雑多 短篇
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「あれ、ナルトくん?」
「あ、あかりさん」
陽が傾いてきて建物がオレンジ色に染まってきた頃。任務を済ませた俺が綱手のばあちゃんへの報告も済ませ、賑やかな通りを歩いていると不意にどこからか声を掛けられた。その主を探して視線をぐるりとやると、魚屋から出て来たところのあかりさんがこちらに手を振り微笑んでいた。
「お仕事帰り?お疲れ様です」
「あ、えーと、はい」
俺の方まで小走りでやってくるとそう言ってぺこりと頭を下げた。こんな風に労われることにあまり慣れていない俺は、何だか歯切れの悪い返事をしてしまう。顔を上げたあかりさんは「毎日頑張ってるね」とか「ナルトくん達が頑張ってくれるから、こうして平和に暮らせるんだね」なんて、聞いてるこっちが照れてしまうような言葉を笑顔で連発してくる。それが嬉しくも気恥ずかしくて、俺は話題を自分から逸らした。
「あかりさんも今仕事帰り?」
「うん。それで、晩ご飯の買い物をしてたの」
提げていた買い物袋を胸元辺りまで持ち上げてあかりさんはそう言った。それは一人暮らしの女性が夕飯として買うにしては量が多くて、彼女がこれからどこへ行くのか分かってしまう。
そう。何故ならあかりさんは。
「最近、ナルトくんが押し掛けてこないってイルカさん寂しがってるよ」
あかりさんは、イルカ先生の恋人だからだ。
きっとそれは本当の…
あかりさんの存在を知ったのは、二人がまだ付き合ってすらいない頃だった。人並みには本を読むという程度だったイルカ先生の読書量が心なしか増えている。しかも里に一つの資料館も含めた図書館にせっせと通って借りていて、そこの司書さんと親しげに話をしているとサクラちゃんといのが話していたことがきっかけだ。卒業してから顔を合わせる回数は当然のことながらアカデミー時代よりも減っていたが、それでもよく任務終わりに一楽のラーメンを奢ってもらったりしていた。なのに、自分はそのことに全く気が付かなくて、何だか変な気持ちになった。
それから数日後の任務が休みの日。俺はその図書館へ行ってみることにした。別に悪い女じゃないかとか、イルカ先生に合いそうな人かとか、そういうことを見定めてやろうみたいなものではなく。ただ何となく、その人を見てみたいという気持ちがあったのだ。
「……って、俺ってば名前も見た目もなんにも知らなかったってばよ」
図書館に一歩足を踏み入れたところでそれに気付き、がっくりと肩を落とす。館内は独特の静けさがあって本を読む人や、勉強をする人なんかが数人居たが、誰の声もしなかった。そんな空気は得意ではなくて、でも、蜻蛉返りで再び入り口の扉を開けるのも不自然。仕様がないと腹を括って、本棚と本棚の間を順々に通っていく。ざっと見た感じでは司書らしき人はカウンターで受け付けをする女の人が一人、その後ろで書庫と行き来しているのかカウンター後ろの扉から出たり入ったりしている男の人と女の人、計三人だった。絵本から学術書までずっと通路を進んで行きながら「ピンと来る人が居ないな」と失礼なことを考えていると、最後の図鑑が並ぶ通路に差し掛かった。
「なにかお探しの本がおありですか?」
本棚の角を曲がったところでその通路で返却された本を戻している司書の人が居た。小さな声だけどそれでいてはっきりと、でも穏やかでもあって、よく通るというよりよく届く声だった。
「あ、いやー、そういうわけじゃ……。俺ってばあんまり本は読まないし」
取り繕おうとして口から出たのは「ならどうして図書館へ来た」というようなものだったが、その人は怪しむ様子もなく「じゃあ、折角だから何か一冊、借りていってはどうですか」と勧めてくれた。それから、俺が普段よく読むマンガの種類なんかを聞いて、この本なら読みやすいからと探してくれたその人はあかりさんという名前だった。手続きや貸出期間の説明もしてもらった俺は、本来の目的も忘れ普段読まない本を借りて図書館を後にすることになった。
「俺ってばコレ、最後まで読めるかな…」
その手にある本の表紙を眺めながら俺は少し心配になった。あんなに親切にしてもらったからには、読み切らずに返しにいくことも出来ないからだ。俺の名前を聞いても特別驚くことはなく、何度も頷きながら話を聞いてくれたあかりさんを思い出すと、少しのプレッシャーから溜め息とある感情が零れた。
「あの人だったらいいな…」
それから俺は任務の合間や休みの日、眠りに就く前なんかにコツコツと小説を読み進めた。挿し絵の無い小説なんて1頁と読む前に挫折しそうになっていた俺が、不思議なことにその小説は読み続けることができていた。自分と同じ年頃の少年の冒険活劇は苦難の連続。それでも仲間やそれまで対立していたが互いの力を認め合ったライバル達の協力で、その逆境を乗り越えていく爽快な物語。確かに自分が普段読む少年マンガのような世界で、苦が無くページを捲っていけた。
そして俺は貸出期間二週間のリミットの内、一週間も残して小説を読み終えたので午前中の任務を終わらせた日に、早速図書館へ本を返しに行くことにした。
「あ、ナルトくん。いらっしゃい」
扉を開けて一歩入ったところで受け付けのカウンターに座っていたあかりさんに迎えられた。俺は真っ直ぐカウンターまで歩いて、あかりさんに本を手渡す。
「小説読み切ったの、初めてだったってばよ」
少し照れ臭く思いながらも正直にそう言って、どんなところが楽しかったかを話していると、あかりさんはうんうんと頷きながら「私もその場面とても好き」と微笑んだ。そんな風に互いに好きな場面や台詞を話していると、入り口の方から俺の名前を呼ぶ聞き慣れた声が耳に入った。
「ナルトっ?お前、どうして図書館になんて居るんだ?」
その声を聞いたあかりさんの目は一瞬だけ大きく見開かれて、俺が願うまでも無かったんだということを知った。
「イルカ先生っ?」
「海野さん、こんにちは。……ん?ナルトくん今、先生って」
そこで俺はイルカ先生が親しくしている司書があかりさんであることを知った。きっと、あかりさんは俺がイルカ先生の教え子だってことに驚いて、イルカ先生は俺が図書館に居ることとあかりさんと面識があることに驚いていたんだと思う。
それから昼休みに入ったあかりさんとお昼を食べに蕎麦屋にやって来た俺達は、お互いの関係を整理していた。
「ナルトくんが海野さんの教え子だったなんて、なんだか嬉しい偶然ですね。あ、もしかして、前に海野さんが言っていた手の掛かる教え子のエピソードってナルトくんのことですか?」
「ちょ、イルカ先生、俺のことなんて言ったんだってばよ!」
偶然と思っているあかりさんには少し罪悪感を感じたけど、その後の言葉が聞き捨てならなくてイルカ先生に振り返る。イルカ先生は驚いた後「う、嘘は話してないぞ!」と言った。
「話してるのは本当じゃんか!」
「……お、お前の方こそ図書館に来ているなんて、一体どういう風の吹き回しだっ?」
「ええっ?……おお、俺だって小説の一つや二つ読みたくなる時だってあるってばよ!」
そうやって俺とイルカ先生が言い合っていると、あかりさんはくすくすと笑って「お蕎麦が伸びちゃいますよ」と優しく止めた。それにはっとしてはにかんだイルカ先生は「いただきます」と言って蕎麦を啜った。優しいイルカ先生の表情は何回も見てきているはずなのに、なんだかその時の笑顔は説明は出来ないけど違う気がして、俺はまた変な気分になった。
昼食を食べて少し話をした後、午後の仕事に戻っていくあかりさんの後ろ姿を見えなくなるまでイルカ先生と見送る。
「で、ナルト」
「うん?」
「図書館に行った本当の理由は?」
「……だ、だから、借りてた本を返しに」
「なんで本を借りる気になったんだ?」
そう言うイルカ先生の声色は穏やかで表情も笑顔だったが、言い逃れは許さないという威圧感がひしひしと伝わってきて、俺はサクラちゃん達の話を聞いたことを白状した。
「別に悪事を働いている訳でもないが、どこで誰に見られているか分からんものだな」
俺が白状するとイルカ先生も白状した様子で眉尻を下げて、参った参ったと笑った。
「あかりさん、良い人だってばよ」
「ああ、知ってるよ」
それから俺は、イルカ先生があかりさんと親しくなるきっかけとなった出来事を聞いた。
*****
アカデミーの授業で必要な資料を集めていたイルカ先生が足りない資料に気が付いて図書館に向かうと、閉館時間を少し過ぎていて閉まっていたという。しかし、戸締まりをしていたあかりさんがイルカ先生に気付いて、急ぎの用だろうからと入れてくれて資料作りの手伝いまでしてくれたことが出会いだったそうだ。それから、時折図書館へ本を借りに行っては互いに好きな本の話をしたりしていく内に、互いの仕事のことなどプライベートなことも話す仲になっているのだという。
そんな馴れ初めを照れ臭そうに話すイルカ先生の姿は俺が見たことのないものだった。「あかりさんのこと好きなの?」と思わず口をついて零れてしまいそうなのを堪えて、俺はイルカ先生と別れた。
それから程なくして、付き合うことになったとこれまた気恥ずかしそうに、イルカ先生とあかりさんに報告された。二人が互いを名前で呼び合う姿を見て、ああ、本当にそうなんだと思った。
イルカ先生もあかりさんも二人とも良い人で、初めてあかりさんに会った日に「この人だったらいいのにな」と思ったくらいだから、当然俺は嬉しかった。でも、それと同時にこれからはイルカ先生の時間を自分に割かせてはいけない気もして、なんだか今までのように家に押し掛けることができなかった。それが現在の俺だった。
*****
「……ナルトくん、ナルトくん?」
「え、あっ、ああ」
「ナルトくん少しお疲れ?」
いつの間にかぼうっとしてしまっていた俺を心配して覗き込むあかりさん。そんなあかりさんに大丈夫だと返すと「ねえ、ナルトくん。ちょっとお願いしてもいい?」と覗き込んだ状態のまま上目遣いに言われた。
あかりさんのお願いというのは買い物の手伝いだった。そんなことはお茶の子さいさいだと、あかりさんが提げていた買い物袋を持ってお供をする。肉屋や八百屋などを回ってイルカ先生の家まで着いた俺は、荷物を渡して帰ろうとしたがあかりさんに止められる。
「ナルトくん、もう一つお願い」
そう言って俺の手を引いて家の中へ招き入れるあかりさん。通されたイルカ先生の家は、前に来たことがある時よりも部屋に色味があるような気がした。台所に立ち食材を冷蔵庫に入れたり夕食作りの準備を始めるあかりさんは、後ろで突っ立ていた俺を手招きして彼女の前まで行くと頭からエプロンを掛けられた。
「ちょ、あかりさんっ?」
「もうちょっとだけ付き合って、ね?」
まるで俺を帰らせまいとしているようなあかりさんに押し切られて、俺は言われるがままに野菜を洗ったり切ったりした。
「あのさー、あかりさん。コレって大丈夫かな……」
彼女に言われて野菜を切っていたがそれはどうにも不格好で、これで良いのかと心配になった俺はあかりさんに尋ねた。
「うん。大丈夫だよー、ありがとう。じゃあ、次はこっち!」
そう言って次の作業を渡してくるあかりさん。そんな彼女に良いようにというか、まあ、俺自身も褒められたりして気分良く手伝っていると、いつの間にやら食卓には美味しそうな食事が沢山並んでいた。
「イルカ先生ってば、いっつもこんな豪華な晩ご飯なのか……」
「そんなわけないでしょう?」
「え、違うの?」
テーブルの上をしげしげと見て言うと、あかりさんはくすくすと笑った。「じゃあ、何かのお祝い?」と聞こうとするとがちゃりと音がして、玄関が開いたことが分かった。それは勿論イルカ先生で、あかりさんは俺の背を押して玄関へ出迎えに向かう。
「ほらっ、ナルトくん!」
「……お、おかえりだってばよ?イルカ先生」
家に帰ったら俺がエプロン着けて出迎えてくるなんてビックリするんじゃないかと思ったのに、イルカ先生は俺を見ると優しく微笑んで「ああ、ただいま。ナルト」と返した。自然に流されている状況に俺の方が驚いていると、あかりさんとイルカ先生も「おかえり」「ただいま」という遣り取りをする。
「そんなとこに突っ立ってられたら入れないじゃないか。さあ、進んだ進んだ」
靴を脱いでずいと上がったイルカ先生は俺を部屋の方へ押して、あかりさんは再び俺の手を引いて進んだ。部屋に入りテーブルの上の料理を見るとイルカ先生は「おお、すごいな」と零した。
「二人で頑張りました!」
「って、ナルトに手伝わせたのか?」
「だって、それ以外に引き留める方法が考えられなかったんですもん」
二人が俺には分からない会話をするものだから黙って見ているしかなく居ると、「もしかして、忘れてるのか?」とイルカ先生は持っていた箱を持ち上げた。それにも俺が首を傾げていると、その箱を受け取ったあかりさんがテーブルにスペースを作って箱を開けた。中から出て来たのは円いショートケーキだった。クリームと苺で飾られたケーキの中央にはチョコレートの板があって、それがなんのケーキかやっと分かった。
咄嗟に二人に向き直る。
「今日って……」
すると二人は微笑みながら大きくゆっくりと頷いた。
「お誕生日おめでとう、ナルトくん」
「おめでとう、ナルト」
そうだ。今日は10月10日。俺の誕生日だった。
手伝って作っていた夕食がまさか自分を祝うものだったとは思いもしなくて驚いていた俺はあれよあれよと席に着かされて、楽しい晩ご飯の時間が始まった。
「あれっ?あかりさんが俺に声を掛けたのって偶然?それともそれも計画の内?」
談笑をしている内にふと気付いたことを尋ねてみる。するとあかりさんは手にしていたグラスを置いて、考える仕草をしてみせた。
「えーっと、一応カカシさんからナルトくんが任務から帰る大体の時間を教えてもらっていたんだ。でも、お家まで迎えに行こうと思っていたから、あそこで会えたのは偶然かな」
「早く捕まえちゃったから、手伝わせることになっちゃけど」と言ってはにかんだあかりさんに、「主役に手伝わせるとは流石に予想外だったよ」とイルカ先生も笑う。
「だって、もし後で迎えに行った時に捕まえられなかったらって思ったら、ここで確保しなくちゃって!」
「確保ってあかりさん……」
「でもでもっ、俺ってば、たまには料理してみるもの楽しかったってばよ」
何故かすかさずあかりさんをフォローしていた俺を見ると、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「お前がそう思ってくれるなら良かったよ」
「ありがとうね、ナルトくん」
自分を受け入れられることは嬉しいと同時に照れ臭くて、たまにどうしていいのか分からなくなる。二人に抱く感謝の気持ちを言葉にしたいけど上手なものは思い浮かばなくて、俺はただ二人と一緒に笑った。
*****
楽しい時間が過ぎるのは早いもので、時計を見ればもう夜の9時半に差し掛かるところだった。もう少し二人と過ごしたい気持ちはあったけれど明日も任務があることを知られていて、そろそろ帰って休まないと駄目だとイルカ先生に言われてしまった。それから、少し窮屈だったけど三人で台所に並んで食器の後片づけをして帰ることになった。
「あれ、あかりさんも帰るの?」
「うん。ナルトくん家は帰り道の途中だし、送っていくよ」
「いや、それは逆なんじゃねーかな?」
意気揚々と自分より身体の大きな男を送るなんて言うあかりさんに困ったと、イルカ先生に助けを求めようと視線を送ると先生も靴を履いていた。
「え、イルカ先生も?」
「ああ、送っていくよ」
自分の家を出る客を相手の家まで送るって何だか変な気もするなあなんて考えていると、すっと隣にやってきたあかりさんが俺の耳元に唇を寄せて「イルカさん、こうしていつも送ってくれるの」と言った。イルカ先生の優しさを理解しているのかあかりさんの顔は幸せそうなものだった。
「なんだかイルカ先生らしいってばよ」
「ねっ」
「二人して何をヒソヒソ話しているんだ?」
支度を終えたイルカ先生が鍵を掛けて俺達の方へ来た。しかし、あかりさんはイルカ先生の問いには答えず微笑んで俺の手を取ると歩き出した。
「なんでもないでーす!ね、ナルトくん」
「そうそう、イルカ先生の話なんてしてないってばよ!」
「おい、それ絶対してただろう!」
追い付くと手を握っているあかりさんとは反対の隣についたイルカ先生が「どんな悪口言ってたんだ?」と冗談めかして言ったが、それをまた二人で冗談で返しながら俺達三人は夜道を歩いた。
俺の家の近くまで来ると何だか名残惜しい気持ちがぽつぽつと沸いてきた。すると、さっきまで繋がれて温かかった手が解かれて、あかりさんが俺の前に立った。
「ねえ、ナルトくん。鍵、貸して」
また唐突なことを言い出したあかりさんに驚きながらも、ポケットに手を突っ込んで鍵を取り出すとそれをすぐさま取り上げられた。そして、止める間もなくあかりさんは俺の家の方へ駆けていってしまった。
「イルカ先生?あかりさん、どうしたの?」
「さあな」
置いてけぼりを食らった俺が隣のイルカ先生に聞くと、先生はどこか嬉しそうに「あかりさんはたまに、思いも寄らないことをするからなあ」と笑った。行き先も同じだから駆けていったあかりさんを追いかける訳でもなく、俺とイルカ先生がゆっくりと歩いて家の前まで来ると、窓から灯りが漏れていた。一人暮らしの俺の家に帰ってくる時電気が点いているなんてことは、消し忘れでもしていない限りまずない。でも、今は灯りが着いていて、きっと扉には鍵も掛かっていない。そう思うと何だか嬉しくて、俺は階段を駈け上がって一目散に扉を開けた。
「おかえりなさい、ナルトくん」
扉を開けてすぐの玄関、灯りの中にあかりさんは立っていて、俺の帰宅を出迎えた。「ただいま」とだけ言えばいいその一言が、何故かその瞬間に言葉にならなくて押し黙る。すると、追い付いてきたイルカ先生が俺の肩にぽんと手を乗せた後、玄関に一歩足を踏み入れて振り返った。
「おかえり、ナルト」
家に自分じゃない誰かが居る。灯りの下で出迎えている。きっと殆どの人にとって当たり前のこの光景が今まさに目の前にある。それがどうしようもなく嬉しくて、「ただいま」と何とかそれだけ言って家に入った。玄関に入った俺を既に靴を脱いで一段上がったところに立つあかりさんが引き寄せ抱き締めてきた。俺より少し目線の高くなったあかりさんに抱き締められるのは、何だか大きな愛情に包まれるようであったかかった。もう一度「おかえりなさい」というあかりさんに「ただいま」を返すと、俺とあかりさんの背に腕を回してイルカ先生は俺達ごと包み込んだ。
「おかえり、ナルト」
「ただいま、イルカ先生」
「おかえりなさい、ナルトくん」
「ただいま、あかりさん」
確かめるように繰り返した後、俺達はそれが段々楽しくなって可笑しくなって笑った。
「それじゃあ、ナルト。さっさと風呂に入って休むんだぞ」
「ナルトくん。これは二三日の内に食べてね。これは一週間で、こっちは二週間は大丈夫かな?」
「うん、ありがとう。イルカ先生、あかりさん」
最後まで先生らしく心配するイルカ先生と、タッパーに入れた料理を俺の手にぽんぽんと重ねていくあかりさん。そして最後に「これも」と言って腕に手提げを掛けさせた。
「じゃあな、ナルト」
「おやすみなさい、ナルトくん」
「イルカ先生もあかりさんも…今日は本当にありがとな」
まだ別れたくない気持ちを堪えて、別れの挨拶をして二人を見送る。もう扉を閉めようという瞬間、あかりさんが振り返ってこちらをしっかりと見詰めてきた。
「ナルトくん、ありがとう」
「え?」
「生まれてきてくれて、ありがとう」
どういうことかと聞き返そうとした俺に被せるようにして言ったあかりさんは、その隙を与えてくれないまま扉を閉め去っていった。
「生まれてきてくれてありがとう」だなんて余りに予想もつかない言葉に、俺は一分はそこで微動だにしていなかったと思う。それから、この幸せな状態を維持して眠りに就かなければという謎の使命感に取り付かれて、慌てて風呂を済ませて床に入った。
「あ、そうだ。手提げの中は何だったんだ?」
もう寝るだけだとなった時に、最後にあかりさんに持たされた手提げのことを思い出した。料理は取り敢えず冷蔵庫に入れたが、あれは確認していなかった。何か保存が必要なものかも分からないと一度起きて、ベッドの脇に置いた手提げの中身を取り出す。そこにはあかりさんの字で書かれたメッセージカードと、ラッピングされた幾つかの箱や袋が入っていた。一つ一つそれらを解いていく。
まだ少し早いけどと言葉の添えられた袋には任務中でも使えるようにと伸縮性のある素材で出来たタイトな手袋と、普段使いにと見るからにあったかそうなふわふわの手袋が入っていた。少し小さめの箱には名前とうずまき模様の刻まれた箸が入っていて「カップ麺ばかりじゃダメだよ」とあった。他にも入っていた幾つかのものはどれも実用的なもので「母ちゃんのくれるプレゼントってこんな感じかな」なんて思った。最後にメッセージカードを読んだら、そこにはやっぱり照れ臭くて恥ずかしい言葉がいっぱい並んでいた。俺は読み終えたそれを枕元に仕舞って、頭まですっぽりと布団を被った。
どうかこの幸せが夢でも続きますように。
どうかこの幸せが夢ではありませんように。
終
_
「あ、あかりさん」
陽が傾いてきて建物がオレンジ色に染まってきた頃。任務を済ませた俺が綱手のばあちゃんへの報告も済ませ、賑やかな通りを歩いていると不意にどこからか声を掛けられた。その主を探して視線をぐるりとやると、魚屋から出て来たところのあかりさんがこちらに手を振り微笑んでいた。
「お仕事帰り?お疲れ様です」
「あ、えーと、はい」
俺の方まで小走りでやってくるとそう言ってぺこりと頭を下げた。こんな風に労われることにあまり慣れていない俺は、何だか歯切れの悪い返事をしてしまう。顔を上げたあかりさんは「毎日頑張ってるね」とか「ナルトくん達が頑張ってくれるから、こうして平和に暮らせるんだね」なんて、聞いてるこっちが照れてしまうような言葉を笑顔で連発してくる。それが嬉しくも気恥ずかしくて、俺は話題を自分から逸らした。
「あかりさんも今仕事帰り?」
「うん。それで、晩ご飯の買い物をしてたの」
提げていた買い物袋を胸元辺りまで持ち上げてあかりさんはそう言った。それは一人暮らしの女性が夕飯として買うにしては量が多くて、彼女がこれからどこへ行くのか分かってしまう。
そう。何故ならあかりさんは。
「最近、ナルトくんが押し掛けてこないってイルカさん寂しがってるよ」
あかりさんは、イルカ先生の恋人だからだ。
きっとそれは本当の…
あかりさんの存在を知ったのは、二人がまだ付き合ってすらいない頃だった。人並みには本を読むという程度だったイルカ先生の読書量が心なしか増えている。しかも里に一つの資料館も含めた図書館にせっせと通って借りていて、そこの司書さんと親しげに話をしているとサクラちゃんといのが話していたことがきっかけだ。卒業してから顔を合わせる回数は当然のことながらアカデミー時代よりも減っていたが、それでもよく任務終わりに一楽のラーメンを奢ってもらったりしていた。なのに、自分はそのことに全く気が付かなくて、何だか変な気持ちになった。
それから数日後の任務が休みの日。俺はその図書館へ行ってみることにした。別に悪い女じゃないかとか、イルカ先生に合いそうな人かとか、そういうことを見定めてやろうみたいなものではなく。ただ何となく、その人を見てみたいという気持ちがあったのだ。
「……って、俺ってば名前も見た目もなんにも知らなかったってばよ」
図書館に一歩足を踏み入れたところでそれに気付き、がっくりと肩を落とす。館内は独特の静けさがあって本を読む人や、勉強をする人なんかが数人居たが、誰の声もしなかった。そんな空気は得意ではなくて、でも、蜻蛉返りで再び入り口の扉を開けるのも不自然。仕様がないと腹を括って、本棚と本棚の間を順々に通っていく。ざっと見た感じでは司書らしき人はカウンターで受け付けをする女の人が一人、その後ろで書庫と行き来しているのかカウンター後ろの扉から出たり入ったりしている男の人と女の人、計三人だった。絵本から学術書までずっと通路を進んで行きながら「ピンと来る人が居ないな」と失礼なことを考えていると、最後の図鑑が並ぶ通路に差し掛かった。
「なにかお探しの本がおありですか?」
本棚の角を曲がったところでその通路で返却された本を戻している司書の人が居た。小さな声だけどそれでいてはっきりと、でも穏やかでもあって、よく通るというよりよく届く声だった。
「あ、いやー、そういうわけじゃ……。俺ってばあんまり本は読まないし」
取り繕おうとして口から出たのは「ならどうして図書館へ来た」というようなものだったが、その人は怪しむ様子もなく「じゃあ、折角だから何か一冊、借りていってはどうですか」と勧めてくれた。それから、俺が普段よく読むマンガの種類なんかを聞いて、この本なら読みやすいからと探してくれたその人はあかりさんという名前だった。手続きや貸出期間の説明もしてもらった俺は、本来の目的も忘れ普段読まない本を借りて図書館を後にすることになった。
「俺ってばコレ、最後まで読めるかな…」
その手にある本の表紙を眺めながら俺は少し心配になった。あんなに親切にしてもらったからには、読み切らずに返しにいくことも出来ないからだ。俺の名前を聞いても特別驚くことはなく、何度も頷きながら話を聞いてくれたあかりさんを思い出すと、少しのプレッシャーから溜め息とある感情が零れた。
「あの人だったらいいな…」
それから俺は任務の合間や休みの日、眠りに就く前なんかにコツコツと小説を読み進めた。挿し絵の無い小説なんて1頁と読む前に挫折しそうになっていた俺が、不思議なことにその小説は読み続けることができていた。自分と同じ年頃の少年の冒険活劇は苦難の連続。それでも仲間やそれまで対立していたが互いの力を認め合ったライバル達の協力で、その逆境を乗り越えていく爽快な物語。確かに自分が普段読む少年マンガのような世界で、苦が無くページを捲っていけた。
そして俺は貸出期間二週間のリミットの内、一週間も残して小説を読み終えたので午前中の任務を終わらせた日に、早速図書館へ本を返しに行くことにした。
「あ、ナルトくん。いらっしゃい」
扉を開けて一歩入ったところで受け付けのカウンターに座っていたあかりさんに迎えられた。俺は真っ直ぐカウンターまで歩いて、あかりさんに本を手渡す。
「小説読み切ったの、初めてだったってばよ」
少し照れ臭く思いながらも正直にそう言って、どんなところが楽しかったかを話していると、あかりさんはうんうんと頷きながら「私もその場面とても好き」と微笑んだ。そんな風に互いに好きな場面や台詞を話していると、入り口の方から俺の名前を呼ぶ聞き慣れた声が耳に入った。
「ナルトっ?お前、どうして図書館になんて居るんだ?」
その声を聞いたあかりさんの目は一瞬だけ大きく見開かれて、俺が願うまでも無かったんだということを知った。
「イルカ先生っ?」
「海野さん、こんにちは。……ん?ナルトくん今、先生って」
そこで俺はイルカ先生が親しくしている司書があかりさんであることを知った。きっと、あかりさんは俺がイルカ先生の教え子だってことに驚いて、イルカ先生は俺が図書館に居ることとあかりさんと面識があることに驚いていたんだと思う。
それから昼休みに入ったあかりさんとお昼を食べに蕎麦屋にやって来た俺達は、お互いの関係を整理していた。
「ナルトくんが海野さんの教え子だったなんて、なんだか嬉しい偶然ですね。あ、もしかして、前に海野さんが言っていた手の掛かる教え子のエピソードってナルトくんのことですか?」
「ちょ、イルカ先生、俺のことなんて言ったんだってばよ!」
偶然と思っているあかりさんには少し罪悪感を感じたけど、その後の言葉が聞き捨てならなくてイルカ先生に振り返る。イルカ先生は驚いた後「う、嘘は話してないぞ!」と言った。
「話してるのは本当じゃんか!」
「……お、お前の方こそ図書館に来ているなんて、一体どういう風の吹き回しだっ?」
「ええっ?……おお、俺だって小説の一つや二つ読みたくなる時だってあるってばよ!」
そうやって俺とイルカ先生が言い合っていると、あかりさんはくすくすと笑って「お蕎麦が伸びちゃいますよ」と優しく止めた。それにはっとしてはにかんだイルカ先生は「いただきます」と言って蕎麦を啜った。優しいイルカ先生の表情は何回も見てきているはずなのに、なんだかその時の笑顔は説明は出来ないけど違う気がして、俺はまた変な気分になった。
昼食を食べて少し話をした後、午後の仕事に戻っていくあかりさんの後ろ姿を見えなくなるまでイルカ先生と見送る。
「で、ナルト」
「うん?」
「図書館に行った本当の理由は?」
「……だ、だから、借りてた本を返しに」
「なんで本を借りる気になったんだ?」
そう言うイルカ先生の声色は穏やかで表情も笑顔だったが、言い逃れは許さないという威圧感がひしひしと伝わってきて、俺はサクラちゃん達の話を聞いたことを白状した。
「別に悪事を働いている訳でもないが、どこで誰に見られているか分からんものだな」
俺が白状するとイルカ先生も白状した様子で眉尻を下げて、参った参ったと笑った。
「あかりさん、良い人だってばよ」
「ああ、知ってるよ」
それから俺は、イルカ先生があかりさんと親しくなるきっかけとなった出来事を聞いた。
*****
アカデミーの授業で必要な資料を集めていたイルカ先生が足りない資料に気が付いて図書館に向かうと、閉館時間を少し過ぎていて閉まっていたという。しかし、戸締まりをしていたあかりさんがイルカ先生に気付いて、急ぎの用だろうからと入れてくれて資料作りの手伝いまでしてくれたことが出会いだったそうだ。それから、時折図書館へ本を借りに行っては互いに好きな本の話をしたりしていく内に、互いの仕事のことなどプライベートなことも話す仲になっているのだという。
そんな馴れ初めを照れ臭そうに話すイルカ先生の姿は俺が見たことのないものだった。「あかりさんのこと好きなの?」と思わず口をついて零れてしまいそうなのを堪えて、俺はイルカ先生と別れた。
それから程なくして、付き合うことになったとこれまた気恥ずかしそうに、イルカ先生とあかりさんに報告された。二人が互いを名前で呼び合う姿を見て、ああ、本当にそうなんだと思った。
イルカ先生もあかりさんも二人とも良い人で、初めてあかりさんに会った日に「この人だったらいいのにな」と思ったくらいだから、当然俺は嬉しかった。でも、それと同時にこれからはイルカ先生の時間を自分に割かせてはいけない気もして、なんだか今までのように家に押し掛けることができなかった。それが現在の俺だった。
*****
「……ナルトくん、ナルトくん?」
「え、あっ、ああ」
「ナルトくん少しお疲れ?」
いつの間にかぼうっとしてしまっていた俺を心配して覗き込むあかりさん。そんなあかりさんに大丈夫だと返すと「ねえ、ナルトくん。ちょっとお願いしてもいい?」と覗き込んだ状態のまま上目遣いに言われた。
あかりさんのお願いというのは買い物の手伝いだった。そんなことはお茶の子さいさいだと、あかりさんが提げていた買い物袋を持ってお供をする。肉屋や八百屋などを回ってイルカ先生の家まで着いた俺は、荷物を渡して帰ろうとしたがあかりさんに止められる。
「ナルトくん、もう一つお願い」
そう言って俺の手を引いて家の中へ招き入れるあかりさん。通されたイルカ先生の家は、前に来たことがある時よりも部屋に色味があるような気がした。台所に立ち食材を冷蔵庫に入れたり夕食作りの準備を始めるあかりさんは、後ろで突っ立ていた俺を手招きして彼女の前まで行くと頭からエプロンを掛けられた。
「ちょ、あかりさんっ?」
「もうちょっとだけ付き合って、ね?」
まるで俺を帰らせまいとしているようなあかりさんに押し切られて、俺は言われるがままに野菜を洗ったり切ったりした。
「あのさー、あかりさん。コレって大丈夫かな……」
彼女に言われて野菜を切っていたがそれはどうにも不格好で、これで良いのかと心配になった俺はあかりさんに尋ねた。
「うん。大丈夫だよー、ありがとう。じゃあ、次はこっち!」
そう言って次の作業を渡してくるあかりさん。そんな彼女に良いようにというか、まあ、俺自身も褒められたりして気分良く手伝っていると、いつの間にやら食卓には美味しそうな食事が沢山並んでいた。
「イルカ先生ってば、いっつもこんな豪華な晩ご飯なのか……」
「そんなわけないでしょう?」
「え、違うの?」
テーブルの上をしげしげと見て言うと、あかりさんはくすくすと笑った。「じゃあ、何かのお祝い?」と聞こうとするとがちゃりと音がして、玄関が開いたことが分かった。それは勿論イルカ先生で、あかりさんは俺の背を押して玄関へ出迎えに向かう。
「ほらっ、ナルトくん!」
「……お、おかえりだってばよ?イルカ先生」
家に帰ったら俺がエプロン着けて出迎えてくるなんてビックリするんじゃないかと思ったのに、イルカ先生は俺を見ると優しく微笑んで「ああ、ただいま。ナルト」と返した。自然に流されている状況に俺の方が驚いていると、あかりさんとイルカ先生も「おかえり」「ただいま」という遣り取りをする。
「そんなとこに突っ立ってられたら入れないじゃないか。さあ、進んだ進んだ」
靴を脱いでずいと上がったイルカ先生は俺を部屋の方へ押して、あかりさんは再び俺の手を引いて進んだ。部屋に入りテーブルの上の料理を見るとイルカ先生は「おお、すごいな」と零した。
「二人で頑張りました!」
「って、ナルトに手伝わせたのか?」
「だって、それ以外に引き留める方法が考えられなかったんですもん」
二人が俺には分からない会話をするものだから黙って見ているしかなく居ると、「もしかして、忘れてるのか?」とイルカ先生は持っていた箱を持ち上げた。それにも俺が首を傾げていると、その箱を受け取ったあかりさんがテーブルにスペースを作って箱を開けた。中から出て来たのは円いショートケーキだった。クリームと苺で飾られたケーキの中央にはチョコレートの板があって、それがなんのケーキかやっと分かった。
咄嗟に二人に向き直る。
「今日って……」
すると二人は微笑みながら大きくゆっくりと頷いた。
「お誕生日おめでとう、ナルトくん」
「おめでとう、ナルト」
そうだ。今日は10月10日。俺の誕生日だった。
手伝って作っていた夕食がまさか自分を祝うものだったとは思いもしなくて驚いていた俺はあれよあれよと席に着かされて、楽しい晩ご飯の時間が始まった。
「あれっ?あかりさんが俺に声を掛けたのって偶然?それともそれも計画の内?」
談笑をしている内にふと気付いたことを尋ねてみる。するとあかりさんは手にしていたグラスを置いて、考える仕草をしてみせた。
「えーっと、一応カカシさんからナルトくんが任務から帰る大体の時間を教えてもらっていたんだ。でも、お家まで迎えに行こうと思っていたから、あそこで会えたのは偶然かな」
「早く捕まえちゃったから、手伝わせることになっちゃけど」と言ってはにかんだあかりさんに、「主役に手伝わせるとは流石に予想外だったよ」とイルカ先生も笑う。
「だって、もし後で迎えに行った時に捕まえられなかったらって思ったら、ここで確保しなくちゃって!」
「確保ってあかりさん……」
「でもでもっ、俺ってば、たまには料理してみるもの楽しかったってばよ」
何故かすかさずあかりさんをフォローしていた俺を見ると、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「お前がそう思ってくれるなら良かったよ」
「ありがとうね、ナルトくん」
自分を受け入れられることは嬉しいと同時に照れ臭くて、たまにどうしていいのか分からなくなる。二人に抱く感謝の気持ちを言葉にしたいけど上手なものは思い浮かばなくて、俺はただ二人と一緒に笑った。
*****
楽しい時間が過ぎるのは早いもので、時計を見ればもう夜の9時半に差し掛かるところだった。もう少し二人と過ごしたい気持ちはあったけれど明日も任務があることを知られていて、そろそろ帰って休まないと駄目だとイルカ先生に言われてしまった。それから、少し窮屈だったけど三人で台所に並んで食器の後片づけをして帰ることになった。
「あれ、あかりさんも帰るの?」
「うん。ナルトくん家は帰り道の途中だし、送っていくよ」
「いや、それは逆なんじゃねーかな?」
意気揚々と自分より身体の大きな男を送るなんて言うあかりさんに困ったと、イルカ先生に助けを求めようと視線を送ると先生も靴を履いていた。
「え、イルカ先生も?」
「ああ、送っていくよ」
自分の家を出る客を相手の家まで送るって何だか変な気もするなあなんて考えていると、すっと隣にやってきたあかりさんが俺の耳元に唇を寄せて「イルカさん、こうしていつも送ってくれるの」と言った。イルカ先生の優しさを理解しているのかあかりさんの顔は幸せそうなものだった。
「なんだかイルカ先生らしいってばよ」
「ねっ」
「二人して何をヒソヒソ話しているんだ?」
支度を終えたイルカ先生が鍵を掛けて俺達の方へ来た。しかし、あかりさんはイルカ先生の問いには答えず微笑んで俺の手を取ると歩き出した。
「なんでもないでーす!ね、ナルトくん」
「そうそう、イルカ先生の話なんてしてないってばよ!」
「おい、それ絶対してただろう!」
追い付くと手を握っているあかりさんとは反対の隣についたイルカ先生が「どんな悪口言ってたんだ?」と冗談めかして言ったが、それをまた二人で冗談で返しながら俺達三人は夜道を歩いた。
俺の家の近くまで来ると何だか名残惜しい気持ちがぽつぽつと沸いてきた。すると、さっきまで繋がれて温かかった手が解かれて、あかりさんが俺の前に立った。
「ねえ、ナルトくん。鍵、貸して」
また唐突なことを言い出したあかりさんに驚きながらも、ポケットに手を突っ込んで鍵を取り出すとそれをすぐさま取り上げられた。そして、止める間もなくあかりさんは俺の家の方へ駆けていってしまった。
「イルカ先生?あかりさん、どうしたの?」
「さあな」
置いてけぼりを食らった俺が隣のイルカ先生に聞くと、先生はどこか嬉しそうに「あかりさんはたまに、思いも寄らないことをするからなあ」と笑った。行き先も同じだから駆けていったあかりさんを追いかける訳でもなく、俺とイルカ先生がゆっくりと歩いて家の前まで来ると、窓から灯りが漏れていた。一人暮らしの俺の家に帰ってくる時電気が点いているなんてことは、消し忘れでもしていない限りまずない。でも、今は灯りが着いていて、きっと扉には鍵も掛かっていない。そう思うと何だか嬉しくて、俺は階段を駈け上がって一目散に扉を開けた。
「おかえりなさい、ナルトくん」
扉を開けてすぐの玄関、灯りの中にあかりさんは立っていて、俺の帰宅を出迎えた。「ただいま」とだけ言えばいいその一言が、何故かその瞬間に言葉にならなくて押し黙る。すると、追い付いてきたイルカ先生が俺の肩にぽんと手を乗せた後、玄関に一歩足を踏み入れて振り返った。
「おかえり、ナルト」
家に自分じゃない誰かが居る。灯りの下で出迎えている。きっと殆どの人にとって当たり前のこの光景が今まさに目の前にある。それがどうしようもなく嬉しくて、「ただいま」と何とかそれだけ言って家に入った。玄関に入った俺を既に靴を脱いで一段上がったところに立つあかりさんが引き寄せ抱き締めてきた。俺より少し目線の高くなったあかりさんに抱き締められるのは、何だか大きな愛情に包まれるようであったかかった。もう一度「おかえりなさい」というあかりさんに「ただいま」を返すと、俺とあかりさんの背に腕を回してイルカ先生は俺達ごと包み込んだ。
「おかえり、ナルト」
「ただいま、イルカ先生」
「おかえりなさい、ナルトくん」
「ただいま、あかりさん」
確かめるように繰り返した後、俺達はそれが段々楽しくなって可笑しくなって笑った。
「それじゃあ、ナルト。さっさと風呂に入って休むんだぞ」
「ナルトくん。これは二三日の内に食べてね。これは一週間で、こっちは二週間は大丈夫かな?」
「うん、ありがとう。イルカ先生、あかりさん」
最後まで先生らしく心配するイルカ先生と、タッパーに入れた料理を俺の手にぽんぽんと重ねていくあかりさん。そして最後に「これも」と言って腕に手提げを掛けさせた。
「じゃあな、ナルト」
「おやすみなさい、ナルトくん」
「イルカ先生もあかりさんも…今日は本当にありがとな」
まだ別れたくない気持ちを堪えて、別れの挨拶をして二人を見送る。もう扉を閉めようという瞬間、あかりさんが振り返ってこちらをしっかりと見詰めてきた。
「ナルトくん、ありがとう」
「え?」
「生まれてきてくれて、ありがとう」
どういうことかと聞き返そうとした俺に被せるようにして言ったあかりさんは、その隙を与えてくれないまま扉を閉め去っていった。
「生まれてきてくれてありがとう」だなんて余りに予想もつかない言葉に、俺は一分はそこで微動だにしていなかったと思う。それから、この幸せな状態を維持して眠りに就かなければという謎の使命感に取り付かれて、慌てて風呂を済ませて床に入った。
「あ、そうだ。手提げの中は何だったんだ?」
もう寝るだけだとなった時に、最後にあかりさんに持たされた手提げのことを思い出した。料理は取り敢えず冷蔵庫に入れたが、あれは確認していなかった。何か保存が必要なものかも分からないと一度起きて、ベッドの脇に置いた手提げの中身を取り出す。そこにはあかりさんの字で書かれたメッセージカードと、ラッピングされた幾つかの箱や袋が入っていた。一つ一つそれらを解いていく。
まだ少し早いけどと言葉の添えられた袋には任務中でも使えるようにと伸縮性のある素材で出来たタイトな手袋と、普段使いにと見るからにあったかそうなふわふわの手袋が入っていた。少し小さめの箱には名前とうずまき模様の刻まれた箸が入っていて「カップ麺ばかりじゃダメだよ」とあった。他にも入っていた幾つかのものはどれも実用的なもので「母ちゃんのくれるプレゼントってこんな感じかな」なんて思った。最後にメッセージカードを読んだら、そこにはやっぱり照れ臭くて恥ずかしい言葉がいっぱい並んでいた。俺は読み終えたそれを枕元に仕舞って、頭まですっぽりと布団を被った。
どうかこの幸せが夢でも続きますように。
どうかこの幸せが夢ではありませんように。
終
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