、せめて貴女の気を休めるお手伝いをしたいのです」
 蘭陵王の宝石のような目が立香を捉えている。そんな美しい目で見つめられると、立香はたじろいでしまいそうなのを表に出さないように堪えるのがやっとだった。
「無理なんて、してないよ。心配してくれてありがとう」
 立香の精一杯の笑顔と同時に、蘭陵王の瞳に翳りが見えた気がした。
「……私は、貴女の信頼をまだ得られていない、ということなのでしょうか」
「そんなことないよ。蘭陵王のことはすごく頼りにしてる」
「ならば、何故」
「もし、もしもだよ、万が一私が本当に無理してるとしたらさ」
 立香は作り笑顔を崩さず、努めて明るい口調で話す。
「無理してるよ、って本音を一度口から出しちゃったら、私はもう立てなくなっちゃう。本当に逃げ出しちゃうかも。私にしか出来ないことだからそれは絶対ダメ」
「――」
 そう言われてしまうと、蘭陵王は何も言えなくなってしまう。
「本当に、もしもの、仮の話だからね? だから、そんな顔しないで」
 立香は包まれていた片手を抜いて、蘭陵王の手の甲を撫でる。
「……貴女の心は、救えないのでしょうか」
「今、救われてるよ。蘭陵王が気にかけてくれただけで嬉しい」
 立香の色褪せた向日葵のような微笑みを向けられて、蘭陵王はほろりと涙を流す。
「蘭陵王は泣き虫だね」
 立香は眉尻を下げて微笑みながら、自分のために泣いてくれる忠臣の涙をそっと指で拭うのであった。

〈了〉
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