Tuning the world

 木々が空を覆い、木の葉の隙間からにわかに月光が射すだけの静謐な森の中。それとは反対にユベルの心は焦りで満たされていた。

「ごめん……本当にごめん。やっぱりこの場を離れるべきじゃなかった。君を一人にしたせいで……」
「もう、心配しすぎだよ、ユベル。たしかに痛いけど、逆に言えばそれだけで……本当に大丈夫だから。気に病まないで」
「無理だよ……くそ、たった数分だと思って油断した……」

 袖を捲り露わになったキーラの腕には、どす黒い魔力の塊が張り付いている。他の四人と別行動をしている間、ユベルが焚き火用の手頃な薪を拾って来ようと目を離した隙にキーラが低級の魔獣に襲われた。痛みを与える呪いを受けただけで怪我をしたわけではなく、しばらくすれば治るものであったのが不幸中の幸いだが、その痛みは決して軽いものではなかった。現にキーラは表情こそ笑顔ではあるが、その額には汗が伝っている。

「一応、簡単な処置はできたけど……」
「……うん。かなりマシになったよ。ありがとう」
「お礼なんていい、元はと言えば僕のせいだから」
「本当に気にしなくていいのに……でも、困ったな……良くなったとはいえまだ痛みは残ってるし、この状態で腕を使うのは少し大変かも……」

 キーラは真っ先に、ユベルを含めた仲間のことを思い浮かべた。そして平時戦闘を問わず自分が動けなくなることで他の仲間にかけてしまう迷惑を考えて、表情を曇らせる。

「いいって。大人しく休んでなよ。あいつらもそれくらいで文句言うはずがない」
「でも……何かできることはないかな。何もしないのは、みんなに迷惑かけちゃう」
「またそうやって他人のことばかり……あいつらは怪我人が休んだくらいで怒るような奴らじゃないって、僕だってわかるのに。君がわからないはず、ないでしょ。それに、変に無理して倒れでもしたらそれこそ迷惑じゃないの?」
「……! そう、だね……それじゃあ、あなたの言う通り、痛みが引くまではしばらく休ませてもらおうかな。代わりに、あなたに私の分の仕事をお願いすることになると思うけど……いいかな?」
「キーラの頼みなら」
「うん、ありがとう。……ねえ、ユベル」

 目を伏せ、少し思案したキーラが改まってユベルの名を呼ぶ。ユベルはそれに対して、返事はせず軽く首を傾げて応じる。

「あなたはいつも、私のためならって言ってくれるよね。……でも、嫌な時ははっきり断ってもいいんだよ? 私、ただでさえあなたを無理やりこの旅に巻き込んだ立場なのに……ずっとあなたに我慢をさせてしまってるんじゃないかって……」
「……違う! そんなことない! 君は……あの日、僕を助けてくれただろ。君がいなかったら、あるいは君が他の奴らみたいな人間だったら……僕は今生きているかさえわからない。だから……僕も君の助けになりたいだけ。嫌なことなんて何もないよ」
「人間を助けるのも?」
「……それ、は」
「……ユベル」

 キーラはそっと、蒼玉のように美しく輝くユベルのツノの根本、その額に射した光をなぞる。ツノに直接触れられたわけではないとはいえ、ユベルは緊張から少し身体を強張らせる。

「……ねえ、怒ってもいいから、聞いてほしいの。ユベル……あなたは、本当は口で言うよりも、人間を嫌ってはいないんでしょう?」
「……いきなり、何を」
「ずっと前……私が十歳の時だったかな。一回だけ話してくれたこと。ご両親が最期にあなたにかけた言葉は……生きて、とか、幸せになって、とかじゃなくて……人間を許すな、だった。それが忘れられなくて……ずっと考えてたの。あなたはご両親の言うことを守って、ずっと……」
「……やめて、それ以上は」
「……ごめん。意地悪が過ぎたね」

 キーラは手を離し、彼が放つ光から身を引く。

「でも……恩を返すだとか、気負わなくていいからね。私はあの日、お父さんやお母さんと一緒に当たり前のことをしただけだから」
「……うん」

 そっと、ユベルの目が閉じられる。
 ――当たり前のことをしただけだから。

(本当に、君はそればかり)

 ――自分がいつもキーラを助けるのは、キーラの言う恩返しという意味合い以上に。見返りなどいらないと思えるくらいに、想うことができる存在。その助けになりたい、本当に、ただそれだけのこと。

(……ごめん、父さん、母さん。僕は二人に逆らってでも、この子に対する想いにだけは、嘘をつきたくない)

 危ういまでに純粋で、清廉な在り方。穢れのない純白の輝き。同胞、人間、両親、それらに雁字搦めにされた自分には眩しすぎる存在。その光に届きたいと、照らされたいと手を伸ばして、結局それに焼かれてしまうことを恐れて手を引く。その繰り返し。今ここに、互いの呼吸すら聞こえるほどすぐ隣にいるのに。

(……この子にだけは、正直でいたい。それなのに、届かないな)

 いつか、この雁字搦めの気持ちも解けるのだろうか。その時は、恐れることなく彼女という光に手を伸ばせるのだろうか。――いつか、いつかそうなればいいと、切に願った。
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