Tuning the world

「やはりここにいたか、守護者殿」
「……ダンテか」

 崖の上、沈みゆく夕日に照らされたゼルティオスの背にダンテが声をかける。それなりの距離を歩いてきたダンテの呼吸は荒く、人の姿を取るゼルティオスの隣に腰掛け一息つく。――ふと視線を寄越した先の彼の横顔、その眼窩に嵌め込まれた紅はやはり目を惹く。しかし、夕に染められた世界を映すその瞳は、かつてと比べて陰りが差しているように見えた。燃えるような強大な生命力と威厳を灯した輝きは濁り、ダンテがこれまで目を背けてきた事実をまざまざと彼に伝える。

「……姫様が寂しがっていたぞ。近頃守護者殿は一人でどこかに行ってばかりだ、と」
「そうか」

 彼らしくない返事だった。自分の行動によって愛娘が寂しがっているというのに、その声色はあまりにも淡白で、場の空気は嫌でもダンテの望まない方へと向かっていく。

「……こうして、一人で物思いに耽っているのか」
「そうだな」
「……姫様やディエス様と、一緒にいるべきではないのか」
「我に指図をするのか。不遜な男よ」
「……意地の悪い方だ。俺が何を言いたいのか、分からないあなたではないだろう。あなたは……」

 その先の言葉は、言えなかった。言えるはずがなかった。

「……じきに潰える命、残された時間は少しでも家族と共に過ごせ……そう言いたいのだろう」
「っ……なぜ、なぜそうも冷静でいられるんだ……! あなたに残された命は僅かだ、なのに……あなたは……死ぬのが、怖くはないのか……!」

 苛立ちにも似た感情をゼルティオスにぶつける。愛した者の血に蝕まれ消えゆく命の残量は、彼自身が一番理解しているはずだ。それなのに、ゼルティオスは以前と大して変わりはしない。ただこうやって、一人で過ごすことが多くなった以外は、以前と同じ日常を消費している。それが、ダンテの心に焦燥を刻みつけていた。

「……死への恐怖はない。死を迎えること、それ自体には。……だが、二人を置いて逝くのは……」

 ゼルティオスの横顔が曇る。――初めて見るような顔だった。愛する者にさえ己の弱さを見せようとしない彼が、自分などにこのような弱々しい姿を見せている。ダンテの中に小さくない衝撃が走った。

「二人を置いて逝くのは、心残りだ。我が消えることであの二人はどれだけ心を痛めるのか。……二人の心に傷を残すくらいなら、いっそ二人の記憶から消えることができたら……そう思うことさえある」
「……守護者殿」
「……しかし、今はおぬしがいる」
「……え?」

 虚をつかれ、思わず情けない声が漏れ出た。顔を上げたゼルティオスは微かに笑みを浮かべ、ダンテを見据える。その笑みは、彼が愛する二人に向ける顔を思わせた。

「我が死んだ後の二人は、おぬしに託す。力の面では蟻以下のおぬしも、心の面では大きな支えとなれるだろう」
「な……そのような畏れ多き役目を……」
「おぬし以外に二人を託せる者などおらん」

 さらりと言い放たれた気安い信頼。普段から自分を弄ぶ男の言葉だが、ダンテはそこに嘘偽りがあるなどとは思わなかった。

「……勿体なき、お言葉だな……」

 噛み締めて、笑う。そしてダンテはゼルティオスへと向き直り、跪いた。

「――ゼルティオス。月の守護者よ。託されし役目、しかと承った。必ずや、この命に替えてでも……あなたの伴侶と姫君をお守りすると、ここに誓います」
「ふ、つくづく真面目な男だ。……我の眼前で誓ったのだ、必ず果たせよ」
「……は」

 ダンテの真摯な表情に満足げに笑ったゼルティオスは、その姿を竜へと変化させる。

「……戻るぞ。おぬしの思う通り、少しでも長くあやつらと共にいるべきだからな。……乗れ」
「いいのか? ……では、失礼する」

 ダンテを背に乗せ、ゼルティオスは黄昏の空を泳ぐ。ゼルティオスの声色は、最初よりどこか軽くなったように感じた。自分との対話がそのきっかけなのか――烏滸がましいとは感じつつも、もしそうであるなら光栄なことだった。

「……あ! ゼルー! ダンテも! おーい!」
「姫様……ディエス様も。待っていてくださったのか」
「まったく……本当に、い奴よ」

 徐々に近づく地上、愛し子の無邪気な声と月神の穏やかな笑顔がダンテたちを出迎える。――終わりはすぐそこにある。だが、終わりの先にも、まだ残された者たちの生がある。――終わりの先にある二人の生は、必ずや自分が。地に立つ二人の姿に、己が誓いを重ねた。
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