雑多 短篇
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「伊吹さん顔が真っ赤です、朝より熱が上がってるみたい……やっぱり早退した方が……」
「……ん、んー。大丈夫」
でっかいわんこと
ちっさいわんこ
三限目の体育のため更衣室へやって来たものの、全く着替えの進まないあかりを心配して杏里は話し掛けた。朝から少し風邪気味なのは感じていたが、HRに一限二限と時間が経過していく度に症状が悪くなっていっているのが見ていて分かる。現に登校してきた時に少し赤いなと感じる程度だったあかりの頬は三限目を迎えようとする今、頬はおろか耳まで染めて目は虚ろと完全に上気した顔になっている。
「伊吹さん一人暮らしだし、帰れる内に帰ってちゃんと休んだ方が良いいです。先生には伝えておきますから」
『心配』という文字が浮かび上がってきそうな表情で杏里が奨めると、眉を下げ虚ろな目をゆっくり細めて「じゃ、そうする」とあかりは力無く微笑んで広げていたジャージを鞄に突っ込んだ。フラフラしながら帰り支度をするあかりに杏里は何度も一緒に帰ろうかと言ったが、あかりは大丈夫大丈夫と笑って断った。
「ほら、杏里ちゃんが帰っちゃったらお昼休みに紀田くんが泣いちゃうよ?」
「でも……」
「大丈夫大丈夫。じゃあ、帰ったらメールするよ」
「分かりました。一言でいいので連絡を下さい……」
「うん、する」
『杏里ちゃんお母さんみたいなんだから』等と普段の調子を装うように冗談を言うあかりに帰宅後の連絡を約束させ、覚束ない足取りのあかりを見送り杏里は後ろ髪を引かれる思いで体育の授業へ向かった。
*****
「うー、駄目だ。クラクラしてきた……少し座ろう」
学校を出て15分程歩いた。何時もなら、もう住んでいるマンションが見えてきてもいい頃だが、時間と感じる疲れに反して移動距離は半分にも満たないようだ。あかりは重い身体を引きずるようにして、少し休憩しようと公園に入った。やっとの思いでベンチに着き、崩れ落ちるように座ると背もたれに身体を預けた。はっきりしない視界には平日の昼前だというのに街にも公園にも人が多くて、あかりはそれを見ているだけで目が回りそうになった。
流れる風景に耐え兼ねてあかりが目を閉じようとすると、不意に肩を叩かれる。目の前に現れたのは若い男、でも見覚えは無い。色素の薄い痛んでいそうな長めの髪を揺らしながら何か話していた。しかし、言葉が頭に入ってはこなくて、あかりが聞き直そうと口を開いた所で強く腕を引かれ立たされた。
「え、なに……?」
「学校サボって暇なんでしょ?俺と遊びに行こうよ」
そして、言うが早いかあかりの腰に腕を回して歩き出した。漸くナンパをされているのだと気付いたあかりは男の腕から逃れようとするが、力が出ないのか男の力が強いのか全く振りほどけない。
「あの、困りますっ。やめて、下さい」
声を絞り出して抵抗を試みるも男は聞く耳を持たなくて、公園を出てそのまま路地の方へ連れていかれそうになる。このままではマズイと力を振り絞り声を張り上げようとあかりが深く息を吸うと、密着してきていた男の感覚がフッと無くなった。どうしたのだろうと男の方に首を向けると、さっき迄隣で腕を回してきていた男が地面から浮いていた。そして次の瞬間、どこかのアクション映画で見たような勢いで目の前を通過し、吹っ飛んでいく。
「……な、に?」
一瞬の出来事に呆気に取られていると、今し方まで見知らぬ男が立っていた所に酷く背の高い男が立っていた。
「あ……静雄さん」
背の高い男は池袋で知らない者はいないとまで言われる男、平和島静雄だった。
「静雄さん……じゃねぇ、何ボーッとしてんだ!連れてかれそうになってんのも分かんないのかっ?大体、学校はどうした。まだ昼前だぞ?」
立ち尽くすあかりに声を荒げながらひとしきり文句を言うと、「返事はどうした」とサングラスの奥から真剣な眼差しを送った。しかし、「ごめんなさい」だとか「気を付けます」だとかの言葉を考えていた静雄の予想は裏切られ、いつもと違うあかりの様子に首を傾げる。
「お……おい、どうした。顔が真っ赤だぞ?」
「いえ、あの……少し……」
調子が良くないとでも言おうとしたようだが、呼吸を乱し肩を揺らしたあかりはそう言い切る前に倒れた。
「おいっ、どうした!さっきの野郎に何かされたのかっ?」
地面へそのまま倒れていきそうな所を素早く抱き留め問い質すもあかりは何も答えず、否、答える余裕など無い様子で肩で息をし苦しそうにしていた。突然の事態にどうすれば良いのかと考えた静雄は、一度大声で叫ぶとあかりを抱えて走り出した。
*****
『静雄?』
「おい、新羅は居るかっ?」
ノックもそこそこに扉を開けさせると、迎え入れたセルティに静雄は確認した。
『静雄、そんなに慌ててどうしたんだ?』
天敵の事でも無い限り自分の怪我でさえ取り乱さない静雄が慌てるものだから、セルティも不安になり抱えられたまま苦しそうにするあかりを覗き込む。そして、事情を聞くのも後にして静雄を奥に通した。
「セルティ、お客さんかい?」
騒がしい音と共に戻ってきたセルティに新羅が尋ねると、ずいと目の前にPDAを突き出される。
『あかりの様子が変なんだ、早く診てやってくれ!』
いつも以上に素早い指先の操作で打ち込んでみせると、静雄に抱えられたあかりを強く指差した。
「分かった分かった。だから、落ち着いて。静雄、あかりちゃんをここに」
「お、おう…」
セルティの肩にぽんと手を置き優しく諭すとソファの前にしゃがみ、あかりをそこに降ろすよう静雄に言った。静雄は壊れ物でも扱うかのように優しくあかりを降ろすと直ぐさま新羅に詰め寄る。
「で、どうなんだっ?」
至って真面目に問い掛ける静雄に釣られて、セルティも身を乗り出しながら新羅を見詰める。いい大人二人の呆れた言動に新羅は一度小さく溜め息を吐くと、「あのねぇ、君達……」と言ってリビングから二人を追い出した。
それから5分程経った後、追い払った静雄とセルティに、「もう入っても良いよ」と言うと新羅は扉を開けた。
「あかりは大丈夫なのかっ?」
廊下に出されていた静雄はまるで手術の終わりを待つ患者の付添人のように、腕を組み行ったり来たりを繰り返していたようだ。ドアを開けた新羅を見るや、玄関に近い所から駆け足で来た。セルティも『新羅、どうなんだ!』と慌てた様子で文字を打つ。5分前と変わらない様子の二人に苦笑を漏らしながら新羅は「大丈夫」と言って、ベッドに移したあかりの元へ静雄を案内した。
「高めの熱ではあるけれど、大丈夫。ただの風邪だよ」
「風邪……?」
「そう、ごくごく一般的な風邪。解熱剤も投与したし、暫くすれば落ち着くよ」
ベッドでうなされるあかりを見ながら医者としての報告をさらりとする新羅を見て、静雄は頭をかき大きな溜め息を零してその場にしゃがみ込んだ。
「いつに無く取り乱してるから、何事かと思っちゃったよ」
さながら重病人を連れて来たかのような先程の静雄を思い出して新羅が笑いながら言うと、静雄はばつの悪そうな顔をして「……いきなり倒れるからよぉ」と聞こえるか聞こえないかの声でボソッと呟いた。そして何か文句あるかと一度新羅を睨むと、薬が効いてきたのか少し落ち着いてきたように見えるあかりを見て小さく微笑んだ。普段では見ることが出来ない、少なくとも自分相手では見ることの無いだろう、静雄の優しげな横顔を見て新羅はくすりと笑う。
静雄の後ろにいた為そんな事実は知らないセルティは、笑った新羅を見てまた何か余計なことを言うんじゃないかと思い、先手を打とうと静雄の背中を叩く。
『とにかく、大事無いようで良かったな。ところで静雄、今日は仕事は無いのか?』
PDAの液晶を覗き文字を目で追うと思い出したのか、さっきとはまた違う慌てっぷりを見せて静雄はバタバタと仕事に向かっていった。
静雄という台風も去り、途端に何時もの平穏を取り戻した一室に残された新羅とセルティ。
『何と言うか……変わったな』
「良い意味で、ね。本人に言ったら激しく否定されそうだけど」
『そうだな。でも、私も良い傾向だと思う』
今までに無かった良い意味での静雄の変化に、二人は嬉しく思うと同時にそれが一人の少女によってもたらされたものなのだと、改めて驚きを感じていた。
「ああ、そうだセルティ。取り敢えずでベッドに寝かしちゃったけど、あかりちゃんをコレに着替えさせてくれないかな?」
そう言って新羅が渡したのは患者に着せる為のものなのだろう、装飾の少ない淡い水色のパジャマだった。その形と色合いから一応、老若男女誰にでも対応出来るようなものを置いていることが分かる。
『分かった、着替えさせておくよ。そうだ、汗も拭きたいからお湯とタオルも用意してくれないか?』
「そうだね。持ってくるよ」
そう言うとセルティを部屋に残し、新羅はキッチンへと急いだ。そして意識が朧げなあかりを優しく起こし、汗を丁寧に拭いてパジャマに着替えさせベッドに戻し、肩まですっぽり布団を掛けた。
*****
それから数時間が経って日も暮れ始めた頃、充分に休み高かった熱も大分平熱に近付いたあかりは、次第に目覚めていく視界と頭をゆっくり働かせながら状況を確認していた。
「えー……と、ここは」
見渡す部屋は見慣れた自分の部屋ではなくて、でもどこか落ち着ける雰囲気があった。壁に掛けられた自分の制服とうっすらと思い出せる記憶とを合わせると、優しく自分を介抱してくれたセルティの姿を思い出す。
「そうだ……公園、で静雄さんに、会って。それで、新羅さんの……所に」
映像を繋ぎ合わせて思い出していると、ふと右手に温かな感覚があることに気が付く。
「セルティ、さん…?」
記憶の中で世話をしてくれていた人物の名前を呟きながら握られた手を見ると、その人物はあかりの予想とは異なる人物だった。窓から差し込む西日に金色の髪をキラキラとさせ、あかりの手を握りながらベッドの脇に座り込んだその人は、布団に顔を埋めて眠っていた。
「静雄さん……」
思いもしなかった人物に少し驚いて声を上げると、静雄は小さく声を漏らしてゆっくり頭を上げ数回瞬きをした。そして、あかりの視線に気が付くと一瞬はっとした後、穏やかな表情で「起きたのか」と言った。
「静雄さん……手、握っていてくれたんですか?」
あかりに尋ねられ、眠っていながらも握り続けていた手を慌てて離した。
「さっきだ、さっき。……それより、もう起きて平気なのか?」
静雄は離した手で頭をかきながらしっかりとは目を合わさずに、ちらちらと視線だけ何度もあかりへ向けて容態を確認した。
「はい。いっぱい寝たからか、凄く楽になりました」
「スッキリです」と微笑んであかりは少し乱れた髪を手櫛で整えた。公園で会った時より確実に顔色の良くなったあかりに、静雄は安堵して肩の力をすっと抜いた。
「そうか、ならいい」
本人は気付いていないのだろうがその表情は酷く優しくて、あかりは静雄から目が離せなくなってしまった。呆けたように反応の無いその様子に静雄が首を傾げながらいると、再び頬をほんのり染めていくあかりに気付いて肩を掴んでベッドに押し戻した。
「静雄さんっ?」
「何が大丈夫だ、まだボーッとしてんじゃねーか!」
「お前の“大丈夫”は当てにしない」と言うとボスッと布団を顔まで掛けた。
「わぶっ、苦しいです!窒息します!」
すっぽり覆われたあかりがわたわたと暴れながら布団から顔を出すと、頭にぐっと重みが加わる。それは静雄の大きな手で、あかりはそのままその大きな手でわしゃわしゃと撫でられた。
「し、静雄さんっ?」
嬉しいような恥ずかしいような気持ちであかりが身じろぎ静雄を見ると、静雄の瞳は真剣で、でも、眉を八の字に下げて少し情けないような顔をしていた。
「……静雄さん?」
「お前、本当……いきなり倒れるとか、勘弁してくれよ。頼むから……」
吐息を漏らすように言葉を紡いでいく静雄のあかりを見詰める瞳は、不安が込み上げてきたのか揺れていて、見たことの無い静雄の弱さにあかりは胸が苦しくなった。「ごめんなさい」と言えば良いのか、「ありがとう」と言えば良いのか、言葉が見付からない。でも、静雄のその気持ちには応えたくて。
頭から頬へと流れてくる静雄の右手に自分の左手を掬う様にして重ねた。静雄の優しさも弱さも落として仕舞わぬ様に。
「……あかり?」
大きな手を精一杯包もうとする小さな手の柔らかな感覚に、静雄が我に返った様にハッとしてあかりを見ると、自分の気持ちが伝染した様に大きな瞳を揺らすあかりがいた。
「……って、何でお前が泣きそうなんだよ」
「し、静雄さんこそ、捨て犬みたいな顔して……説得力ありません」
「なっ!」
言われたことも無い、きっとこんなことを言うのもあかり位なものだろう発言に、一気に顔を赤くした静雄は包まれていた手を引っ込めてそそくさと立ち上がり、あかりに背を向けた。そして、片手を扉に掛けたまま振り返る事なく「……腹、減ってないか?」と尋ねた。
「え、まあ、……確かに」
昼前に早退したのだから、当然の事ながら昼ご飯は食べていない。つまり朝ご飯以降何も食べていなかったのだ。まあ、そんなに食事のことを考える程の余裕が無かった訳でもあるが。そんなことを思い返しながら曖昧な返事をすると、静雄は扉の向こうへと消えていってしまった。
「何だろう?」
そして、それから1分と経たない内に再び扉は開いて、戻ってきた静雄の手には小さなコンビニの袋がぶら下がっていた。
「……?」
首を傾げるあかりを余所に、先程と同じ様にベッドの脇に座るとガサガサと音を立てながら袋を漁って、短く「手」と言った。何を取り出そうとしているかは分からないものの、言われた通り素直に両手を差し出すと、あかりの手にはコンビニスイーツの定番、プリンがちょこんと乗っていた。そして、もう一度袋に手を入れると今度はスプーンを取り出して、それをカップの上に乗せた。それから、もう一つのプリンを出すと直ぐさまカップを開けて頬張った。
「……えーと、プリン?」
ディスプレイのように手の平に行儀良く乗ったプリンをそのままに、大きな手で小さいスプーンを駆使しながらプリンを頬張る静雄を見るあかり。
「風邪といったらプリンだろ?」
彼の家はそうだったのか、それとも自分が食べたいがための口実なのかは定かではないが、あっけらかんと言い切る静雄を見てあかりはプリンのカップを開けた。
「……いただきます」
「おう」
カップを開けるとホイップクリームを乗せたプリンが顔を出す。その端をデザート用の小さなスプーンで掬って、口へ運ぶ。甘過ぎない素材の美味しさとホイップクリームの優しい甘さが口一杯に広がった。何時間振りかだろう食べ物に体も喜んでいるようだ。
「……美味しい!こんなに美味しいプリン初めてです!」
「そうか?普通にコンビニのプリンだろ」
染み渡る美味しさを噛み締めるあかりを横目に、今正に完食したプリンのカップを袋へ戻す静雄。まだ二口三口しか食べていないあかりが思わず「食べるの早っ!」とツッコミを入れる。静雄はそれを見ながらベッドに肘を立て、手の上に顎を乗せた。
「お前も早く食っちまえ。そんで、さっさと寝ろ。はしゃいでて……熱、振り返しても仕様が無い、からな……」
大人らしいことを言いながらも瞼は降りてきていて、それについていくように頭も舟を漕ぎ始める静雄。段々と意識が眠りの中に飲み込まれていくその姿を見ながら、チョップでもお見舞いしてみようかとも考えたあかりだったが、仕事の後に直行で来てくれたのであろう彼を見ると罪悪感が強まり断念した。
残りのプリンを胃袋に納めて空のカップを静かに袋に戻す。それと起き上がりついでに静雄の肩に毛布を掛けて、慎重に元の場所、ベッドの中に戻った。そして、暫く布団に包まりながら間近にある静雄の寝顔を観察してみた。思えば寝顔を見るのも、こんなに近くでまじまじと顔を見るのも初めてかもしれない。普段、並んで立っているだけでも30センチ近くの距離が空くのだから。
綺麗に染められた金髪がさらさらと額にかかって、表情を隠したり見せたりする。街を歩けば突っ掛かってくる命知らずや臨也に、眉間にシワを寄せて厳つい顔をすることも多いが、今はそんなものは微塵も感じさせず穏やかな顔をしている。そういえば、想像していたより寝息が静かかもしれない。
「もっと豪快ないびきとか寝言とか、するんじゃ……なんて思ってた」
失礼な憶測を交えながら観察を続けるあかりは、静雄が寝ていることを確認しながらベッドに置かれた彼の右手を取った。静雄の大きな手。男性らしい筋張ったすっと伸びる長い指。そして幾度と無く傷を負っては回復し、その度に頑丈になっていったという静雄、その手は身体と同じく普通の人の手より幾分か固いように感じた。
その後も静雄が眠っているのを良いことに手を開いて合わせてみたり、指先を握ってみたり、手の平を擽ってみたりするあかり。そして、手を繋いだ形に落ち着くと、ぽつりぽつりと言葉を漏らした。
「静雄さん、仕事大変だったのかなぁ。本当なら家でゆっくり休めた筈だもんね。……迷惑、かけちゃったなぁ」
訪れ始めた眠気に重い瞼で瞬きしながら反省してみる。
「今日みたいな事ことは……これから無いようにします。迷惑は、掛けないように。……だから、これからも……一緒に……」
断片的な言葉を紡いでいたあかりもとうとう睡魔に負けて、何かを言い終える前に瞼を完全に閉じて眠りの中に落ちていった。
******
「セルティ、セルティ。ちょっとこっちに来てご覧よ」
二人が眠りに就いてから20分程が経った頃。あかりの様子を窺いに来た新羅は、パソコンに向き合うセルティを手招きして呼んだ。無い首を傾げるような仕草をしてみせるとキーボードから手を離し、席を立つセルティ。PDAに文字を打ちながらドアを押さえる新羅の隣に立って中を覗き込むと、文字を打つ手は止まりPDAを持っていた左手がすっと下がる。首から窺い知れる表情こそ無いセルティだがその様子は唖然と言おうか、驚嘆と言おうか。そんな妖精の反応に新羅は「ね、中々に貴重な光景だろう?」、と満足げに笑った。
セルティは数秒の間、呆けた様子で手を繋ぎながら眠る静雄とあかりに目を奪われていると、直ぐさまハッとして打ちかけの文字を消し、また新たに文面を打ち出し新羅に見せた。
『こんな静雄見たこと無い!見たこと無いぞっ!!』
衝撃か感動か、とにかく興奮した様子でセルティは新羅と二人を交互に確認する。セルティにとって静雄は自分に似て存在に非常識さを持つ、気の置けない数少ない友である。関わり合いを持つなと言われ恐れられる静雄の穏やかな面も、仲間想いな面も見てきた。だが、今日のように一人の少女に心を乱され、慌てふためきながら心配する様や、誰かの手を握りながらこれ程心穏やかに眠りに就く静雄は一度たりとも見たことが無かった。眼前にしながらも有り得ないと感じる新発見に、わなわなと身体を振るわせるセルティ。
「だね。僕も見ことが無いよ」
セルティに楽しげに賛同すると、生物の新しい生態を発見した学者のようにしげしげと二人を見詰めては、うんうんと首を縦に振り「本当、実に興味深いよ」と新羅は言った。暫しの間、微笑ましい二人の姿を見て漸く落ち着いてきたセルティがPDAに指を滑らせた。そして、新羅の前にすっと差し出す。
『……何だか、でっかい犬とちっさい犬みたいだ』
新羅は液晶の左から右へ視線を流すと一瞬きょとんとして二人を見る。しかし直ぐに、ああ、と声を漏らしてセルティに向き直る。そして笑いながら、「確かに」と言った。セルティと新羅は改めて規則正しく寝息を立てる、でっかい犬とちっさい犬を見ると、静かに部屋を後にした。
*****
次の朝、新羅が静雄をからかったのは彼の性格上当然のことで、顔を少し赤くした静雄がソファを投げ付けようとしたのも、容易に想像出来るだろう。
そして、すっかり回復したあかりは携帯の新着メールの殆どが、杏里と間々に入る帝人と正臣のメールで埋め尽くされていることに驚き、慌てて連絡を入れ、慌ただしく学校へ向かう事も…。
終
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「……ん、んー。大丈夫」
でっかいわんこと
ちっさいわんこ
三限目の体育のため更衣室へやって来たものの、全く着替えの進まないあかりを心配して杏里は話し掛けた。朝から少し風邪気味なのは感じていたが、HRに一限二限と時間が経過していく度に症状が悪くなっていっているのが見ていて分かる。現に登校してきた時に少し赤いなと感じる程度だったあかりの頬は三限目を迎えようとする今、頬はおろか耳まで染めて目は虚ろと完全に上気した顔になっている。
「伊吹さん一人暮らしだし、帰れる内に帰ってちゃんと休んだ方が良いいです。先生には伝えておきますから」
『心配』という文字が浮かび上がってきそうな表情で杏里が奨めると、眉を下げ虚ろな目をゆっくり細めて「じゃ、そうする」とあかりは力無く微笑んで広げていたジャージを鞄に突っ込んだ。フラフラしながら帰り支度をするあかりに杏里は何度も一緒に帰ろうかと言ったが、あかりは大丈夫大丈夫と笑って断った。
「ほら、杏里ちゃんが帰っちゃったらお昼休みに紀田くんが泣いちゃうよ?」
「でも……」
「大丈夫大丈夫。じゃあ、帰ったらメールするよ」
「分かりました。一言でいいので連絡を下さい……」
「うん、する」
『杏里ちゃんお母さんみたいなんだから』等と普段の調子を装うように冗談を言うあかりに帰宅後の連絡を約束させ、覚束ない足取りのあかりを見送り杏里は後ろ髪を引かれる思いで体育の授業へ向かった。
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「うー、駄目だ。クラクラしてきた……少し座ろう」
学校を出て15分程歩いた。何時もなら、もう住んでいるマンションが見えてきてもいい頃だが、時間と感じる疲れに反して移動距離は半分にも満たないようだ。あかりは重い身体を引きずるようにして、少し休憩しようと公園に入った。やっとの思いでベンチに着き、崩れ落ちるように座ると背もたれに身体を預けた。はっきりしない視界には平日の昼前だというのに街にも公園にも人が多くて、あかりはそれを見ているだけで目が回りそうになった。
流れる風景に耐え兼ねてあかりが目を閉じようとすると、不意に肩を叩かれる。目の前に現れたのは若い男、でも見覚えは無い。色素の薄い痛んでいそうな長めの髪を揺らしながら何か話していた。しかし、言葉が頭に入ってはこなくて、あかりが聞き直そうと口を開いた所で強く腕を引かれ立たされた。
「え、なに……?」
「学校サボって暇なんでしょ?俺と遊びに行こうよ」
そして、言うが早いかあかりの腰に腕を回して歩き出した。漸くナンパをされているのだと気付いたあかりは男の腕から逃れようとするが、力が出ないのか男の力が強いのか全く振りほどけない。
「あの、困りますっ。やめて、下さい」
声を絞り出して抵抗を試みるも男は聞く耳を持たなくて、公園を出てそのまま路地の方へ連れていかれそうになる。このままではマズイと力を振り絞り声を張り上げようとあかりが深く息を吸うと、密着してきていた男の感覚がフッと無くなった。どうしたのだろうと男の方に首を向けると、さっき迄隣で腕を回してきていた男が地面から浮いていた。そして次の瞬間、どこかのアクション映画で見たような勢いで目の前を通過し、吹っ飛んでいく。
「……な、に?」
一瞬の出来事に呆気に取られていると、今し方まで見知らぬ男が立っていた所に酷く背の高い男が立っていた。
「あ……静雄さん」
背の高い男は池袋で知らない者はいないとまで言われる男、平和島静雄だった。
「静雄さん……じゃねぇ、何ボーッとしてんだ!連れてかれそうになってんのも分かんないのかっ?大体、学校はどうした。まだ昼前だぞ?」
立ち尽くすあかりに声を荒げながらひとしきり文句を言うと、「返事はどうした」とサングラスの奥から真剣な眼差しを送った。しかし、「ごめんなさい」だとか「気を付けます」だとかの言葉を考えていた静雄の予想は裏切られ、いつもと違うあかりの様子に首を傾げる。
「お……おい、どうした。顔が真っ赤だぞ?」
「いえ、あの……少し……」
調子が良くないとでも言おうとしたようだが、呼吸を乱し肩を揺らしたあかりはそう言い切る前に倒れた。
「おいっ、どうした!さっきの野郎に何かされたのかっ?」
地面へそのまま倒れていきそうな所を素早く抱き留め問い質すもあかりは何も答えず、否、答える余裕など無い様子で肩で息をし苦しそうにしていた。突然の事態にどうすれば良いのかと考えた静雄は、一度大声で叫ぶとあかりを抱えて走り出した。
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『静雄?』
「おい、新羅は居るかっ?」
ノックもそこそこに扉を開けさせると、迎え入れたセルティに静雄は確認した。
『静雄、そんなに慌ててどうしたんだ?』
天敵の事でも無い限り自分の怪我でさえ取り乱さない静雄が慌てるものだから、セルティも不安になり抱えられたまま苦しそうにするあかりを覗き込む。そして、事情を聞くのも後にして静雄を奥に通した。
「セルティ、お客さんかい?」
騒がしい音と共に戻ってきたセルティに新羅が尋ねると、ずいと目の前にPDAを突き出される。
『あかりの様子が変なんだ、早く診てやってくれ!』
いつも以上に素早い指先の操作で打ち込んでみせると、静雄に抱えられたあかりを強く指差した。
「分かった分かった。だから、落ち着いて。静雄、あかりちゃんをここに」
「お、おう…」
セルティの肩にぽんと手を置き優しく諭すとソファの前にしゃがみ、あかりをそこに降ろすよう静雄に言った。静雄は壊れ物でも扱うかのように優しくあかりを降ろすと直ぐさま新羅に詰め寄る。
「で、どうなんだっ?」
至って真面目に問い掛ける静雄に釣られて、セルティも身を乗り出しながら新羅を見詰める。いい大人二人の呆れた言動に新羅は一度小さく溜め息を吐くと、「あのねぇ、君達……」と言ってリビングから二人を追い出した。
それから5分程経った後、追い払った静雄とセルティに、「もう入っても良いよ」と言うと新羅は扉を開けた。
「あかりは大丈夫なのかっ?」
廊下に出されていた静雄はまるで手術の終わりを待つ患者の付添人のように、腕を組み行ったり来たりを繰り返していたようだ。ドアを開けた新羅を見るや、玄関に近い所から駆け足で来た。セルティも『新羅、どうなんだ!』と慌てた様子で文字を打つ。5分前と変わらない様子の二人に苦笑を漏らしながら新羅は「大丈夫」と言って、ベッドに移したあかりの元へ静雄を案内した。
「高めの熱ではあるけれど、大丈夫。ただの風邪だよ」
「風邪……?」
「そう、ごくごく一般的な風邪。解熱剤も投与したし、暫くすれば落ち着くよ」
ベッドでうなされるあかりを見ながら医者としての報告をさらりとする新羅を見て、静雄は頭をかき大きな溜め息を零してその場にしゃがみ込んだ。
「いつに無く取り乱してるから、何事かと思っちゃったよ」
さながら重病人を連れて来たかのような先程の静雄を思い出して新羅が笑いながら言うと、静雄はばつの悪そうな顔をして「……いきなり倒れるからよぉ」と聞こえるか聞こえないかの声でボソッと呟いた。そして何か文句あるかと一度新羅を睨むと、薬が効いてきたのか少し落ち着いてきたように見えるあかりを見て小さく微笑んだ。普段では見ることが出来ない、少なくとも自分相手では見ることの無いだろう、静雄の優しげな横顔を見て新羅はくすりと笑う。
静雄の後ろにいた為そんな事実は知らないセルティは、笑った新羅を見てまた何か余計なことを言うんじゃないかと思い、先手を打とうと静雄の背中を叩く。
『とにかく、大事無いようで良かったな。ところで静雄、今日は仕事は無いのか?』
PDAの液晶を覗き文字を目で追うと思い出したのか、さっきとはまた違う慌てっぷりを見せて静雄はバタバタと仕事に向かっていった。
静雄という台風も去り、途端に何時もの平穏を取り戻した一室に残された新羅とセルティ。
『何と言うか……変わったな』
「良い意味で、ね。本人に言ったら激しく否定されそうだけど」
『そうだな。でも、私も良い傾向だと思う』
今までに無かった良い意味での静雄の変化に、二人は嬉しく思うと同時にそれが一人の少女によってもたらされたものなのだと、改めて驚きを感じていた。
「ああ、そうだセルティ。取り敢えずでベッドに寝かしちゃったけど、あかりちゃんをコレに着替えさせてくれないかな?」
そう言って新羅が渡したのは患者に着せる為のものなのだろう、装飾の少ない淡い水色のパジャマだった。その形と色合いから一応、老若男女誰にでも対応出来るようなものを置いていることが分かる。
『分かった、着替えさせておくよ。そうだ、汗も拭きたいからお湯とタオルも用意してくれないか?』
「そうだね。持ってくるよ」
そう言うとセルティを部屋に残し、新羅はキッチンへと急いだ。そして意識が朧げなあかりを優しく起こし、汗を丁寧に拭いてパジャマに着替えさせベッドに戻し、肩まですっぽり布団を掛けた。
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それから数時間が経って日も暮れ始めた頃、充分に休み高かった熱も大分平熱に近付いたあかりは、次第に目覚めていく視界と頭をゆっくり働かせながら状況を確認していた。
「えー……と、ここは」
見渡す部屋は見慣れた自分の部屋ではなくて、でもどこか落ち着ける雰囲気があった。壁に掛けられた自分の制服とうっすらと思い出せる記憶とを合わせると、優しく自分を介抱してくれたセルティの姿を思い出す。
「そうだ……公園、で静雄さんに、会って。それで、新羅さんの……所に」
映像を繋ぎ合わせて思い出していると、ふと右手に温かな感覚があることに気が付く。
「セルティ、さん…?」
記憶の中で世話をしてくれていた人物の名前を呟きながら握られた手を見ると、その人物はあかりの予想とは異なる人物だった。窓から差し込む西日に金色の髪をキラキラとさせ、あかりの手を握りながらベッドの脇に座り込んだその人は、布団に顔を埋めて眠っていた。
「静雄さん……」
思いもしなかった人物に少し驚いて声を上げると、静雄は小さく声を漏らしてゆっくり頭を上げ数回瞬きをした。そして、あかりの視線に気が付くと一瞬はっとした後、穏やかな表情で「起きたのか」と言った。
「静雄さん……手、握っていてくれたんですか?」
あかりに尋ねられ、眠っていながらも握り続けていた手を慌てて離した。
「さっきだ、さっき。……それより、もう起きて平気なのか?」
静雄は離した手で頭をかきながらしっかりとは目を合わさずに、ちらちらと視線だけ何度もあかりへ向けて容態を確認した。
「はい。いっぱい寝たからか、凄く楽になりました」
「スッキリです」と微笑んであかりは少し乱れた髪を手櫛で整えた。公園で会った時より確実に顔色の良くなったあかりに、静雄は安堵して肩の力をすっと抜いた。
「そうか、ならいい」
本人は気付いていないのだろうがその表情は酷く優しくて、あかりは静雄から目が離せなくなってしまった。呆けたように反応の無いその様子に静雄が首を傾げながらいると、再び頬をほんのり染めていくあかりに気付いて肩を掴んでベッドに押し戻した。
「静雄さんっ?」
「何が大丈夫だ、まだボーッとしてんじゃねーか!」
「お前の“大丈夫”は当てにしない」と言うとボスッと布団を顔まで掛けた。
「わぶっ、苦しいです!窒息します!」
すっぽり覆われたあかりがわたわたと暴れながら布団から顔を出すと、頭にぐっと重みが加わる。それは静雄の大きな手で、あかりはそのままその大きな手でわしゃわしゃと撫でられた。
「し、静雄さんっ?」
嬉しいような恥ずかしいような気持ちであかりが身じろぎ静雄を見ると、静雄の瞳は真剣で、でも、眉を八の字に下げて少し情けないような顔をしていた。
「……静雄さん?」
「お前、本当……いきなり倒れるとか、勘弁してくれよ。頼むから……」
吐息を漏らすように言葉を紡いでいく静雄のあかりを見詰める瞳は、不安が込み上げてきたのか揺れていて、見たことの無い静雄の弱さにあかりは胸が苦しくなった。「ごめんなさい」と言えば良いのか、「ありがとう」と言えば良いのか、言葉が見付からない。でも、静雄のその気持ちには応えたくて。
頭から頬へと流れてくる静雄の右手に自分の左手を掬う様にして重ねた。静雄の優しさも弱さも落として仕舞わぬ様に。
「……あかり?」
大きな手を精一杯包もうとする小さな手の柔らかな感覚に、静雄が我に返った様にハッとしてあかりを見ると、自分の気持ちが伝染した様に大きな瞳を揺らすあかりがいた。
「……って、何でお前が泣きそうなんだよ」
「し、静雄さんこそ、捨て犬みたいな顔して……説得力ありません」
「なっ!」
言われたことも無い、きっとこんなことを言うのもあかり位なものだろう発言に、一気に顔を赤くした静雄は包まれていた手を引っ込めてそそくさと立ち上がり、あかりに背を向けた。そして、片手を扉に掛けたまま振り返る事なく「……腹、減ってないか?」と尋ねた。
「え、まあ、……確かに」
昼前に早退したのだから、当然の事ながら昼ご飯は食べていない。つまり朝ご飯以降何も食べていなかったのだ。まあ、そんなに食事のことを考える程の余裕が無かった訳でもあるが。そんなことを思い返しながら曖昧な返事をすると、静雄は扉の向こうへと消えていってしまった。
「何だろう?」
そして、それから1分と経たない内に再び扉は開いて、戻ってきた静雄の手には小さなコンビニの袋がぶら下がっていた。
「……?」
首を傾げるあかりを余所に、先程と同じ様にベッドの脇に座るとガサガサと音を立てながら袋を漁って、短く「手」と言った。何を取り出そうとしているかは分からないものの、言われた通り素直に両手を差し出すと、あかりの手にはコンビニスイーツの定番、プリンがちょこんと乗っていた。そして、もう一度袋に手を入れると今度はスプーンを取り出して、それをカップの上に乗せた。それから、もう一つのプリンを出すと直ぐさまカップを開けて頬張った。
「……えーと、プリン?」
ディスプレイのように手の平に行儀良く乗ったプリンをそのままに、大きな手で小さいスプーンを駆使しながらプリンを頬張る静雄を見るあかり。
「風邪といったらプリンだろ?」
彼の家はそうだったのか、それとも自分が食べたいがための口実なのかは定かではないが、あっけらかんと言い切る静雄を見てあかりはプリンのカップを開けた。
「……いただきます」
「おう」
カップを開けるとホイップクリームを乗せたプリンが顔を出す。その端をデザート用の小さなスプーンで掬って、口へ運ぶ。甘過ぎない素材の美味しさとホイップクリームの優しい甘さが口一杯に広がった。何時間振りかだろう食べ物に体も喜んでいるようだ。
「……美味しい!こんなに美味しいプリン初めてです!」
「そうか?普通にコンビニのプリンだろ」
染み渡る美味しさを噛み締めるあかりを横目に、今正に完食したプリンのカップを袋へ戻す静雄。まだ二口三口しか食べていないあかりが思わず「食べるの早っ!」とツッコミを入れる。静雄はそれを見ながらベッドに肘を立て、手の上に顎を乗せた。
「お前も早く食っちまえ。そんで、さっさと寝ろ。はしゃいでて……熱、振り返しても仕様が無い、からな……」
大人らしいことを言いながらも瞼は降りてきていて、それについていくように頭も舟を漕ぎ始める静雄。段々と意識が眠りの中に飲み込まれていくその姿を見ながら、チョップでもお見舞いしてみようかとも考えたあかりだったが、仕事の後に直行で来てくれたのであろう彼を見ると罪悪感が強まり断念した。
残りのプリンを胃袋に納めて空のカップを静かに袋に戻す。それと起き上がりついでに静雄の肩に毛布を掛けて、慎重に元の場所、ベッドの中に戻った。そして、暫く布団に包まりながら間近にある静雄の寝顔を観察してみた。思えば寝顔を見るのも、こんなに近くでまじまじと顔を見るのも初めてかもしれない。普段、並んで立っているだけでも30センチ近くの距離が空くのだから。
綺麗に染められた金髪がさらさらと額にかかって、表情を隠したり見せたりする。街を歩けば突っ掛かってくる命知らずや臨也に、眉間にシワを寄せて厳つい顔をすることも多いが、今はそんなものは微塵も感じさせず穏やかな顔をしている。そういえば、想像していたより寝息が静かかもしれない。
「もっと豪快ないびきとか寝言とか、するんじゃ……なんて思ってた」
失礼な憶測を交えながら観察を続けるあかりは、静雄が寝ていることを確認しながらベッドに置かれた彼の右手を取った。静雄の大きな手。男性らしい筋張ったすっと伸びる長い指。そして幾度と無く傷を負っては回復し、その度に頑丈になっていったという静雄、その手は身体と同じく普通の人の手より幾分か固いように感じた。
その後も静雄が眠っているのを良いことに手を開いて合わせてみたり、指先を握ってみたり、手の平を擽ってみたりするあかり。そして、手を繋いだ形に落ち着くと、ぽつりぽつりと言葉を漏らした。
「静雄さん、仕事大変だったのかなぁ。本当なら家でゆっくり休めた筈だもんね。……迷惑、かけちゃったなぁ」
訪れ始めた眠気に重い瞼で瞬きしながら反省してみる。
「今日みたいな事ことは……これから無いようにします。迷惑は、掛けないように。……だから、これからも……一緒に……」
断片的な言葉を紡いでいたあかりもとうとう睡魔に負けて、何かを言い終える前に瞼を完全に閉じて眠りの中に落ちていった。
******
「セルティ、セルティ。ちょっとこっちに来てご覧よ」
二人が眠りに就いてから20分程が経った頃。あかりの様子を窺いに来た新羅は、パソコンに向き合うセルティを手招きして呼んだ。無い首を傾げるような仕草をしてみせるとキーボードから手を離し、席を立つセルティ。PDAに文字を打ちながらドアを押さえる新羅の隣に立って中を覗き込むと、文字を打つ手は止まりPDAを持っていた左手がすっと下がる。首から窺い知れる表情こそ無いセルティだがその様子は唖然と言おうか、驚嘆と言おうか。そんな妖精の反応に新羅は「ね、中々に貴重な光景だろう?」、と満足げに笑った。
セルティは数秒の間、呆けた様子で手を繋ぎながら眠る静雄とあかりに目を奪われていると、直ぐさまハッとして打ちかけの文字を消し、また新たに文面を打ち出し新羅に見せた。
『こんな静雄見たこと無い!見たこと無いぞっ!!』
衝撃か感動か、とにかく興奮した様子でセルティは新羅と二人を交互に確認する。セルティにとって静雄は自分に似て存在に非常識さを持つ、気の置けない数少ない友である。関わり合いを持つなと言われ恐れられる静雄の穏やかな面も、仲間想いな面も見てきた。だが、今日のように一人の少女に心を乱され、慌てふためきながら心配する様や、誰かの手を握りながらこれ程心穏やかに眠りに就く静雄は一度たりとも見たことが無かった。眼前にしながらも有り得ないと感じる新発見に、わなわなと身体を振るわせるセルティ。
「だね。僕も見ことが無いよ」
セルティに楽しげに賛同すると、生物の新しい生態を発見した学者のようにしげしげと二人を見詰めては、うんうんと首を縦に振り「本当、実に興味深いよ」と新羅は言った。暫しの間、微笑ましい二人の姿を見て漸く落ち着いてきたセルティがPDAに指を滑らせた。そして、新羅の前にすっと差し出す。
『……何だか、でっかい犬とちっさい犬みたいだ』
新羅は液晶の左から右へ視線を流すと一瞬きょとんとして二人を見る。しかし直ぐに、ああ、と声を漏らしてセルティに向き直る。そして笑いながら、「確かに」と言った。セルティと新羅は改めて規則正しく寝息を立てる、でっかい犬とちっさい犬を見ると、静かに部屋を後にした。
*****
次の朝、新羅が静雄をからかったのは彼の性格上当然のことで、顔を少し赤くした静雄がソファを投げ付けようとしたのも、容易に想像出来るだろう。
そして、すっかり回復したあかりは携帯の新着メールの殆どが、杏里と間々に入る帝人と正臣のメールで埋め尽くされていることに驚き、慌てて連絡を入れ、慌ただしく学校へ向かう事も…。
終
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