Tuning the world
恐る恐る、鏡と向き合う。視線の先にいる自分の姿はいつもと何ら変わりはない。――頭に猫の耳、おまけに尻尾も生えていることを除いては。項垂れるエレシアの感情に呼応して、猫耳が垂れ下がる。
「……ごめん、ちょっと失敗しちゃった!」
「変身というより、仮装みたいだね……」
そんなエレシアを前に、事態の元凶であるエスティリカはばつの悪そうな笑顔を浮かべた。その隣のキーラはなんとも的確な言葉を述べつつ、興味津々にエレシアの耳と尻尾を観察する。
――事態の始まりはエスティリカだった。旅の途中に泊まった宿にて、エスティリカが唐突に変身術をやりたいと言い出したのだ。曰く、勉強で読んでいる魔法書に変身術が出てきたので、セドリクを変身させてからかってやるのだという。そして、エレシアがその練習台となった結果がこれだった。変身術自体は「魔法使い」と名乗れるほどの知識と力があれば問題なく扱える範疇の魔法であり、エスティリカにとっても大して難しい術ではなかっただろう。しかし、彼女の大雑把な部分が災いしたのだろうか、術は失敗した。エレシアは完全な猫の姿になるはずが、中途半端に耳と尻尾だけを生やした、まさしく仮装と言うのが相応しい姿になってしまった。
「すぐ戻るのよね……?」
「うん、明日の朝には戻ると思う……えっと、ごめんねエレシア……」
「いいのよ、ある意味貴重な体験だわ。……でも、この姿で人前に出るのは……私には無理……」
「このエレシアちゃんも可愛いと思うけどな……」
「そういう問題じゃなくて、私が恥ずかしいの……」
見知った相手であるエスティリカとキーラにさえ見られるのが恥ずかしいのに、見知らぬ大勢の人間にこの姿を見られるなど耐えられない。明日の朝までこの部屋に閉じこもっていようと決める。
「今すぐに変身を解く術とか無いかしら!?」
「うーん……変に何かしたら余計ややこしいことになる可能性もあるし、それよりは朝を待った方が確実だと思うな」
「う、それもそうか……」
手早い事態の解決を提案したエスティリカも、キーラの意見に納得しおとなしく魔法書を閉じる。しかし、今のエレシアの姿を見て何か考えが浮かんだらしく、「そうだ!」と手を叩いた。
「セドを完璧な猫の姿にするより、耳と尻尾だけ生やした方が面白そうね!」
「た、たしかに……ちょっと見てみたいかも……?」
「もう、またゲンコツを食らっても知らないわよ……」
「今更あいつのゲンコツなんて怖くないわ!」
エレシアとキーラの頭上に、悪戯を仕掛けられたセドリクがエスティリカを叱りつける光景が浮かび上がる。ある意味すっかり見慣れた、どこか微笑ましい光景だった。――そんな風に三人が仲間の話に花を咲かせていると、一つの足音が近づく。
「おい、お前たち」
「……っ!?」
扉が開くのと同時に、シリウスの声が響いた。エレシアたちの隣の部屋にいるはずが突然ここに現れた彼は、エレシアの姿を――より正確に言うなら、普段の見慣れた姿に付け足された耳と尻尾をはっきりと捉えた。エレシアは反射的にブランケットで身を覆い隠すが、誰がどう見ても間に合っていない。
「あ、えーと、シリウスくん! 部屋に入る時はまずノックしてくれると助かるな……!」
「そーよ! 着替え中だったらどうするの!」
「……あ、ああ。すまん、失念していた。気をつける。……宿の主人から良い茶葉を貰ったから、紅茶を飲むかと聞きにきたのだが……」
「……」
口調こそ普段と変わらないが、シリウスは明らかに"それ"に気を取られている。普段のハキハキとした言葉の勢いが完全に失われているのがその証拠だった。
「……今、エレシアにあるはずのない耳と尻尾が見えたような気がしたが……いや、気のせいだろうな。こんな幻覚を見るとは、長旅で疲れているに違いない」
「……気遣いが下手すぎよ」
あまりにもわざとらしく取り繕うシリウスがおかしくて、エレシアは思わず笑みをこぼした。
「……エスティリカの仕業か?」
「あ、うん。あたし……」
「ということは、セドリクが本命か。あやつには黙っておいてやるが、悪戯も程々にしておけよ。……それで、紅茶は飲むか? ここに持ってきてもいいが」
「……じゃあ、お願いしてもいいかしら」
「あたしも飲みたい!」
「なら私も……」
「わかった。少し待っていろ」
そう言ってシリウスは部屋を去っていった。――エスティリカとキーラが同時にエレシアを見るが、エレシアは己を羞恥から守り包み隠すようにブランケットを被り直す。
「……見られた」
「笑われたりしなかっただけマシよ」
「それはそうだけど……」
シリウスは、エレシアが今の姿を人に見られたくないのを察して紅茶をここに持ってくるかと提案したのだろう。その気遣い自体はありがたいものだった、が。
「……笑わずに気遣われるのも、それはそれで恥ずかしい……」
「あはは……優しいね、シリウスくんは」
「……そうね」
飾った立ち振る舞いの中にある、飾らない彼の優しさが、ほのかな毒となりじんわりとエレシアの身を苛む。彼が戻ってきた時、自分はどんな顔をしていればいいだろう。少ない猶予の中、エレシアは己を繕う仮面を選び始めた。
「……ごめん、ちょっと失敗しちゃった!」
「変身というより、仮装みたいだね……」
そんなエレシアを前に、事態の元凶であるエスティリカはばつの悪そうな笑顔を浮かべた。その隣のキーラはなんとも的確な言葉を述べつつ、興味津々にエレシアの耳と尻尾を観察する。
――事態の始まりはエスティリカだった。旅の途中に泊まった宿にて、エスティリカが唐突に変身術をやりたいと言い出したのだ。曰く、勉強で読んでいる魔法書に変身術が出てきたので、セドリクを変身させてからかってやるのだという。そして、エレシアがその練習台となった結果がこれだった。変身術自体は「魔法使い」と名乗れるほどの知識と力があれば問題なく扱える範疇の魔法であり、エスティリカにとっても大して難しい術ではなかっただろう。しかし、彼女の大雑把な部分が災いしたのだろうか、術は失敗した。エレシアは完全な猫の姿になるはずが、中途半端に耳と尻尾だけを生やした、まさしく仮装と言うのが相応しい姿になってしまった。
「すぐ戻るのよね……?」
「うん、明日の朝には戻ると思う……えっと、ごめんねエレシア……」
「いいのよ、ある意味貴重な体験だわ。……でも、この姿で人前に出るのは……私には無理……」
「このエレシアちゃんも可愛いと思うけどな……」
「そういう問題じゃなくて、私が恥ずかしいの……」
見知った相手であるエスティリカとキーラにさえ見られるのが恥ずかしいのに、見知らぬ大勢の人間にこの姿を見られるなど耐えられない。明日の朝までこの部屋に閉じこもっていようと決める。
「今すぐに変身を解く術とか無いかしら!?」
「うーん……変に何かしたら余計ややこしいことになる可能性もあるし、それよりは朝を待った方が確実だと思うな」
「う、それもそうか……」
手早い事態の解決を提案したエスティリカも、キーラの意見に納得しおとなしく魔法書を閉じる。しかし、今のエレシアの姿を見て何か考えが浮かんだらしく、「そうだ!」と手を叩いた。
「セドを完璧な猫の姿にするより、耳と尻尾だけ生やした方が面白そうね!」
「た、たしかに……ちょっと見てみたいかも……?」
「もう、またゲンコツを食らっても知らないわよ……」
「今更あいつのゲンコツなんて怖くないわ!」
エレシアとキーラの頭上に、悪戯を仕掛けられたセドリクがエスティリカを叱りつける光景が浮かび上がる。ある意味すっかり見慣れた、どこか微笑ましい光景だった。――そんな風に三人が仲間の話に花を咲かせていると、一つの足音が近づく。
「おい、お前たち」
「……っ!?」
扉が開くのと同時に、シリウスの声が響いた。エレシアたちの隣の部屋にいるはずが突然ここに現れた彼は、エレシアの姿を――より正確に言うなら、普段の見慣れた姿に付け足された耳と尻尾をはっきりと捉えた。エレシアは反射的にブランケットで身を覆い隠すが、誰がどう見ても間に合っていない。
「あ、えーと、シリウスくん! 部屋に入る時はまずノックしてくれると助かるな……!」
「そーよ! 着替え中だったらどうするの!」
「……あ、ああ。すまん、失念していた。気をつける。……宿の主人から良い茶葉を貰ったから、紅茶を飲むかと聞きにきたのだが……」
「……」
口調こそ普段と変わらないが、シリウスは明らかに"それ"に気を取られている。普段のハキハキとした言葉の勢いが完全に失われているのがその証拠だった。
「……今、エレシアにあるはずのない耳と尻尾が見えたような気がしたが……いや、気のせいだろうな。こんな幻覚を見るとは、長旅で疲れているに違いない」
「……気遣いが下手すぎよ」
あまりにもわざとらしく取り繕うシリウスがおかしくて、エレシアは思わず笑みをこぼした。
「……エスティリカの仕業か?」
「あ、うん。あたし……」
「ということは、セドリクが本命か。あやつには黙っておいてやるが、悪戯も程々にしておけよ。……それで、紅茶は飲むか? ここに持ってきてもいいが」
「……じゃあ、お願いしてもいいかしら」
「あたしも飲みたい!」
「なら私も……」
「わかった。少し待っていろ」
そう言ってシリウスは部屋を去っていった。――エスティリカとキーラが同時にエレシアを見るが、エレシアは己を羞恥から守り包み隠すようにブランケットを被り直す。
「……見られた」
「笑われたりしなかっただけマシよ」
「それはそうだけど……」
シリウスは、エレシアが今の姿を人に見られたくないのを察して紅茶をここに持ってくるかと提案したのだろう。その気遣い自体はありがたいものだった、が。
「……笑わずに気遣われるのも、それはそれで恥ずかしい……」
「あはは……優しいね、シリウスくんは」
「……そうね」
飾った立ち振る舞いの中にある、飾らない彼の優しさが、ほのかな毒となりじんわりとエレシアの身を苛む。彼が戻ってきた時、自分はどんな顔をしていればいいだろう。少ない猶予の中、エレシアは己を繕う仮面を選び始めた。