未来への約束
このカルデアの事件の始まりは、たいてい蘆屋道満の悪戯が発端だったりする。
今回あの怪僧が何をやらかしたかというと、藤丸立香に『理性が溶ける呪詛』をかけてしまったのだ。
当然、カルデア中のサーヴァントたちは激昂。逃亡した道満を彼らが追跡する事態にまで発展してしまったのである。
もちろん、マスターを大切に思っている蘭陵王もこれには頭にきていた。道満と直接接触したことはほとんどなかったが、あの怪僧の悪評は散々聞かされている。
しかし、蘭陵王が頼まれた仕事は、道満の行方を追うことではなく――。
「私がマスターを保護、ですか?」
「今いるカルデアのサーヴァントの中で、君が一番理性が強そうだから。理性が蒸発してしまった立香ちゃんは何をするか分からない。それでも君なら耐えられるだろう?」
ダ・ヴィンチの言葉に、黒髭は「言いたいことは分かるのでござるが、それラッキースケベの導入フラグですぞ?」と口を挟む。
「ラッキー……なんですって?」
「あ~いや、リア充の蘭陵王氏は知らなくていいことでござる。さ~て、拙者も『道満がどこにいるか、アイツの心理がわかりそうだから』なんて理由で追跡に参加することになったので行かないと。それにしても理由が失礼すぎない?」
黒髭は後半はブツブツと独り言を言いながら、その場を去ってしまった。
「私もシオンと一緒に蘆屋道満の行方を調べてみるから。とにかく、立香ちゃんのこと頼んだよ!」
ダ・ヴィンチもせわしなく小走りで駆けていってしまい、あとにぽつんと残されたのは、蘭陵王と立香だけであった。
ひとまず蘭陵王は、自分の部屋に立香を連れてきた。
(いや、私とて理性が溶けたマスターに誘惑でもされてしまったら、正気でいられる自信がないのですが……)
蘭陵王は途方に暮れながらも、立香を引き受けざるを得なかった。
立香はベッドの端に座ってぼうっとしている。まだ呪詛は完全には発動していないようだ。
しかし、もし発動したら、自分は主に何をされてしまうのか……内心、ドキドキしてしまう自分がいる。
いけない、私は何を考えているのだ。
蘭陵王はブンブンと首を横に振って、とりあえずマスターにお茶を淹れた。
「マスター、大丈夫ですか? 冷めないうちにお飲みください」
温かい烏龍茶を部屋のテーブルに載せ、蘭陵王は立香の隣に座る。
彼女はうつむいてプルプルと震えていた。
もしや、理性が溶けないように我慢しているのでは……?
と思ったのもつかの間、立香は突然、「うわぁぁぁぁん!」と大声で泣き出した。
蘭陵王はぎょっとする。
「ま、マスター!? どうかなさいましたか?」
「もうやだぁぁぁぁぁぁ!」
彼女の目からはボロボロと大粒の涙がこぼれ、頬をつたって顎から膝へ落ちていく。まるで迷子になった幼子のようだ。
「なんでわたしが自分の運命力を削ってまで戦わなきゃいけないの、たたかうのこわい、しぬのこわい、ころされたくない、しにたくないよぉぉぉぉ!」
目の前の主がそんなことを大声で泣きわめいているのを見て、蘭陵王は唖然とした。
(あー……そういう系の理性が溶ける呪いですか……これはこれでしんどいな……)
いや、前々から、彼女は無理して戦場に立っている感はあった。
それでも、彼女がいなければ、地球は白紙化したまま人類が滅亡してしまうから、前線に立たざるを得なかったのだ。
それにしても、ここまで溜め込んでいるとは思っていなかった。我々のフォロー不足が招いた結果だ。
蘭陵王は、そっと立香を抱きしめた。
「よしよし……。マスターにはいつも無理を強いてしまっていますね。私たちも申し訳なく思っております」
「なんでわたしがやらなきゃいけないの、なんでわたしなの、わたし、なんのちからもないのに……」
「ここで全部吐き出してしまってください。ここには私と貴女しかおりませぬ。存分に泣いてください」
「うぅ……うあぁぁぁぁん……」
彼女の涙が自分の服を濡らしても構わなかった。蘭陵王は立香を自らの胸に埋めながら、優しく後頭部を撫でていた。
しばらくそうしていると、彼女は落ち着いたようだ。ぐすっと鼻をすすりながら、涙で赤くなった目をこすっている。
ひとしきり泣き止んだ立香は、蘭陵王にある頼み事をした。
「蘭陵王、もし、もしもさ、この戦いが終わって私が生きてたら、聖杯のリソースで君に受肉してほしい。私の故郷に、一緒に来てほしい」
彼女の願いに、蘭陵王は応える。
「ええ、もちろん。マスターが望むならば、受肉してもお供します」
しかし、立香は首を横に振る。
「そうじゃないの。主人と従者としてじゃなくて……私の隣で、一緒に生きてほしい」
「それは……」
思わぬ言葉に、蘭陵王は戸惑った顔をする。
立香は、蘭陵王の左手を、自らの左手でそっと触れた。
お互いの薬指には、指輪が光っている。
それは、いつかのバレンタインのこと。
「バディリングかあ。金色と銀色があるから、金色のは蘭陵王が持っててよ。銀色のは私が持っておくから」
立香は何でもないことのようにそう言って、蘭陵王の左手の薬指に指輪をはめたのである。
主にとっては、ただの気まぐれなのかもしれない。
しかし、それは蘭陵王にとってはバレンタインに賜ったチョコレートに並ぶ宝物、マスターとの絆の証になったのだ。
「あ、あの、マスター、それはつまり……」
蘭陵王が真意を尋ねる前に、立香の頭がこてんと蘭陵王の胸に寄りかかる。
甘えているのかと思っていたら、眠っていた。泣きつかれて寝落ちてしまったらしい。
「……」
蘭陵王はそっとベッドに立香を横たわらせる。その眼差しはとても優しく、温かいものだった。
一方その頃。
「蘆屋は見つかったか?」
「ダメだ、コイツも式神だ。本体じゃない」
「くそったれ、どんだけ式神持ってんだ!」
蘆屋道満捜索隊の面々は式神を叩き潰しながら本体を探していたのであった。
その後、本体は無事に見つかり、無事に袋叩きにされることになる。
翌日。
「いや~、なんか今日は目覚めがいいな~! 蘭陵王、なんかベッド貸してくれてたみたいでありがとね!」
「お気になさらず。お元気になられて何よりです」
立香はスッキリとした表情で、うーんと伸びをする。その姿を見て、蘭陵王はほぅと息をついた。どうやら、理性を溶かす呪詛の効果は消えたらしい。
「ところで、理性が溶けていた間に貴女がおっしゃったこと、覚えておられますか?」
「ごめん、何も覚えてない……。なにかみんなに迷惑をかけたっぽいことは分かるんだけど……」
「いいえ、それは誰も気にしておりませぬ」
もともと、カルデアの面々は立香のために協力してくれる者がほとんどだ。彼女を助けるために、嫌な顔をする者は――まあ一部にはいるが、多数ではない。
「貴女は私に受肉してほしいとおっしゃっておりました。隣で一緒に生きてほしい、とも」
「えっ、私そんな恥ずかしいこと言ったの……? ごめん、忘れて――」
「そうはまいりません」
照れ隠しのように顔の前でブンブンと手を振る立香の両手を、己の両手でそっと包む。
二人の左手には、やっぱりバディリングが光っていて。
「私も貴女の隣で第二の生を謳歌したく思います。この蘭陵王でよろしければ、結婚していただけないでしょうか?」
それはプロポーズだった。
しかも場所は、カルデアの廊下である。
通りすがりのサーヴァントも、カルデア職員も、みんなあんぐりと口を開けていた。
「ま、待って蘭陵王。こんなところで……!」
「ああ、失礼いたしました。ここは求婚にはふさわしくない場所でしたね。シミュレーターでロマンチックな背景にして改めて求婚を――」
「もういい、もういいから!」
蘭陵王は一周回って感情が暴走している様子だった。
それを、戦いが終わってサーヴァントたちが退去するまで、延々とネタにされる羽目になるのはまた別の話である。
こうして婚約した蘭陵王と立香であったが、蘭陵王は反省部屋を独りで訪ねた。
道満は、立香に呪詛をかけた罰として、反省部屋での謹慎を命じられていたのである。
蘭陵王は怪僧に尋ねる。
「蘆屋殿、もしや貴方は、マスターに弱音を吐かせて爆発寸前のストレスを解消させたかったのでは?」
「ンン? 突然このような場所を訪れて、何を言うのかと思えば……。少し考えすぎではございませぬか? 蘭陵王殿、拙僧はただの混沌・悪の獣にて、少しばかりマスタァに対して悪戯心が働いただけのこと。情けなく泣きわめくマスタァはさぞ見ものでしたでしょうなァ」
道満は真意を語らず、ただ嗤うのみであった。
〈了〉
今回あの怪僧が何をやらかしたかというと、藤丸立香に『理性が溶ける呪詛』をかけてしまったのだ。
当然、カルデア中のサーヴァントたちは激昂。逃亡した道満を彼らが追跡する事態にまで発展してしまったのである。
もちろん、マスターを大切に思っている蘭陵王もこれには頭にきていた。道満と直接接触したことはほとんどなかったが、あの怪僧の悪評は散々聞かされている。
しかし、蘭陵王が頼まれた仕事は、道満の行方を追うことではなく――。
「私がマスターを保護、ですか?」
「今いるカルデアのサーヴァントの中で、君が一番理性が強そうだから。理性が蒸発してしまった立香ちゃんは何をするか分からない。それでも君なら耐えられるだろう?」
ダ・ヴィンチの言葉に、黒髭は「言いたいことは分かるのでござるが、それラッキースケベの導入フラグですぞ?」と口を挟む。
「ラッキー……なんですって?」
「あ~いや、リア充の蘭陵王氏は知らなくていいことでござる。さ~て、拙者も『道満がどこにいるか、アイツの心理がわかりそうだから』なんて理由で追跡に参加することになったので行かないと。それにしても理由が失礼すぎない?」
黒髭は後半はブツブツと独り言を言いながら、その場を去ってしまった。
「私もシオンと一緒に蘆屋道満の行方を調べてみるから。とにかく、立香ちゃんのこと頼んだよ!」
ダ・ヴィンチもせわしなく小走りで駆けていってしまい、あとにぽつんと残されたのは、蘭陵王と立香だけであった。
ひとまず蘭陵王は、自分の部屋に立香を連れてきた。
(いや、私とて理性が溶けたマスターに誘惑でもされてしまったら、正気でいられる自信がないのですが……)
蘭陵王は途方に暮れながらも、立香を引き受けざるを得なかった。
立香はベッドの端に座ってぼうっとしている。まだ呪詛は完全には発動していないようだ。
しかし、もし発動したら、自分は主に何をされてしまうのか……内心、ドキドキしてしまう自分がいる。
いけない、私は何を考えているのだ。
蘭陵王はブンブンと首を横に振って、とりあえずマスターにお茶を淹れた。
「マスター、大丈夫ですか? 冷めないうちにお飲みください」
温かい烏龍茶を部屋のテーブルに載せ、蘭陵王は立香の隣に座る。
彼女はうつむいてプルプルと震えていた。
もしや、理性が溶けないように我慢しているのでは……?
と思ったのもつかの間、立香は突然、「うわぁぁぁぁん!」と大声で泣き出した。
蘭陵王はぎょっとする。
「ま、マスター!? どうかなさいましたか?」
「もうやだぁぁぁぁぁぁ!」
彼女の目からはボロボロと大粒の涙がこぼれ、頬をつたって顎から膝へ落ちていく。まるで迷子になった幼子のようだ。
「なんでわたしが自分の運命力を削ってまで戦わなきゃいけないの、たたかうのこわい、しぬのこわい、ころされたくない、しにたくないよぉぉぉぉ!」
目の前の主がそんなことを大声で泣きわめいているのを見て、蘭陵王は唖然とした。
(あー……そういう系の理性が溶ける呪いですか……これはこれでしんどいな……)
いや、前々から、彼女は無理して戦場に立っている感はあった。
それでも、彼女がいなければ、地球は白紙化したまま人類が滅亡してしまうから、前線に立たざるを得なかったのだ。
それにしても、ここまで溜め込んでいるとは思っていなかった。我々のフォロー不足が招いた結果だ。
蘭陵王は、そっと立香を抱きしめた。
「よしよし……。マスターにはいつも無理を強いてしまっていますね。私たちも申し訳なく思っております」
「なんでわたしがやらなきゃいけないの、なんでわたしなの、わたし、なんのちからもないのに……」
「ここで全部吐き出してしまってください。ここには私と貴女しかおりませぬ。存分に泣いてください」
「うぅ……うあぁぁぁぁん……」
彼女の涙が自分の服を濡らしても構わなかった。蘭陵王は立香を自らの胸に埋めながら、優しく後頭部を撫でていた。
しばらくそうしていると、彼女は落ち着いたようだ。ぐすっと鼻をすすりながら、涙で赤くなった目をこすっている。
ひとしきり泣き止んだ立香は、蘭陵王にある頼み事をした。
「蘭陵王、もし、もしもさ、この戦いが終わって私が生きてたら、聖杯のリソースで君に受肉してほしい。私の故郷に、一緒に来てほしい」
彼女の願いに、蘭陵王は応える。
「ええ、もちろん。マスターが望むならば、受肉してもお供します」
しかし、立香は首を横に振る。
「そうじゃないの。主人と従者としてじゃなくて……私の隣で、一緒に生きてほしい」
「それは……」
思わぬ言葉に、蘭陵王は戸惑った顔をする。
立香は、蘭陵王の左手を、自らの左手でそっと触れた。
お互いの薬指には、指輪が光っている。
それは、いつかのバレンタインのこと。
「バディリングかあ。金色と銀色があるから、金色のは蘭陵王が持っててよ。銀色のは私が持っておくから」
立香は何でもないことのようにそう言って、蘭陵王の左手の薬指に指輪をはめたのである。
主にとっては、ただの気まぐれなのかもしれない。
しかし、それは蘭陵王にとってはバレンタインに賜ったチョコレートに並ぶ宝物、マスターとの絆の証になったのだ。
「あ、あの、マスター、それはつまり……」
蘭陵王が真意を尋ねる前に、立香の頭がこてんと蘭陵王の胸に寄りかかる。
甘えているのかと思っていたら、眠っていた。泣きつかれて寝落ちてしまったらしい。
「……」
蘭陵王はそっとベッドに立香を横たわらせる。その眼差しはとても優しく、温かいものだった。
一方その頃。
「蘆屋は見つかったか?」
「ダメだ、コイツも式神だ。本体じゃない」
「くそったれ、どんだけ式神持ってんだ!」
蘆屋道満捜索隊の面々は式神を叩き潰しながら本体を探していたのであった。
その後、本体は無事に見つかり、無事に袋叩きにされることになる。
翌日。
「いや~、なんか今日は目覚めがいいな~! 蘭陵王、なんかベッド貸してくれてたみたいでありがとね!」
「お気になさらず。お元気になられて何よりです」
立香はスッキリとした表情で、うーんと伸びをする。その姿を見て、蘭陵王はほぅと息をついた。どうやら、理性を溶かす呪詛の効果は消えたらしい。
「ところで、理性が溶けていた間に貴女がおっしゃったこと、覚えておられますか?」
「ごめん、何も覚えてない……。なにかみんなに迷惑をかけたっぽいことは分かるんだけど……」
「いいえ、それは誰も気にしておりませぬ」
もともと、カルデアの面々は立香のために協力してくれる者がほとんどだ。彼女を助けるために、嫌な顔をする者は――まあ一部にはいるが、多数ではない。
「貴女は私に受肉してほしいとおっしゃっておりました。隣で一緒に生きてほしい、とも」
「えっ、私そんな恥ずかしいこと言ったの……? ごめん、忘れて――」
「そうはまいりません」
照れ隠しのように顔の前でブンブンと手を振る立香の両手を、己の両手でそっと包む。
二人の左手には、やっぱりバディリングが光っていて。
「私も貴女の隣で第二の生を謳歌したく思います。この蘭陵王でよろしければ、結婚していただけないでしょうか?」
それはプロポーズだった。
しかも場所は、カルデアの廊下である。
通りすがりのサーヴァントも、カルデア職員も、みんなあんぐりと口を開けていた。
「ま、待って蘭陵王。こんなところで……!」
「ああ、失礼いたしました。ここは求婚にはふさわしくない場所でしたね。シミュレーターでロマンチックな背景にして改めて求婚を――」
「もういい、もういいから!」
蘭陵王は一周回って感情が暴走している様子だった。
それを、戦いが終わってサーヴァントたちが退去するまで、延々とネタにされる羽目になるのはまた別の話である。
こうして婚約した蘭陵王と立香であったが、蘭陵王は反省部屋を独りで訪ねた。
道満は、立香に呪詛をかけた罰として、反省部屋での謹慎を命じられていたのである。
蘭陵王は怪僧に尋ねる。
「蘆屋殿、もしや貴方は、マスターに弱音を吐かせて爆発寸前のストレスを解消させたかったのでは?」
「ンン? 突然このような場所を訪れて、何を言うのかと思えば……。少し考えすぎではございませぬか? 蘭陵王殿、拙僧はただの混沌・悪の獣にて、少しばかりマスタァに対して悪戯心が働いただけのこと。情けなく泣きわめくマスタァはさぞ見ものでしたでしょうなァ」
道満は真意を語らず、ただ嗤うのみであった。
〈了〉
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