雑多 短篇
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貴方と私を初めて繋いだもの。
スケッチブック
放課後、西日の眩しい図書室で私は分厚い本を抱くようにして、隅の椅子で読書に勤しんでいた。そして、少し離れた窓際には私の学校で……いや、それどころか、近隣の学校を含めた上でも恐れらるている不良集団のボス桐山が一人、大きなスケッチブックに窓の外の世界を静かに描き写していた。彼は私が図書室に来る前から居たようで、もう聞いただけでも3回程は紙を捲っている。
彼の筆は迷いが一つも無く、その上速さもあった。もしかしたら、私が来る前も換算するとスケッチの数は、二桁にも届いているのかもしれない。そんな彼のスケッチを少し覗いてみたいという好奇心も僅かながらにはあったけれど、あの県内でも有名な不良集団のボスである桐山に関わって、もし、これまで築き上げてきた私の平穏な学校生活を崩されたりでもしたら……。
なんて思うと、流石に話し掛けようだなんて気は湧いてはこなくて、私は諦めて綺麗に整列された活字に視線を戻した。それでも何故か気になるものだから、私は度々重い本からチラチラと顔を上げては先程から彼の動向を人知れず観察していた。
放課後に用事も無いのに図書室にやってくるような、暇を持て余した物好きはいつも私くらいしか居なくて、必然的にこの空間には私と桐山の二人だけだった。だから、改めて考えると人知れずこそこそとなんて、する必要は無かったのかもしれない。それでも私は彼、桐山和雄ともしかしたらの何者かに気付かれまいと、こっそりと様子を窺い続けた。
私が本のページを捲る音と、桐山が筆を走らせる音だけが茜色に染まった図書室に響いていて、それがどことなく心地好い緊張感だった。
それから、一体どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。途切れること無く聞こえていた紙の上を走る筆の音がピタリと止んだかと思うと、滑りの悪い床を椅子が鳴らした。立ち上がり窓の向こうへ向けられる視線。その桐山の横顔は相変わらずと言っていいくらい変化の無い、でも、均整の取れた綺麗な顔で、透き通った彼の色白な頬を夕陽が美しく染め上げていた。
彼の瞳の先には何が映っているのだろうと、私は椅子から身を乗り出して覗いてみるのだが、その先には綺麗に紅葉した銀杏の並木道があるだけ。訳が解らないという具合に私が首を傾げていると、その前をスッと桐山が通り過ぎていった。
物音も気配も感じなかった。
一体いつの間に……。
クラスメイトの私に話し掛けるどころか、視界にも入れず出口に向かっていった桐山がさっきまでスケッチをしていた所を見ると、彼の大きな忘れ物…スケッチブックの存在に気付く。いつも何でも完璧にこなす彼が忘れ物だなんて、思い返せばありえない。つまりそれは、忘れ物でもなんでもないということ。しかし、その時の私にはそこまでの考察の余地は無くて、分厚い本を椅子に投げ捨てて代わりに大きなスケッチブックを抱え、気付けば桐山の後を追って図書室を駆け出していた。
廊下へ出た時には、既に桐山の姿はなかった。賑やかな生徒達の姿が消え失せた夕焼けに染まる廊下は、ずっとずっと続いているのかと思わせるような錯覚を感じさせた。
もう、桐山はどこにも居ないのではなんて思わせる黄昏を払うように頭を振って、直ぐ追いかけたのだからそれ程遠くにいる訳が無いと一歩踏み出す。しかし、足早に校内を歩いていても追い付くどころか姿を見つけることさえ出来なくて、もう諦めてしまおうかと思った時、ふと彼や彼の仲間がいつも屋上にたむろしていたことを思い出す。
「そうだ、屋上」
その言葉と同時に私は、一階から最上階目がけて薄暗い階段を駆け上がった。しかし、悲しいかな日頃の運動不足が祟ったのか、息は上がり足が震え出す。それでも何故か、吸い寄せられるかのように屋上へと何かが私を導いた。
*****
「き、桐山くん!」
「…………」
私の直感も捨てたものじゃない。何とか屋上へと向う桐山を呼び止めることに成功した。ただ私の運動不足による鈍足の為か、はたまた桐山の駿足の為か、彼を呼び止めるのに成功したのはもう屋上へ出る扉に手を掛けていた瞬間だった。突然呼ばれたにも関わらず驚く仕草一つ見せること無く桐山はこちらを向いて、ククッと首を傾げてみせた。もしかしたら、これが彼なりの相槌の仕方なのかもしれないと、肯定的に状況を解釈することにしよう。言葉は疎か音さえ発せずこちらを見詰め続ける桐山に、居心地の悪さを感じながらも私は本題を切り出した。
「桐山くん……これ、図書室に忘れてたよ」
抱えていたスケッチブックを彼の前に差し出し、そう伝える。桐山は自分の忘れ物を受け取るでもなく、黙ったままもう一度首を傾げた。
「これ……桐山くんのじゃ、なかった?」
あの図書室には二人しか居なくて、桐山が出ていって直ぐに追いかけてきたのだから、そんなはずは勿論無いのだけど。スケッチブックを差し出したこの手を、一体どのタイミングでしまえばいいのか。疑問符を浮かべながら私も首を傾げていると、今まで一言も口にしなかった桐山が小さいけれど確かな声で言葉を発した。
「それは、捨てたんだ」
「捨て、た。……何で?」
突然捨てたと言われて困惑しながらもスケッチブックをパラパラと捲るとまだ半分も使っていないし、スケッチも捨てるには余りに勿体ないほどの出来だった。私は捨てられたそれを胸元に抱え直して、もう一度彼に尋ねる。
「どうして捨てちゃうの?こんなに上手なのに」
「スケッチはもう理解した」
「もう飽きた、ってこと?」
続け様に零れる疑問に桐山はククッと首を傾げ、もう言葉を返す事は無かった。私に背を向けて扉のノブに手を掛けると、使用頻度が低く錆付いたそれが鈍い音を立てて回転した。そして、光の漏れる先に消えて行こうとする後ろ姿に、私は思わず言葉を投げた。
「じゃ、じゃあっ、これ……貰ってもいい?」
口をついて出た言葉に自分でも驚く。学校一の不良集団の頭を呼び止めるなんて、なんて大それたことを私はしているんだろう。でも、捨ててしまうには余りにも勿体ないと、そう思ってしまったから。何時しか手放してたまるかとでも言うようにスケッチブックを持つ手には力が籠もっていて、真っ黒な学ランの背中からの返事をじっと待っていた。
「好きにすればいい。俺はもう捨てたんだ」
今度は振り替えること無く、桐山は言葉だけ返した。
ギィ……と声を出す扉を押し開けた桐山により薄暗かった階段が明るく開ける。それはまるで私の心そのものの様に感じた。桐山の姿が一瞬にしてシルエットに変わる。私は眩しさの余りに思わず目を細めたけれど、今にも遠退いていく彼に急いで感謝を告げた。
「桐山くん、ありがとう!これ、大切にするからっ」
行ってしまうと思ったからか、自分でも驚くくらいの大きな声だった。桐山は顔だけこちらに向けて『そうか』とだけ言うと、仲間の待つ屋上へと出ていった。逆光の中で少しだけ見えた桐山の顔が、その口元が、ほんの少しだけ笑ったように見えたのは、私のこの心のせいなのだろうか。その顔が本当に綺麗で、ゆっくり閉まっていく扉にどんどん消されていく桐山の姿を、ただただ見詰めた。
バタン―――
扉が閉まって残されたのは、私と捨てられたスケッチブック。しげしげと自分の手に残されたスケッチブックを見ていると、その表紙に先程の桐山の綺麗な顔が浮かび上がる。
桐山和雄。噂や想像ほど、恐くも悪くも無いのかもしれない。
……後、結構格好良い。
*****
「おはよう、桐山くん!」
「ああ、おはよう。伊吹」
その日以降、私は桐山から貰ったスケッチブックを毎日鞄に入れるようになり、朝教室に入った時は桐山に挨拶をするようにもなった。桐山は最初こそ首を傾げるばかりだったけど、日と回数を重ねるにつれて挨拶を返すようになった。そんな私達の関係にクラスメイトは勿論のこと、桐山ファミリーの面々も驚きの表情を見せたものだ。
きっとこの繋がりにさえ巡り逢えなげれば、こんな未来は来なかったと思う。だから、とても感謝しているんだよと、そっと鞄を抱きながら思う。
終