Tuning the world
「みぃ!」
「……ラトレイアか。どうした?」
木陰に座り本を読んでいたメルリーチェのそばにラトレイアが近づく。メルリーチェは顔を上げ、栞を挟み本を閉じてからそっとラトレイアを撫でた。
「みゅう!」
ラトレイアはぴょこんとメルリーチェの膝に乗っかり、ゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らす。まだ両手で足りる回数しか顔を合わせたことがないというのに、警戒心の欠片もないその姿にメルリーチェの頬も自然と緩む。
「ふ……気安く接してくれるのは嬉しいが、私と馴れ合うとお前の主人が怒るぞ」
「みゅう! みぃ!」
「……いや、怒られるのはむしろ私の方か。近寄ってきたのはお前の方だというのに、難儀な奴だ」
「みゅ!」
ラトレイアの言葉はメルリーチェには通じていない。メルリーチェは勝手に話を進めるが、少なくともラトレイアは主人に悪態をつくメルリーチェに怒る様子はなかった。メルリーチェはいつしか両手でラトレイアを撫で回し、ラトレイアもその優しい手に身を任せる。
「……なるほど。ラグナとネイが羨ましくなるな」
「み?」
直接的に表現しないせいで、メルリーチェが言いたいことはラトレイアにはいまいち伝わらない。首を傾げるラトレイアに言葉の意図を伝えるのは少々気恥ずかしく、メルリーチェはただ苦笑するしかなかった。
♢
「ん、ラトレイア。どうしたの?」
「みっ!」
酒場で一人食事をしていたクラレンスの前、ラトレイアが顔を見せる。テーブルにはサンドイッチ、ステーキ、サラダが置かれており、鼻に入ってくる匂いはなんとも食欲をくすぐるものだった。
「そんなに目を輝かせてもあげないよ? ……というか君ってこんなものまで食べるのか」
「みぃ〜……!」
「はあ、罪悪感がすごい。ごめんよ、今度美味しいおやつあげるから。……昨日は満月だったろ? 久しぶりに食欲が戻ったから、今日は思いっきり食べたいんだよね」
「み……! みゅ、みぃ……」
たたえた笑みと、露わになった犬歯。それとクラレンス自身の言葉で、ラトレイアは彼の事情を察した。半月を過ぎてから身体を苛む多くの苦痛、クラレンスはそれから解き放たれたばかりなのだ。ラトレイアはすぐに料理から顔を離す。
「大丈夫、怒ってないから。獣は食べるのが大好きだし、わかるよ。……君から見てオレは獣なのかはわからないけど」
クラレンスの表情に、微かな陰が差す。人ではなくなった、だが獣にもなりきれない。彼の九年間の苦労がそこに表れているようだった。
「みゅっ!」
ラトレイアはパタパタと羽根を動かし、クラレンスの肩に移動して頬ずりをする。
「……ありがとう、ラトレイア。心強いよ、君みたいな仲間がいて」
「みぃ!」
彼の憂いは笑顔に塗り替えられる。嘘や秘密という化粧のない、彼本来の笑顔だった。
♢
「うー……寒いねえラト……」
「みゅ?」
「その様子、さては寒くないな……? そっか、ラトはクウィラ生まれだもんね。寒さには慣れっこか」
旅の途中に身を寄せた狭い宿の中。年季の入った木造建築には隙間風が忍び込み、ネイは布団の中で身を震わせる。対してラトレイアは平気な顔をしており、この辛さを共有できる者の不在によってネイの震えは心にまで及んでいた。
「みゅう!」
そんな中、ラトレイアは不意に、自分の尻尾と翼ごと身を丸める。そしてちらりとネイに視線を寄越した。
「……どうしたの?」
「みぃ! みぃっ!」
唐突なラトレイアの行動にネイは困惑するが、ラトレイアは体勢はそのまま訴えるように鳴き続ける。
「……あ、真似しろってこと?」
「みぃ!」
推理を披露すれば、明るい返事。ネイはラトレイアに倣って、足を抱えて身を丸めた。たしかにこの方が普通にしているよりは幾分かマシである。布団の中で身を丸めるネイとラトレイアは、さながら母親の腹の中で眠る胎児のようだった。
「……なんか、落ち着くなあ」
「みゅ……? ……みゅう」
記憶の中の人が、ラトレイアの脳裏に蘇る。熱を逃さないよういつも身を丸めて眠っていた友達。それとネイの言葉はただの偶然なのか、彼と同じ魂を宿すがゆえのものなのか。ラトレイアにはわからなかった。
♢
「ラト。何か考え事か?」
『ラグナさま……みんなのこと、考えてたの』
夜。焚き火を前にして長いこと黙っているラトレイアを不思議に思ったのか、ラグナが声をかけた。
「……ネイたちのことか?」
『うん。ネイも、クラレンスも、メルリーチェも。みんなやさしいの。ネイはいつも仲良くしてくれるし、クラレンスはラトと同じで安心するし、メルリーチェも……』
「ラト、あれに気を許すな」
『……やだ! メルリーチェやさしいもん!』
「……ラト、言っただろう。あれはあの女の」
『今はかんけいないよ! そうやってすぐ怒るから、メルリーチェにも"なんぎなやつ"って言われるんだよ!』
「……ラト、私は」
『ラグナさま! ラトのこと、いつまでも子どもだと思ってたらおおまちがいだからね!』
「……わかった、わかったから」
ラトレイアの鳴き声に反応したのか、そばで寝ているネイが寝返りをうった。それも踏まえてかは不明だが、ラグナは早々に降参する。そして訪れる静寂。少々気まずい空気が流れるが、それを打ち破ったのはラトレイアの方だった。
『……むにゃ』
「……眠いのか。夜も遅いし、そろそろ寝なさい」
『や……まだラグナさまとおしゃべりする……』
「それは明日にしようか。ほら、おやすみ」
『……はぁい……』
ラグナが取ったストールにくるまれ、ラトレイアは急激な眠気に襲われる。これは立派な子ども扱いだ。抗議はしたいが、膝の上に乗せられ頭を撫でられては、あっという間にそんな気力も無くなり――ラトレイアは、穏やかに夢の中へと足を踏み入れた。
「……ラトレイアか。どうした?」
木陰に座り本を読んでいたメルリーチェのそばにラトレイアが近づく。メルリーチェは顔を上げ、栞を挟み本を閉じてからそっとラトレイアを撫でた。
「みゅう!」
ラトレイアはぴょこんとメルリーチェの膝に乗っかり、ゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らす。まだ両手で足りる回数しか顔を合わせたことがないというのに、警戒心の欠片もないその姿にメルリーチェの頬も自然と緩む。
「ふ……気安く接してくれるのは嬉しいが、私と馴れ合うとお前の主人が怒るぞ」
「みゅう! みぃ!」
「……いや、怒られるのはむしろ私の方か。近寄ってきたのはお前の方だというのに、難儀な奴だ」
「みゅ!」
ラトレイアの言葉はメルリーチェには通じていない。メルリーチェは勝手に話を進めるが、少なくともラトレイアは主人に悪態をつくメルリーチェに怒る様子はなかった。メルリーチェはいつしか両手でラトレイアを撫で回し、ラトレイアもその優しい手に身を任せる。
「……なるほど。ラグナとネイが羨ましくなるな」
「み?」
直接的に表現しないせいで、メルリーチェが言いたいことはラトレイアにはいまいち伝わらない。首を傾げるラトレイアに言葉の意図を伝えるのは少々気恥ずかしく、メルリーチェはただ苦笑するしかなかった。
♢
「ん、ラトレイア。どうしたの?」
「みっ!」
酒場で一人食事をしていたクラレンスの前、ラトレイアが顔を見せる。テーブルにはサンドイッチ、ステーキ、サラダが置かれており、鼻に入ってくる匂いはなんとも食欲をくすぐるものだった。
「そんなに目を輝かせてもあげないよ? ……というか君ってこんなものまで食べるのか」
「みぃ〜……!」
「はあ、罪悪感がすごい。ごめんよ、今度美味しいおやつあげるから。……昨日は満月だったろ? 久しぶりに食欲が戻ったから、今日は思いっきり食べたいんだよね」
「み……! みゅ、みぃ……」
たたえた笑みと、露わになった犬歯。それとクラレンス自身の言葉で、ラトレイアは彼の事情を察した。半月を過ぎてから身体を苛む多くの苦痛、クラレンスはそれから解き放たれたばかりなのだ。ラトレイアはすぐに料理から顔を離す。
「大丈夫、怒ってないから。獣は食べるのが大好きだし、わかるよ。……君から見てオレは獣なのかはわからないけど」
クラレンスの表情に、微かな陰が差す。人ではなくなった、だが獣にもなりきれない。彼の九年間の苦労がそこに表れているようだった。
「みゅっ!」
ラトレイアはパタパタと羽根を動かし、クラレンスの肩に移動して頬ずりをする。
「……ありがとう、ラトレイア。心強いよ、君みたいな仲間がいて」
「みぃ!」
彼の憂いは笑顔に塗り替えられる。嘘や秘密という化粧のない、彼本来の笑顔だった。
♢
「うー……寒いねえラト……」
「みゅ?」
「その様子、さては寒くないな……? そっか、ラトはクウィラ生まれだもんね。寒さには慣れっこか」
旅の途中に身を寄せた狭い宿の中。年季の入った木造建築には隙間風が忍び込み、ネイは布団の中で身を震わせる。対してラトレイアは平気な顔をしており、この辛さを共有できる者の不在によってネイの震えは心にまで及んでいた。
「みゅう!」
そんな中、ラトレイアは不意に、自分の尻尾と翼ごと身を丸める。そしてちらりとネイに視線を寄越した。
「……どうしたの?」
「みぃ! みぃっ!」
唐突なラトレイアの行動にネイは困惑するが、ラトレイアは体勢はそのまま訴えるように鳴き続ける。
「……あ、真似しろってこと?」
「みぃ!」
推理を披露すれば、明るい返事。ネイはラトレイアに倣って、足を抱えて身を丸めた。たしかにこの方が普通にしているよりは幾分かマシである。布団の中で身を丸めるネイとラトレイアは、さながら母親の腹の中で眠る胎児のようだった。
「……なんか、落ち着くなあ」
「みゅ……? ……みゅう」
記憶の中の人が、ラトレイアの脳裏に蘇る。熱を逃さないよういつも身を丸めて眠っていた友達。それとネイの言葉はただの偶然なのか、彼と同じ魂を宿すがゆえのものなのか。ラトレイアにはわからなかった。
♢
「ラト。何か考え事か?」
『ラグナさま……みんなのこと、考えてたの』
夜。焚き火を前にして長いこと黙っているラトレイアを不思議に思ったのか、ラグナが声をかけた。
「……ネイたちのことか?」
『うん。ネイも、クラレンスも、メルリーチェも。みんなやさしいの。ネイはいつも仲良くしてくれるし、クラレンスはラトと同じで安心するし、メルリーチェも……』
「ラト、あれに気を許すな」
『……やだ! メルリーチェやさしいもん!』
「……ラト、言っただろう。あれはあの女の」
『今はかんけいないよ! そうやってすぐ怒るから、メルリーチェにも"なんぎなやつ"って言われるんだよ!』
「……ラト、私は」
『ラグナさま! ラトのこと、いつまでも子どもだと思ってたらおおまちがいだからね!』
「……わかった、わかったから」
ラトレイアの鳴き声に反応したのか、そばで寝ているネイが寝返りをうった。それも踏まえてかは不明だが、ラグナは早々に降参する。そして訪れる静寂。少々気まずい空気が流れるが、それを打ち破ったのはラトレイアの方だった。
『……むにゃ』
「……眠いのか。夜も遅いし、そろそろ寝なさい」
『や……まだラグナさまとおしゃべりする……』
「それは明日にしようか。ほら、おやすみ」
『……はぁい……』
ラグナが取ったストールにくるまれ、ラトレイアは急激な眠気に襲われる。これは立派な子ども扱いだ。抗議はしたいが、膝の上に乗せられ頭を撫でられては、あっという間にそんな気力も無くなり――ラトレイアは、穏やかに夢の中へと足を踏み入れた。