Tuning the world

「うっ……! げほっ、げほっ……!」

 地を蹴る音、葉が揺れる音、空気が切れる音、木が打ち付ける音、少女のうめく音、その身体が倒れ伏す音。六つの音が立て続けに森の中に響いた。

「……ごめん、ちょっと強くやりすぎたかも」
「大丈、夫……」

 木製の剣で腹を強く打たれ、荒い呼吸を繰り返すエレシアにクラレンスが慌てて駆け寄る。

「だいぶ時間も経ったし、少し休憩しようか」
「いい……まだ、やれる」
「駄目。痩せ我慢は良くないよ」
「でも……」
「だ、め。急がば回れ、スイウにある言葉。……妹ちゃんが心配で、早く強くなって迎えに行きたいのはわかるけど。無理をしすぎて怪我でもしたら、かえって遠回りになっちゃうよ」
「……わかった……」

 エレシアは不服な態度を見せつつも、言葉自体には納得したため渋々受け入れる。瓶を受け取り、その中の水を飲み干さんとする勢いで口にするエレシアを見たクラレンスは、一つ笑いをこぼした。

「何が面白いの」
「いや、可愛いなって思ってさ」
「……クラレンス、私はあなたとふざけるためにここに来たんじゃないわ」
「ごめんごめん、そういうつもりはなかったよ」

 クラレンスはそう言って、エレシアの隣に腰掛ける。風の音、葉が揺れる音、鳥の鳴き声。そういった穏やかな音だけが聞こえる空間にて二人はしばし黙っていたが、やがてクラレンスが大きな荷物の中から何かを取り出す。

「それで。アンタは素人にしてはかなり筋がいい。立ち回りはほぼ完璧だから、次はこれでやろうか」

 取り出されたのは鉄製の剣だった。その鈍い色が、訓練用の木製のそれとは違う緊張感をエレシアに与える。

「剣……本物?」
「そう。実際に戦いで使われる剣。……持ってみて」

 クラレンスは軽々と両手に二本の剣を持つが、そのうちの一本を手渡されたエレシアはすぐにその重さに負ける。

「重っ……」
「でしょ? けど力なら勝手に鍛えられていくから、そこは大した問題じゃない。それよりも……立って、構えて」
「ええ……」

 促され、立ち上がる。クラレンスが片手で軽々と持っている剣を、エレシアは両手で持つだけで精一杯だった。

「オレは反撃をしない、だから思い切りやって」
「え……」
「いいから」

 有無を言わせないような、先程とは違う真剣な表情に押され、意を決したエレシアは駆ける。一つ、二つとクラレンスに向かって剣を振るうが、その動きは先程とは明らかに鈍っていた。

「オレを傷つけるのが怖い? 傷なんて簡単に治せる。だから遠慮はいらない」
「……っ」

 先程の「それよりも」という言葉はこれのことだったのか。クラレンスの助言を受けてもなお、エレシアの躊躇いは消えない。――傷つけるのが、怖い。剣の重さに身体が疲労を訴え、動きを止めた瞬間。

「ぐっ……!」

 クラレンスはエレシアの華奢な身体を思い切り蹴り付け、容易く倒れ伏した身体を踏み付け、首元に剣の鋒を突き付ける。これは反撃ではなく、向こうからの攻撃。――エレシアを見下ろす蜜色の瞳は一転して温度を失い、獲物を捉えた獰猛な獣のごとく爛々と輝いていた。

「何を……」
「……これはただの訓練だから、殺されることはない。だから安心。そう思ってるでしょ」
「クラレンス……?」
「思ってるよね。抵抗もせずに、呑気に質問してるのがその証拠。……わかってる? この剣は本物。オレがその気にさえなれば、今すぐにアンタを殺せる。今のアンタの命は、オレが握ってる。……アンタのこれからの旅は、楽しい旅行なんかじゃない。命をかけて傷つけ合う、殺し合い。殺されないために、殺す旅」
「……クラレンス、苦しい……本当に……! やめて……!」

 クラレンスが足に体重を乗せる。成人した男の体重がエレシアの身体にのしかかるが、嘆願を受けたクラレンスはむしろ力を強める。

「序の口だよ、こんなもの。……オレは昔ハンターをやってたけど、いろんな魔獣がいた。ビッシリと生え揃った牙、骨すら焦がす炎、皮膚を溶かす毒。……この程度で根を上げるようじゃ、アンタは囮の餌がお似合いだね」
「っ……く……」
「泣けば情けをかけてもらえるとでも? ……いくら剣の筋が良くても、精神面がこれじゃ話にならないな。シルグに戻って、そうやって一生泣いて生きていればいい」
「……」

 言葉は続かなかった。クラレンスが足を離し、肉体の痛み自体は無くなったが、今度は心の痛みに耐えかね涙を流した。

「……妹も可哀想に。こんな不甲斐ない姉を持ってさ」
「……!」

 思い出したのは、シーナの亡骸。クラレンス曰く、それはシーナが用意した偽物だったらしいが――血塗れのそれが、糸で繋がっていたように思い起こされた。――約束。来年も再来年も、一緒に遊ぶ。――シーナは待っていても戻ってこない。なら、やるべきことは。

「……っはああああぁぁぁっっ!」
「っ……!?」

 絶叫。鳥の羽ばたく音。クラレンスが振り返れば、その頬に一筋の赤が足された。

「……あ……」
「はは……悪くない根性だ」

 クラレンスが笑う。エレシアは肩で息を繰り返し、やがて糸が抜けたようにその場に座り込んだ。

「ごめんなさい、私……」
「そういう罪悪感も捨てるべきだけど……お気遣いどうも。正直、アンタを舐めてた」
「……いいえ……あなたのあの言葉がなければ、駄目だった。……ありがとう。私を奮い立たせるために、シーナを……妹のことを言ったんでしょう?」
「さあ、なんのことやら……でも、第一関門は突破と言っていい。アンタの旅立ちもそう遠くないはずだよ、エレシア」
「……ええ」

 クラレンスが差し出した手を、エレシアが掴み立ち上がる。クラレンスの笑顔に釣られてエレシアが笑えば、それを皮切りに森の中には和やかな笑い声が響いた。
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