Tuning the world

 青空色の丸い瞳が、ゼルティオスを見つめていた。その瞳に恐怖の色はない。赤子――ディエスとゼルティオスによって「マグダレア」と名付けられた人間の娘は、ただぼんやりとした無防備な顔で、瞳にあるがままを映していた。

「……途方もなく無力だな」

 マグダレアを腕に抱きながら、ゼルティオスは思わずそう呟いた。この小さな命ができるのは泣くことくらいで、自力で身を守る術など何も持たない。だから"親"である自分たちが守ってやる必要がある。他者の助けがなければ生きられない、弱く儚い命。

「……人間も、このような具合でよく生きられたものだ」

 かつてこの星に君臨した種、その骸を閉じ込めた永久凍土。それらが業火によって焼き尽くされた果て、残った冷たい灰より生まれ落ちたのがゼルティオスだった。最初の記憶は己の産声という咆哮で、生まれたその瞬間から己が何であるのかを理解していた。そして己を突き動かす闘争の本能のままに数多の命を屠り、喰らってきた。それが、ゼルティオスという竜。それに比べて、今彼の腕に抱かれる命はどうだ。言葉は理解できず、話すこともできなければ自力で動くこともできない。完全に己の命を他者に委ねている。疑うことすらもできない無垢な瞳で。――その瞳を見ていると、ほんの少しの出来心が芽生えた。

「なあ、我が娘よ。我は今腹を空かせている。……おぬしは小さいが、なんとも美味そうな匂いがするな」

 ――その肉を寄越せ。顔を近づけ、親が子に愛を告げるように、そう言った。

「……ぅ、ぅう、あ!」

 ――その言葉に、赤子はふにゃりと無邪気に笑って。小さな小さな丸い手で、ゼルティオスの頬に触れた。柔らかな感触が彼に伝わる。ゼルティオスは一瞬、呆けた顔をして――同じように、笑った。

「は……っはははは……! お前たちは、同じだな……! まだ一月も経たんうちにあやつに似てきたか……!」

 その手に触れられた瞬間、愛する者の手の感触を思い出した。愛も温もりも知らぬ、知性があるだけの獣同然の存在だった己に、そっと触れる手を。柔らかく、ひたむきで、あたたかな手。さすがは"親子"とでも言うべきか。

「う……?」
「……ふ。喰うことなどせん、ただの冗談だ。あやつの愛する者を我が害すはずがなかろう。……いや。それ以前に……」

 彼だけではなく、己自身も、きっと。――生贄として捨て置かれたこの赤子を育てると彼が言い出した時は不安が大きかった。正直なところ、今でも不安はある。そして、彼と同じようにこの赤子も愛することができるのか――突然目の前に現れた命に対して、そんな不安も抱いていた。変に気を遣わせてはならないと、この不安は彼にさえ話したことがなかったが、幸いなことにそれは杞憂に終わるだろう。そんな確信を抱かせる力が、その手にはあった。どうやらこの赤子は己が思っているほど無力な存在というわけでもないようだ。

「……んぅ……」
「……眠いか。まったく、自由な奴だ」

 無邪気に笑ったかと思えば、切り替わるように眠ろうとしていた。猫のようだと内心考える。

「……我がここにおる。安心して眠れ、マグダレア」

 やがて静寂が訪れる。――心安らぐ日など無かったあの頃と比べて、退屈なほどに平穏な日々。だが、これも悪くはない。娘の寝顔を観察しながら、もう一人の家族の帰りを待つことにした。
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