Tuning the world
空は灰、地は白。無彩色に染め上げられた静寂の世界で、エレシアの口からひとつ吐息がこぼれる。その息は容易く世界に溶け、後には何も残らない。その光景を眺めながら、エレシアは数分前の自分を心の中で咎める。早くに目覚め、この冬に入って初めての雪に子供ながらに心を躍らせ外に出てみたものの、すぐにそれを後悔する。理由は単純だった。
「……寒い」
身を刺す冷気に耐えかね、他者に主張するというわけでもなく、ただそう一言呟いた。その音もまた吐息と同じく世界に溶け、音を発した自分でさえも間違ってこの世界と溶け合ってしまうのではないかと、一抹の不安を抱かせる。はやく家に入ろう。二度寝をしてもいいくらいの時間帯だ、毛布を被ってあの安らぎの世界に戻ろう。そう踵を返した時、自宅の入り口の扉が開かれる。
「あれ、姉さん。わたしが一番だと思ったんだけど、起きてたんだね」
現れたのは、胸までの長さの銀髪、エレシアと同じ青空色の瞳を持つ少女――シーナ。髪の色を除けばエレシアと瓜二つの容姿ではあるが、その顔つきはエレシアと比べて柔らかく、朗らかな笑顔がよく似合う。
「ええ。寒くて……目が覚めたの」
「その割にはこうして外にいるんだね? でも、わたしも同じ。寒いけど、雪が降るとつい童心に返っちゃうっていうか。姉さんは雪は好き?」
「……嫌い、ではないけど」
「ということは、好きなんだね? 姉さんがそう言うときは好きなときだって、わたし知ってるもの」
降りしきる雪は地に積もり、あるいは木や民家に覆い被さって、この世界が無彩色であり続けるための糧となる。シーナはそんな世界を、子供のようにきらきらとした瞳に映す。エレシアもそれに倣い、しばし空を眺めていた。
「……ねえ、姉さん!」
「何……っ!?」
その静寂を打ち破るシーナの声が背後から聞こえ、エレシアが振り返ったその瞬間顔いっぱいを冷たさが襲う。視界を覆う白を慌てて拭えば、シーナが朗らかな笑顔とはまた違う、悪戯っぽい笑顔を浮かべて小さな雪玉を持っていた。
「あはは! 命中!」
「シーナ……」
エレシアは一つ、妹の名を呟く。眉間に皺を寄せたりしているわけではなく、あくまで無表情ではあるが、このエレシアを見れば多くの人は彼女が怒っていると感じるだろう。
「ほら、姉さんも! 一緒に雪合戦! 身体が温まるよ!」
そのエレシアにもシーナは臆さず笑顔で続ける。そこに遠慮や恐れは微塵もなかった。
「いや、私は……」
「えー? 遊びたくないの?」
「……そういうわけでは」
「もう、またそれ! せっかくの雪、少しくらい遊んだって聖神様は罰を与えたりなんてしないよ!」
話を続けながら、シーナはまた雪を丸めて正確にエレシアへとぶつける。立ち尽くすだけの大きな的と化したエレシアに一つ、二つと白が足されるが、すぐにシーナは止まる。
「やらないならやらないってはっきり言ってよ〜……」
「……やる。やられてばかりもなんだし」
エレシアは身に纏った白を振り払い、地面の雪を掴んでシーナめがけて投げつけるが、シーナはそれを容易く避ける。
「そうこなくっちゃ!」
エレシアとシーナは互いに雪玉を投げつけるを繰り返す。相手の逃げる方向を予測し、時にはフェイントも用いてただひたすらに相手を狙い続ける。逃げ回り、追いかけ、町中を走り回る。身に纏わりついていた寒気はいつのまにか消え、シーナはもちろん、エレシアの顔にも笑みが浮かぶ。
「これで同点くらいかな? でもわたしの力はこんなものじゃ……わっ」
「シーナっ!」
エレシアの方を向きながら後退していたシーナは雪に足を取られたか、地面に倒れる。慌ててエレシアが駆け寄るが、その瞬間顔に雪玉を思いきりぶつけられる。堪え切れないとばかりにシーナの大笑いが静寂の世界にこだました。
「あはは……! 相手に情けをかけるのは禁物!」
「……妹を心配する気持ちに付け入るなんて、卑怯よ……」
「勝つためなら時には卑怯な手も必要だよ!」
「……はあ、いつの間にこんなずる賢くなってしまったのね」
「ふふ……それより、姉さんもどう? すごく気持ちいいよ」
「ちょっ、シーナ……!」
どう、と言いつつシーナは強引にエレシアの腕を掴んで雪のクッションに引き込む。冷たさが身を襲うが、雪合戦で温まった身体にはそれが心地よくもあった。
「ああ……シャワー浴びなくちゃ……」
「そういうのは後! ……ねえ、楽しかった? わたしと遊ぶのは」
「……ええ。楽しかった」
「あ、今回は素直だね。……ねえ、初雪の日はまた思いっきり遊ぼうよ。今度は雪だるまを作るのはどうかな? きっと、なんでも楽しいよ」
「……そうね。約束。来年も、再来年も、遊びましょう」
「やったあ! 約束ね!」
――初雪になれば、ああやって童心に返って思いきり遊んで、妹と笑い合えるものだと、そう思っていた。だが今はどうだ、思い出すのは赤一色。妹だったものから流れ出る赤色。もうそれしか思い出すことができなかった。
「……」
空は灰、地は白。無彩色に染め上げられた静寂の世界で、エレシアの瞳から一つ涙がこぼれる。その涙は容易く雪に溶け、後には何も残らない。一年前に妹の遺体が転がっていた場所にはもう赤色などなく、あるのは白だけ。それと同じだった。
「……いい雪だね。君、雪は好き?」
「……嫌い。大嫌い」
背後から聞こえた耳慣れない青年の声。相手が誰かを問う前に、エレシアは反射的に答えた。振り返れば、青い髪に蜜色の瞳の青年が、笑みを浮かべて立っていた。青年はただ一言、告げる。世界と神々を巡る戦いの狼煙を。
「――君の妹ちゃん、生きてるよ」
「……寒い」
身を刺す冷気に耐えかね、他者に主張するというわけでもなく、ただそう一言呟いた。その音もまた吐息と同じく世界に溶け、音を発した自分でさえも間違ってこの世界と溶け合ってしまうのではないかと、一抹の不安を抱かせる。はやく家に入ろう。二度寝をしてもいいくらいの時間帯だ、毛布を被ってあの安らぎの世界に戻ろう。そう踵を返した時、自宅の入り口の扉が開かれる。
「あれ、姉さん。わたしが一番だと思ったんだけど、起きてたんだね」
現れたのは、胸までの長さの銀髪、エレシアと同じ青空色の瞳を持つ少女――シーナ。髪の色を除けばエレシアと瓜二つの容姿ではあるが、その顔つきはエレシアと比べて柔らかく、朗らかな笑顔がよく似合う。
「ええ。寒くて……目が覚めたの」
「その割にはこうして外にいるんだね? でも、わたしも同じ。寒いけど、雪が降るとつい童心に返っちゃうっていうか。姉さんは雪は好き?」
「……嫌い、ではないけど」
「ということは、好きなんだね? 姉さんがそう言うときは好きなときだって、わたし知ってるもの」
降りしきる雪は地に積もり、あるいは木や民家に覆い被さって、この世界が無彩色であり続けるための糧となる。シーナはそんな世界を、子供のようにきらきらとした瞳に映す。エレシアもそれに倣い、しばし空を眺めていた。
「……ねえ、姉さん!」
「何……っ!?」
その静寂を打ち破るシーナの声が背後から聞こえ、エレシアが振り返ったその瞬間顔いっぱいを冷たさが襲う。視界を覆う白を慌てて拭えば、シーナが朗らかな笑顔とはまた違う、悪戯っぽい笑顔を浮かべて小さな雪玉を持っていた。
「あはは! 命中!」
「シーナ……」
エレシアは一つ、妹の名を呟く。眉間に皺を寄せたりしているわけではなく、あくまで無表情ではあるが、このエレシアを見れば多くの人は彼女が怒っていると感じるだろう。
「ほら、姉さんも! 一緒に雪合戦! 身体が温まるよ!」
そのエレシアにもシーナは臆さず笑顔で続ける。そこに遠慮や恐れは微塵もなかった。
「いや、私は……」
「えー? 遊びたくないの?」
「……そういうわけでは」
「もう、またそれ! せっかくの雪、少しくらい遊んだって聖神様は罰を与えたりなんてしないよ!」
話を続けながら、シーナはまた雪を丸めて正確にエレシアへとぶつける。立ち尽くすだけの大きな的と化したエレシアに一つ、二つと白が足されるが、すぐにシーナは止まる。
「やらないならやらないってはっきり言ってよ〜……」
「……やる。やられてばかりもなんだし」
エレシアは身に纏った白を振り払い、地面の雪を掴んでシーナめがけて投げつけるが、シーナはそれを容易く避ける。
「そうこなくっちゃ!」
エレシアとシーナは互いに雪玉を投げつけるを繰り返す。相手の逃げる方向を予測し、時にはフェイントも用いてただひたすらに相手を狙い続ける。逃げ回り、追いかけ、町中を走り回る。身に纏わりついていた寒気はいつのまにか消え、シーナはもちろん、エレシアの顔にも笑みが浮かぶ。
「これで同点くらいかな? でもわたしの力はこんなものじゃ……わっ」
「シーナっ!」
エレシアの方を向きながら後退していたシーナは雪に足を取られたか、地面に倒れる。慌ててエレシアが駆け寄るが、その瞬間顔に雪玉を思いきりぶつけられる。堪え切れないとばかりにシーナの大笑いが静寂の世界にこだました。
「あはは……! 相手に情けをかけるのは禁物!」
「……妹を心配する気持ちに付け入るなんて、卑怯よ……」
「勝つためなら時には卑怯な手も必要だよ!」
「……はあ、いつの間にこんなずる賢くなってしまったのね」
「ふふ……それより、姉さんもどう? すごく気持ちいいよ」
「ちょっ、シーナ……!」
どう、と言いつつシーナは強引にエレシアの腕を掴んで雪のクッションに引き込む。冷たさが身を襲うが、雪合戦で温まった身体にはそれが心地よくもあった。
「ああ……シャワー浴びなくちゃ……」
「そういうのは後! ……ねえ、楽しかった? わたしと遊ぶのは」
「……ええ。楽しかった」
「あ、今回は素直だね。……ねえ、初雪の日はまた思いっきり遊ぼうよ。今度は雪だるまを作るのはどうかな? きっと、なんでも楽しいよ」
「……そうね。約束。来年も、再来年も、遊びましょう」
「やったあ! 約束ね!」
――初雪になれば、ああやって童心に返って思いきり遊んで、妹と笑い合えるものだと、そう思っていた。だが今はどうだ、思い出すのは赤一色。妹だったものから流れ出る赤色。もうそれしか思い出すことができなかった。
「……」
空は灰、地は白。無彩色に染め上げられた静寂の世界で、エレシアの瞳から一つ涙がこぼれる。その涙は容易く雪に溶け、後には何も残らない。一年前に妹の遺体が転がっていた場所にはもう赤色などなく、あるのは白だけ。それと同じだった。
「……いい雪だね。君、雪は好き?」
「……嫌い。大嫌い」
背後から聞こえた耳慣れない青年の声。相手が誰かを問う前に、エレシアは反射的に答えた。振り返れば、青い髪に蜜色の瞳の青年が、笑みを浮かべて立っていた。青年はただ一言、告げる。世界と神々を巡る戦いの狼煙を。
「――君の妹ちゃん、生きてるよ」
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